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04

 迷子になったら宿屋の場所を誰かに訊けばいい。そうすれば親切なやつがここまで案内してくれるだろうから。とアブリルに教わった。

 刺すような陽射しの下、町では人々がそれぞれの日常をこなしていた。

 追いかけあう子供たち、もう少し安くならないかと交渉している女性、建物の影で塞ぎこんでいる男。

 口をぽっかりと開けたまま、セイルは町を歩く。

 とん。と、セイルの足に何かがぶつかる。

 目を下にやると、小さな男の子が申し訳なさそうにこっちを見上げている。どうやらこの子と衝突したらしい。

「ごめんなさい」少年がもじもじとあやまってきた。

「いや、俺もぼーっとしてたから。すまない」

 全く怒った様子のないセイルを見て、少年は緊張を解いた。

「あれ?」少年はセイルの顔をまじまじと見つめて言う。「お兄ちゃん、お鼻どうしたの? 真っ赤だよ」

「うん?」セイルは鼻を押さえた。「そうなのか?」

「うん」少年はうなずく。「ケガしてるの?」

「いや、その……」セイルは言葉に詰まった。

 おーい、何やってんだよ。と、少し離れた場所から子供の叫び声が届いてくる。

「あ、僕もういかなきゃ。じゃあね、お兄ちゃん」

 叫び声の主は少年の知り合いだったようで、少年はそこへ向かって走り去っていった。

 セイルは少年に言葉を返さず、人さし指で鼻を撫でていた。

「赤鼻か……」

 そういえばアブリルと出会ったばかりのときも鼻について何か言われたことを思い出した。

 ふと、すぐそばの家の窓ガラスに自分の姿が映っていることに気づいたセイルは、近づいて自分の顔を見つめた。

 半透明でぼんやりとしか映っていないので定かではないが、確かに鼻の先だけ赤く色づいている。

 腫れているわけでも、ケガをしているわけでもない。塗られたように純粋な赤。

 誰かのイタズラだろうか、とセイルは思った。

 ところで、イタズラって何だっけ? とセイルは首を傾げた。

 どん! と音をたて、横から何かがセイルに衝突してきた。

 咄嗟(とっさ)の出来事に対応できず、セイルは地面に尻もちをついた。

「ごめんなさい!」

 ぶつかってきた相手が()びを入れてきた。声から察するに少女のようだ。

 少女は立ち止まることも振り返ることもなく、そのまま走り去っていった。

「おい、待て!」

 野太い男の声が背後から響いてくる。

 見ると、数人の男たちが凄まじい剣幕でこちら向かってきた。手には何か輝くものが握られている。それが野菜でないことは、セイルにも理解できた。

「くそ、逃げ足の速いやつだ」

 言葉を吐き捨てて、男たちは先ほどの少女が去った方角へ駆けていった。

 いくつもの出来事が駆け足でやってきて、過ぎていった。セイルはそれを尻もちのまま、ただ見つめていた。

「おい、あんた大丈夫か?」

 一人の老人がセイルに手を差し伸べてきた。その手をかりてセイルは起き上がり、老人に礼を言った。

「ところで、今のは?」

 セイルの言葉に老人は顔をしかめる。

「ああ、ガチラどもだよ」

「あの女の子が?」

「違う。追ってきた男連中のほうだ」

「この町にガチラはいないんじゃなかったのか?」

 アブリルがそんなことを言ってたような気がする。

「当たり前だ。あんな連中は見たことがない。他のエリアからやってきたんだろうよ。あんな女の子一人を男が大勢で、まったく恥知らずどもが」

 老人の声には静かな怒りがこもっていた。

「じゃあ、あの女の子はどうなるんだ?」

 何気ないセイルの問いに対し、老人はただでさえ(しわ)の多い眉間とこめかみにより一層皺を寄せてセイルを見つめた。こんなやつに手をかすんじゃなかった。そういう後悔と軽蔑の混じった目をしている。

