前編
料理や食材に関しては異世界感ゼロでお届けしております。ご了承ください。
突然ですが、私、ユリアーネ=ペリドットは前世の記憶を持っています。所謂転生者です。……と言うとなんだかすごいことのように聞こえるけれど、ぼんやりと覚えているに過ぎない。
自分が管理栄養士だった、ということ以外は。
どうしてそんなことだけ覚えているのかはよく分からないけれど、物心がついた頃には前世の記憶があったので、あれこれ考えるのはやめて、存分に活用させていただいた。私の転生したオブシディアン王国の献立は、主食! 主菜! 以上! という、なんともシンプルなものだったのだ。私が生まれたのは子爵家で、貴族だけれどそれほど地位が高いわけでもない。はじめは、いつも食卓に主食と主菜しか出てこないのは、子爵家だからなのかと思っていた。爵位が上になれば、副菜もつくのだろうと。そんな時、十歳上のお姉様が侯爵家のご子息とお見合いをしたので、晩餐でどんなご飯を食べたのかそれとなく聞いてみたが、ご飯とステーキだったそうだ。かろうじて最後にデザートが出たようだけれど。……要するに、爵位が上になろうと、献立がシンプルなことに変わりなかった。
でも私は主食と主菜だけでなく副菜も欲しい! せっかく腕の良い料理人を雇っているのになんて勿体無いことをしているのか! そんなことを思った私は六歳の頃から厨房に入り浸るようになった。そして、料理長のマルセルに「今日はハンバーグなの? じゃあ私、一緒にお野菜たっぷりのスープが飲みたいわ!」とか、「豚カツにするの? だったら、一緒にお野菜の盛り合わせが食べたいわ。絶対お野菜も欲しくなると思うの!」とか、とにかくなにかしら副菜をおねだりし続けた。はじめは余裕のある時に、私のわがままに付き合ってくれていただけだと思うけれど、私たち家族(特にお兄様)に好評だったこともあり、いつの間にか我が家の食卓では、副菜がつくのが当たり前になっていた。本当に良かった。
そうしているうちに、気付けば、食事の時の家族の会話が増えていた。元々仲が悪いわけではなかったけれど、特別仲良しだったわけでもない。ただ、副菜がついて種類が増えると食事に時間がかかるようになった。一緒にいる時間が増えて、自然と会話も増えたというわけだ。はじめは「美味しいわね」程度のものだったけれど、いつの間にかみんなが一日にあったことを共有したりするようになって、食事が楽しい時間になっていた。バランスよく食べることで、心も体も健康になったのだ。と勝手に思っている。そして、それが関係したのかどうかは分からないけれど、八歳の時に弟が生まれた。可愛い。ええ、贔屓目ではあるでしょうけど。前世の記憶の基準だと美形一家だと思うけれど、オブシディアン王国の人は基本的に色が白くて鼻が高くて綺麗な顔立ちをしている。その中で言うと、私含め私の家族の顔立ちは普通ということになる。でも、可愛いものは可愛いのだ! 可愛いあまり弟をデロデロに甘やかしすぎないよう気を付けようと誓った。
とまあ、前世の記憶を活用させていただきつつ、私はそれなりに幸せな日々を過ごしていた。そのうちお姉様みたいにお見合いして、誰かと結婚するんだろう。そこでも健康的な食事を定着させられたらいいな、なんて呑気に過ごしていた私に、突然婚約者ができた。衝撃だった。相手には悪いが……その、とってもおデブだったのだ。
* * *
そもそも、見合いの知らせ自体突然にやってきた。
その日、私は翌日には例の侯爵家に嫁いだお姉様が義兄の仕事の関係で王都に来るということだったので、久々に二人で演劇を観に行くという、とってもとっっっても楽しみな予定があり、うきうきわくわくそわそわしていた。なので、お父様に「急で済まないが、明日見合いをして欲しいのだ。」と言われた時は、耳を疑った。ふざけんなよと思った。前日に決まるとはどういうことかと。しかし、相手が相手だったので断れず、演劇の時間には間に合うだろうと言われ、渋々私は了承した。会わない、などと言えばお父様が困るだろうし。
そうして迎えたお見合い当日。
「ランドルフ=ハウライトです。お会いできて嬉しいです。」
ハウライト公爵様に促されて挨拶をしてくださったのは、長男だけれど四人姉弟の末っ子であるランドルフ様。……そう、私に用意されたのは、公爵家のご子息とのお見合いだったのだ。先代の国王の娘、つまり現国王の妹が降嫁した家である公爵家の申し出を、断れるはずがない。
