よからぬ前兆
日が暮れるころに、店主が呼びに来た。待ちわびた晩飯時である。
「昼の詫びだ」と言うことで、干した肉を焼いたものがでてきた。
だが保存食ほどではなく、油がのっていてうまい。他にもパンと、ゆでた野菜が付いている。
ルドのような流れ者にとっては最上級のご馳走といって良いだろう。
グラーベンは袋にしまいこみ、剣は部屋に立てかけておいてある。
不要に獲物をぶら下げて雰囲気を悪くするようなことをしたくないからだ。
「ゆっくりしてくれ」
「久しぶりに柔らかい寝床で寝られるだけでもありがたいのに、肉まで……ああ、旨い。酒が欲しくなるな」
「銅貨1枚で出しても良いぞ。何てことの無いエールだが…」
ルドは聞き終わるまもなく、笑顔で1枚の銅貨を支払った。
肉を噛みしめながらパンにかぶりつく。余計な味付けの無い肉が、かえって嬉しい。
これほど美味に感じることが出来るのは、今までの食事の単調さ故だろう。
目眩のするような肉の味とパンを堪能し、エールで喉を潤す。
強い酒でも無いが、酒精がもたらす酩酊以上にルドは久しぶりの幸福感を堪能した。
「いい夜だ……」
名残惜しそうに皿に残る油を指で拭って舐めていると、扉が開かれる。
「ジョン、大変だ!妖魔が出た!」
「ロブ」
宿の亭主はそういって、いまもてなしているルドを見た。
「あっ……すまん。客がいるとは」
「いいさ。なあアンタ、悪いなが食器はそのままにしておいてくれ」
厄介な事になっていることを改めて説明する必要も無い。
ルドも頷いて、あてがわれた部屋に戻っていく。
部屋に戻ってくると、ルドはベッドに横になった。
本来であれば、そのまま目を閉じて寝るところなのだが、悪い予感がそれをさせない。
なんとはなしに剣を抜き、一度確かめたはずなのに、汚れが無い事を再確認する。
「何かあったのか」
グラーベンが喋りかけてきた。休む前の空気に似つかわしくないことを察したのだろう。
「妖魔が出たらしい。村では今から寄り合いが始まってるんじゃないか」
「ほう。かつて自分も旅先で請われたり主命で討伐したりしたものだ」
「うんうん、やっぱりそうあるべきだよね!ま、今のルドには関係ないんだろうけど」
どうかな、といってルドは剣を壁に戻した。喋れるように鞘からは少し抜いてある。
「おおかた兵を呼ぶか、自分たちで何とかするって話をしてるとは思う」
「なーんだ。それなら自分たちで戦えばいいと思うんだけど」
「馬鹿言うな、誰もが戦える訳じゃない」
グラーベンが同意する。
「然り。それに怪我をして働き手を失えば、その家は飢える。村の年貢にも関わる。村はそれを良しとはしないだろう」
ルドは再び横になって、深く息をつく。自分の吐息に油とエールの余韻を感じて、幸せを思い出す。
満腹感が、ゆるゆると眠気につながってくる。まだ誰かが戻ってくる気配は無いままだ。
「ま、俺は明日になったら食料でも買って出ていくさ」
そう言って、ルドはゆっくりと意識を夢の世界へと誘われていった。
狩人が『それら』見つけたのは偶然であった。
いつもの狩りの途中、犬の様子がおかしいので様子を探った結果
洞窟の中に妖魔が潜んでいることがわかったのだ。
いつからいたのか。どこから来たのか。村の誰もわからなかった。
だが、何かが起こる前に手を打つ必要がある事は明らかだ。
報告を受けた村長は男たちを呼んだ。
どう対処するかを協議するためである。
領主の庇護をうけて、それなりにはやってきた村である。
王が不在でも貴族達は依然としてその権力を握っている。
「ここはやはり、兵を派遣してもらいましょう」
「そのための税だったはずです」
村人は口々にそう言った。村長としても、好んでけが人を出したい訳では無い。
「うむ。数日の間に誰かに使いに出てもらって……」
話がまとまりかけた頃、遅れて炭焼き小屋の男が現れた。
衣服は汚れ、いくつかの切り傷を負っている。
「炭焼き小屋で、気味の悪い化け物に襲われた。これは、そういう話か」
沈黙した村の面々に対しての一言が、議論を揺り戻す。
何かが起こる前であれば何とか保てたであろう秩序は崩れ去った。
「皆、落ち着け!それで相手はどうなった」
宿屋の店主が尋ねると、炭焼きの男は静かに「棍棒で、頭をカチ割ってやった」と告げる。
一瞬の安堵。村に勇者が生まれたことに興奮する者もいた。
「だが、連中はまだいる」
最初に発見した狩人がそう言うと、再び部屋が静まりかえる。
危険が去ったわけでは無いことを理解しているため、村長は再び兵を呼ぶことを決めた。
「兵士が来るまでは仕事にならない。くそ、まだ畑の手入れが途中だってのに!」
嘆いたのはロブと呼ばれる男だ。他の農民達も同じ気持ちのようで、互いに慰め合っている。
「来るかどうかも判らない兵士を待つよりは自分たちで何とかした方が良い」
炭焼き小屋の男は、憮然とした表情ながらも強い意志でそう語った。
だが炭焼き小屋の男の発言に、賛同する者は狩人くらいなものだった。
「あの旅人さんにも言っておかないとな」
ジョンと呼ばれた宿の亭主は、思い出したかのように独りごちた。
「旅人?」
炭焼きの男は、少し考えてからジョンに尋ねた。
特徴をかいつまんで説明する。
「なるほど……手を貸して貰えないか、聞いてもらえるか」
ルドはベッドでくしゃみをする。
そして夜は明けた。
少しでも話を進めるべし、という考えで進めていこうと思います。
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それから、あけましておめでとうございました。