第100話 終わりへ
蟻は人間を殺せるか?
こう問われた時、ほとんどの人間は首を横に振るだろう。
事実そうである。
道端を歩く時、足元に蟻がいて命の危機を感じるだろうか?答えはもちろん否だ。
むしろ、蟻が人間に牙を向くより前にその足でぺちゃんこに潰されてしまうだろう。
しかし、これは蟻が一匹の時に限られる。
もしも、地面を覆い尽くすほどの蟻がいれば?
もしも、人を殺しかねない毒を持つ蟻が何匹が集まれば?
視界に入るかすらも怪しい小さな生き物でも、大きな生き物を殺すだけのチャンスはいくらでも生まれうるのだ。
強さとは、所詮儚いもの。
それを測る天秤など、いとも簡単に壊れてしまうのだ。
――
「ったく!汚ったない骨だね!カルシウム取ってるのかい!?」
前線を走るナーサが、真っ先に骸骨に飛びかかる。
足先に飛び乗り、ガシガシと馬鹿力でよじ登っていく。
「ルコ!」
「あいよ!お姉ちゃん!」
トコル達姉弟は、トコルが作り上げた神聖力の弾丸を放つ銃器を用いて遠距離から攻撃を仕掛ける。
しかし弾数が心許なく、弾の製造は土壇場で出来るような物では無いので今ある分で最後。弾数管理は慎重に行わなければならない。
だが、弾数が少ないとはいえ神聖力の弾であることに変わりは無い。銃口より放たれた弾頭は、空中で裂けながらも目標に命中し、確実にダメージを与えている。
「猫の手どころか指を借りたいわ。何本あっても足りないわよ」
その横で、トゥルナは神聖力を込めた矢を射り続ける。勿論、その度に指が焼ききれるので連射は効かず、吸血鬼特有の再生能力で指が修復されるのを待たなければならない。
その度に顔が歪み、苦痛が伴う。しかし、神聖力を扱える物としてここは妥協する訳には行かない。その痛みで自分が死ぬことは無いのだから。
トゥルナはきゅ、と唇を結びひたすらに矢を射り続ける。
「しっかり掴まってなさいよ!……掴める場所なんて無いと思うけど」
「おち、落ちるっ!!死ぬぅっ!!」
一方で、大蛇に変化してその背中に楓を乗せ、骸骨の体を這い上がる二人。ぐるぐると巻き付くようにして登ってはいるが、如何せんツルツルと掴みどころのない彼女の背中の上では踏ん張りが効かない。全身でその丸太のような体にしがみつき、涙目になりながらも上に上にへと上がっていく。
「落ちたら拾えないわよ!?落ちる時には落ちるって叫んでよ!?」
「んな無茶な!!」
楓を背に乗せたソウカは、骸骨の腰の骨を登る。しかし、流石にそれ以上は許されないのか。周りの骨のあちこちから飛び出した骨の触手が彼女達の顔を掠める。
「……くっ、ごめん楓!後ろは頼むは!」
四方八方から襲いかかって来る触手を、ソウカは正面から来る物を避けるのが精一杯であり、背後までは守ることが出来ない。
楓は何とか片手をソウカの体から離し、神聖力で練り上げた鞭で触手を消滅させる。
そのついでと言わんばかりに、周りの本体の骨にも鞭を打ち付け確実にダメージを与えていく。だが、状況が状況で上手く集中出来ていないのか、トゥルナ達が与えた神聖力のダメージよりは明らかに損傷が少ない。
「スピード上げるわよ!踏ん張って!」
「うぎ……ぎぎ」
全身に掛かるGに思わず声が漏れる。鞭で背後からの攻撃をカバーしつつ、ソウカの身にしがみつく。
ソウカも、楓の体への負担を考え、なるべく角度を付けぬよう何度も何度も回転して登ってはいるのだが。