「ユリアーネ=ペリドットです。私も、お会いできて嬉しいですわ。」
私は笑顔が引きつらないよう慎重になりながら、挨拶を返した。……多分引きつっているだろうけれど。
同じ十歳だと紹介されたランドルフ様は、可愛らしい顔立ちをしているように見えるけれど、それを掻き消す勢いでびっくりするぐらい太っていた。……いや、別に人の体型をとやかく言うつもりはないが、一体全体どうしてこうなってしまったのだ、と思わずにはいられなかった。ハウライト公爵様はほんの少しぽっちゃりしているけれど普通といえば普通なのに。
しかし、数分後にはそんな疑問もあっさり解決した。
ハウライト公爵様とランドルフ様を応接間に案内すると、すぐに侍女がお茶とお菓子を持ってきた。
「ランドルフの婚約がなかなか決まらなくてね」、と話すハウライト公爵様の横で、ランドルフ様は何の遠慮もなくケーキを食べ始めたのだ。……いや、まあ、良いんだけれどね。お出ししたものだから食べていただいて全く問題ないのだけれど、年長者がまだ手をつけていないのに勝手に食べて良いのだろうか。まあ、向こうの方が身分が上なので文句なんて言うつもりもないが。
その間も、ハウライト公爵様の話は続く。要は、ランドルフ様の見た目がまああれなので、公爵、侯爵、伯爵と、色んな家に縁談を持ちかけるも上手くいかなかったらしい。そりゃあ、普通の十歳前後の子どもだったら、恋に恋するお年頃だ。申し訳ないがこんなおデブさんにはときめかないだろう。一度婚約してから断るよりは、婚約そのものを断る方がまだましだという判断から、公爵という身分ながらも縁談を断られたのだろうかと勝手に推測する。もしくは、お見合い相手から「デブ」やら「ブタ」やら、心ない言葉を投げつけられてランドルフ様が婚約を嫌がったか。子どもって正直だから、なにを言うか分からないしね。何にせよ、理由は定かではないが、結果的に子爵であるうちにまで話が回ってきたということらしい。私は、お父様が公爵家とのつながりが欲しいと思っているなら、別に婚約しても良いか、ぐらいに思っていた。大恋愛の末結婚したいなんていう願望もないし。公爵家ならまあ安泰だろうと。その時だった。
「ねえねえ、お父様。」
ランドルフ様がいかに賢く可愛いかという話を始めたハウライト公爵様に、そのランドルフ様が話しかけた。会話に割って入る人間が賢いのか甚だ疑問だが、まあ黙っておこう。
「どうした、ランドルフ。」
「お父様のケーキも、貰っても良い? とっても美味しかったから。」
「もちろんさ。そんなに気に入ったのかい?」
は?
悪態をつきそうになったのを、私はなんとか堪えた。いやでも、もちろんさってお前普段からこうやって食べ物与えてるの? は?
「うん。明日から、このケーキを朝ご飯に食べたいぐらい!」
ちょっとなにを言っているのか分からない。ケーキはデザートであってご飯ではない。私の常識がおかしいのだろうか? ん?
「そうかい。それなら手配しなければね。……失礼ですがペリドット子爵、このケーキはどちらで?」
私はお父様が返事をする前に、両手でバンッとテーブルを叩くと勢いよく立ち上がった。
「この度の縁談をお受けするにあたって、私から一つ条件があります。」
みんな、ポカーンとした顔で私を見ていたけれど、私は構わず続けた。と言うか我慢できなかった。
「ランドルフ様の食生活を、私の言う通りに改善してくたさいませ!」
そうやって甘やかすからこんなデブになったんじゃないか!! 肉ばっかり与えてないだろうな!? お菓子は一日一回だろうな!? 食べたいと言ったら何でもほいほい与えてるんじゃないだろうな!? と、私の心は荒ぶっていた。
「ゆ、ユリアーネ…?」
恐る恐る、といった感じでお父様が私の名前を呼んだけれど、管理栄養士としての私が黙っていることを許してはくれなかった……ということにしておこう、私の口はお父様の声を聞いても止まらなかった。
「失礼ながら、ランドルフ様はその体型故に、今まで婚約が成立しなかったのではないですか? それなのにもしその体型のまま大人になって、爵位を継ぐようなことになれば、いくら公爵と言えど他の貴族から舐められるのは目に見えております。婚約をなんとかする前に、その体型をなんとかする努力が必要だと思いますわ。」
