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Keep it dark.  作者: 小田マキ
第一章 マードと王子と異界人
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 唯一二人を隔てる物が取り払われ、若干潤んだ瞳で己を見返す養い子に向かって、ブラントは口角をつり上げる。

 その笑い方が随分と性質が悪そうに見えるのは自覚しているが、彼に止めるつもりはなかった。居住まいの悪そうな、それでも育ちの良さから視線を逸らせない彼女の朴訥な反応を見るのが好きなのだ。もっとも今は、自分が浮かべる表情など一切見えていないだろうが。

「こちらを向いて、ヴェンジー」

 研究の傍ら彼女のために新調した眼鏡を左手に、ブラントは小さな顎を流れるような造作で持ち上げる。ビクリと肩を震わせたヴェンジーに気を良くしながら、今し方取り上げた眼鏡よりも華奢な蔓を耳に掛けてやった。瞳孔が収縮し、覚束なかった視線がはっきりと自分の顔を捉える。

「不自由なところがあれば、作り直そう。目が疲れたり、耳が痛かったりはしないかい?」

「ひゃあっ……、ゴメンナサイ! 大丈夫レスっ!」

 擽るように耳の輪郭を撫でたブラントに、頓狂な叫び声を上げたヴェンジーは、文字通り飛び上がって後退る。たちまち青くなったり、赤くなったりする騒々しいその面差しに、ブラントはうっそりと目を細めた。

 楽しい。退屈しない。面白い。

 姿形は似ていても、マードは人間のように複雑な感情を持たない。それでも異界からやって来たヴェンジーには、今まで彼が意識したこともなかった様々な感情が刺激され、そして満たされた。

「それは良かった……では、意匠はどうだろう? 私はよく似合っていると思うよ」

 機嫌良く言ったブラントは、彼女の顔の前で大きく左手を広げる。

 掌の中心からは何の前触れもなく銀色に輝く物体が現れて、やおら渦巻くように広がり、ある程度の大きさになると空中で静止する。酷く薄っぺらなそれには、正面に立つヴェンジーの呆気にとられた顔が映り込んでいた。

「……ビックリした。鏡くらい普通に渡してほしいです」

「生憎この部屋には鏡がないのでね。隣室に取りに行くより、こうした方が早いだろう?」

 真っ赤な嘘ではないが、いつまで経っても新鮮な反応をしてくれるヴェンジーが楽しく、つい悪戯を仕掛けてしまうのだ。

 一応口に出すことは慎んだものの、彼女の円やかな頬が若干膨らみ、溜め息を噛み殺したのが見て取れた。神経を逆撫ですると定評のある笑みから、言外の意図が伝わってしまったらしい。やり過ぎて本格的に嫌われてしまうのは本意ではない。ブラントは上がった口角をゆっくり下げた。

 彼から視線を目の前の薄っぺらな鏡に移したヴェンジーは、光の加減で深緑色にも見える黒い蔓を指先で弄る。極度の近眼で、乱視まである彼女に合わせたレンズはとても分厚く、本来よりもその瞳を一回り小さく見せた。満月のように丸い凸レンズを弄る度に、奥の瞳がいびつに滲む。

 何もない空間に鏡を出現させて見せたブラントだ。その気になれば、眼鏡なんて使わなくとも獲物を狙う鷹の目のような視力をヴェンジーに与えることも可能だ。敢えてそれをしなかったのは、彼が初めて覚えた独占欲のせいだった。

 ブラントが最初に気に入ったのは、ヴェンジーの内面ではない。なんせ彼女に惹かれたのは初対面からだった。それは人間の感情でいうところ、一目惚れというやつなのだろう。

 どちらの世界でも人目を引く華やかな美貌の姉エグジーに、その他大勢の視線は釘付けになっていたが、自分にはヴェンジーのくれたただの一瞥ほど凄まじい威力はなかった。足早に彼女の元へ歩み寄ったブラントは、その視線を独占するために跪いた。自分以外誰も彼女の瞳に映したくないという強い欲求が、恐怖さえ覚える猛烈な勢いで心の中に芽生えていたのだ。

 対するヴェンジーは、瓶底のような分厚い眼鏡の奥の瞳を呆気にとられたように瞬いていた。不格好なそれは、直接目にはめ込む「こんたくとれんず」なる薄いレンズが体質に合わないため、元の世界でもずっと愛用してきたものだ。彼女は眼鏡なしでは足元も覚束ず、自らの顔さえはっきりと知らないらしい。

 お陰でヴェンジーは、上辺に惑わされた愚かな人間達から姉と散々比較され、己を容色に優れない平凡な人間だとの誤った認識を抱いていた。それでも姉妹仲が壊れなかったことは称賛されるべきだろう。

 ブラントにとっては実に都合の良い話であると同時に、恐ろしく馬鹿馬鹿しい話だった。それまで人間の美醜など気にしたことのなかった自分にとって、ヴェンジーほど特異性が高く美しい人間はいない。

 特に、視力矯正器具に守られた瞳は素晴らしい。本来左右対称であるべき漆黒の双眸は、右目の焦げ茶色の光彩の下半分にだけ、まるで水面に映る三日月のように金色が滲んでいた。

 虹彩異色症という人間には稀少な形質だ。ヘテロクロミアのように左右の色が完璧に違う訳ではなく、虹彩の一部が異なるだけ……分厚いレンズに隔てられているため、それは余程の至近距離でなければ気付かれなかっただろう。

