第94話 先へ
「っ!!ティア!!」
風穴の空いた体育館の天井。その遥か先の天空で激闘が行われていると思えば、空から血飛沫を撒き散らしながら降ってくるティアーシャの姿があるでは無いか。
痛む体に鞭を打ち、全身を蛇化。体育館の天井の鉄骨を伝って天井に張り付く。
「カエデ!離れてて!」
「はい!」
ティアーシャは気を失っている。故に彼女が落下してくるまでに彼女自身の意思によって減速することは無いだろう。
「助けてみせるっ」
天井を伝って穴から顔を出し、丁度穴に向かって落下してくるティアーシャの胴体をその巨大な口で掴まえる。
「っぐ!?」
鉄骨に体を巻き付けていたものの、勢いは殺しきれず共に落下し、体育館の床に全身を叩きつけられる。
「ソウカさん!」
蛇化を解除し、人間の姿に戻るソウカの元に楓が駆け寄る。
「私は、大丈夫。それよりもティアを……っ」
頷いた楓。彼女の脇で仰向けに倒れているティアーシャの元に膝を着いて座り、その怪我の様子を見て楓は絶句した。
「これ、は……」
「……っ」
尻目でそれを見たソウカも、きりと唇を噛み締めた。
体育館の床に、水溜まりを作るほどの出血量。その血に隠れ、右腕と左腕が綺麗に欠損していた。
「止血を……」
楓は魔力を手に込め、回復魔法をかける。
しかし、回復魔法とはその生き物の本来持つ自然治癒能力を底上げするに過ぎない。トカゲの尻尾ならまだしも、失った人間の腕を新たに生やせるほど魔法は便利なものでは無い。
「ティアは……生きてる?」
「生きてます。けど、出血量が多すぎます。私の治癒である程度は大丈夫ですけど、まともに動ける程にはなりません」
何とか出血は止まった。これ以上彼女に対して取れる措置は無いとし、楓はソウカの治療を始める。
「ふぅ……、ありがとう」
「いえ……。けれど、お姉ちゃんがまさかああなっているなんて……」
「っ……。不味いわね、神の使いであるエルティナを手駒に取られたら、私はどう足掻いても不利にしかなり得ない」
楓の治癒魔法のおかげである程度の痛みが引いたソウカは手をついて立ち上がり、風穴の空いた天井に目を向けた。
「追ってくる気配は無さそうね」
「……いつでも倒せるから、今追う必要は無い。そういう事でしょうか」
「全員集まってから皆殺しにした方が効率がいいって事かもしれないわね」
ソウカは血に濡れた相棒に目をやった。この中であのエルティナと戦って唯一勝算があるのはティアーシャただ一人だろう。ソウカも楓も神聖力は扱うことは出来ないし、対抗手段が無い。
そのティアーシャが討たれた今、何か他に策はあるのだろうか。
「いちかばちか、賭けるしか無いみたい」
ソウカは唇を固く結び、懐からティアーシャから預かった発炎筒を取り出す。
「っ、ソウカさん?今、皆を集めて殺す為かもしれないって……」
「だからと言ってこの場で野垂れ死ぬまで待つ訳にはいかないでしょう。後、神聖力を扱えるのはヘデラさんのみ。可能性があるのなら、私は賭けたい」
「……」
「ここで行動しないで、今は殺されないとしても結局すぐに殺されるのよ。それだったらほんの数パーセント、いや零点数パーセントでもいいから私はその希望に縋るわ」
「……そう、ですね」
正直、楓は口ごもった。
「……やりましょう」
しかし、ほんの数秒考えた後強い眼差しでソウカを見て答えた。
「私はお兄ちゃんが死んでしまって、独りぼっちでした。あの時は、自分さえ良ければってずっと思ってたけど。……今は、お兄ちゃんも、ソウカさんも、ヘデラさんも、トコルさんも、葵さんも、大樹さんも、そしてエルティナさんも居る。家族が居る。だから、私はみんなを護りたい。みんなよりも戦えないし、力だって無いけど、みんなを護る事なら出来る。……私は、私に出来ることをやりたい」
「……わかった」
ソウカは小さく微笑み、己の発炎筒に手を掛けた。
「強くなったわね、楓」
「……ありがとうございます」
蓋を捻ると、その隙間からもうもうと煙が立ち上る。それが天井の穴から天に向かって立ち上って行く。
「生きて、帰りましょう」
「ええ」
――