迫り来る骨の触手を避けつつ、進む力を強める。
「ソウカさん!横!」
「……なっ」
しかし、避けた先に側面から骸骨本体の手が迫る。楓が神聖力で攻撃を行うも、中指が一本弾け飛んだだけでその手は止まらない。
「……くっ!?」
「ひゃっ!?」
咄嗟に蛇化を解除。二人が自由落下を始める寸前に楓を抱き抱え、迫る手を回避。刹那、再び蛇化を行いその手に巻き付くようにして登り始める。
「楓!大丈夫!?怪我してない!?」
「私は大丈夫!!そのまま行って!!」
ソウカは二股に分かれた舌を小さく出すと、骸骨の腕を這い上がる。
今度は急な傾斜でない分、巻き付いて上がる必要は無く故にスピードが出せる。先程までとは見違えるようなスピードで骸骨の肩に辿り着き、動きを止める。
「行け!!楓!!」
「ああああぁぁぁぁぁぁ!!!」
慣性により、楓が空中に投げ出される。その空中で神聖力を練り、鞭を骸骨の首に巻き付ける。
「良し……!」
ソウカは空中に投げ出された楓に入り込み、体が直接衝撃を受けないように衝撃を和らげてその身を受け止める。
『オレを……、殺すのか?……楓』
「……お兄……貴方はもう、死んでるの。もう、これ以上私達家族に関わらないで!」
右手に鞭を巻き、左手でもそれを掴んで力任せに引く。大きくたるんでいたその鞭は、楓の加えた力によってピンと張り、首に神聖力で傷を付ける。
『オレは、なあ。楓の事を愛してたんだけどなあ』
「……喋らないで!!」
実の兄の、甘くねっとりとした声が脳に直接囁かれる。背筋が凍るような思いをし、首を振って拒絶する。
『別に俺は楓に何もしていないだろ?どうしてそんなに嫌われるのか、俺には分からん』
「……なっ、なあっ……」
「楓……!落ち着きなさい!」
ふつふつと煮えたぎる怒りが、神聖力の維持を妨げる。頭では、そんな事に怒りを感じている暇など無いというのに。
何人、この男によって家族が殺され。危険な目にあったのか。そのせいで、どれ程まで心に傷を負ったのか。
身近な人が死ぬ、愛した人が死ぬ。それは、死ぬ側よりも辛いこと。残された者の気持ちを、楓は幾度も味わってきた。
「……殺す……」
「……楓……?」
鞭を持つ手に自然と力が篭った。視界が涙で滲み、呼吸も不安定になる。
「楓!!落ち着いて!!」
彼女を背に乗せるソウカの声は届かない。今、殺意に満ちた目で骸骨、いや兄を見つめる彼女の耳には微塵たりとも入っていない。
「……っ!楓!」
骸骨の顔がこちらを向き、ソウカが目を見開いた。
その骨の口がカパリと開き、その奥、空洞であるはずなのに漆黒の闇が拡がるその先に、魔力が集まり始める。
咄嗟にソウカは楓を背から降ろし、身を盾にする形で彼女を庇う。
「……ぁ」
楓が、小さく声を漏らした刹那。
骸骨の口から放たれた超高密度の魔力波が放たれる。
「……っ」
放射時間は長くはない。瞬きをしていれば、終わってしまうほどの時間。
しかし、その間に楓を庇って受けたソウカのダメージは尋常では無い。相当な硬度を持つ蛇化したソウカの鱗すらものともせず、彼女の全身にこれまで感じた事も無い位の激痛が走る。
体が限界を迎えたのか、小さく息を漏らし彼女の蛇化が解除される。
「……ソウカさん!!」
悲鳴にも似た楓の声と共に、ソウカが崩れ落ちる。
地面(正確には肩に乗っているわけだが)にバッタリと倒れるソウカの姿を見て、楓はその場にパタンと座り込んでしまった。
