第99話 七人目の吸血鬼
99話
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「………………」
ここは……?
ゆっくりと目を開けると、そこは魂の空間のような純白世界。辺り一面見回しても、人っ子一人見えないし、草木も建物も何も無い。
「起きた?」
「っ!?」
ポン、と肩を叩かれ猫のように全身を震わせて飛び退く。
「あははっ、ごめんなさい。驚かせるつもりは無かったのよ」
「……お前、は……」
少し距離を離して、その人物の全身を眺める。
中程度の身長に、絹のように細く滑らかな白髪。やんわりとした女性らしい体付きに、その所々から垣間見える全身の傷跡。そして、美しい海のような深い藍色の瞳。
一見自分かと見間違える程の瓜二つ。しかし、彼女はこの人物に出会ったことがある。
「ティアーシャ、?」
「当たりよ。ティール」
「……」
「久しぶりね」
彼女は緋色の瞳を真ん丸にして固まってしまっていた。しかし、少し頭を振って我に帰るといつものような口調で口端を少し吊り上げ話し始めた。
「なんだ……。最後の石は……、短剣の中かよ」
「そういう事。ナーサなら、記憶を消されてもきっとあなたを見つけてこの短剣を託すと、知っていたから」
「流石は、元相棒ってか」
「そうね。何でもお見通しなのよ。あの巨人の事はね」
ふ、と互いに笑みを浮かべた。
「で、これも意志を石に憑依させた幻なんだろ?一体何の用で」
「あら、いつ私がそんな事をいったしら?」
「……へ?」
「それぞれの石には、私の魂を五等分した物を詰め込んであるの。それ一つ一つで見られるメッセージは私の意志を憑依させたものに過ぎないけれど。今は魂が全て集まった。つまり私の魂は完全になったの」
「……って事は、これはあんたの意志そのもので喋ってるってこと?」
「簡単に言えばそうなるわね」
「……あ、が……」
魂を分断?五等分にして宝石に閉じ込める?
元の世界で生活してきた時よりかは遥かにファンタジーな知識も耐性も着いたというのに、まだまだ自分の知らない要素があったとは。ティアーシャはガックリと項垂れた。
「で?どうするんだよ。俺はもう死んだ。今更あんたと出会った所で」
「あなたが死んだのは、人間だから」
「……っ」
言おうとした所で、ティアーシャに遮られる。
「……どういう事だ?」
「言葉のままよ。人間は一回死んでしまえば、そこで人生が終わる。けれど、何度殺しても生き返って来る生き物がいるでしょう?あなたもよく知ってる」
「プラナリアかな~?……なんつって。……吸血鬼、か?」
ティアーシャはこくりと一つ頷いた。
「そう」
「……、けど俺は今人間で吸血鬼じゃあ……」
魂が分裂してしまった過去により、父親であるルンティアの遺伝を強く受け、今のティールは身体能力が化け物じみた人間なのである。
「私が、あなたの魂の中に入り込む」
「……は?」
「そうすれば、あなたは吸血鬼に戻る」
「……何言って……」
ティールが混乱を隠せずうろたえている中、ティアーシャは淡々と話を続ける。
「あなたが人間であり続ける事を望めば、全て終わり。あなたは死んだままだし、仲間も死ぬ。なんなら世界ごと破壊されるとかエルが言ってたわね」
「……実の娘を脅しにかけてんのか?」
ティールの声色が少し暗くなる。
親子の感動の再会、かと思えばいきなり交渉を持ちかけられているのだ。そうなるのも無理は無い。
「脅しでは無いわ。あなたにはこうするしか選択肢が無いの。世界が滅びるか、あなたが戦うか」
「……拒否権もクソも無いじゃねぇか」
「それに、吸血鬼に戻ったら二度と人間には戻れない。どうする?」
「……」
ティールは、静かに爪を噛んだ。
吸血鬼に戻れば、また陽の光に苦しむ事になるし、誰かしらから狙われるかもしれない。楓と一緒に海水浴にも行けないし、一緒の時間を生きていられないかもしれない。
「……けど」
それしか、世界を救う選択肢が無いと言うのなら。
