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ロストスイッチ  作者: インク


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14/17

13

 これは何だ?

 これはクロスだよ。災いから大切な人を守護してくれるお守り。本当は木で作った本物があればいいんだけど、こうやって紙に描いた絵でも効果はあるんだよ。

 ふーん。で、誰を守って欲しいんだ?

 え?

 大切な人を守ってくれるお守りなんだろ、これ。誰を守って欲しいんだ?


 いつか誰かと交わした言葉が頭に蘇った。

「……なんで、だ?」

 理解を超えた現実が目の前に訪れていた。

 クロスのように両手を広げ、淡い光に包まれたアイギスがそこにいた。

 少女の胸にはセイルのブレイドが深く突き刺さっていた。

 いまだに何も起こらないことに痺れを切らせたユーコもそっと目を開く。そして目の前の光景を見て悲鳴を上げた。

 セイルを拘束していた土人形と、セイルのブレイドが同時に消滅した。

 するとアイギスは役目を終えたように、その場に倒れ、彼女を包み込んでいた淡い光も風にとけていった。

「アイギス! アイギス! アイギス!」

 倒れた少女を抱きかかえ、ボロボロと涙をこぼしながらユーコ悲しみを響かせた。

「ユーコ……」アイギスは無理に笑顔を作ってみせた。「だいじょうぶ?」

 少女の身に着けていた白いワンピースはセイルに貫かれた場所から花が咲くように血が広がってく。

「どうしてこんなことに……だって、あんたの能力は発動しないように……」

「え?」ユーコの言葉にセイルは目を丸くした。「アイギスもウォーカーだったのか?」

「え? 知らなかったの?」

 呆れた声が背後からやってきた。

 ストーラがそこにいた。

 はじめて出会ったときと同じ、太陽を焦がしたように深い赤色のショートパンツとノースリーブシャツの姿は、小麦色に焼けた彼女の肌にやはりよく映えていた。

「その子もウォーカーよ。条件発動型(スイッチタイプ)能力(プレゼント)。能力名は確か『(シールド)』だったかな。自分の大切な人の命に危険が迫ると、どこにいようと飛んで相手の盾になる。けなげな力よね」

 そう言って、ストーラは愉快そうに笑った。

「どうしてお前がここにいるんだ?」

「そろそろいいかなあ、と思ってね」

「──?」

 言葉の意味がわからず首をかしげたセイルに「これ何だかわかる?」と言って、手のひらを見せてきた。そこには握りこぶしほどの大きさをした小石がのっていた。

「石、だよな?」

「そう石よ。そこで拾ったの」ニッコリとストーラは笑った。「そしてこうするの」

 ほほ笑みを絶やさぬまま、握った石でセイルのこめかみを殴りつけた。

 あまりに突然のできごとに反応が遅れ、セイルは石の直撃を受けてうつぶせに倒れた。すぐに立ち上がろうとしたが、なぜか体が痺れていうことをきかない。

「おもしろいでしょ? これけっこうコツがいるのよ。力が強すぎると気絶させちゃうし、弱すぎると痛いだけ。絶妙な力加減で、やっと相手の体を麻痺させることができるの」

 ストーラは持っていた石を適当に投げ捨てて、ユーコのそばまで行くと、放心状態でアイギスを抱きしめている彼女の顔を踏みつけた。

「まったく、あんたにはガッカリだわ。便利な能力持ってるんだから、私と組んでとっととブレイドを殺してれば今ごろは──」

「おい、やめろ!」セイルは声を上げた。体は動かせないが、見ることと喋ることはできた。

「やめないわよ」

 ストーラはユーコの顔に唾を吐いた。そしてその上を踏みつけ、えぐるように足を動かす。

 ストーラは憎しみに顔を歪めていた。ユーコは痛みに顔を歪めていた。

「ほんと、世の中ムカつくやつばっかりよね。とりあえず、あんたはもう死になさい」

 しなやかな脚を大きく後ろに振って、それを一気に振り落とし、ユーコの顔面を撃つ。

 ところが直撃の瞬間、ユーコが抱きしめていたアイギスの体がふわりと浮かび、守るようにユーコの前に現れ、ユーコの代わりに蹴り飛ばされた。アイギスの体は放物線を描きながら飛んで、地面に叩きつけられた。