「……ぁ、ぁ……」
自分が、怒りに囚われたばっかりに。
自分が、我を忘れてしまったばっかりに。
「か、えで.......」
自分を大切にしてくれている家族が、自分のせいで目の前で傷つけられた。
「ソウカさん!!!」
治癒魔法を掛けようとした所で、慌てて手を止める。吸血鬼の血が混じるソウカに、治癒魔法の効果は殆ど無い。
「……っつ」
故に感じる己の無力さ。そもそも、神聖力を扱えるとは言え、あまり戦闘に慣れている身では無い。
兄ですら負けてしまったこの相手に、自分なんかが勝てる希望はあるのだろうか。
楓は、きり、と唇を噛み締めた。
今、仲間の命は自分の手に託されている。弱気になって匙を投げたとて、それを拾って代わりにやってくれる人など、居ないのだ。
自分がやらねば。自分にしか出来ないのだ。
例え命をかけてでも。皆が託してくれた希望を胸に、前を向かなくてはならないのだ。
「……っ、『聖鞭』!!!」
無防備なソウカを標的に迫り来る無数の骨の触手を、金色に輝く、長く畝る神聖力の鞭で叩き落とす。
「っつ、ぐぅ……!」
出し惜しみはしない。例え体の神聖力が、底まで尽き果てようとも。
この一戦に、全てを乗せる。
「みんなを……!!救ってみせる……!!」
更にもう一本、左手から鞭を構える。
左手で迫る骨の触手を叩き落とし、右手で本体である顔面の骨格を殴り付ける。
『っつ、楓?俺はお前のお兄ちゃんだぞ?どうしてそんな事を?』
「あなたは、お兄ちゃんじゃない。私のたった一人のお兄ちゃんは、……ティアーシャだから!!!」
鋭く畝り、振るわれた鞭は頬の骨を大きく抉りとる。ただ、痛覚は大してないのか、あまりダメージが入っているようには見えない。
『アイツはダメな人間だ。自分の意見が絶対だと思い込んでるし、他人の意見には耳を貸さない。そんな人間は……』
「それでも……私に家族を教えてくれた大切なお兄ちゃんだ!!」
何度も何度も。息が切れ、呼吸できているのかすら怪しくなるほどに体は疲れ果てているが、その体は止まらない。
『そうか』
「っ」
先程までの甘ったるい声が消えた。
すっかり冷めてしまったような声色に、楓の背筋が一瞬凍りついた。
『じゃあ死ぬしかないな』
「っぐ」
鋭く死角から伸びてきた骨の触手が、楓の肩を深深と貫く。
そして再び骸骨の顔がこちらを向き、その顎がパックリと開いた。
先程、蛇化しているソウカを一撃で戦闘不能に陥らせた魔力の一斉放射。これを生身の楓が食らってしまえば、跡形も残らずに消滅してしまうだろう。
「……もう、泣きわめく私じゃない」
楓は両腕を水平に広げ、きりと口を結んだ。
非情にも、魔力は溜まりきりその巨大な口から魔力の掃射が行われる。
「っ」
やはり、死というものを突きつけられるというものは恐ろしい。
どれだけ覚悟という覚悟を決めていても、反射的に目を瞑ってしまう。
「……っ」
これから襲い来るであろう痛みに、ぐっと身を固める。
体感、何秒が経過しただろうか。
一秒?二秒?もっと経っているのかもしれない。
もしかして……、もう死んでる?
出来れば……、ラッキーでも良いから生き残りたいな……。
そんな淡い期待を半ば冗談感覚で胸に抱き、徐々に徐々に目を開ける。
「……ぇ」
期待していた割に、惚けた声が漏れてしまう。
死んで、ない……?
