06
「私の名前は?」
「ノエル」
「あんたの名前は?」
「セイル」
「私の名前は?」
「ノエル」
「あんたの名前は?」
「セイル」
「私の名前──」
「いい加減にしてくれよ」うんざりした様子でセイルはノエルを遮った。「宿屋に戻ってからずっとこれだ。俺をイジメて楽しいのか?」
「……ごめん」
素直に謝って、ノエルはベッドの上に腰を下ろした。
「どういうことだ、説明してくれよ」
セイルも近くにあった椅子に腰かけた。
「…………」ノエルは黙秘している。
「俺が使うなって言われてたものを使ったから怒ってるのか?」
「…………」
「でも、ああしないと、たぶんお前が──」
「それはわかってる。助けてくれてありがと」
あのとき、銃口の先にはノエルがいた。銃声が響いた瞬間、ノエルは覚悟を決めて瞳を強く閉じた。しかし一向に何も起きる気配がないので、おそるおそる目を開けると、自分の前で光放つ剣を構えたセイルの背中があった。
「教えてくれ。何なんだよ、この『ブレイド』って。どうして俺にはこんなことができるんだ?」
「それがあんたの『プレゼント』だからよ」
「そのプレゼントについて、そろそろ詳しく教えてくれてもいいんじゃないか?」
「そうね」
ノエルはゆっくりと語りはじめた。
私たち『ウォーカー』に授けられる『能力』には大きくわけて二つの種類が存在するの。
『喪失型』と『条件発動型』の二種類よ。
喪失型の能力はウォーカーの意思によって自由に扱うことができるの。
喪失型の能力には強い力を操れるものが多いんだけど、そのかわり能力を使えば喪失型っていう名前のとおり『何か』を失ってしまうの。
もう一つの条件発動型は自分の意思では扱えなくて、発動するためには条件が必要なの。
逆に言えば条件がそろうと、どんなときでもウォーカーの意思に関係なく能力は発動してしまうの。
「で、俺のブレイドは喪失型と条件発動型のどっちなんだ?」
まだ話の途中なのに口を挟まれてノエルは少しムッとしたが、素直に答えることにした。
「喪失型に決まってるでしょ。自分の意思で能力を使えるんだから」
「でも、使おうとしたらいつもお前に怒られたぞ?」
「それはあんたが剣を使ったら失くしちゃうからよ!」
喪失型のプレゼントを使えば『何か』を失う。
「教えてくれ。ブレイドを使うと、俺は何を失うんだ?」
微かな躊躇のあと、ノエルは、はっきりとこう言った。
「記憶よ」
「きおく……」セイルは眉間に皺を寄せる。「何だよ、記憶って」
またはじまった。ノエルはやれやれと眉間を指で押さえた。
「記憶は記憶よ」これほど説明の難しい概念が他にあるだろうかと悩みながらも、ノエルは言葉をつづける。「何て言うのかな、ほら、あれよ、それ、その……」
少女の口から紡がれる代名詞の羅列。
「なるほど。あれでそのそれなやつか」
何だかよくわからないので、とりあえずわかったふりをした。
「だからその……記憶を失うっていうのは要するに、あんたがあんたじゃなくなるってことなのよ」
「……はい?」
もはや、耳に入る言葉全てが理解不能に思えてくる。
「今朝、私と会ったときのこと覚えてる?」
「ああ、お前とはじめて会ったときのことだろ」
ノエルは首を横に振る。「それが違うのよ。私とあんたがはじめて会ったのはあのときじゃなくて、もっと前なの」
「え? でもお前と昔からいた覚えはないぞ……あ」セイルは閃いた。「俺とお前はもっと前から一緒にいたけど、俺がプレゼントを使ったから、記憶がなくなっていたのか?」
「そういうこと」
意外なものわかりのよさに、ノエルは少し感心した。
「でも、そんなことってあるのか? 俺がお前のことを忘れるなんて」
「忘れるんじゃないの。失うの」
「だけど俺、さっきプレゼントを使ったけど、記憶は失ってないぞ?」
目を覚ましてから今の今までに起きたことを、全て思い出せる自信がセイルにはあった。