「っ、トコルさん!ヘデラさん!煙が!!」
「っ!?場所は!?」
大樹の上に乗って周りの様子を観察していた葵の声が響く。
すると大樹の中で待機していた場所からトコルとヘデラの両名が飛び出し、上にいる葵に首を擡げる。
「あそこは……。言っても分からないでしょうから言わないですけど、少学校です!あそこであれば道は分かります!!着いてきてください!」
大樹が葵の乗っている木の枝をゆっくりと地面に下げて葵が飛び降りる。
『ヘデラよ』
「っ、……なんですか?」
ピタリとヘデラが足を止め、背後を振り返る。
大樹は若干言葉を詰まらせた後、ゆっくりと続けた。
『生きて帰って来い』
ヘデラは短槍を小脇に抱え、頬をほんの少しだけ吊り上げた。
「言われずとも」
ヘデラが前を走り出し、葵とトコルもそれに続くようにして山を駆け降りていく。
「時間は!?ここからどれくらいで着く!?」
ゆく道を阻む生き物達を短槍で切り裂きながらヘデラが声を荒らげた。
「さほど時間はかかりません!ただ……何も無ければ」
「っ」
ヘデラがピタリと足を止め、後の二人も続いて止まる。
木々の生い茂るアスファルトの道路。そこを遮るようにして巨大な大木がへし折れ横たわっている。
「ここを迂回すると時間が……」
この道を通らずに迂回して行くルートは他にもある。しかし、どれもが大回りになってしまい甚大なタイムロスが生まれてしまう。
かといって家一件ほどの高さがあろうこの巨大な丸太を越えていけ、と言われて登れるほど簡単な事では無さそうだ。
「仕方ない、ここは迂回して急ぎましょう」
「いや、その必要は無いよ」
「?」
トコルがいつもの如く携帯している巨大なバッグに手を突っ込み、ガサガサと手探りで何かを取り出す。
直方体の、薄い紙に包まれた謎の物体。トコルは自信満々にそれを手の内で弄び、行く手を阻む大木の木の幹に貼り付ける。
「これだけ良く乾いてたら行けるかな」
「それは……?」
トコルが木の皮を剥がし、その様子をしげしげと観察していると、ヘデラが少し離れた所から不思議そうな目つきでトコルを見た。
「二人とも、少し離れててよ」
そう言われて、ヘデラと葵が数歩後ろに引く。そしてそれに続くようにしてトコルが二人の隣に移動し、手袋の手の甲に取り付けられているパチンコを指先ではね上げさせる。
「じゃあ行くよ」
腰のポーチから赤く輝く硝子玉を取り出し、手の甲のパチンコに装填する。そしてその玉を引っ張ると、魔力で作られた黄金色の紐が伸び、玉を手放すとその紐が一気に縮小する。
その勢いで発射された硝子玉はトコルが木の幹に貼り付けた直方体の物体に直撃。刹那、硝子玉が破裂し周囲一帯に轟音が響き渡り、土煙が舞い上がる。
「なっ……!?うわっ!?」
爆風により体勢を崩し、尻もちをつく葵。ヘデラは短槍を支えに何とか踏ん張っている。
「おっとっとっと」
体躯は小さいがそれ以上に体重の軽いトコルは、まるでダンゴムシのようにまるまりゴロゴロと後方に転がっていく。
「トコル!?これは……!?」
「簡易的な設置型の爆弾だよ。起爆にある程度の威力のあるものが必要だけど、大きさの割に威力は凄まじいよ」
トコルが指さす場所に二人は視線を向けた。
土煙がもうもうと立ち上がるその場所。しかし、影からうすらとシルエットが見えた時、二人は絶句した。
やがて、土煙が晴れる。そしてその先に待っていたのは。
「……うそぉん」
思わず葵が間抜けな声を出した。先程まで道を塞いでいた巨大な丸太が、まるで巨人にでも殴られたかのようにぼっこりと丸い穴をぶち抜かれているではないか。
「流石トコルね」
「へへーっ、褒めても何も出ないよーっと!」
「当然のように……。まともなのは僕だけか!?」
まるで何事も無かったかのように、爆破で出来上がった大木の穴をくぐる二人。その後ろを一歩引いて葵がワナワナと肩を震わせながら追いかけて行った。
「あの小ささでこの爆発の威力……。これ、世界を色々壊しそうだなあ」
起爆の不便さは、こちらの世界の遠隔操作技術でどうとでもなるだろう。