「お前はあほか」

 と吐き捨てて、去っていった。

「あほ……」セイルも眉間にしわを寄せる。「あほって何だよ」

 だが、彼の疑問に答えるものは一人もいなかった。

 ガチラに脅えた人々は店を閉め、扉に鍵をかけた。

 ただ立っていることにも飽きたので、セイルはとりあえず歩きはじめる。

 しかし、どこへいっても人一人いない。先刻までの賑わいが嘘のようだった。

 そして気がづけば、自分が今、町のどの辺りにいるのかわからないところまできてしまっていた。迷えば誰かに宿屋の場所を訊ねろとアブリルは教えてくれたが、見渡す限り、ここには誰もいない。そういう場合どうすればいいのかアブリルは教えてくれなかった。

 どうしよう。セイルの額から嫌な汗が流れる。

「……ぐ」

 どこかで男の呻き声、それにつづいて何かが倒れる音。

 誰かいるのだろうか? セイルは音のした方へ走り出す。

 脇道に入り、家と家の隙間を通り抜けると砂地の広場があり、そこに自分とぶつかった少女とその少女を追っていた男たちがいた。

 上半身は胸の部分だけを若草色の布で巻き、下半身は同じく若草色で丈の短い布をひらめかせている姿の少女を見て、暑くなさそうでいいな、とセイルは思った。

 少女の背後には退路を塞ぐようにレンガの壁が。少女の前方には五人の男たちが少し距離をとって囲んでいる。それから少女の足元には男が二人倒れていた。

「くそ、ジンもやられたぞ」斧を持っている男が焦りを(にじ)ませた声で言った。

「もうやつには後がない。全員でかかればやれるはずだ」石の塊を握っている男が提案する。

「落ち着け。やつはまだ力を使っていない。侮るな」背中に弓矢を装備した男は警戒している。

 手にしている武器こそ違えど、男たちには一つの共通点があった。全員、靴を履かずに、つま先から膝までを青く塗っている。

「なあ」男たちの背後からセイルが無防備に話しかけた。「あんたらどうして裸足なんだ? それに足が青いぞ」

「誰だ!」

 剣を構えていた男が叫ぶと、男たちは全員セイルに振り返った。

「あんたらがガチラか?」と無邪気に訊ねた。

「小僧」黒い眼帯をした男が低く冷淡な声で言う。「消えろ」

「あんたらはウォーカーを殺せば自分がウォーカーになれるとかサンタクロースに会えるって話を信じているらしいけど、ノエルが言うにはそれデタラメらしいぞ」

 覚えたての知識を聞いてもらいたくてしかたない子供のように、セイルは語った。

 眼帯の男がセイルに歩み寄り、腰に備え付けていた拳銃を取り、銃口をセイルの額に押し付けた。

「小僧、俺はお前に消えろと言った。それとも消されたいのか?」

 眼帯男の名前はガーグ。

 彼は生まれつきの低い声と鋭い眼光で周囲に恐怖をばらまきながら生きてきた。

 加えて、現在彼が手にしているものは拳銃という極めて希少価値と殺傷力の高い武器である。大抵の人間はこれを見ただけで怯える。

 声と眼光と拳銃で恐怖を煽り生きてきたガーグは、次の瞬間、極めて貴重な体験をする。

「何だこれ?」

 セイルは銃身を掴み、自分の額に何があてられているのか確かめようと、銃身をひねった。

 このときガーグは二つのミスを犯していた。

 一つ、相手の反撃など想定していなかったため、銃を握る手に力を入れていなかった。

 一つ、引き金に指をかけていた。

 銃口の先がセイルの額からガーグの額へと変更され、無理やり銃を動かされた不可抗力で指がトリガーを引いてしまった。

 爆音と共に弾丸が射出される。

「──!」

 銃声に驚いたセイルは銃から手を離し、ガーグから距離をとった。

 銃が吠える寸前のところで何とか顔をそらしたガーグだったが、弾は彼の頬をかすめ、彼の頬は赤く泣いた。

