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07

 自分の部屋に戻ってからセイルはおとなしく窓辺に腰掛けて、青から朱へと変わっていく空を静かに眺めていた。

 トントン。と誰かが部屋のドアを叩いた。

 空を染める朱の色はその深さを増していく。

 ドンドン。ドアを叩く強さも増していく。

 上空を何かが横切った。確かあれは鳥という種類の生き物だったかな、とセイルはノエルの言葉を思い出していた。

 空を飛ぶのはどんな気分なんだろうとセイルは鳥に思いを馳せるが、いまいちイメージできずにいた。

 部屋の扉が強く開かれた。

「なんだ、いるじゃない」

 訪問者は呆れた様子でつぶやいた。

 セイルは声の主に振り返る。「どうしたんだ、ユーコ」

「どうしたんだ、じゃないわよ。ノックしてんだから反応してよ」

「ノック? 何だそれ」

「はい?」からかわれているのかと思ったユーコだったが、「そっか、あなたって記憶がないのよね」と、セイルの知識の幅に理解を示した。

「ああ、うらやましいか?」

「どうだろう」ユーコは苦笑する。「忘れたいこともいっぱいあるけど、全部は嫌かな」

「なるほど」

 セイルは大げさにうなずいてみせた。

「それにしても──」ユーコは値踏みするように、セイルの足元から頭のてっぺんまでを何度も見回した。「巷で恐れられている『ラーガ』の正体が、こんな男の子だったとはね」

「らーが?」

 聞きなれない言葉に、セイルは顔をしかめた。

「あなたのニックネームよ」とユーコは答えた。

「にっくねーむ?」セイルのしかめっ面が、どんどん深刻になっていく。ユーコは知らない言葉ばかりをぶつけてくる。

 何を言っても疑問ばかりが返ってきて会話にならない相手に対して、ユーコは困ったように笑う。

「まいったな。なんかバカにされてる気がするけど、そうじゃないのよね」

 ブレイドの能力を与えられたウォーカーは戦うたびに記憶を喪失することは噂で聞いていたが、実際に本人を目の前にしてその無知っぷりを披露されてもまだ実感がわかなかった。