はっと目を見開くと、楓の前方に一つの影が揺れる。
「よく頑張った、遅くなって悪い。楓……!」
顔を上げると、よく見慣れた人物が腕一本で魔力の放射を受け止め、相殺しているではないか。
「おっそいよお……。お兄ちゃん……!」
生きてた。生きていた。
その事実だけが、楓の心に明かりを灯した。
声が震え、目元が滲んだが押さえ込み、楓は満面の笑みを浮かべた。
泣くのは、全部終わってから。
そう決めていたから。
「二人は下に。ソウカの手当はトゥルナに頼んでくれ」
「分かった。……負けないでね。お兄ちゃん」
ティアーシャは天道を開き、楓とソウカをその中に通しながら振り返って言った。
「夕飯何食いたいか決めといてくれ」
楓は苦笑を浮かべつつ、閉じる天道の先に見える兄の背中をぼんやりと眺めていた。
――――
「さて、と。ようやく帰ってこれた訳だ」
体の感触を確かめるように肩を回し、ティアーシャはニィと不敵な笑みを浮かべた。
『ど、どうして……。お前は確かに……』
「一回死んだよ。臓器も骨も残らんくらいにペシャンコにな。……でも、それじゃあ魂までは壊せない」
『……っ』
ティアーシャの魂は不安定だ。
様々な魂が繋がったり、分離したり。はたまた共存したりと、同じ形である事自体が少ない。
固くなった粘土を水をかけながらこねくり回せばやがて柔らかくなるように、ティアーシャの魂は肉体を失ったとて長時間で無ければ分解するということは無い。それだけ、ティアーシャの魂は環境の変化に強く、順応できるということである。
「それに、久しぶりに五体満足で戦えそうだ」
そして、その魂に吸血鬼である先代ティアーシャの魂が混じった。流石に体が完全に潰れている状態での再生は時間が掛かったが、それでも元々失っていた腕と足一本ずつの修復を行うことが出来た。
『っくはは、でも燃えているじゃないか。その体。この日が出ている中、何時まで持つかな?』
ティアーシャがちらりと己の指先に視線をやる。確かに言われた通り、ティアーシャの体は四肢の先々から灰になっている。それは吸血鬼に戻ったから。
今までなら、すぐさま日陰に避難し日の当たらない場所での戦闘を余儀なくされていただろう。
しかし、今は。
「ああ、こんなもん俺の再生の方がはえーよ」
吸血鬼の日光の影響による灰化よりも遥かにティアーシャの自然治癒力の方が早い。灰化して消える前に修復され、元に戻っている。
先代ティアーシャの魂と融合した彼女の吸血鬼としての血の純度は以前よりはるかに高い。故に治癒能力も底上げされているという訳である。
「んだから、こうやってさっ!」
神聖力を練り、楓と同じように手に巻き付けてもその手が焼き切れるということは無い。
「神聖力も練れちまうわけよ」
ティアーシャの口端が小さく吊り上がる。
「と、言う訳で。作戦通りに頼むぜ、エルティナ」
『任されました。負けないで下さいよ、ティアーシャ。ティール』
「負けねーよ。そう易々とはね」
ティアーシャは直角に立てた親指と人差し指を構え、両手で窓を作った。そしてその中を覗き込み、くたり、と全身の力を抜く。
「っと。さてさて、任されてしまったものですから。私も負ける訳にはいきませんね」
すぐさまエルティナが表に現れ、その体の主導権を預かる。
軽く数度肩を回し、体の調子を確認して小さく頷く。
「世界の運命が私に掛かっていると考えると、流石の私でも緊張しちゃいますね」
エルティナは鋭い眼光を向け、神聖力を練り始めた。
――――――
「なっ……。お前は……」
「『魂魄操作』。魂に干渉できる能力さ。お前も俺も、ここでは魂の塊でしかないんだよ」
辺り一面目が痛くなる程純白の空間。そこにあるのは二つの人影。
魂が実体化し、ティアーシャの姿と新橋の姿となって二人は向かい合っていた。
「あんなデカブツになられたらチマチマ叩くのはめんどくさいからな。魂ごとぶっ壊してしまえば一件落着だ」
「そう簡単にいくとでも……?」