それで、皆を救えるのなら。
また、皆と毎日を過ごせるのなら。
人間か、吸血鬼かなんて、大した違いじゃない。
ナーサやルントみたいに、必ず受け入れてくれる人はいるはずだ。
「やるよ。力を貸してくれ。……母さん」
ティールは、澄んだ目で自身の実の母を見つめた。
「娘に頼られるって、良いものね」
ティアーシャは、少し照れくさそうに頬を掻いて母親らしい柔らかく、優しい笑顔を実の娘に向けた。
――――
「っぐ……!!行きな!トコル!」
「はいよ任された!」
ナーサが自身の大剣で、剣のように鋭利に変形したエルティナの影の攻撃を弾き、その隙にトコルがその体躯の小ささを活かして影の身の内に潜り込む。
「はああっ!!」
振り上げられた槌はエルティナの影の頭を一撃で粉砕する。それでもまだ動き続ける影は超至近距離にいるトコルに対して攻撃を行おうと腕を振り上げる。
「させないわよ」
しかし、そこにトゥルナの放った一本の矢が飛来し振り上げられたその腕を破壊する。
「楓!!お願い!!」
その隙にソウカがトコルと入れ替わる形で下に潜り込み、影の身を蹴りあげる。
その影の身が浮いた瞬間に、肉体を蛇化。その巨大な顎が影をガッチリと掴み、大きく体を畝らせて宙へと放り投げる。
「消えて!!」
天井スレスレに浮かび上がったその影に向けて、楓が神聖力で作り上げた鞭を振るい、影を消滅させる。
「ふう、粗方片付いたかね。これは。久しぶりに良い汗かいたよ」
ナーサが一息付き、額に滲んだ汗を拭う。
「いいダイエットになったんじゃないの?」
「細切れに刻んでルンティアに頼んで調理してもらおうかね?」
「ひええ、おっかないおっかない」
そんな軽いやり取りをナーサとトコルが挟んだ後、ナーサが楓の方を向き、ワシワシと頭を撫でた。
「いい動いをするじゃないかい、楓。とても数週前に肝っ玉の小さそうな子だったとは思えないね」
「あ、ありがとうございます……」
楓は目を細め、こそばゆそうに頬を掻いた。
「まさか神聖力まで使いこなしてるとは………………。…………ん?」
トゥルナも同様に彼女の方へ近づこうとした時、何か違和感を感じピタリとその歩を止めた。
「どうしたんだい?トゥルナ」
その様子に気が付いたようで、ナーサが彼女の方を振り向く。
「この魔力の感じ……、いやな予感が……!!!」
「っ!?」
ブランクがあるとは言え、歴戦の戦士であるトゥルナは直感で全員の体を病院の扉から遠ざけるように押し飛ばした。
刹那、とてつもない轟音と共に吹き荒れる風によって全員の体が大きく吹き飛ばされ、それぞれが病院ロビー内の壁に叩きつけられる。
「っつ!?な、何が……」
ナーサが大剣を杖代わりにして素早く体勢を整える。砂埃で若干曇る目元を擦り、周りの面々の安全を確認する。
「皆……、っ!トゥルナ!」
すると、その中にトゥルナの姿が見えない。慌てて目を凝らすと、先程自分達がいた所に地面に這いつくばって倒れている彼女の姿があった。
「トゥルナ!おい、しっかり!」
「……っつ。……皆は、無事?」
「あんた以外はね。……っ」
トゥルナを抱えてその場から離れようとした時、彼女の両足が跡形もなく潰れてしまっているのが目に入った。
「……ふっ、どう?親友を殺した裏切り者が死にかけているザマは……、」
「何冗談こいてるんだい、あんたは。もうあんたの記憶改変は解かれたんだ。……あんたのことを裏切り者だとはこれっぽっちも思っちゃいないさ」
「……そう」
ふ、と小さく笑みを浮かべるとその華奢な体はナーサの巨体によって軽々と持ち上げられ、皆がいる方向へと駆け出した。
「っ、トゥルナさん……!?足が」
最初に悲鳴のような声を上げたのは楓だった。彼女は急いで治癒魔法をその足に掛けようとしたが、トゥルナの手によって止められる。
「言ったでしょう、私は吸血鬼だって。放っておけば治るから、気にしないで」
と、言っているものの彼女の顔は苦痛に歪んでおり、額に脂汗も滲んでいる。