 困惑しているユーコをセイルはじっと見つめている。

 体はノエルよりもずっと細く()けている。こんな体でよくあの屈強なガチラたちを薙ぎ倒せたものだなと、セイルは改めて感心した。

「暑くなさそうでいいな」

 幅の狭い若草色の胸巻と丈の短い若草色の腰巻だけを身に着けた裸同然の格好のユーコを見て、うらやましそうにつぶやく。

「あら、もしかして見とれてる?」

 ユーコは得意気に微笑むと、太ももを強調するように片足を上げ、脇を見せつけるように腕を高く掲げて挑発的な視線をおくった。

「……なにしてるの?」少年は小首を傾げた。

「……なんでもないわ」あまりにも無垢な相手の反応に恥ずかしさを覚え、ユーコは姿勢を元に戻した。「ショックだなあ、踊り子としての自信がなくなりそう」

 酔っ払いから富豪まで世の男たちを魅了してきた百戦錬磨のポーズが効かない相手がいるなんて。

「オドリコ?」

「旅先の町の酒場なんかで踊らせてもらってお金を稼いでるの……って言ってもわからないわよね。まあ、ウォーカーであることを隠す、仮の姿よ」

 ウォーカーという言葉にセイルは反応した。

「そういや、ユーコはどっちなんだ?」

「え、何が?」

「プレゼントの種類。喪失型(ロストタイプ)? 条件発動型(スイッチタイプ)?」

「私のは喪失型よ。プレゼントの名前は『交渉(ネゴシエート)』って言うの」

「ねごしえーと?」

「見てて」口で説明するより実演のほうがわかりやすいだろうと判断したユーコは部屋にあるテーブルに右手の人差し指をそえた。そして唱える。「三、二、一──交渉成立」

 ユーコの指先に淡い光が宿る。その光はテーブルへと移り、すると木製のテーブルはひとりでにガタガタと揺れはじめた。

 跳ねたり回転したり、テーブルはまるで踊っているようだった。

「おお……」

 セイルは子供のように目を輝かせ、不思議なテーブルに心を奪われていた。

「はい、そこまで」

 ユーコの声と同時に、テーブルは踊るのをやめて、元の動かぬただのテーブルに戻った。

「すごいな、ユーコお前」セイルは声を張り上げて賞賛した。

「これが私のプレゼントよ。周囲のものと交渉して、操ることができるの」

「どんなものでもできるのか?」

「自然のものだったら大抵大丈夫だけど、人や動物は無理ね」

「ところでその、能力(プレゼント)を使う前になんとかをなんとかしてるのは何だ?」

「ええと──」ユーコは額を指で押さえて相手の言葉の真意を探る。「もしかして、数字をかぞえてるのはどうしてだって言いたいの?」

「それだ」と言って、ぽんっと手を打つ。

 ユーコはうーんと唸って、「あれは説明しづらいんだけど、能力を使おうとするとき、私の頭の中にモヤモヤしたイメージが現れるの。で、数字をかぞえている内にどんどんそのイメージが鮮明になっていって、最後はそれがパーンとはじけるの。それが交渉成立の合図なんだけど……意味わかるかな?」と言ってセイルの瞳を覗き込んだ。