 このビランディアで黄金の光彩を持つのは、ブラントただ一人だ。他のマードにさえいない。ほんの一部とはいえ自らと全く同じ色彩を、周囲に知られる前に閉じ込めてしまいたかった。実際にここ半年の間何度か画策したが、ヴェンジー本人が障害となり、ことごとく失敗している。

 元の世界では農業を生業とし、専門の学習院で長年学んでいた彼女は、労働を美徳とする。ブラントの研究助手という子供騙しの仕事では、納得しなかったのだ。王妃の妹という立場で働くなど、姉であるエグジーにも体裁が悪いと言っても譲らなかった。

 最終的に強く言い過ぎて泣かせてしまい、やむなくブラントは折れた。彼女に泣かれるのは、何より苦手だ。美しい瞳が涙で隠れてしまう。

 今まで意に染まない態度をとる者がいれば、ブラントは問答無用で聖名を縛り、意識を封じて従わせてきた。何気に頑固なヴェンジーに対し、そうしたいと思わなかったと言えば嘘になるが、それは出来ることなら避けたい最終手段だ。彼女が彼女でなくなるのは面白みがない。

 だからせめてもと、ヴェンジーの眼鏡に細工を施した。幸いなことに地球から愛用していた眼鏡は、彼女の頭部に合っていなかった。ブラント自ら新たに誂えた眼鏡は丸いレンズも蔓も特別製で、ブラント以外の人間の目には、虹彩の異なりは感知出来ない。

 ヴェンジーの瞳の美しさと稀少性……そして、秘めた力と価値を知るのは、自分一人でいい。彼女本人さえ知らなくて構わない。

「このフレーム、何で出来ているんですか? 頑丈なのに、すごく軽くて柔らかいですね」

 ブラントが感慨に耽っている間に、一頻り蔓を確認した彼女が問うてくる。

「良く気が付いたね、ヴェンジー。千年物の毛長竜の角だ」

「……ケナガリュウ?」

「そう、その名の通り君も大好きなモフモフした巨大生物だよ。気性は荒いが、お互い数少ない古馴染みだからね。懇切丁寧に頼み込んだら、分けてくれたよ」

 小首を傾げるヴェンジーに、彼は得意げに笑った。

 竜の中でも特に長命種である毛長竜は、数万年を生きる。寿命があってないようなものであるマードとは、必然的に人間達よりも付き合いが長い。そして、生ける万能薬と呼ばれるほどに、その身体の何処も彼処も貴重な魔術材料となり得るのだ。その角も煎じて飲めば不老不死を得ると言い伝えられている……が、実際そんなことはない。

 マードの生き胆もまた同じ、全ては短命な人間達が勝手に抱いている妄想だ。長命の生き物を食んでその寿命が取り込めるなんて、自然の摂理はそこまで簡単には出来ていない。

「おっきなモフモフ……」

「残念ながら、彼らにとって人間は餌だから会わせてあげることは出来ないけれどね」

 恐らく無意識だろう呟きとともに、眼鏡の奥の瞳を輝かせたヴェンジーへ、ブラントはそう釘を刺す。

 マードと竜は付き合いが長いからといって、決して仲が良いとは言えないのだ。所謂腐れ縁、利害が一致した時だけ交流を持つ。千年伸ばし続けた稀少な角を眼鏡の材料にすると聞き、ブラントの昔馴染みは難色を示していた。だから、余計に彼女とは会わせられない。

「トムで我慢しておいで、あの子だって十分に可愛いだろう? 何といっても、私の元使い魔だ」

「……うう」

 宥めすかすように言葉を重ねると、ヴェンジーは仄かに頬を染めて俯いてしまう。

 トムとは、彼女がイーサント城に来てから飼い始めた猫だ。ヴェンジーを研究室に招いた際に、そこに居合わせた黒猫を彼女が見初めという経緯がある。使い魔というからにはただの猫ではなく、彼の研究助手だったのだ。

 そのため、新しく飼い主となったヴェンジーがトムに代わって、ブラントの研究助手となった……全ては目論見通りだということを、彼女一人が知らない。

「君が気に病む必要はないよ、ヴェンジー。新しい主に君を選んだのはトムだ。名前も与えなかった薄情な私よりも、君はずっと可愛がっているだろう?」

 ブラントの薄暗い思惑も露知らず、いまだに自分から猫を奪ってしまった罪悪感を抱え続ける彼女はいじらしい。

 トムとはヴェンジーが付けた名だった。聞けば、元の世界でとても有名な猫の名前らしい。そちらは黒い目の灰色猫らしいが、こちらのトムは緑の目をした黒猫だ。ヴェンジーが名を与えるまで、ブラントは己の使い魔に名を付けていなかったのだ。付ける必要など感じていなかったというのが、正しい見解だ。

 トムは猫ではない。ブラントの血で造られた疑似生命体で、言わば彼の分身だ。トムが見るものはブラントの目に映り、その愛らしい桃色の肉球に触れた感触も彼の手に伝わる。心字が読めないブラントにとって、半年経った今もまだ心から打ち解けないヴェンジーの真意に触れるための手段だった。

「……あの、何ですか?」

 飾り気のないヴェンジーの口元をじっと見つめていると、不可解そうに彼女は小首を傾げる。

「いや、別に……何でもないよ」

 ブラントはそれこそ猫のように目を眇め、頭を横に振った。


 まさか、引き合わせたその日の内にその味を知ることになるとは思わなかった……当時を思い返すように、彼は形の良い指先を己の唇に寄せた。

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