あれだけの小ささでここまでの爆発力があるとなると、採掘時の発破事情にも大きな影響を与えそうだし、お国同士の戦争事情にも変化を与えかねない。
「安心してよ。私の開発をこの世界にまで普及させるつもりは無いから。それに、この世界の方が私の作るものよりも遥かにいいものを作れるだろうし」
「でも……っ……」
そう言おうとした矢先、柔らかい感触が髪の毛越しに頭に乗りかかる。
「いっ……!?」
咄嗟に手を伸ばして頭の上から払おうとすると、手にブニブニとした嫌な弾力のある感触が走る。
「あ、葵ー。頭の上、幼虫乗ってる」
「とっ……て、頂け、ますか」
「……案外弱っちいんだね」
若干涙目になりつつ、体を硬直させて動かなくなる葵。そんな彼の頭上に乗るそれなりに巨大な幼虫をヘデラは短槍の柄で軽く叩き落とす。
「……アリガトウゴザイマス」
「……いいの。その芋虫、普通に気味が悪いし」
頭の上から落とされ、足元でうねうねと体をくねらせている幼虫が視界に入る。その大きさは日本にいるカブト虫の幼虫をも遥かに上回り、丸まっている分を伸ばせば十五センチは下らないのでは、という代物。そんな幼虫の頭部にある歯から粘液が流れるのを見て葵は背筋が凍る思いがした。
「さ、先を急ぎましょう。三人を助けに行かないと」
「ええ、もうここからすぐです。五分とかかりません」
葵は幼虫を足で隅の方に追いやり、息を整えて二人の前に立った。
「っ、煙が見える。あそこね」
ヘデラが指さす上空を見上げれば、そこにはもうもうと空に舞う一筋の煙が。いよいよ目的地までの距離が狭まって来た。
「急がないと……がっ!?」
トコルが鞄を背負い直し走り出そうとした時、突如彼女の姿が消える。
「っ、トコル!?」
呻き声のした方向へ目をやれば、そこには木に叩きつけられ悶絶する彼女の姿が。
「……ヘデラさん」
「っ」
葵が静かに息を飲む。静寂故か、ヘデラにはその音がありありと聞こえた。しかし、そんな事よりも周りに広がっている光景の方が恐ろしく、二人とも言葉を失ってしまっていた。
「……どうやら爆発で起してしまったようですね……?」
「トコルのこと、煽てるのは辞めておくわ……」
すぐさまトコルの元へ駆け寄り、その小さな体躯に肩を貸す葵。そして再び周りをぐるりと見回してみる。と。
「わお……」
三人の前に立ち塞がる巨大な生き物。その正体は、首を擡げるほどに巨大化した全身赤褐色の豚人。
人間の体に豚の顔を落としてくっつけたような顔に、醜く今にも破裂しそうな程に膨れている腹。口元からだらしなくダラダラと流れる唾液。そもそも見えているのかすら分からない、瞼の肉に埋もれた小さな瞳。
幸い数は一体であるものの、この大きさはそう簡単にどうこう出来るものではなさそうだ。
「相変わらず……、不思議なものばっかりなのね。あなたの世界は。こんな凄い生物を作ってるなんて」
「こんなめちゃくちゃなものあってたまりますか……」
ヘデラの冗談に、葵が顔を引きつらせる。
二人は体を打って目を回しているトコルを抱えて走ってその巨大な豚人から距離を取る。
しかし、その小さく潰れかけている目はしっかりとこちらを見据えており、三人が移動したことを認識した途端に、まるで重戦車さながらの勢いで追いかけてき始めた。
「くっ、追いかけてくる……!」
「このままこいつをティールの元へは連れて行けないわ……!」
この様子であれば、あの豚人はどこまで行っても追いかけてくるだろう。だとすれば、この化け物を救援を望んでいる彼女らの元へと連れていくことは出来ない。
「……ヘデラ、葵。ここは私に任せてよ。君達は先に」
トコルがヘデラの耳元で囁き、ヘデラが振り返った時には既にトコルは彼女の背中から飛び降り、二人に背を向けて立っていた。
「勝算は?」
ヘデラは若干息を切らしつつも、足を止めてトコルに尋ねた。
「例えて言うのなら、石を投げて地面に落ちるくらいの確率かな」
おどけた様子で言う彼女の様子を見て、ヘデラさ苦笑を零した。
「なら、任せるわね」
トコルが手の中で槌を回転させながら一歩前に出た。