見た目の問題もそうだけれど、好きなものしか食べないのでは体にも悪い。健康面を考えても、食生活は一刻も早く改善すべきだ。……とはいえ、流石にはっきり言い過ぎたかと思ってハウライト公爵様を見たけれど、公爵様は嬉しそうな顔をして、私の手を両手でがっしりと握った。
「ユリアーネ嬢は、ランドルフの体型を改善するには、如何様にすれば良いか、案があるのか!?」
予想外の反応で、私は面食らってしまった。なに言ってんだこいつ、と。……いけない、前世の記憶に影響されて言葉遣いが荒くなっている。いったん深呼吸をしてから、私は口を開いた。
「僭越ながら、先ほども申しましたように食生活の改善が必要だと思います。好きなものばかり無節操に食べていては、太るのは当然かと。もっと体に良いものをたくさん食べるべきです。」
生意気なことを言って、と怒られるかと思ったけれど、ハウライト公爵様は怒ったりはなさらなかった。
「食生活か……考えてもみなかった。」
いや一番に考えてください、と言いたいのをぐっと堪える。
「い、嫌だよ僕。嫌いなものも食べなくてはいけないなんて、そんなこと言うお父様なんて嫌いになってしまうから!」
なに言ってんだこのバカ息子黙ってろ。ハウライト公爵様が答える前に、私は口を開いた。
「ランドルフ様。ランドルフ様のお嫌いなものとは、具体的には何でしょう?」
「っ、えっと、ニンジンと、ピーマンと、ホウレンソウと、あとグリンピースと、」
「要するに、お野菜がお嫌いなのですね。ですが、料理の中に一緒に入っていたりするのではないですか? 食べられるけれど嫌い、ということですか?」
「ううん。いつも残しているよ。だって、美味しくなさそうなんだもの。」
ふざけんなだから太ったんだろうがもっと考えて行動しろ。……前世の私は言葉遣いが悪かったようだ。口にしてしまわないようにだけ注意しつつ、私はため息をついた。
「そうですか、わかりました。ああ、お嫌いなものはもうわかりましたので、これ以上挙げてくださらなくて結構です。」
私はまだ嫌いな野菜を挙げようとするランドルフ様を制すると、ハウライト公爵様と向き合った。
「公爵様。もし父が良いと言いましたら、一度我が家で公爵様ご家族をおもてなしさせてくださいませ。私の出した条件について考えるのは、その時、私と料理長が考えた料理をランドルフ様に気に入っていただけたらで構いませんわ。」
なんて上から目線なんだと、言ってしまってから気付いた。でも、言葉は取り消しようがないので、仕方ない。ハウライト公爵家に目をつけられたらごめんなさい、お父様。
けれど、公爵様からの返事は是非晩餐に招待して欲しいというものだった。
ハウライト公爵夫妻、ランドルフ様を招くのは一週間後。私は、お姉様とのデートを楽しんだ次の日から、マルセルと一緒に献立を考えた。この頃にはマルセルと仲良しになっていたし、マルセルは私の意見を子どもの戯言と取らずにきちんと受け止めて一緒に考えてくれるようになっていたから、とってもやりやすい。
「話を聞く限り、お肉と甘いものが好きで、お野菜は全く召し上がらないそうなの。何とかお野菜も食べられるようになっていただけると良いのだけれど。」
「肉が好きなら、ハンバーグはどうですかね。玉ねぎだけではなくて、他の野菜も入れてみるとか。」
「まあ! それは妙案だわ! それなら、すべてお肉で作るのではなくて、お豆腐も使ってみましょう。お肉の量が減って、お野菜の量が増えるの。健康的でいいわ! 流石マルセルね!」
「ありがとうございます。スープはお嬢様のお好きなトマトスープにしたいのですが、公爵家のご子息が野菜が嫌いとあれば、難しいですね。ウインナーをふんだんに使ったコンソメスープあたりが無難でしょうか。」
「そうね……残念だけれど、今回は私が我慢するわ。マルセルのトマトスープは、絶品なのにね。」
「そんなに褒めたってなにも出ませんよお嬢様。」
「ふふ、別に下心はないわよ。」
こんな風に献立を決めていき、五日前からは試作と味見を繰り返した。絶対に、何としても、ランドルフ様に野菜の美味しさに目覚めていただくという目標の下、私とマルセルは必死だった。
そして迎えたおもてなし日当日。ハウライト公爵様と共にやって来たハウライト公爵夫人つまり元王女様は、それはそれは美人だった。めちゃくちゃ美人だった。ハウライト公爵様とランドルフ様が霞んでしまうくらいに。しかし、公爵夫人に見惚れている場合ではない。私達家族は緊張しつつ挨拶を済ませ、粗相のないようにと気をつけながらお部屋までご案内した。