「いや、さっぱりわからん」

 あまりに素直な返事にユーコは苦笑するしかなかった。

「ところで、アイギスもウォーカーなのか?」

「ううん」ユーコは首を横に振る。「あいつはただの子供よ」

 少女は不快感をあらわにした。

 その顔を見てセイルは思い切って訊ねてみた。

「なあ、どうしてアイギスのことだと、お前は変わるんだ?」

「変わる?」

「アイギスのことになると、お前は急に怖くなる。どうしてだ?」

「簡単よ」ユーコはニッコリ笑った。「あのガキが嫌いだから」しかし目は笑っていない。

「…………」

 嫌い。それは、好きの反対を意味する言葉。

「どうしてアイギスのことが嫌いなんだ?」

「秘密よ」と即答する。

「だったら」セイルは強引に話題を変えた。「ユーコは何を失うんだ?」

「──うん?」

 唐突な切り替えに、何を訊かれているのかわからなかった。

「ユーコも俺と同じ喪失型(ロストタイプ)のウォーカーだろ。俺はプレゼントを使えば記憶を失う。ユーコは何を失うんだ?」

「それも秘密よ」

「……秘密ばっかりだな」

「女はね、秘密が好きなのよ」

 ユーコは目を細めて笑った──ように見えた。

 ユーコの体が小さく左に揺れ、そして大きく右にかたむき、そのままベッドに吸い込まれた。

「おい、どうしたユーコ、眠くなったのか?」

「ううん、ちょっと疲れただけよ」とユーコはつぶやいた。心なしか息が荒い。「ねえセイル、少しこのベッド借りててもいい?」

「ああ、別にかまわないけど……」

 すでにベッドに寝転がり布団まで掛けているユーコを見ると、そう答えるしかなかった。

 そういえばノエルも部屋に入るなりベッドに飛び込んでいたな、とセイルは思い出していた。

 部屋にはセイルとユーコの二人きり。しかし、寝ている人間を見ていてもつまらないので、セイルは部屋から出ようとベッドから離れた。

 ぐう。

 それは獣の呻き声に近かった。

「誰だ?」

 セイルはあたりの様子を窺うが、自分とユーコ以外の気配はない。

 ぐう。

 音が鳴り止む様子はない。おかげで発信源の位置が特定できた。

「そこか!」

 セイルはユーコから布団を剥がした。が、そこに存在すると思われた何者かの姿はなかった。

 ぐう。

 だがやはり音はする。

 セイルはゆっくりとユーコの腹部に顔を近づけて耳をすませた。

 ぐう。ぐう。

 音の発信源は、ユーコの腹部からだった。

「なんでこいつの腹は鳴ってるんだ?」

 今すぐ本人を起こして理由を問いただしたい衝動にかられたが、下手に刺激してノエルのようになってもらってはこまるので、そっと布団を掛けなおして部屋を出た。


 セイルの隣の部屋、『樹の四号』はユーコの部屋だが、部屋の主は現在セイルの部屋で腹を鳴らしながら眠りについている。

 セイルが今立っている部屋はそこからもう一つ隣の『樹の三号』である。

 とりあえず中に入ろうとドアノブに手をかけるが、試してみたいことを思い出し、そこから手を離した。

 トントン、と手の甲でドアを軽く叩く。

 僅かな空白をおいて、「はい」と扉の向こうから少女の声がする。

 ドンドン、と少し力を強めた。

「……ユーコ?」と少女の声がかすかに強張った。

 叩くだけで相手から反応が返ってくるがおもしろく、セイルは夢中でドアを叩きつづけた。

 するとドアがひとりでに開いた。

「……あ、セイル」扉を開けた少女は不思議そうに訪問客を見つめた。「どうしたの?」

「ノックだ」

 腰に手をあて、誇らしげに胸を張る。

「……そうだね」

 どう反応していいかわからず、とりあえず少女はうなずいてみた。

「何してるんだ?」

「絵を描いてたよ」

「えをかく?」

 話相手が変わるたびに新しい言葉と出会い、疑問が増えていく。

「見る?」と少女は言う。

「うん、見る」と少年はうなずく。

 アイギスの部屋の造りはノエルやセイルのそれと大差はなく、やや狭い空間に椅子と机とベッドがあるだけだった。些細な違いを探せば、机の上に数枚の紙と数種類の色鉛筆が置いてあるくらいだろうか。

「どうしたんだ、これ」

 机の上にある見慣れないものを見て、セイルは訊ねた。

「アブリルさんが持ってきてくれたの」

「ふーん」セイルは机から何かが描かれている紙を一枚持ち上げた。「で、これ何?」

 紙には得体の知れないものが描かれていた。

 丸くて、肌色で、短い手足がついていて、小さいく愛らしい目があって、目の下には楕円形の何かがついている。目からの位置を考えると、これは鼻なのかもしれない。

「それはメスブタだよ」とアイギスは言う。「えっと、動物ね」と付け加えた。

「めす……ぶた」セイルは紙の中のメスブタをまじまじと見つめた。「世界にはこんなのがいるのか?」

 うん、とアイギスはうなずいた。

「襲ってきたりするのか?」

「そんなことはしないよ。おとなしい動物だし、食べるととってもおいしいんだよ」

「食べる? 食うのか、こいつを? 口の中に入れるのか? しかもうまいのか」

 セイルは想像力を働かせた。

 ドゥリュードゥリューと泣き叫びながら逃げ惑うメスブタを捕まえ、頭に(かじ)りつく。

 飛び散る血飛沫。足元に転がるメスブタの残骸。

「……ダメだ。俺にはそんな残酷なこと……」

 胃から何かがこみ上げてくる錯覚に襲われ、セイルは口をおさえた。

「別に絶対食べなくてもいいんだよ。それにメスブタは美の象徴でもあるから、食べたりせずに祭ったりしてるエリアもあるくらいだし」

「美の象徴?」

「あるエリアでは、メスブタを大切に育てると、そのエリアの女の人はメスブタの加護を受けて、みんな美人になるって言われているの」

「ほうほう、つまり綺麗な女はみんなメスブタっていうことだな」

 セイルは一つ賢くなった気がした。

「……ええっと」

 自分の説明が悪かったのか、この青年の理解力が桁外れに酷いのかアイギスは悩んだ。

「お、これは何だ?」

 次にセイルが興味を示した絵。

 そこには(ほが)らかな表情をした少女が描かれていた。

「これはユーコか?」

「わかる?」アイギスがはじめて嬉しそうな声をあげる。

「ああ」

 一見、その絵の少女はあまりユーコとは似ていない。しかし一目見ただけでセイルはこれがユーコだと感じとれた。

「よく描けてるじゃないか」自然とそんな言葉が少年の口からこぼれる。

「これはね、ユーコの笑顔なんだ」

「笑顔……」絵を見つめながらセイルは言う。「人はどういうときに笑顔になるんだ?」

「ええっと……嬉しいことがあったときとかじゃないかな?」

「だったら笑顔の反対はなんだ?」

「え?」アイギスは戸惑った。「笑顔の反対は……悲しい顔かな?」

「その顔はどういうときになるものなんだ?」

「それはたぶん……つらいときや、やりたくないことをやっているときじゃないかな?」

 どうしてこんなに質問ばかりしてくるのかアイギスにはわからなかった。でも、嫌な気分ではなかった。

 セイルは別の絵を手に取る。そこには山吹色(やまぶきいろ)の十字架が描かれていた。

「それはクロスだよ」アイギスは自分から説明をはじめた。「災いから大切な人を守護してくれるお守り。本当は木で作った本物があればいいんだけど、こうやって紙に描いた絵でも効果はあるんだよ」