自身に力があるのに、それを拒まれ、しかし自分が治療出来ないせいで彼女が苦しんでいる。
楓は唇を引き結んだ。
「大丈夫、楓。吸血鬼には治癒魔法が効きにくいの。あなたに非は無いわ」
そんな楓を見かねてソウカが肩を叩いてくれる。
「そうさそうさ、吸血鬼のしぶとさは私達身に染みるほど知ってるからね。……ほんでもって……、さっきの爆発?は何なんだろ」
先程まで何とか形を留めていたロビーは、今や完全に崩壊。彼女達のいるロビー後方は無事だが、入口側はまるで隕石でも落とされたかのように消滅していて、天井も無くなり空が見えていた。
「……っ、嫌な魔力の感じね」
別に匂いがする訳でもないが、ソウカは鼻を噤んだ。
「ルコ……、私の後ろにいなね。何があるか分からない」
トコルは弟を自身の背後に隠し、目にゴーグルを掛けた。
「……来る!!」
そのナーサの声にその場にいる全員が身構える。
刹那、熱気のように重くどんよりとした空気が病院ロビー内に流れ込み、ピンと緊張が張り詰める。
「……………………………」
「っ、か、楓ちゃん!?」
そんな中、誰よりも前に立ち大剣を構えるナーサよりも前にふらりとその身を曝け出す楓。その場にいる全員が目を丸くして動く事が出来なかった。
「っ、楓!!」
そんな中、我を取り戻し楓に真っ先に楓に飛びつくソウカ。彼女はその身を引き、後ろに引かせようとしたのだが、楓の体はビクともせずただひたすらに前に進もうとする。
「楓!しっかりしなさい!!」
ソウカに肩を掴まれ揺すられるも、楓は進むのを止めない。先程までの感情が顔に出ている彼女が嘘のように、その顔は無表情で目にも生気が宿っていなかった。
「いったいどうしたって言うんだい!」
ナーサが片手で楓の腕をぐい、と引き彼女を抱き寄せる。
「何か様子がおかしいわね。……ナーサ、見せて」
既に足の修復を終えたトゥルナがナーサの元に寄り、抱き抱えられた楓の額に人差し指を当てる。
「……体の魔力の流れからは異常は感じられない。きっと何か精神的な物が……」
『カエデ……………………、オイデ……………………』
「「「「「っ……………………!」」」」」
その場にいる全員が、ぞっと背筋を凍らせた。突然、己の頭の中に流れ込んで来た嫌な程に甘く、ねねっとりとした囁き声。
「き、聞こえた……?皆」
恐る恐る囁いたトコルに、全員が小さく頷く。
「……なるほど、楓はこれを聞いていたのね」
トゥルナが痛そうに額を抑え、小さく溜息を着いた。
『カエ、デ』
「楓!しっかりしなさい!こんな声に惑わされちゃダメ!!」
「…………ぁ」
ソウカが軽く頬を叩くと、数度瞬きをした後に楓が小さく声を漏らした。
「……楓?」
「……え、あ、え?な、なんで私ナーサさんに……」
どうやら我に返ったようで、キョロキョロと首を回し、自分を抱き抱えるナーサと目を合わせて困惑した表情を浮かべていた。
「なに、戻って来たのなら問題ないさ。ちょっとあんたが錯乱してただけだよ」
「……そう言えば……、お兄ちゃんの声を聞いた気が……。気のせいかな」
「お兄ちゃんって……、あなたのお兄ちゃんはティアじゃ……」
ソウカ達が聞いた声は、明らかにティアーシャの声では無かった。
「……いえ、私と本当に血を分けた……」
兄が、そう楓が言おうとした瞬間、病院のロビー内の空間がガラスのように大きくヒビ割れ、その中から人一人分はあろう巨大な骨の手が現れる。
「なっ……あっ」
そこから、ロビーの天井を突き破り、その巨体を顕にした骸骨。病院の高さと殆ど変わらぬその巨体は、見上げているだけで首を痛めてしまいそうになる。
「……な、何よ……、これは」
ソウカが言葉を漏らした。
まるで地獄の底から這い上がって来たかのような、その容姿は見ているだけで気が狂ってしまうかのようにおぞましかった。
「……敵、なの」
ルコがトコルの脇から顔を出して言った。
「……分からない。……身長分けて欲しいよね」
冗談は言っても、トコルの顔は笑っていなかった。
「……………………っ」