「なんだよそのうるさいやつは」しかめっ面でガーグの顔を見たセイルは「おいお前どうしたんだ、顔にケガしてるぞ。大丈夫か?」と思いやりある言葉をかけた。

 ガーグは極めて貴重な体験をしていた。

 この世に自分を恐れない人間がいること。

 この世にこんなにふざけた奴がいること。

 手下たちの前で醜態を晒し、恥をかくという極めて貴重な屈辱をガーグは味わった。

「お前、死ねよ」

 短くまとめて、ガーグは銃口をセイルに向け、ためらわず撃ち殺す──はずだった。

 トリガーを引く寸前のところで、ガーグの後頭部に衝撃が衝突した。

 少女の膝がガーグの頭を砕く。

 男たちの注意が自分から少年へと向けられたおかげで、少女が反撃に出たのだ。

 まずは最も危険な武器を所持していた眼帯男の無力化に成功。

「くそ!」

 斧を持った男が襲いかかってくる。

 だが遅い。

 男が斧を掲げた瞬間、少女は男の懐に飛び込み、脇腹に肘をねじ込む。

「──がっ!」

 痛みでうずくまり、低くなった男の顔に蹴りを入れた。

 弾き飛ばされた斧の男はうつぶせに倒れ、そのまま動かなくなった。

 残っているのは、石の男、剣の男、弓矢の男の三人。

 三人とも襲いかかってくる様子はなく、ただ下手くそに武器をかまえていた。

「すげえ」

 セイルは少女の見事な身のこなしに感嘆した。

「ふざけやがって」

 剣の男がじわじわと少女に近寄る。

「やめなさい」

 はじめて少女が口を開いた。

「な、なんだ?」

 剣の男は必要以上に大きな声を上げる。威嚇しているようにも、怯えているようにも見えた。

「無理しなくていいのよ。強そうなのは全員倒したわ。あなたたちはただのおまけでしょ?」

 少女は余裕の笑みを見せた。

「ふ、ふざけるな」

 剣先を震わせながら男は叫んだ。どうやら図星を突かれたらしい。

「逃げるなら今のうちよ」

 少女は格下の相手に逃げ道を用意した。

「…………」

 数秒の沈黙の後、聞き取れない声で捨て台詞を吐いて、剣の男は逃げていった。

「で? あなたたちはどうするの?」

 彫刻のように固まっていた石の男と弓矢の男に少女は訊ねる。

 二人からは戦意など微塵(みじん)も感じられない。

 気まずそうに顔を見合わせた二人は同時に武器を捨て、その場から離れようとした。

「待って」

 少女は二人を止めた。

 何事かと恐る恐る振り返る二人に向かって少女は言う。

「二度とこんな馬鹿な真似はしないで。それだけよ」

 少女はセイルより若く見える。二人の男はどう見てもセイルより年上の大人である。

 子が親を叱るような奇妙な光景が、セイルの目には滑稽(こっけい)に映った。

 二人は小さく頷くと、そのままどこかへ消えた。

「……ふう」

 緊張から開放されたのか、少女の表情から険しさが剥がれ、柔らかさが宿る。

「へえ」とセイルは声を漏らした。

「ん? どうしたの?」

「いや、なんていうか、ケンカしてるときより、今の顔のほうがずっといいなって」

 思ったことをそのまま口にする。

 少女は噴き出した。「何それ、もしかしてデートにでも誘ってるの?」

「デート? 何それ」

「最近はそうやってとぼけるのが流行ってるの?」

「とぼける? 流行る?」

 おもしろいくらい、噛み合わない会話。

「……まあいいわ。私はユーコ。助けてくれてありがとう」

「セイルだ。別に助けてないぞ」

「……変な人ね」とユーコは笑う。

 ノエルもこういう表情をすれば、少しは可愛く見えるのだろうかとセイルは考えた。

「…………」

 ノエル。その名を思い出した瞬間、全身の血が逆流するような戦慄が走る。

 外に出てからどれくらい時間が経過しただろう。眠りから覚めたノエルが、自分がいないことに気づくとどんな行動に出るだろうか?