「もちほん。神聖力を使えるのはヘデラだけだからね。二人にこいつが追いかけていかないように足止めしてあげるよ」
「……すみません、トコルさん。お願いします」
「私を誰だと思ってるのかなー?かつて最強のパーティで冒険者の頂点に立ってたトコルさんだよ?このぐらい余裕チャラチャラだって」
「……そうね。道案内頼んだわよ、葵」
ヘデラはフツフツと心の中に宿る懐かしさ故の高揚感を抑えつつ、葵の手をギュッとにぎった。
「……『風よ。私に加護を』」
ヘデラが深く息を吸い込み、森の力をその身にへと宿す。
翠色のオーラを宿った彼女が目を見開いたかと思えば、目にも止まらぬ速さで地を蹴り走り出す。
「うっええええええっ!?」
まさかこんな速さで走り出されると思っていなかったのか、葵の間抜けな声が木々の隙間を駆け抜ける。
「久しぶりに見るなあ、あれ」
トコルが視線の先に消えていく二人を嬉しそうに二人を見届けると、槌を構えて背後を振り返った。
そこにあるのは巨大化した赤褐色の豚人。潰れかけた白い小さな瞳が、自分よりも遥かに小さなトコルの事を見下していた。
「私だって身長欲しいのにさ、その大きさは卑怯だと思うんだよね。それだけあるなら数メートルくらい分けてくれたって良いじゃん?」
ずっと見上げていると、首が取れてしまいそうになる。トコルはコキコキと首を回しながら、鞄の中からボロボロに煤けたゴーグルを取り出し、頭の上から装着。
「さ、ここから先は通行止めだよっ!」
小さく舌なめずりして、その小さな体躯が宙に舞った。
空中で槌を構え、その巨大な体躯に向けて渾身の力を込めた一撃を食らわせる。
「っ……!」
鈍い振動が手を伝わって全身に広がる。どうやら生半可な力ではこの腹を打ち破ることは難しいようだ。
「なら、私の兵器には耐えられるかな?」
ニヤリ、と不敵な笑みを浮かべトコルは自身の背負うバッグの中から先程木を破壊するのに使用した爆薬を取り出す。
そしてふわりと体から力を抜き、自由落下。と、思わせていつの間にか側の木に引っ掛けていたロープをターザンのように使い豚人の股の下をくぐってその足に爆薬を投げつける。
「でかくなりゃ強いって言われてるけど、案外とろいだけなのかな!」
貼り付けた後に、ロープを手放して勢いに乗り、高く飛びんで手の甲の装置を使って緋色の爆発玉を撃ち出す。
その緋色の玉は一直線にその爆薬に命中。その玉が起爆剤となり、数秒後に巨大な爆発と爆煙が巻き起こり、豚人の姿を隠してしまう。
――ブモォォォォォッ!?
「……どうやら効果あるみたいだね」
叫び声なのか、雄叫びなのか。低く、耳に響く豚人族の声が街全体に響き渡る。
煙が晴れると、そこには脚部に大きな穴を開けドロドロとそこから体液を垂れ流している豚人の姿があった。この爆薬であれば分厚い肉に対しても効果はある様子だ。
されど、トコルはバッグの中に手を突っ込んでみて顔を顰めた。障害物となった大木を破壊するのに一個、そして今一個。バッグの中にある残りの爆薬はあと一つ。これを効果的に使わなくてはこの戦い、少し厳しいものとなるだろう。
「さて、どうしたものかなあ」
しかし、そこで大した焦りも顔に出さない所は流石元上位冒険者であったといえるだろう。
「っ、あぶないなあ」
バッグを手に抱えて中身をしげしげと眺めていると、痺れを切らしたのか豚人が大地を踏み鳴らして突進を繰り出してくる。
体の小ささ故に、特に何もせずとも豚人はそのまま彼女の頭上を通り過ぎ、近くのビルに頭部をぶつけていた。
――ブッゥゥゥゥ!!
やはりその巨大な体躯故か、突進の力量は凄まじい様で、ぶつけられたビルに大きな衝撃が走り、コンクリートに大きな亀裂が走る。
「わあお、そんなの食らったらただじゃ済まなそうだね」
頭を抑えてクルクルと周りを見回す豚人。どうやら体の割に知能は人並み以下のようである。
「とりあえず、さっさと終わらせちゃおうか」
手の甲の装置に翠色の玉を込め、反対の手でそれを引っ張って発射する。
豚人の顔に当たった衝撃で破裂したその玉は、同時に黄緑色の粉末を散布する。
――ブモッ、ゲホゥ、ゲホゥッ!?
