宇宙人はどこへ!
「ねえ。コブってば。どれにする?」
朝のニュース番組で毎朝開催される視聴者参加型ゲーム「宇宙人はどこへ?」に欠かさず参加するのがコブとゾーイの日課だった。「宇宙人はどこへ?!正解した視聴者の皆様には2ポイント!外れた方にも参加賞として1ポイント!二週間で17ポイント獲得した方にはプレゼントのチャンス!」
テレビが愉快な声で騒ぎ散らす。今まで何度か17ポイントに達しているがプレゼントを貰えたことはない。
「そうだな。今日は火星にしてみようか」
選択肢には水星、金星、火星、木星があり、リモコンについたボタンの色にそれぞれ対応している。
「それじゃあ火星ね」
ゾーイが赤いボタンを押すとテレビの画面には火星に関する豆知識や高画質な火星の写真が映し出された。火星の豆知識を見終えるとコブが仕事の準備をするために席を立つ。
「正解を見ていかないの?」
コブがスーツの袖に腕を通しながら時間を確認する。いつもなら、まだゾーイとソファに座りクイズの正解を見てコーヒーを飲んでいる頃だ。
「今日は会議があってね。少し早めに出ようと思う」
窓の外を見ると笑顔が眩しい、隣人のステファン夫妻がゴミを捨てているところだった。
「じゃあ今日の帰りは遅いのかしら?」
ステファン夫妻から目を離しテーブルに置かれたゾーイ特製コーヒーを飲み干すと
「会議が終われば今日は終わりだよ。今晩は外食でもしようか?」
ゾーイはソファから立ち上がり目をキラキラさせながらコブのそばに寄って来た。
「私、イタリアンがいいわ。ベラル通りの角を曲がったところに美味しそうなイタリアンができたのよ」
コブはピザやパスタの匂いと食感を思い出し、ヨダレが溢れてくるのを感じた。
「それはいい。それじゃあ行ってくるよ」
「ゾーガン星人はどこへ?!正解した視聴者の皆様には2ポイント!外れた方にも参加賞として1ポイント!二週間で17ポイント獲得した方には太陽系円環の旅プレゼントのチャンス!」
先程からテレビから聞いたことのあるような無いような固有名詞が飛びかかってくる。コブの記憶に少しだけ引っかかった後、重力に負けて落ちて行く。試しにチャンネルを回してみたが、ほとんどが同じ調子だった。その中に一つだけ明らかに違うものがあった。
「太陽系外惑星への旅を諦めていませんか?!もはや人類は太陽系から出て行く時代なのです!さあ!我がユービック社に相談に来てください!ゾーガン星人の脅威は去りました……」
おびただしい数の知らない固有名詞たちによる襲撃を避けきれなくなったコブは、テレビの電源を切った。他に見当るものはないか探してみるが特段変わったものは見当たらなかった。
気がついたらコブはここにいた。いつどうやって、何が起きてここに来たのかわからない。気がついたらソファに腰をかけていた。直前までのことは思い出せる。妻と一緒にテレビを見て今晩はイタリアンに行こうと話していたところだった。
「ゾーイ…」
部屋の壁には窓があり、外には草原が広がっている。その向こうにはどこにでもありそうなビル群が見える。木でできた古めかしい洋風なドアを開けると長く放置されていたのか、その歴史をゆっくりと叫んだ。
外に出ると中にいるときは気がつかなかったが、左右に隣家連なっており、同じようにして、その隣人たちがドアから顔を出し互いに見つめあっていた。
「ここはどこだ?」
誰かがそう呟いた。
「私は知らないわ?誰か知らないの?」
「俺だってわからん」
「誰が連れて来たんだ」
皆がそれぞれ自分の主張を叫び出しコーラスを成した。すると弱々しい声で誰かが
「私が連れてきた」
全員が前方に視線を向けると背広に身を包んだ線の細い老人が今にも消えてしまいそうなロウソクの火のように揺れて立っていた。