新橋が不敵な笑みを浮かべる。
するとその背後からゾワッと数多の真っ黒な魂が溢れ出す。
世界中の負の感情や魂をストックしていた彼は、それを吐き出して攻撃手段として応用できる。
この環境と状況であれば一対複数を押し付けることができる為、自分に有利を生み出すことが出来る。
「……っふーぅ。……準備はいいか?」
「誰に言ってんだよ……!」
新橋は無数の負の魂をこちらに向かわせてくる。
ティアーシャは空間から粉砕されたはずの短剣を取り出し、鞘を腰にあてがえる。
「はぁっ!!!」
空をも切り裂く勢いで短剣を抜刀し、先頭を進む魂の数体を同時に消滅させる。
魔力を媒体にした魔法で攻撃を仕掛けてもいいが、手数ではあちらに分かあるのは言わずもがな。
懐に潜り込んで一気に決着を付けるのがベストなのだが。
「……くっ」
通り抜ける隙間もない魂の弾幕。一体一体の強度は大したものでは無いが、それでも数が多すぎる。
距離を詰めるどころか、押し返されてまでいる。
幾らかは斬撃で消滅させてはいるが、それでも魂がかする度に体に薄らとだが傷ができる。
魂単体での戦闘は大きなリスクを負う。それは敵だけではなく自分にも均等に発生する。
肉体という殻が無い以上、受けた攻撃は直接魂にダメージを与える。
少しでも大きな攻撃を受けてしまえば、魂そのものが破壊され、例え肉体に戻ったとしても自我を保っていられるかすら怪しい。
「『業火』!」
流石に剣一本では埒が明かないので、自分を中心に発生させた円状の炎柱で魂を焼き尽くす。
「っく、大方削れたんじゃない?」
「この程度で魂のストックが切れたとでも?」
ティアーシャが、ダガーナイフを握り、振りかぶって牽制がてらに投げる。
魂の弾幕のすき間を縫って進むナイフは新橋の体に命中、する寸前で彼の手によってそのナイフは止められてしまう。
「っ」
ティアーシャは苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべた。
本来であれば、ナイフの刃を握ることで出来るかすり傷も、己の魂にどんな影響を及ぼすかわからぬ故、無駄な傷を受けることは避けなければならないはずである。
しかし、新橋はそんな事恐れないようにナイフを握り締め、そのまま背後にへと放り投げてしまう。
「魂同士で戦うのは、こちらの方が有利みたいだね?」
「……」
彼が何故傷を負う事を恐れないのか。
それは、彼が己の体に魂を鎧の様に纏い、攻撃を完全に防御しているからである。
体は真っ黒な魂で覆われ、シルエットしか見えなくなり、目と口の部分は形はハッキリとしないがぼんやりと薄く輝いている。
「趣味の悪い格好しちゃってさあ……。『雷光』」
ティアーシャは指先に魔力を集め、もう片方の手でその魔力の塊を引っ張りパチンコのように放つ。
電撃を帯びたその魔力の塊はまるで矢のように空中で形を変え、新橋の胸部を貫く。
「……ふっ、ははっ。無駄だよ、無駄。お前の攻撃はこの魂が吸収してくれるからね。どう攻撃しようが意味が無いんだよ」
「っ……!?」
そう彼が言った刹那、その姿が視界から消滅する。
その事を脳(といっても体は魂なので、実際のところは意識か)が理解した瞬間、腹部に重い一撃が打ち込まれる。
「がっ……はぁっ!?」
全くの意識外からの攻撃。
痛みよりも、驚きが勝っていたかもしれない。
「こうやって魂をボコボコに殴ったら、あんたの意識はどうなっちまうんだろうなあ。先輩」
「かっ……あっ……」
そのダメージは予想よりも大きく、膝が折れ、息を整えるだけで精一杯だった。
しかし、新橋は容赦なく距離を詰め更に追撃を放ってくる。
「あっ……がっ……」
「ほらほら!!さっきまでの威勢は何処に行ったんだよ!!こんな俺にボコボコに殴られて!!悔しくないのかよ!!」
全身に放たれる連打、連打、連打。
辛うじて、打撃が打ち込まれる寸前にそこに魔力の塊を練りダメージを軽減させてはいるが、完全にゼロになった訳では無い。