トコルの出身の地の、強力な睡眠効果のある毒キノコを粉末状にしてガラス玉の中に入れ込んだ玉だ。少し吸引しただけでもまともに意識を保っている事は厳しくなるだろう。
豚人は大きく咳き込み、全身を地面に擦り付けるようにしてのたうち回る。
「さ、終わらせるよ」
その隙に、トコルはその身軽な体躯を活かして器用に豚人の体の上をよじ登り、うなじに爆薬を貼り付けて飛び降りた。
「チェックメイト」
豚人が振り返る時にはもう遅い。既にトコルの手の甲の装置から放たれた爆発性の緋色の球が、爆薬に直撃していたから。
――ッッッッ。
断末魔は、聞こえない。爆風に掻き消されてしまうから。
「さ、私も向かわないと」
トコルが着地し、汚れた手を払ってから早急にその場を後にする。
ドサリ、彼女の背後で鈍い音がするも、彼女は不敵な笑みを浮かべるだけで振り返りはしなかった。
――
「うひぃぃぃぃぃっ!?」
「気を付けないと舌噛むわよ……っ」
「そこの角をっ……右ですっ」
車並みのスピードで疾走するヘデラの体に掴まってなんとか振り落とされないようにガイドする葵。風が目に入ってほとんど視界が聞かなかったり、カーブしたりする時の遠心力で体が引きちぎれそうになったりもしたが、そこはヘデラが繊細な調整をしてギリギリの速度で走っている。
「っ、ここです!」
葵が声を張ると、ヘデラが足を止めて急ブレーキを掛ける。
隣に見えるは、他の建物と同じように木々に覆われた小学校。その本校舎と思われる建物よりも奥で、トコルの作った発煙筒は煙を上げている。
「はあっ……はあっ……」
「……大丈夫?」
「ヘデラさんこそ……あんな速さで走って大丈夫なんですか……?」
葵が膝に手を付き、肩で息をしているとヘデラが片手で彼の背中をさすった。
ヘデラも若干顔が歪んでいるが、息も上がっていない様子だった。
「あれは風の加護を借りているから。私は問題無いわ」
「へ、へぇ……」
もうそんなファンタジー要素を聞く事には慣れたと思っていたが、実際聞くと唖然とした反応しか出来ない。
葵が息を整えたのを見届けると、ヘデラは小走りで煙の上がる校舎裏へと足を運ぶ。
そこは半円状の建物である、体育館。ほんの少し足を止めて背後を追ってくる葵を待ちながら、ヘデラは体育館の中に足を踏み入れる。
「っ、ティール!?」
そしてその先に広がる光景は、彼女も目を疑う物だった。
体育館の中央にティアーシャと楓。そして少し離れてソウカが蛇化しており、そのソウカが対峙する先には、ぼんやりとしてはっきりと形の掴めない人型の影達がゆらゆらと揺れていた。
全身を血で濡らしたティアーシャは地面に仰向けに倒れていて、その脇で楓が彼女に向けて治癒魔法をかけている。
「ヘデラさん!」
どうやら楓はこちらに気が付いたようで、声を上げる。
「っ、楓!ティアを連れて逃げて!」
ソウカが楓ら二人を戸愚呂を巻くようにして囲う。すると次の瞬間、ゆらゆらと揺れる人型の影はそれぞれの手に弓を取り出し一斉に矢を放ち始める。
「あっがあっ!?」
蛇化した時のソウカの鱗の硬さは強靭だ。刃は通さないし、大抵の魔法は弾き飛ばす。それだけの強靭さを持ってしても、その矢のダメージは大きいようで体育館の中に彼女の呻き声が上がる。
「っ、葵!楓と一緒にティールを!私はソウカを!」
「っ、分かりました!」
葵がソウカで弓兵の射線を切りつつティアーシャの元に向かう。
ヘデラは再び風の加護を受け、瞬く間にソウカと弓兵達の間に割り込むようにして立ちはだかる。
「『聖雷』!」
ヘデラが短槍に神聖力を込め、地面を貫く。
すると、槍に纏った神聖力が地面を伝って拡散し影の弓兵達の足元に流れる。足を伝って全身に回る彼女の神聖力は弓兵達の体を朽ちさせ、やがて空中に放り投げた砂浜の砂のようにサラサラと崩れて消えていった。
「ソウカ!大丈夫…!?」
「……わ、私は大丈夫。私よりも先にティアを……っ」
彼女の蛇化した顔が歪んだ、そう思った刹那に彼女は人間の姿に戻り、地面に体を叩き付けた。
「ソウカ!」
「私……は、大丈夫……」
全身を震えさせながら、手をついて立ち上がるソウカ。歯を食いしばって耐えているようだが、彼女の脇腹からじわじわと血が滲んできていた。
「少しじっとしてなさい」
「っくぅ……っ!」
吸血鬼の血が混じるソウカは治癒魔法が効きにくい。増してや神聖力の使い手であるヘデラの治癒魔法なんて以ての外である。