「君たちを助けたんだ。君たちの住んでいた星は死んだ」
老人は杖を取り出し、よろよろと前進してくる。そのうち誰かが
「どういうことだ。意味がわからないぞ。何かのテレビ番組なんだとしたら訴えてやるからな」
老人はその場に止まり、ゆっくりと柔らかい口調で
「意味がわからないのは十分承知の上だ。そのことはゆっくりと理解すれば良い。今言えることは、私が君たちの世界から君たちを私の世界に連れて来たということだ」
別の誰かが遮るように
「星が死んだってのはつまり俺以外のみんなは死んだってことなのか?俺の妻は!」
老人は答えなかった。その代わりに誰かが再び叫んだ
「なんで私だけ助けたの?!家族と一緒に夕飯を食べていたのに。どうして私だけ!」
「そうだ!なぜ死なせてくれなかった!正しいことをしたと思っているなら大間違いだぞ!」
声の主は老人の方に歩み寄り肩を掴んだ。それと同時に、なんらかの力により、その男が後ろに吹き飛ばされる。コブには男が吹き飛ばされる直前に老人の手が光るのが見えた。
「なぜお前らは…なんでお前らは高慢なんだ。やはり思った通りだ。この世界の私と違って幸せな人生を送っているのに、命まで救われたのに何故そこまで高慢になれる!」
するとコブがついに口を開いた。
「ちょっと待ってくれ。この世界の私ってのはなんだ?あんたはこの世界の俺なのか?」
再び前に進んで来た老人は、しばらく息を整えながらネクタイを直していた。
「そうだ。お前らは私だ。意味がわかるか?この中でその意味がわかるのはブライアンくらいかね?」
ブライアンと呼ばれたその男は焼いた炭を叩いた時に出る火の粉によく似た色の髪をした顔にタトゥーのある若い青年だった。老人の方に歩み寄ると青年は震え声で
「あなたはもしかして我々を連れ去ってしまったのですか?違う世界の地球が同時に崩壊するなんてありえない。どうして」
老人は青年から何歩か離れると目を見開いて叫んだ。
「繰り返し言おう!私はお前だ!この青年もお前だ!だがここにいるお前は私とは大きく違うことがある。わかるか!」
吹き飛ばされ気絶していた男が目を覚まし再び老人に飛びかかると老人の手から青い煙が立ち上り次の瞬間に強い閃光が男を貫き金属の擦れるような音を響かせながらチリと化した。一同が理解不能な状況と恐怖心に襲われ一歩も動けなくなっているのを見つめながら老人か続けた。
「どうせお前らのことは殺すつもりだった。少しでも早く死にたい奴は他にいるか?」
蛇に睨まれた蛙。銃口を向けられた人質のごとく誰も口を開かない。
「よろしい。やっと話を聞くつもりになったか。私は神に見捨てられていた。生まれてすぐ両親を亡くし、誰にも手を差し伸べてもらえず、家もなく苦しみ憎み生きてきた。そしてある日、知った。宇宙の外がある。その向こうには別の宇宙がある。そしてまたある日、知った。別の宇宙の私は全く別の形で幸せに生きていると」
何故この老人が自分のことを誘拐したのか徐々に理解を始めた一同の中には泣き出すものや冷や汗を拭いたり口元を撫で回すものもいた。
「待ってくれ。宇宙の外がなんだって?」
コブが思わず口を開くと老人は笑いながら答えた。
「そうだ。コブよ。お前の世界が一番遅れているから、わかるまい。宇宙は我々の想像をはるかに超えて広い。無限の可能性。無限のエネルギー。無限の規模を持っている。そして私の世界は、それぞれの世界に行く術を見つけた。国を超え海を越え星を超え太陽系を超え銀河を超え、我々は宇宙を超えたのだ。ブライアンとアリアドネの世界も間も無く見つけるだろう。ホセとウラジーミルの世界は宇宙の外を見つける頃だったかな?」