「あの程度なら問題ないんでしょ。本当に全部失うのは、もっと本気で戦ったときだけよ」
「そういうときって、どうなってんだ?」
「どういうこと?」
「イメージできないんだ。記憶が全部なくなるような戦いを自分がするなんて。それに相手は誰だ? やっぱりガチラなのか?」
不意にノエルの表情に陰が落ちる。「知らなくていいわ」
「……そっか」
セイルは追求を諦めた。この顔をしているときのノエルは、なんだか苦手だった。
「とにかく、緊急時にはしかたがないけど、好奇心でプレゼントを使うのだけはやめてよね。記憶を失ったら私にしわ寄せがくるんだから」
「俺が記憶を失うたびにお前は今朝みたいに、俺に言葉を教えてくれてるのか?」
「ええ、そうよ」
じーっと、セイルはノエルを凝視する。
「何よ。嘘なんてついてないわよ」
「いや、何ていうか、ありがとな」
ノエルにとって、それは意外な言葉だった。
「べ、別に、お礼なんていいわよ。他に世話する人がいないからしかたなく私がやってあげてるだけだから」
「いや、だから、ありがと」
「はいはい」
ノエルはセイルから顔を背けた。見られたくない顔をしていたからだ。
「でもさ、なくなった記憶はどうなるんだ? もう戻らないのか?」
「戻る方法は一つだけあるわ」
「どうするんだ?」
「サンタクロースに会えばいいの。喪失型の能力を持つウォーカーはサンタクロースに会うと、望みを叶えてもらえる以外に、能力を使ったことで失ってしまったものを返してもらえるの。あんたでいえば、それはもちろん記憶ね」
「でも、サンタクロースに会うためには、大昔にあった『三度目の戦い』で子供たちがサンタクロースに伝えた『願い事』を見つけなきゃいけないんだろ?」
「そうよ」ノエルはうなずいた。
「その願い事だけど、結局、願い事ってどんなものなんだ? ただの言葉なのか? それとも形があるのか?」
「いいところに気がついたわね。結論からいうと、わからないわ」
「うん?」あまりに救いのない言葉に少年は首を傾げた。
「言葉かもしれない。形あるものかもしれない。生き物かもしれない。もしかしたら場所かもしれないし、それらを全てあわせたものなのかもしれないし、それ以外の何かかもしれない」
「そんなもんどうやって探せばいいんだよ」
「わからない。だから旅をしてるの」
「……わかるように教えてくれよ」
「三度目の戦いで子供たちがサンタクロースに願いを伝えた。その結果できたのが、このロストプレートと呼ばれる世界よ。この世界には子供たちの願い事に関するヒントが散りばめられると言われているの。だからこの世界を全て見れば、きっといつか子供たちの願に辿り着けると思うの」
ノエルの声には決して希望を捨てない強い意志が込められていた。
「俺たちはこの世界をどれくらい見てきたんだ?」
「ロストプレートの完全な地図は存在しないからよくわからないけど、まだほんの一部しか見ていないことは確かね」
「十八歳になるまでに全部見てまわれそうか?」
「できるかできないかじゃなくて、やるしかないでしょう。命かかってるし」
「そもそも、サンタクロースって何者だよ?」
「神様よ」
「どこにいるんだよ、そいつは」
「わからない」
「存在するのか?」
「もちろん」ノエルは断言した。
「どうして言い切れるんだよ」
「……声を聞いたからよ。自分の能力に気づいたとき、サンタクロースの声を聞いたの」
深刻な顔でノエルは言った。
「俺は聞いた覚えなんてないぞ」
仲間はずれにされたような気がして、セイルは不愉快だった。
「そりゃそうでしょう。聞いてても記憶を失ってるわけだから」
「ああ、そうか」不本意ながら、納得してしまう。「そういえば、お前のプレゼントも喪失型なのか? あの氷柱投げるやつ」
「私のプレゼントは喪失型じゃなくて、条件発動型よ。プレゼントの名前は『氷柱』」
「お、条件発動型なら知ってるぞ。条件がそろうと勝手に発動するんだよな。さっきお前から聞いた」