逆に吸血鬼の血を持っているという事は、それ所以の高い自己再生能力を持っているということ。傷口にトゥルナから渡された小瓶の中身をぶちまけ、彼女の肩を担いで起き上がらせる。
「痛みはすぐ引くわ。頑張りなさい」
「……え、ええ。大丈夫です」
「一体何が……?エルティナはどうしたの……?」
ソウカは痛みに顔を顰めながらも声を振り絞って言った。
「……エルティナは、私達と同じように……、操られてたんです。顔にまで黒い染みが進行してて。そこから戦闘になってティアは……」
ソウカは首をティアーシャの方へと向ける。
「黒い染みってまさか……っつ」
ヘデラは自身の腕に取り付いていた黒い染みを思い出した。すると同時に、切り落としたはずの腕のあった場所がちくりと痛む。
あれが、全身に広がっていたと言うのか。ヘデラは思わず唾を飲み込んだ。
「……それに、エルティナは私達と違う。操られてただけじゃなくて、ティアの『天道』によく似た物も使っていたし……あの人型の影みたいなのも呼び出してた……」
「……」
やはり、あの闇には意思のようなものを感じる。明らかに人では無いのだけれど、それでもしっかりと計画を組んで、じわじわと追い詰めてくる。
「葵!ティールは!?」
ソウカを抱えたまま、ティアーシャの状態を見る葵に向けて言う。
「……楓さんの治療で一命はなんとか。……けれど、出血量が多すぎます。すぐに輸血しないと」
横たわっているティアーシャに目をやって、ヘデラは心の中で舌打ちをした。右腕、そして左脚が飛び、既に彼女の周りには血の水たまりができている。
彼女が吸血鬼だったら良かったのだが、エルティナと分離してしまった際に彼女は人間の遺伝子を濃く引いてしまっている。このまま自然治癒でどうにかなる問題では無いだろう。
「とりあえずここを離れましょう。……問題はティールをどうするか……」
内心の焦りを隠さんと、ヘデラは爪を噛んだ。ここで彼女を死なせる訳にはいかない。そう、誓ったのだ。
「僕の勤務していた病院になら輸血できるかもしれません。……設備が無事だったらの話ですが……」
「輸血は私達の血でなんとかなるのかな……」
楓が零した一声に葵が思わず顔を顰めた。都市が森林化した範囲から見て、葵の勤務していた病院もその影響を受けている可能性が高い。かなり大型な病院で外科用の設備も整っている位だから、輸血くらい訳は無いだろうが、その設備ごと森林化によって壊れていたら元も子も無い。
「……でも、可能性があるのなら。お兄ちゃんが助かるかもしれないのなら、行かないと」
「……」
それに、神聖力が使える大きな戦闘力だ。次に襲撃でもされた時にはヘデラだけでは捌ききれないかもしれない。
「行きましょう。……行ってみないと分からない」
「……」
ヘデラが無言で頷いた。
―――
道中、案の定道に迷っていたトコルを回収し葵の指示の元、彼の勤務していた病院に一行は向かった。
「っ、電気が着いてる」
他の建物と同様に木々に囲まれ、周りも様々な植物の蔦で覆われているが、その隙間から建物内部に明かりが点っているのが分かった。
「そう言えば緊急用の自家発電があったっけ」
それを使っている、という事は少なくとも中に人がいる、という事になるだろう。葵は心の内に期待を抱きながら、正面の自動ドアの前に立った。
「……?」
「……自動ドアの電源は切ってるんじゃないですか……?」
彼の顔を覗き込んだ楓の指摘を受けて、ぁ、と葵は声を漏らした。
「一応自動ドアも思いっきり引けば開くんでしたっけ?」
「じゃあ僕はこっちを」
「じゃあ私は反対をやりますね」
各々手が塞がっているので、必然的に楓と葵がドアを開けることとなる。それぞれがドアの隙間に手を入れ、渾身の力を込めて横に引っ張る。
「っ~~~っ!!!」
じりじりと広がるドア。最後にトコルが双方の扉を中央からこじ開け、なんとか人一人通れる程度の隙間が開く。
「はあっ……はあっ」
若干息を切らし、苦悶が顔に現れているが葵は呼吸を整えてドアの隙間を通った。そしてその後ろをそれぞれが続いて通り抜ける。
「っ、……声がする。人がいるわ」
ヘデラの長耳族由来の長い耳がピクリと反応し、音を拾う。
「何人ぐらいです?」
「……っうん、かなり多いわ。子供の声も聞こえるし、大人の声も聞こえる。けど、この階じゃないわ。上から聞こえる」
耳を澄ませば、様々な音が入り交じって聞こえる。人の声、物を運ぶ音、食器の擦れるの音。どうやらこの病院は無事だった人々の避難所になっているようである。
「一階は危険って思ったのかな……?」