「ふーん」セイルは鼻を掻く。「で、誰を守って欲しいんだ?」

「え?」

「大切な人を守ってくれるお守りなんだろ、これ。誰を守って欲しいんだ?」

 ペラペラと十字架の描かれた紙を宙に舞わせた。

「誰をってそんな……」アイギスは言葉に詰まった。「……それはあくまでおまじないみたいなもので、絶対に効果のあるものじゃないから……」

「ふーん」

 シンプルな十字架の絵はブタやユーコの笑顔ほど少年の興味をひかなかったようで、セイルは紙をテーブルの上に戻した。

「ところで、お前とユーコはどういう関係なんだ?」

「え?」少女の声に緊張が走る。

「よくわからないけど、ユーコはお前のことあんまり好きじゃないみたいだ。だけど、お前はユーコに付きまとってる。どうしてだ?」

 純粋で裏のない、それでいて無配慮な少年の疑問。

 アイギスは戸惑いながらも、ゆっくりと言葉を選びながら語りはじめた。

「ユーコはね……私の恩人なの」

「恩人?」

「命を助けてくれたの」

「お前、誰かに命を狙われていたのか?」

 アイギスは首をふった。「違う。狙われてたのは私じゃなくて、私のお兄ちゃん」

「お前の兄さん、何かしたのか?」

「何もしてないよ。お兄ちゃんは私のことをとっても大切にしてくれてたし、足がとっても速くて……」不器用な裁縫みたいにアイギスの言葉はたどたどしかった。「村のみんなもお兄ちゃんのことを大切にしてくれた。でも、お兄ちゃん、ウォーカーだったの。それである日、村にガチラがやってきて、お兄ちゃんを殺して、それで近くにいた私も殺されそうになったけど、そこにユーコが現れて、助けてくれたの」

「へえ。いいヤツだな、ユーコ」

「うん。ユーコはすごくいい人だよ」

 どこか照れたようで、どこか誇らしげなアイギスの表情。

「それなのに、どうしてユーコはお前に冷たくするんだ? 何かあったのか?」

「……私が、私が全部悪いの。だからお願い、ユーコのことを嫌いになってあげないで」

 今度は必死の訴え。ユーコを語るとき、この少女は様々な感情を見せてくる。

「……ああ、わかった」

 自分よりはるかに幼い少女の気迫に負け、それ以上の問うのはやめた。

「でも、ユーコっておもしろいよな」

「え?」

「あいつ今、俺の部屋で寝てるんだけど、腹がぐーぐー鳴ってたぞ。なんでだ?」

「…………」

 セイルとしては笑い話を提供したつもりでいたのだが、かつてないほどアイギスの表情は深く沈んでしまった。

 セイルにはその原因がわからず、会話をつづけることも部屋から出ていくこともできないまま、気まずい沈黙だけがそこに居座っていた。

 そして、その沈黙は意外な人物によって破られる。

「アイギスちゃあーん。と、その他大勢のやつらー、ご飯できたわよー!」

 筋肉の声が一階から響いてくる。

「あ、ごはんできたって。行きましょう」

 何かをはぐらかすようにアイギスは明るくふるまい、セイルと共に部屋を出た。

 ドアを開けると、食欲をそそる香りが鼻孔をくすぐった。

 セイルたちが部屋を出たのと同じタイミングでノエルも部屋から出てきた。

「……何であんたがアイギスちゃんの部屋から一緒に出てくるのよ?」

「絵を見せてもらってた」

 ふうん、とノエルはなぜかつまらなそうな顔をした。

「そういえばユーコは?」

 ノエルが言い終わると同時にユーコが目をこすりながらセイルの部屋から出てきた。

「……なんでユーコがセイルの部屋から出てくるわけ?」

「俺の部屋で寝てたから」

 さらりとセイルは答えた。

 どのような経緯でそうなったのか気になったが、これといって(やま)しいことを隠している気配もなかったので、ノエルは追及しようとはしなかった。

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