 きっと──(つね)られる。

 セイルは無意識に頬をさすった。

「ところで、アブリルの宿屋にはどうやっていけばいいんだ?」

 とセイルは訊ねた。

「あ、ごめん。私ここの人間じゃないから、わかんない」

 あっさりとユーコは答えた。

「そうか、わかった。じゃあな」

「待って」足早に立ち去ろうとするセイルをユーコは止めた。「私も宿を探そうと思ってたから、一緒にいってもいい?」

「ああ、たぶん大丈夫だ。とにかく急ごう」

 やけに焦っているセイルを見て、ユーコは小首を傾げた。

「待てよ」

 二人の背後から聞き覚えのある声が戻ってきた。

 とっくの昔に逃げたはずの三人の男たちが薄笑いを浮かべて立っていた。

「どうしたの、忘れ物でも取りにきたの?」

 額に手をあてて、うんざりした様子でユーコはため息をついた。

「これを見ても、まだそんなことが言えるかな?」

 石を持っていた男が後ろに隠していたものを見せてきた。

「そんな──」ユーコは右手を口にあて絶句する。「──アイギス」

 男が背後から、怯えた様子で幼い少女が現われた。

「このガキは確か、お前の知り合いだったよなあ?」

 いやらしく目を細め、男は(あざわら)う。

「その子をどこからさらってきたのよ?」

「俺たちは何もしてないぜ? このガキがお前を探してたみたいだから、連れてきてやったんだ。感謝してもらいたいくらいだ」

「だったら、早くその子を放しなさい」

 男たちに捕らえられている少女は、手足をロープで縛られていた。

「それは無理だ。こいつはいわゆる人質だからな」

 ついさっき尻尾を巻いて逃げた臆病者とは思えないほど、男たちは豪快に笑った。

「ユーコ、ごめんなさい」

 アイギスと呼ばれた少女は今にも消えそうな声でつぶやいた。

「うるせえ!」

 一人の男が地面を蹴り、アイギスに砂を浴びせた。

 砂は少女の顔のいたるところにぶつかり、目や口にも入る。

「……っ」

 苦しそうにアイギスはむせた。

「やめなさい」ユーコの表情に険しさが宿る。「……何が望みなの?」

「わかるだろ? 死んでくれよ」

 男はきっぱりと告げた。

「どうしてだ?」

 思わずセイルが割り込んだ。

「どうして?」よくぞ聞いてくれたと言わんばかりに男は声を荒げる。「俺たちはウォーカーを皆殺しにしてサンタクロースを呼び寄せるんだ。そしてサンタクロースを殺し、この薄気味悪い世界を本来あるべき姿に戻してやるんだよ」

「世界のことは知らないけど、俺にはあんたのほうがよっぽど気味が悪く見えるぞ」

 不快な感情に押され、セイルは啖呵(たんか)を切った。

「はあ? ていうか誰なんだよお前は。まあいい、おい女、お前は(ひざまず)け」

「……なぜ?」

「お前はすばしっこいからな。ちょっとでも隙を見せたらさっきみたいなことになっちまう。だから早く跪けよ!」

 男は急かすように、アイギスの足を強く踏みつけた。

「──っ!」

 悲鳴を上げたいほどの激痛だったが、アイギスはそれを噛み殺した。

「……わかったわ」ユーコは両膝を地面に着ける。「これでいい?」

「まだだ。両手も地面に着けろ」

 用心に用心を重ねるガチラたち。人質を盾に凶暴を装ってはいるが、ユーコのことをかなり警戒している。

「……了解」

 ユーコは言われるままに砂の地面に手をついた。

 跪くというより、四つんばいに近い姿勢になる。

「おい、いい加減にしろよ」

 セイルは叫んだ。

「お前は黙ってろ」

「黙ってて、セイル」

 男たちの意見には賛同できなかったが、ユーコにまで言われ、しかたなく身を引いた。

「さて、どうしてやろうかな」

 ニヤニヤと笑みを浮かべながら、一人の男が近づいてくる。

「……やめて、ユーコに酷いことしないで」

 アイギスは目に涙を浮かべ、哀願した。

 自分には何もすることができないのだろうか。ふがいなさに自分自身を殴り飛ばしたくなったセイルは、あることに気づいた。

 ユーコの口が小さく動いている。

「……九、八、七、六、五……」

 だが、その声は小さすぎて誰の耳にも届いてはいなかった。

 男は既にあと一歩の距離までユーコに迫っていた。

「……四、三、二、一……交渉成立」

 地面についていた少女の両手が光り輝く。

 刹那、地面から飛び出す一つ人影。

「な、何だ!」

 突如、地面から現れた『何か』に男たちは驚愕した。

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