03
はるか昔に『三度目の戦い』と呼ばれた大きな争いがあったの。
その争いでは、あらゆるものが破壊され、たくさんの動物や大勢の人たちが命を落としたの。
争いが永遠につづくかのように思われていたある日、地上に神様が降臨されたの。
神様の名前はサンタクロース。
サンタクロースは世界中の子供たちにこう告げたの。
『きみたちの願いを一つだけ、どんなことでも叶えてあげよう』
その言葉を聞いた子供たちは一斉に願いを叫んだの。
驚いたことに、世界中の子供たちの願いは全て同じものだった。
そして戦争は終り、世界はありとあらゆるものを失ったの。
「ちょっと待ってくれ」
堪らず、セイルは割り込んだ。
「どうしたの? 最後まで質問は禁止って言ったでしょ」
「頼むから待ってくれ。どういうことだ?」
「何がよ?」
「サンタクロースっていう神様が子供たちに願いを聞いて、子供たちが願いを告げた。ここまではあってるよな?」
セイルの問いにノエルはうなずいて肯定した。
「サンタクロースは願いを聞いた。そして世界がありとあらゆるものを失った? 失うっていうのは要するに、なくなるってことだよな?」
「そうよ」
「一体どうして? 子供たちはどんな願いを言ったんだ?」
「わからない」
「はあ?」とセイルは間の抜けた声を漏らす。
「大昔の子供たちがサンタクロースにどんな願いを伝えたのかは歴史上、最大の謎なのよ」
「子供たちの願いを叶えた結果、世界は色んなものを失った……」
「子供たちの願いについては、色んな説があるのよ。強力な破壊兵器を願ったとか、争いをやめようとしない大人たちの消滅を願ったとか、それこそ世界そのものの破滅を願ったとか。まあ何にせよ、純粋に平和を願わなかったことは確かよね。そのせいで、このロストプレートがあるわけだし」
「ロストプレート?」相変わらずの疑問符。
「この世界の名前よ。昔はもっと素敵な名前があったのにね」
悲しげに目を細め、ノエルはため息をついた。
「どうしてそう呼ばれるようになったんだ?」
「三度目の戦いはサンタクロースの出現とともに終りを迎えて、それから世界は少しずつ復興していったんだけど、同時にあちこちで奇妙な現象が発生しはじめたの」
「どんな現象だ?」
「大地が『何か』を忘れてしまったの」
「……ん?」
言葉の意味が理解できず、セイルは小さく唸った。
「説明が難しいんだけど、要するに今まで当然のようにできていたことが、地帯によってはできなくなってしまったの。例えばロストフレイムというエリアではどうやっても火を熾すことができないの。他所から火を持ってきても、エリアに入った途端、消えてしまうのよ」
「どうして?」
「私にわかるわけないでしょ」と口を尖らせる。「とにかく、エリアごとに喪失しているものが違っていて、このロストフルールは、名前のとおり『花』が咲かないエリアなのよ」
「花って?」
「植物の一種よ。飾りがついた草みたいなもの……かなあ」
例えに自信が持てなかったのか、ノエルは語尾を濁した。
「花がないと困ったことってあるのか?」
「そりゃ大変よ、花は薬の元だからね。花がないってことは薬がないってことだから、小さな怪我や病気で命を落とす危険もあるのよ。ロストフルールは色々と恵まれたエリアだけど、町が一つしかなくて、人がそんなによりつかないのはそういう理由からなの」
「ふーん」
宿屋の外からは人々の賑わいがここまで届いてくる。ノエルが言うほど、ここが危険な場所には感じられなかった。
「だったら、俺やお前が怪我や病気になったらどうするんだ?」
「私たちはそういう心配をしなくていいわ。ウォーカーだから」
ずっと頭の隅にしがみついていた疑問の答えをついに聞けるときがきたかと、セイルは気持ちを昂ぶらせた。
「それだよ、俺が聞きたかったのは。何なんだよウォーカーって」
ノエルは短く「神様に選ばれた子供のことよ」と言った。
「なぜ選ばれたんだ? 何をするために?」
「三度目の戦いで子供たちがサンタクロースに伝えた『願い事』を見つけ出して、それをもう一度サンタクロースに伝えるために」
「どうやって?」
「さあ?」
セイルの疑問をノエルは疑問で跳ね返した。
「……でもおかしくないか? だって三度目の戦いでサンタクロースは子供たちの願いを聞いて叶えたんだろ? それをどうしてまた伝える必要があるんだ?」
「知らないわよ。それこそまさに、神のみぞ知るってやつじゃないの?」