このまま殴り続けられたら、そう長くない間に魂は元の形を保っていられなくなるだろう。
(……けど)
ひたすらに殴られ続けられる中で、ティアーシャには一つの勝機を見出していた。
(……こいつがノリに乗ってる間なら、出来る。……ただ、それにはそれを悟られないようにしないと……)
顔面に放たれる一撃。
彼女はそれを躱すのではなく、敢えてその身に受け体を背後に飛ばし勢いを吸収しながら新橋との距離を取った。
「くっそ、馬鹿みたいに殴りやがって……」
「良いのかな!?せっかく距離を詰めていられたのに、また離れたら俺の魂の弾幕がお前を殺すんだぞ!?」
「っ!!!」
ティアーシャは懐からじゃらりと五つの宝石を束ねた物を取り出し、その一つを空中に放った。
その色は、橙色。先代のティアーシャがナーサに送った宝石、魂の保管装置。
「橙」
彼女がそう呟くと、橙色の宝石が弾け、同時に中から熱風の如く突き進む物理的なエネルギーが新橋に向かって飛んでいく。
「っち、んだよそれ!」
新橋は悪態を着きつつ、負の魂を盾にしその衝撃を受け止める。
しかし、その力はまるで何トンもある象の突進のように力強く、彼の体は大きく体勢を崩した。
そこに畳み掛けるようにしてティアーシャが一つの宝石を指で弾き、口を開いた。
「紅」
続いての宝石は、トゥルナに渡された物。
宝石が砕けると、そこから無数に矢のような光弾が弧を描いて飛び、新橋を襲う。
「っく、おおっ!!?」
新橋は一気に大量の魂を自身の前へと呼び出し、無数の光弾を防ぎ切る。
『翠』
トコルのポーチに宛てがわれていた薄緑色の宝石。それを握り締め、新橋の体に目掛けて投げつける。
「……っく!?」
それが彼の体に命中した瞬間、衝撃信管手榴弾のように炸裂を起こし、彼を爆風が覆い隠す。
「……けほっ、それで終わりか?」
それでも、新橋にはほとんどのダメージが入っていない。それ程までに、魂の鎧は強固だというのか。
新橋は再び魂の弾幕を放つ。それは先程よりも濃い弾幕。
「……やるぞ……!」
彼女は走り出すと同時に宝石を放ち、空中で炸裂させる。
「白……!」
「っ……!?」
一瞬だが、眩い閃光が新橋の視界を奪う。
長い間、彼女の短剣の中に仕込まれていた透明の宝石。それは砕けると同時に、莫大な量の光を放った。
これにより、前方を覆っていた魂の壁は消滅。僅
かではあるが、新橋への道が出来た。
「そこっ……!」
その魂の隙間をくぐり抜けるようにして跳び、短剣で新橋の体に神聖力を纏わせた斬撃を放つ。
しかし、それでも表面に薄く傷を付けただけで肝心の魂には辿り着かない。
「無駄だよって言ったのが分からないのか?」
「はいはい、とくと分かりましたとも。……ティール、終わらせなさい」
「……っ!?」
その声は、変わらずティアーシャのもの。しかし、それは自分を今切りつけたティアーシャの口から発されているものでは無かった。
「言っただろ、魂を操作できるって」
その声は自分の背後から発されていた物だった。
咄嗟に振り返ろうとした刹那、新橋の背中から胸に掛けて焼けるような激痛が走る。
「……がっ……はっ!?」
その体を貫いていたのは、乳白色の一本の短剣の刃。
新橋は驚いたように目をまん丸にし、ネジ巻き人形のようにガクガクと首を後ろに向けた。
攻撃を防ぐ事の出来る魂を寄せ集めて作った鎧。鎧が受けたダメージは、その鎧を構成する数多の魂によって吸収され、新橋本人の魂にダメージは届かない。
しかし、この鎧はあくまで魂の塊に過ぎない。
隙を着いて『魂魄操作』によって魂の鎧を引き剥がしてしまえばそこには無防備な新橋の魂が露出する。
「何故……お前が二人……?」
「俺は一人だよ。そっちは別物だ」
新橋はハッとした表情で正面にいるティアーシャに目を向けた。
彼女の瞳は、神秘に満ち溢れた深海のような色。しかし、背後で短剣を突き刺している彼女の目は新鮮な血液のような美しい紅玉色。