子供のようにセイルははしゃぐ。
「……覚えててくれて、ありがと」
やれやれ、とノエルはため息を吐く。
「で、お前のプレゼントはどうやったら発動するんだ?」
「私のプレゼントは『嘘』に反応するの」
「嘘?」
「本当のことじゃないってことよ」
教えろと言われる前に答えた。
「……よくわからん」
「じゃあ、何でもいいから嘘を言ってみて」
「そんなこと言われてもなあ……」そのとき、セイルの脳裏に閃きが舞い降りる。「そうだ、これならどうだ。お前は女じゃなくて、実は男」
刹那、どこからともなく出現した一本の氷柱がセイルの額目掛けて飛んできた。
「うわ!」
反射的にしゃがんで、なんとかそれを回避した。
ストン、と乾いた音をたてて氷柱は壁に突き刺さった。
「ご理解いただけたかしら?」とノエルは微笑む。
「まってくれよ、ここ部屋の中だぜ? どっから飛んできたんだよあの氷柱」
「どこからともなくよ」
「お前のプレゼントだろ。お前にもわからないのかよ」
「ええ」とキッパリ。「神のみぞ知るってやつかしら」
「お前の近くだと、うかつに嘘がつけないわけだな」
「あんたはそんな心配しなくていいと思うわよ」
「どうして?」
「なんて言えばいいのかな……嘘をつくって特別なことじゃないんだけど、ある程度心が成長していないとできないことだと思うの。あんたってよくも悪くも純粋で思ったことしか口に出さないから、そう簡単に嘘はつけないはずよ」
「俺は心が成長していないのか?」
「おっきな赤ちゃんだからね、あんたは」
「……赤ちゃん?」
「ねえ、ちょっと私に向かって、バブーって言ってみてよ」
「……?」言葉の意味は不明だったが、セイルはとりあえず「ばぶー」と発した。
「あはははは!」ノエルは腹部を手で押さえながら大声で笑いながら、ベッドに背中を預けた。「かわいくなーい!」足をバタバタと激しく上下させている。
何がそんなに愉快なのかわからないが、自分がからかわれていることをそれとなく理解したセイルは、背中を向けて「部屋に戻る」と告げた。
「あ、待ってセイル」ノエルはスパッツに挟んでいたものを取り出して、セイルに向かって投げた。
反射的にノエルから投げられたものを受け取る。それは手のひらに収まる程度の大きさだったが、見かけ以上に重量があり、危うく落としそうになった。
黒く鈍く輝く、拳銃。
眼帯の男からノエルが奪ったのだ。
「それ、袋の中に入れといて」
「わかった」
セイルは部屋の脇で鎮座していた袋の中に拳銃を押し込んだ。
それから一言、「あいつ、生きてるかなあ」と思い出しながらつぶやく。
ガーグが銃を撃ち、セイルがブレイドで防いだあと、烈火の如く怒り狂ったノエルが、ガーグに対して殴る蹴るの一方的な暴行という名の制裁を加え、ガーグを無力化した。
その後、ガーグは石のようにピクリとも動かなくなってしまった。
あの焼かれるような暑い陽射しの下で、セイルは寒気を覚えた。
「あんなやつどうなろうと知ったこっちゃないわよ」
ふくれっ面でノエルは冷たくあしらった。
ドアノブに手をかけ部屋を出ていこうとするセイルに「待って」とノエルの声が止める。
「どうした?」首だけ振り返る。
ノエルはベッドの上で正座をして頬を赤らめ、枕を抱きしめて、セイルと目をあわせないようにして、とても小さな声でこう言った。
「さっきは助けてくれて、ありがと」
そんなに言いたくないんだったら無理しなくてもいいのに。
そう思いながらセイルは「どういたしまして」と言って、部屋を出ようとした。
「あ、それからセイル……」
再び少女の声が少年を呼び止める。
「なんだよ」
「さっきあんたが吐いた嘘、私が男ってどういうことよ。嘘でも、もうちょっとマシな嘘を言いなさいよね!」
言い終わるのと同時に木製の椅子が凄まじい速度でセイルの顔面に衝突した。
顔面に椅子を食い込ませながら、これなら氷柱に刺されたほうがマシだったなと、セイルは痛感した。