ノエルは布団を抱いてぽふぽふと叩いた。
「で、もしその『願い事』を見つけることができたらどうなるんだ?」
「サンタクロースからプレゼントがもらえるの」
「どんな?」
セイルは椅子に腰かけた状態で身を乗り出してきた。
「どんなものでも貰えるし、どんなことでも叶えてくれる」
「おお!」少年の瞳が輝く。「よし、それじゃあ今すぐ探しにいこうぜ」
「バカなこと言わないの」勘弁してといった様子でノエルはセイルを諭した。「そんなに簡単な問題じゃないのよ」
「そうなのか?」
「そう」キッパリと言いきる。
「……ふーん。それならまあ、ゆっくりと探していこうぜ」
気楽に構えるセイルに対して、ノエルはやや深刻な表情をのぞかせた。
「そういうわけにもいかないのよねえ。私たちにも時間があるようでないから」
「なんだそれ?」
「私たちウォーカーは十八歳まで『願い事』を見つけ出すことができなければ死んじゃうのよ」
「…………はい?」
聞き間違いかと思ったセイルは、耳に手をあててノエルのほうに向けた。
「願い事を、見つけられないと、私たちは、十八歳になると、死ぬの」
ノエルは一語一語を丁寧に強調して告げた。
「なんで?」
眼を丸くしてセイルは問いただす。
「さあね。私たちって名前の通り、選ばれた『子供』だから、十八歳を過ぎると子供とみなされなくなるんじゃない?」
「誰が決めたんだそんなこと」
「サンタクロース」
「お、俺は今、何歳なんだ?」
赤い鼻の少年の表情が徐々に青ざめていく。
「知らないわよ」
「仮に俺が明日、十八歳になったとしたら?」
「死ぬわね」
十六歳の少女はあっさりと答えた。
「おい、やっぱり今すぐ願い事を探しにいこうぜ。俺まだ死にたくないぞ」
あれだけ豪快に言葉を忘れていたくせに、死という概念だけはちゃんと覚えていたことにノエルは少し驚いた。
「大丈夫よ。前にも言ったと思うけど、私とあんたってそんなに歳が離れてるように見えないから、あんたもあと二年くらいは大丈夫なんじゃないの? たぶん」
「本当……か?」
すがるような眼差しでセイルは訊ねてくる。
「断言はできないけど、心配のしすぎはよくないわ」
ノエルは指でネクタイを撫でながら気休めを口にした。
「そうか……」年齢不詳の少年は不安を漏らすように嘆息する。「でもなんか嫌だなウォーカーって。妙なこと押し付けられるし、死ぬときは決まってるし」
「でも少しくらいなら、いいことだってあるのよ」
「例えば?」
「例えば、普通の人間より治癒能力が高いから、かすり傷程度ならすぐに治るし、長期の治療が必要ような重傷だって一晩も寝たら回復するし、そもそも病気にならない」
「そいつは便利だな」あれほどもがいていた頬の痛みが既に消えていることにセイルは気づいた。「それじゃあ、殺されたりしても蘇ったりは?」
ノエルは首を横にふる。「さすがにそれは無理ね」
あ、そうそう。とノエルは思い出したように話をつづけた。
「ウォーカーの特徴といえば、あとは『プレゼント』ね」
「願い事を見つけたらサンタクロースにプレゼントを貰えることか?」
「違う違う。ここでいうプレゼントは贈り物のことじゃなくて、能力のことよ」
「のうりょく?」
やる気のないオウムみたいにセイルはゆっくり反復した。
「ウォーカーの証みたいなものよ。サンタクロースに選ばれると、それぞれ個別の力が授けられるの。それが『プレゼント』よ」
「プレゼントかあ……だったら俺のプレゼントはこれか?」
セイルの右手を開くと、そこに光の粒子が集まりはじめる。
ノエルは床に転がっていた自分の靴を拾うと、セイルの顔面めがけて投げつた。
「がはあ!」
額に靴を食らったセイルは、大きく後ろに仰け反ったが、そのまま転倒するのは何とか堪えた。そして手からは光の粒子が散って溶けていった。
「だから、それを簡単に使うなって言ってるでしょ!」
獣の咆哮にも似たノエルの怒り。
「どうしてそんなに怒るんだよ」
至極まっとうなセイルの主張にノエルは一瞬怯んだが、「どうしてもよ!」と力で道理をねじ伏せた。
「……だったら、お前のプレゼントを見せてくれよ」
額を撫でながら、セイルは訴えた。
「え?」
「俺が自分で自分のプレゼントを使うのがダメなら、お前のを見せてくれよ」
「無理よ」
「どうして?」
「私のプレゼントはあんたみたいに、出したいときに出せるような代物じゃないのよ」