「まあ!」
最初に声をあげたのは、公爵夫人だった。
「とってもたくさんのお料理が並んでいるのね。まるでパーティーみたいだわ。」
楽しそうに言う公爵夫人のなんと可愛らしいことか。これで四人の子持ちとか信じられない。……いや今はそんなこと考えている場合じゃなかった。
「ありがとうございます。料理長のマルセルと共に、皆様をおもてなしするために一生懸命考えた料理でございます。楽しんでいただければ幸いです。」
よかった、噛まずに言えた。
「貴女が考えたの?」
「はい。なにを用意したら喜んでいただけるか料理長と一緒に考えて、用意させていただきました。お口に合えば良いのですが……。」
「その気持ちが嬉しいわ。そうよねあなた、ランドルフ?」
「ああ、とても嬉しいよ。」
ハウライト公爵様が柔らかい表情で同意されている横で、ランドルフ様はハンバーグを凝視していた。きっと、おそらく、十中八九、話を聞いていない。
「ランドルフ様、なにかお気に召したものはございますか? よろしければ召し上がってくださいませ。」
「! いいの?」
「はい。そのために用意しましたもの。」
「やったあ! じゃあ僕、ハンバーグが食べたいな。横のニンジンとブロッコリーはいらないけれど。」
いや食えよ。そう言いたいのをぐっと我慢していたら、ハウライト公爵夫人に「失礼なことを言ってごめんなさいね。悪気はないのだけれど……」と謝られてしまったので、全力で許した。
「主よ、あなたの慈しみに感謝して、この食事をいただきまーす!!」
席に着くや否や、ランドルフ様は元気良く、物凄く元気良く食前の祈りをして、ハンバーグを口にされた。
「美味しい! とっても美味しいよ、これ。いつも食べているハンバーグより柔らかい!」
「お口に合ったようで安心致しました。スープも是非召し上がってくださいませ。」
「うん!」
公爵様ご夫妻も、美味しいと言って食べてくださった。ランドルフ様ももりもり食べてくださるので、私はこっそりマルセルと目を合わせて成功を喜んだ。
デザートのプリンとシフォンケーキも食べ終えたので、私は早速種明かしを始めることにした。
「ランドルフ様、今日の料理は、気に入っていただけたでしょうか?」
「うん、とっても! この間の話を聞いて、嫌いなものをたくさん食べさせられるのかと疑っていたけど安心したよ。」
「いいえ、ランドルフ様。今日、ランドルフ様は嫌いなものをたくさん召し上がりましたわ。」
「……え?」
「ハンバーグは、玉ねぎが入っているのは当然として、その他にニンジン、ピーマン、椎茸をすりおろして入れております。それと、お肉だけでなくお豆腐も使ったので、より健康的で柔らかい仕上がりになった次第です。」
ランドルフ様は絶句しておられたけれど、私はお構い無しに続ける。
「スープは流石にお野菜をすりおろしてしまうわけにはいかなかったのでウインナーをたくさん使うという方法をとらせていただきました。いつか残さず食べられるようになりましょうね。」
ご丁寧に野菜だけ残された器を見た後微笑みかけると、ランドルフ様はビクッと肩を震わせた後、何度も頷いてくださった。
「サラダは召し上がらないと思っていたので割愛しますが……最後のプリンとシフォンケーキはいかがでしたか?」
「お、美味しかったよ…?」
「そう言っていただけて良かったです。プリンはカボチャを使ったもの、シフォンケーキはホウレンソウを使ったものですの。」
「ええっ!? 嘘だ!! だって、だって色は確かに緑で変だったけれど、そんな味しなかったよ? 甘くて美味しかったよ?」
「そうでしょう? お野菜は、ただ苦いものではないのです、ランドルフ様。料理の仕方によっては、甘くなったり、辛くなったり、色んな味を楽しませてくれるのです。私、食べられもしないで嫌われているお野菜たちが、可哀想でならないのです。私が責任もって食べやすいように料理を作りますから、騙されたと思って食べてくださいませんか?」
「う……」
ランドルフ様は助けを求めるかのように公爵様を見たけれど、隣にいた公爵夫人が前を向くように手で合図を送っておられた。しぶしぶ、といった表情で、こちらを向くランドルフ様。
「よ、よろしく、お願いします……」
「こちらこそ、よろしくお願い致します。」
こうして、私の出した条件は承諾され、婚約が成立した。