「分からないですがとりあえず行ってみましょう」
一行は葵に続いて病院の一階を進む。電気は着いているとはいえ、木々の侵食による影響は少なからずあるようで、廊下の地面や扉の閉ざされた部屋の壁からなどあちらこちらから木々や草が生い茂っていた。
「ここの階段を登れば……」
蔦にまみれた階段を登る。
「っ……。人が」
トコルが言葉を零す。階段を登りきった先には、数多の人間が廊下を行き来している光景が広がっていたから。
何人かがこちらの存在に気が付き、あ、と声を漏らす。それはそうだ、この場にいる全員が血にまみれ、一見重傷のようにしか見えないのだから。
「すみません、通ります」
葵がざわめく人々の間を縫って先に進んでいく。一行は顔を見合わせるも、一つ頷いて彼に続く。
「……すごい人」
「どうやらこの病院も避難所になっていたみたいですね」
思わず呟いた楓に葵がそっと答える。
「っ、五十嵐先生!?ご無事だったんですね!?」
一人、人の群れを掻き分けてこちらに向かってくる。その女性は薄紅色の看護服に身を包んでいて、葵もよく見知った顔だった。
「っ、ええ。平気です。……それよりも突然で悪いのですが、今輸血は可能でしょうか?一人重傷でして」
ティアーシャを背負ったヘデラが一歩前に出る。そして満身創痍な彼女の姿を見た途端、看護婦はヒュッと息を飲む。
「これは……っ」
「僕を助けてくれた方達です。……そして、この異変を唯一修復できる人なんです。……治療は、可能ですか?」
「……。はい、避難してきた方々の治療は一通り済みましたので。輸血も、治療も可能です」
葵も、他全員も安堵で息をついた。
「ではお願いします。僕も行きますので」
「分かりました」
葵はヘデラからだらんと力の無いティアーシャの体を受け取り、看護婦と共に奥へ走って行った。
――
「……」
無意識の内に、瞳は開いていた。重かった体に、浮き輪を付けられて浮き上がってくる。そんな感覚。
「っつぅ」
体に掛けられていたきめ細やかな薄いシーツを剥ぎ取り、体を起こす。しかし、全身に鋭い痛みが走り思わず苦悶に満ちた声が漏れる。
「っ、ティール……?」
耳によく聞きなれた少し低いハスキーボイスが入る。そちらに目をやると、パイプ椅子の上で眠そうに目元を擦っているヘデラが居た。
「ヘデラ……。っつ、ぐうっ!?」
そちらに手を伸ばそうとした所で、右腕に激痛が走る。
「っ、ティール」
その様子を見たヘデラがすぐ様俺の元に駆け寄り、体を抱えて寝かせてくれる。
「っ、ぐっ、ううっ!?」
「痛むの、ね」
目元にかかった髪を手でよけてくれる。
髪のよけられた先にあるヘデラの顔は、どこか寂しそうで今にも割れてしまいそうで。
「……ぅ、そういえば、そうだったっけ」
痛みでぼんやりとしていた意識を掻き起こされると、脳裏に鮮明に記憶が蘇る。
そういえば、この痛む先にあるはずの腕は。
肩を持ち上げて腕を視線の先に持っていくと、肘から先が包帯でぐるぐるに巻き付けられ、手があるはずのその先は綺麗に無くなっていた。
「……」
「自分で切ったっけ」
そういえば、左足も膝の先から動く感覚は無い。
エルティナに攻撃されて、やむなく切断したんだったっけ。思わず口から苦い笑みが漏れる。
「ごめん、ヘデラ。迷惑かけた」
「ううん、気にしないで」
首だけ動かしてヘデラの方を見やると、彼女はふるふると首を振った。
彼女の目元には薄らと隈が浮き上がっていた。口ではそう言っていても、実際付きっきりで俺の事を看病してくれていたのだろう。
「どのくらい寝てた?」
「半日程度よ。治療が終わってからそれほど経ってない」
そういえば、ここは病院か。電気も着いているし、よく無事だったな。
「すぐ行かねえと」
身を起こしてベットから立ち上がろうとした時、体のバランスが崩れ、全身を地面に叩き付けた。
「あっがあ……」
「今はじっとしていなさい。体に慣れるまでには時間が掛かるわ。特に、二箇所なんて」
片腕だけでも大変なのに、とヘデラは零した。
「けどこのままじゃ、ここだって……」
ベッドを支えに、何とかその上に座り周りを見回す。綺麗な個室には静寂が漂う。
ドアの小窓からは外を歩く人の影が幾度も闊歩している。
このまま惚けていても、いずれはまた攻撃される。であればすぐにでも対策を練らねば……。
「攻撃されれば対処できるのは神聖力を扱える私とあなた。あなたの妹にも教えてみてはいるけど、あの子は治癒魔法以外は不得手みたいだから厳しそうね。だから、あなたがここで自暴自棄になって勝手に死んだりでもしたら、それこそ全滅よ。今は、耐える時。耐えて、体勢を整えるの」