「ストーラとケンカしそうになったとき、空から氷の破片が降ってきたけど、たぶんあれがお前のプレゼントなんだろ?」
「ええ、そうよ。氷の破片じゃなくて氷柱だけど」
「なるほど」セイルはうなずく。「他に俺が知っておくべきことはあるか? その、何て言うか、ウォーカーとして──あ、そうだ」ポンと手を叩く。「ガチラって何だ?」
「ある意味、この世で一番迷惑な存在ね」うんざりした口調で天を仰いだ。「ほら、私たちって神様に選ばれた人間でしょ? そのせいで迷惑な噂が広まって、迷惑な連中が出てきたのよ」
セイルは首を左右に傾げる。「……いまいちよくわからないんだが」
「ウォーカーを殺せば自分がウォーカーになれるからっていう理由で私たちを狙う連中や、ウォーカーを全員この世から抹殺すればサンタクロースが現れるに違いないって何の根拠もない理屈で私たちを襲ってくる連中。そういうのをまとめて『ガチラ』って言うのよ」
「そいつらの言ってることは本当なのか?」
「全部デタラメよ。だけど信じてる人はいる。昔の言葉でいうところのカルトってやつね」
「カルトって何だ?」
「ガチラみたいなやつらのことよ」
「思ったんだけど、ウォーカーってどうやってなるものなんだ?」
「色々よ。生まれつきの人もいれば、ある日突然って人もいるわ」
「お前は?」
「私は生まれつきだった」
「俺は?」
「知らないわよ」
「……お前は俺のことを何にも知らないんだな」
セイルは寂しそうに肩を落とした。
「悪かったわね」と言ってノエルは大きなあくびをした。「……そろそろ眠くなってきたから出ていってくれる?」
まぶたを半開きにした状態で、辛うじて意識を維持しているノエルの姿を見て、さすがに申し訳なく思ったセイルは素直に「わかった」と言って部屋を出た。
廊下に出て扉を閉めると、「勝手に外を出歩いたりしたらダメだからね」とノエルの声が聞こた。
「わかった」とセイルは扉に向かってうなずいた。
そのまま隣の部屋で休もうかと思ったものの、なんとなくピンとこなくて、ノエルの部屋から一番離れた『樹の五号』とプレートのついた部屋を選んだ。
靴も脱がずにベッドの上に仰向けになる。
天井の木目を見ながらこれまでのことを思い出していた。
朝、目を覚ますと、ノエルがいた。
「…………」
それ以前のことを思い出そうとしても、何も浮かんでこない。
考えても考えても出てこない。
見えない壁に阻まれて思考が中断された。
それでも諦めずに記憶を遡ろうとするが、やはり何も見えてこない。
徐々に苛立ちが募り、低く呻き、やがて、考えることをやめた。
気分を和らげようと大きく深呼吸をした。それは正解だった。
樹の香りが少年の不安をさらっていってくれた。
思い出すのはやめて、これまでのことを思い返していた。
ノエルという名の少女。自分はあの子のことを何も知らない。
ウォーカー、ガチラ、ロストプレート、サンタクロース。
全てはじめて聞く言葉ばかりだ。
そして「……プレゼント」とセイルは小さくつぶやく。
仰向けの状態で右手を掲げた。
何もかもはじめて聞く言葉ばかりだったのに、一つだけ延々と少年の頭の中で鳴り響く名前があった。少年はそれを口にする。
「──ブレイド」
すると光が。
光がセイルの右手に集結する。
それが徐々に何らかの形を成していく。
棒状に伸びていき、木の枝のようになったかと思えば、さらに光が集まり、光の枝は太く長く成長していき、そして
『やめなさい!』
突如、脳裏で蘇ったノエルの声で我に返ったセイル。
右手に目をやると、光の枝は消えていた。
「……まったく、何なんだよあいつは」
掲げていた右手で顔を覆って、ため息を一つ。
このまま眠ってしまえば少しは楽になれるのかもしれない。しかし、歯痒いほど眠気はない。
耳をすましていると、聞こえてくるのは町の賑わい。
それは少年の心を強く揺さぶった。
「……別に、外に出るなとは言われてないよな」
自己弁護を済ませると、セイルは起き上がり、そっと部屋を出た。
階段を下りたところで、野菜が一杯詰まったカゴを抱えているアブリルと鉢合わせた。
「どうした、出かけるのか?」
「……え、あ、ま」
適当な言葉が浮かばず、言い澱む。
「夕食は俺様特製のプルーニを作ろうかと思うんだけど、この中で苦手なやつはあるか?」
そう言ってアブリルはカゴの中の野菜をセイルに見せた。