名前を呼ばれた男女の付近がポツポツとざわめく。月に行って間も無く火星だというのが常識だったコブには到底理解ができなかった。126億光年より遥か先にも世界があったとは考えたこともなかったくらいなのに。
「ということだ。お前達を殺すことで私は安らぎを得られるわけだよ。身勝手なのはわかっているが私だって幸せになりたい」
老人が先ほどの男を消した時と同じように手を構えると青い煙が上った。向けられていたのはコブだった。コブの隣にいた若い女と老人は少しでも生きながらえようと、それぞれ左右に逃げ去って行く。
「最後に言い残すことはあるかな?私よ」
コブはゾーイのことを思い出した。
「本当に俺の世界は滅んだのか?」
死ぬ間際に滅んだ世界のことを気にするのか。つくづく幸せな奴だな」
老人は口角を釣り上げ笑った。
「あれは嘘だ。お前の妻は生きている。君とピザを食べることを楽しみに待ってな。だが仮に君がここを生き延びたとしてだ。私は宇宙間座標を記録していない。お前にわかりやすくいうなら住所を記録していないのだよ。だからお前はどのみち帰れない」
そのことを聞いた何人かがゲルニカのごとく狂ったように叫び、走り出すのが聞こえた。彼らは不幸なことに知っていたのだ。老人が言ったことがどれだけ恐ろしいことなのか。
「それじゃあ改めて聞こうか。コブ。何か言い残すことは?」
その時老人のはるか上空で何かが光るのが見えた。その美しくきらめく光は徐々に速度を上げ老人の方へ向かっている。
まだ冷静を保っていた幾人かは、その光に気がついたようでコブと同様に光を見つめている。
「コブ!何も言わずに死ぬのか?!」
そして次の瞬間、閃光は老人の肩を貫き赤い血飛沫を放った。ついで2本目の閃光が老人の胸を貫き白く美しい無数の光の矢がそれに続いた。老人の周りは白い光と赤い血で輝いている。何が起きたのか分からず皆が呆然と立ち尽くしていると、空中からゆっくりと、映画の中でしか見たことのなかった乗り物が降りてくる。中から警官の格好をした男が出てくると一度敬礼をしてコブに近寄ってきた。
「ミスターコブ?」
警官はコブに右手を差し出し笑顔を浮かべた。コブはなされるがままに右手を差し出し握手をする。
「そうですが、この状況が全くわからなくて。何が起きたんですか?」
警官はしばらく考えてからコブに伝えた。
「この老人は指名手配されていたんですよ。全宇宙間における違法行為で。もしかしたら聞かされたかもしれませんがこの老人はあなた達であり、あなた達は老人でもあるのです。そして私も」
最後まで冷静を保っていた数人が警官に視線を向けた。
「彼はあなた達を誘拐している間に自分の世界の座標を忘れ、この世界にたどり着いた。彼もまた遭難していたんですよ。偶然にもこの世界の私が警官で、微妙な空間の歪みに気がついたから良かったものの、本当に彼の世界に連れ去られていたら救いようがなかったことでしょう」
遠くの方で他の警官が発狂した者や気絶してしまった者を保護しているのが見える。ブライアンがコブと警官の間に入ってきて
「私たちは帰れるのですか?この世界の技術は、はるかに進歩しているように見えますが?」
警官は再びニッコリと笑みを浮かべると答えた。
「もちろんです。皆さんには、この世界で3日ほど検査を受けてもらい座標を特定して安全に元の世界へ送り返します」
「ねえ。コブってば。どれにする?」
突然のゾーイの声に思わず喉の奥から声を漏らすとゾーイは不思議なものを見る目でコブを見つめた。
「どうしたの?コブ」
3日間の検査を終えたのち宇宙に飛び立ったところまでは覚えているが、気がついたら元の世界に帰ってきていた。私は帰ってきたのだ。妻とイタリアンを食べる約束をする私の世界へ。何者にも侵されていない地球のある世界へと。
「なんでもないよ。ゾーイ。今日は火星にしようか」