「……」
正直言って歯痒い。だがそれは恐らくヘデラも同じ気持ちだろう。いつ襲われるか分からないこの状況で耐える、など喉元にナイフを突きつけられている状態で呼吸を整えて平然としていろ、と言われているようなものだ。
けれど、確かに今は自暴自棄になるべきでは無い。一人で戦って死んで、後で全員が死ぬよか、少しでも希望のあるよう全員で戦う方がマシだろう。
俺は静かに上半身を倒し、ベッドに横たわった。
「……珍しく素直なのね」
「俺の利害が一致したんだよ」
ヘデラがふ、と微笑を浮かべる。
「そうだ、果物でも食べる?お腹空いてるでしょう?大樹様の木の実よ」
ヘデラが懐から厚い皮に被われた茶色い木の実を取り出した。
「あー、これって大樹さんの子供……なの?」
「いえ?これはあくまで栄養の塊、と大樹様は言っていたわ。だから大丈夫、体にも良いわよ」
「……」
ずい、と皮ごと突き出してきた果物を、俺は目を細めて見る。
「病人には果物は普通切って渡すもんだぜ……?」
「?」
ああー、大分常識が着いてきたかと思ったらこれだ。でも、まあヘデラなりの配慮だろうし、その善意は頂いておこう。
俺はその分厚くて硬い皮を手と歯を使って剥いだ。すると中から中からぷりっとした純白の果実が顔を覗かせる。
「ライチみたいだな……」
まず一口。
「渋……」
タンニン百パーセントフルーツだろ、これ…。
――
「やあ、ティアーシャ。手足ちょんぎったって聞いたけど大丈夫?」
「言い方よ……」
てけてけとドアを開けてトコルが病室に入ってくる。
「相当不便だし、幻肢痛も来る。けど、何とか大丈夫」
「そっか、なら良かった」
トコルは俺の寝るベッドの横にちょこんと座る。
「で?なんか用か?」
「お見舞いに来てるのに素っ気ないなあ。まあ、いっか。いや、ね?新しい道具を開発してるんだけど、どうかなって。ほら、この世界ってかなり発展してるでしょ?だからその知識がある人に聞こうと思ってさ」
トコルは腰から下げているポーチに手を突っ込んで、一つの装置を取り出した。
「これは……?」
銃のような見た目に、モリのような先端。有り合わせの材料で作ったからか、かなり見た目はスクラップ味が激しいが。
「高い所にすぐに登れる道具だよ。こうしてこのフックを行きたい場所に引っ掛けてボタンを押すとロープが引っ張られて行きたい所に行けるって言う」
「グラップリングフックか……。また現代的な物を……」
「ただ引っ張る力が強くないから、軽い人。まあ私くらいしか使えないんだけどね」
「ほう……」
この小人、着実に俺達の有する現代技術に踏みよってきてやがる。その内越されるんじゃないのか?これ。
「……トコルは凄いな。どんな時も先に先に進んでる」
「……」
グラップリングをベッドの脇に置き、息を着いた。
「……先に進むのが全部正しい訳じゃないよ」
「?」
「……過去を振り返るのだって、昔に囚われるのだって、どちらも大切な事だよ。後ろを振り向かないでひたすら前を向いて走ったら、誰が追いかけてるのかすら分からなくなるでしょ?もちろん、進むのは大切だよ。新しいものが作れる。新しい自分に出会える。でも、過去を振り返らないで、それを作っていくのは無理なんじゃないかな」
「……」
「なーんてね、そんな辛気臭い顔しないでよ。ほら」
トコルが再び笑みを取り戻し、俺の手に何かを握らせる。
一度トコルの顔を見やってゆっくりと手の中を開いて確認する。
「っ。これって」
「……ティアーシャには必要でしょう?これが」
手の中にあるのは、淡く輝く青色の宝石。慌てて彼女の腰のポーチを見やると、そこにはまっていた同色の宝石はくり抜かれたように消えていた。
「……いいのか?大切な物なんだろ?」
「……いんや。親友の形見なんて、物じゃなくても心で覚えていられるからね。少なくとも私がボヨボヨのおばあちゃんになるまでは。だから、これは本来あるべき所に返すべきだと思ったんだ」
「……ありがとう」
「なーに泣きそうな顔してんのさ!!ほら、早く元気出して力付けなよ?て、ん、ヘデラの大樹さんの木の実あるじゃん。一個貰うねー」
籠に積まれたヘデラの持ってきた大樹の木の実。怪我人の見舞いを食うというご法度な事をしているのだろうが、この際俺には構わない。
「あー、それ美味かったから一気に食べた方がいいぞ。ガブッと」
「おーホント?ではでは」
静かだった病室に悲鳴が響き渡った。