プロローグ
神は死んだ。今や我々は超人が生きることを欲する。
Friedrich Wilhelm Nietzsche(1884-1900)
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そこはなにもないまっさらな場所だった。
足が踏みしめる大地もなく、
広がる空もなく、
何もかもが始まる少し前の白無垢。
激しく剣戟を繰り広げる二つの人影があった。
片や紅。
片や白。
何もない空間で紅白の線が縦横無尽に駆けずり回る。
両者の技量は拮抗、しかし紅の方が僅かに押している。紅は巨大な十字の槍を操り、白が繰り出す大剣をよせつけない。
白は後ろに下がり続ける紅を追い、複雑な連続攻撃で畳みかけるが槍の防御半径から先に一歩も踏み入ることができない。
焦れた白は大きな賭けにでる。
後方に大剣を投げ、その反動でさらに加速したのだ。十字槍の刃を超え、白が紅に迫る。
刹那、二人の時間が緩慢に流れ始めた。
白は拳を握り、紅に狙いを定めて腕を引く。
白は全てを終わらせようとしていた。眼前の辛苦を生み出し、自分すらもなお苦しめ続ける三千世界の亡者を滅ぼそうと。
そして安らぎを与えようと。
だが紅はその拳を遮る。絶対の拒絶、渾身の否定をもって白を一蹴する。
――――届かない
白はまたも間合いが離れる紅を赤銀の双眸で見据えた。幾たびも立ちはだかり、無数の辛酸を味あわされた自身の最大の敵、そして
自身の起源。
身をひるがえし、白は紅の追撃に備える。武器がない今なら格好の獲物だからだ。紅は十字の槍を胸の前で構え、天に突きあげた。その先端から雷が迸り不可視の力の拍動が轟き始める。
――――闇に溶けよ
ただの一言。言の葉の一節でしかないのに空間が重みを増す。
かの者は英雄。そして破滅。
辿ってきた道のりは屍に覆われ、眼差しは絶望からそらすことができない。
対する白は名無しの無謀者。ただ一人志を信じ、定められた終わりを覆そうと挑む。
白はただ許せなかった。身勝手に苦しみ続ける眼前の敵を。
お前の生きざまを否定してやると。たった一人世界の不幸を引き受けることで、すべてが救えると思っている頭の花園を。
故に全身全霊をもって応える。
――――ならば、希望をもって照らしてやる。
右手が大剣に触れた。自らと同じ白の光を携え、清らかな輝きを放っている。
大剣は主の手に戻るや否や、内なる感情に呼応し、力強く、太陽のように眩さを強めていった。
紅の十字槍が茨のように絡みつく黒い呪縛に覆われた。食らえば肉体は腐食、そして雷に焼かれ、塵と化す。
白の大剣が暗闇を引き裂く願いの光を纏う。生きとし生けるもの、森羅万象が糧、果て無き未来への導が顕現する。
かくして両者は己の全力の一撃を打ち合う。
――――絶望せよ、冥闇式クルスニク!
――――遍く照らせ、終わりなき未来への希望!
膨大な力と力のぶつかり合い。
惰性と信念の衝突。
闇に吞まれ、朽ちていく一つの肉塊に加わるか。
あるいは光が運命を変え、未来を照らしてゆくか。
それはまだ、ここでは語るべきではないだろう。
これはとある少女の「覚悟」の物語だ――――