「……別、人……。まさか……、あの時に……!?」
「ご名答。神聖力の散弾を放ったのは攻撃であり、目眩し。あの隙に俺とティアーシャは入れ替わってたんだよ」
ティアーシャ、そしてティール。
ティールの中に同化したティアーシャの魂を、一時的に分離し、まるで影武者のように。もう一人の自分であるかのようにして戦った。
これも、魂の形状が歪んだ彼女だからこそ出来る芸当である。
目の色を除けば、その容姿は寸分違わず見分けが付かない。ましてや、それぞれが別人だという情報を前もって知り得ていない限り、この入れ替わりに気が付くことは不可能だろう。
「俺は……、まだ……!!」
新橋が胸から生える刃を手で握り締め、悶えながら叫んだ。
「朽ちろ。そして後悔しろ。お前が陥れ、恐怖に突き落としてきた人達の呪いを受けて堕ちていけ。その手に掛けた人間の命の尊さを知れ。……破壊されたお前の魂は、この輪廻から外れる。お前という命は、……ここで終わる」
「……っ……!!」
新橋が、悲鳴にならない声を上げた。
「や……、やめ……」
「『藍』」
神聖力の使い手であるヘデラに渡された宝石。
ティールが小さく呟くと、彼女の短剣に神聖力が流し込まれ、それが新橋の体全身にへと広がっていく。
「ぁ」
彼が小さく言葉を残したかと思えば、その姿は塵のように宙に舞い上がり、やがて跡形もなく消え去ってしまった。
「…………ふぅ」
「お疲れ様、ティール」
「……おう、ありがとう。ティアーシャ」
ティールが短剣を腰の鞘に戻し、軽く微笑んで感謝を伝えるとティアーシャは同じ顔ではにかんだ。
「礼なんていいのよ。私はただ可愛い娘の頼みを聞いただけよ。気にしないでちょうだい」
「見た目がそっくり過ぎて、到底親とは思えないんだけどな」
ティールが苦笑を浮かべる。
改めて面と向かってみると、目の色以外寸分違わずそっくりである。実は親子なのではなくて双子なのではと思ってしまう程には。
「……さ、皆の所に戻ろう。あんまり心配掛けたら悪いしな」
「……そうね。じゃあ私はあなたの中に……っ、ティール……っ!?」
己の魂をティールの中に戻そうとした刹那、ティールの体がグラリと揺れ、膝から崩れ落ち、すんでの所でティアーシャにその身を抱き止められる。
「……あ、あっはは。……ダメだ、最後までカッコつけてやろうと思ったのに……。親の前じゃ……無理だったな」
「……ふっ、いいのよ。ゆっくりと休みなさい。私もあなたとはもっと長く一緒に親子として暮らす予定だったのに。……過酷な道を歩ませてしまってごめんなさい」
自身と同じ絹のように滑らかな銀髪を手で梳いて、頭を軽く撫でてやる。
「そのおかげで俺は生き延びられたんだから。あんた……母さんは悪くないだろ。悪いのは、貧乏頭を持つひと握りの人間だ。謝らないでくれ」
抱き止められていたティールは両腕を彼女の背後に回し、今まで親というものに甘えられなかった分を晴らすかのように、彼女の胸に顔を沈めた。
「これは……皆には見せられないわね」
ティアーシャはやれやれと、しかし嬉しそうに肩を竦め、ティールの背中を優しく撫でた。
「……ま、悪くない気分ね」
ティアーシャは柔らかや表情で、娘の頭に頬を擦り付けた。
十数年ぶりに感じる親の温もり。ティールは幸せそうに頬を緩め、魂の空間から接続を切った。
――――
※補足
【魂魄操作】…某 無為転変のような万能チート能力ではありません。魂に触れて形をこねくり回して勝ちが確定するような能力では無く、そもそも魂を操作するということに対してかなりの制限があります。
制限例として、はっきりと自我を持っている魂に対しては大きな干渉は出来ないということです。
【天道】と 【魂魄操作】によって新橋の魂を特殊空間に引きずり込むことは出来ていますが、それ以上の干渉は【魂魄操作】では行えません。
そして次回はエピローグです。ようやく物語が完結できそうです。
あと少しだけお付き合い下さい。