それらが食べ物であることは辛うじて理解できたが、それぞれの名前がわからなかった。
白く尖ったもの、赤くて丸いもの、深い紫のもの、緑で歪な形のもの。
本当にこんなものを口に入れても問題ないのだろうかと、不安がよぎる。
「……よくわからないけど……これ、食えるのか?」
セイルは思いをそのまま言葉にした。
「お前、やっぱり変わってるな」
たかが野菜選びでここまで困惑する少年に対して、アブリルも思いを率直に伝えた。
町の賑わいを背中で感じながら、悪い冗談のように鍛え上げられた肉体を持つ宿屋の主人にセイルは一つ訊ねてみた。
「どうしてこの町のみんなは、この町で暮らしているんだ?」
「はあ?」
口角下制筋を収縮させ、訝しげな表情を作るアブリル。
「だからほら、ここは花ができないんだろ? それで、花ができないから薬もできなくて、それで──」
想いをうまく表現できない子供みたいに、身振り手振りで一生懸命何かを伝えようとしてくる少年の意思をアブリルは汲んだ。
「ちょっとした病気や怪我で死ぬ恐れがあるのに、何でこんなところで生活してるのかって言いたいのか?」
セイルはうなずいた。「ああ、そんな感じだ」
「その答えなら簡単だ。みんな『好き』なんだよ、この町が」
「──好き? 何だよ好きって」
一瞬、からかわれているのかと思ったが、やけに真剣な少年の眼差しに気づいて、アブリルは素直に答えることにした。
「好きは好きさ。それ以上でもそれ以下でもない。この『好き』ってやつは厄介でな。こいつにつかまっちまうと、下手な正しさや理屈なんかどっかにいっちまって、『好きだから』って理由だけでどんなことでも許せちまうのさ」
「ふーん」言葉の意味はよくわからないが、好きという感覚はなんとなく理解できた気がした。「だったら、好きの反対は?」
「好きの反対の言葉か? そりゃお前、『嫌い』だろ」
恐らくこのセイルという少年は言葉をあまり学ばずに生きてきたのだろうなとアブリルは感じていた。この町の子供たちはセイルくらいの年齢までには最低限の読み書きと言葉を覚えさせられる。しかし、世界は広い。いつだったか、まともに喋ることができず、単語の書いた数枚の紙切れを駆使して会話をする旅人がこの宿にきたことを思い出していた。
「好き……好き。好きじゃないときは、嫌い」
少年は覚えたての言葉を呪文のようにぶつぶつとつぶやいていた。
「まあ、あんまり深く考えるな。この町の人間がこの町で暮らしてる理由なんて色々だ。好きで暮らしてるやつもいれば、なんとなくってやつもいる。それに薬が作れなくても大抵の病気は飯食って寝れば治るし、いざというときは馬車で隣のエリアまでいけば薬も医者もいる」
「ばしゃ?」その響きはセイルにとって愉快なものに感じられた。「なんだよ、ばしゃって」
本当に何も知らないんだなとアブリルはため息をつきたい気分になった。
「馬車っていうのはだなあ……」馬に荷車をつけて人やものを運ぶ乗り物だと説明しようとしたが、『好き』という言葉すら知らなかった少年が馬や他の言葉を知っているとはとても思えなかったので「……まあ、それがあると早く移動できるんだ」と、大ざっぱに答えた。
「へえ」セイルもそれ以上、追求する気はなかった。「それは便利だな」
「まったくだ。俺がまだガキのころは馬車なんてなくてな」
「ばしゃがないなら、どうやって隣のエリアまで移動してたんだ?」
アブリルは小さく笑った。「今思えばバカみたいに原始的な方法さ。若い連中が具合の悪くなったやつを担いで運んでたんだよ」
「ふうん」
アブリルはもの思いに耽るように話しはじめる。「だから脚の速いやつは英雄だったよ。あのころはまだここ以外にも小さな町がいくつかあってな。でも、ちょっとした事件があって、みんなで一つの場所で暮らそうって話になったんだよ」
「ちょっとしたことって?」
「それは──」そこでアブリルはハッと我に返った。思わず喋りすぎていた。
「どうした? それに英雄って何だ?」
アブリルはセイルと視線をあわせ、大頬骨筋をつり上げニヤリと笑う。
「気にするな。そういやお前、どこかへ出かける予定だったんだろ? 引き留めて悪かったな、早くいけ」と言ってセイルの背中に景気よく平手を食らわせた。
「──ッ!」
明らかに話しをはぐらかされたのはわかった。しかし背中をぶたれた理由はわからない。
焼けるような痛みを覚えながら、セイルは追い出されるように宿を出た。