皆が困惑した表情を浮かべる中、楓は何かに気が付いたようで目を大きく見開き、金魚のように口をパクパクと動かしていた。
「……楓?どうし……た……、」
その様子に気が付いたソウカが心配して声を掛け、その目線を追う。
「……あ、れは……」
その先にあったのは、彼女がよく見なれた物。ある時、洞窟で出会ってからその親友が肌身離さず持っていた物。
「……敵よ」
楓が口元を抑え目のの奥から溢れる涙を必死に堪え、ソウカが口を引き結びわなわなと手を震えさせた。
「……こいつは、……ティアを……」
視線の先にあるのは、粉々に砕けた乳白色の刃を持つ短剣の残骸。これを砕かれ、尚且つティアーシャが今現れないということは。
「……敵、だとしてもこの巨体はどうしろって言うんだい。下手すりゃデコピンされただけでも弾けとんじまうよ」
ナーサが呆れたような深々とした溜息を着きながら大剣を肩に担いだ。
「んまあ、このまま放置しておくにはいかないからね。結局いつかどうにかするのなら、今やっておかないと」
「……そうね。私達が力を合わせれば……、どうにかなるのかもしれない」
「トゥルナ?それはどういう……」
トコルが問おうとした側から、トゥルナは背中に背負う矢筒から一本の矢を取り、弓に番えた。右腕をツンと張り、矢羽根を持つ左手は顎の横の骨に合わせて安定させる。
弦を引き絞り、狙いを付けて左手を静かに放つ。
空を切り、弧を描いて骸骨の骨の一部分に命中。矢尻の着いていないその矢は命中した後、力を失いポトリと落ちたように思えたが、着弾した場所に目を凝らしてみるとそこは大きくヒビ割れ、ダメージが入っているのが確認出来た。
「っ、傷が……!」
「やはり、神聖力でどうにかなるみたいよ。私の得意でも何でも無い神聖力でこれだけダメージが入ってるみたいだし」
「……っ、でもトゥルナさんが神聖力を使ったら……」
楓が気がついたように彼女の方を振り向く。彼女が神聖力を込めた矢を放った左手の指先は、まるで電ノコで切ったかのように焼き切れており、生臭い肉の焼ける匂いがツンと鼻腔を刺激した。
「……まあ、こうなるわよね。いったぁ……」
吸血鬼であるトゥルナが神聖力を扱えば、当然自身へのダメージが発生する。トゥルナの使った神聖力は弓の矢を通してのものだった為、神聖力が局所的に集まる指先にのみダメージを与えたから良かったものの。全身に神聖力を流してそれを使えば、体が灰になって消滅してしまうだろう。
トゥルナが火傷でもしたかのように指に数度息を吹きかけ、手を振ると焼ききれていた筈の指先は既に修復され、元通りになっていた。流石は吸血鬼と言うべきであろうか。
「神聖力が効果あると分かっても、この中で神聖力を扱えるのは……」
ソウカの視線が泳ぐ。
「私と楓ちゃんだけか。あと大樹さんだね。私も神聖力の込めた弾とかは限りがあるから何とも言えないけど」
トコルがはあ、とため息を着いた。
この中で唯一、自由に神聖力を扱えるのは楓のみということである。使える者がいるだけ、幸いなのであろうが如何せん、楓一人にこの巨大な骸骨を任せるのは匙を投げるにも程がある。
「私達は楓が攻撃できるチャンスを出来るだけ生み出すってこった。出来なきゃ死ぬ。出来たら生き残れる。そういう事だろう?」
ナーサの問い掛けに、楓は小さく頷いた。
「なら、始めよう。ソウカ、あんたは楓と一緒に行動しな。楓の機動力はあんたがカバーするんだ。トコルも弾のある限りは使ってしまっておくれ。出し惜しみはするんじゃないよ」
それぞれにナーサがアイコンタクトを取り、屋根を突き抜けて目の前に広がる巨大な骸骨を見上げる。
「……ティアーシャ、見ていておくれ。……これが、私達の敵討ちだ」
ナーサが大剣を握り締め、地を蹴って前に躍り出る。他の面々も、それぞれ彼女に続いて走り出す。
正真正銘、最後の殺し合い。
世界が滅ぶか、死ぬか。生き残るか。
「……人の子らよ。その勇姿、神である私も見届けよう」
その結末は、神ですら知らない。