「……あれ?」ストーラは小首を傾げる。

 もう一度、脚を振り上げユーコを蹴り上げようとするが、数メートル飛ばされたはずのアイギスの体は瞬時にユーコの前に盾として現れ、代わりに飛ばされた。

 どれだけ遠くに飛ばされても、どれだけ痛みを受けても、アイギスはストーラからユーコを守りつづけた。

 ストーラも攻撃をやめようとしなかった。ありとあらゆる手段でユーコを傷つけようとするも、彼女に指一本触れさはしないとアイギスが盾になった。

 暴力と呼ぶにふさわしい、一方的な痛めつけが延々とつづいた。

「なにこれおもしろい」

 ストーラは笑いながら脚を高く掲げると、薪を割るようにそれを叩き落とす。その先にユーコの顔があったが、衝突の瞬間にセイルの後ろまで飛ばされていたはずのアイギスが飛んできて、ユーコを守った。

「すごいすごい」ストーラはペチペチと手を叩いて喜んでいる。「おもちゃみたい」

 ふと、ユーコに目を向けると、その口が微かに動いていることに気づいた。

「三、二、一──交渉──」

「させないわよ!」寸前のところで、ストーラはユーコの顔を踏みつけた。「まったく、油断も隙もあったもんじゃない」

「もうやめろ、ストーラ!」セイルは渾身の力をふりしぼって叫んだ。何もできない自分が惨めでしかたなかった。

 セイルの哀願を聞いて、つまらなそうにため息を吐くと、「わかった、やめるわ」とつぶやいた。「面倒だから、これを使うわ」

 ストーラは背中に隠していたものを取り出して、それをユーコに向けた。

「……なんで、お前がそれを持ってるんだ?」

 ありえないものを見て、セイルは唖然と口を開いた。

「昨日の晩、きみのパートナーの部屋からこっそりもらってきたの。お土産としてね」取り出した拳銃をストーラはペロリと舐めた。「とりあえず、あんたからあの世に送ってあげる」

「……いや……やめて」

 銃口を向けられたユーコは小さく首をふった。死にたくないからではない。撃たれる瞬間、間違いなくアイギスの能力が発動して自分の身代わりとなってしまうのはわかっている。それだけはどうしても避けたかった。

 これ以上はもう、耐えられない。

「バイバイ」

 無常にも引き金はあっさりと引かれた。

 乾いた音が響く。次の瞬間、胸を撃たれたユーコはあっけなく倒れた。

「……あれ?」とストーラは間の抜けた声を漏らす。「普通に撃たれちゃったよ」

 彼女もユーコを撃てばアイギスが身代わりに飛んでくると予測していた。そして自分の盾となり撃たれた少女の姿を見て絶望するユーコの顔が見たかったのだ。

 しかし、アイギスはユーコを守らなかった。なぜだろうと足元に転がっていたアイギスを見て、ストーラは納得した。

「なあんだ、もう死んでるじゃん」

 そこにあったのは、最期まで大切な人を守りつづけた、幼い少女の亡骸(なきがら)

 刹那、セイルの中で何かが弾けた。

「ストーラー!」

 敵の名を叫び、体を軋ませながら、無理やり立ち上がった。

 少年の右手には『何か』が握られていた。それは身の丈ほどの長さがあり、少年はそれの中心を握りしめている。蒼白く輝くそれの周りには同じく蒼白い光をまとった龍のような光がいくつもうごめいていた。

 長く、鋭く、輝く、(いかずち)に似た何か。

「やっと本性を現したわね、ブレイド君」

 ストーラは笑った。出会ったときからストーラはよく笑っていた。しかし、彼女が本当に笑った顔をセイルはまだ一度も見たことがなかった。

「せっかく最強のプレゼントに出会えて光栄だけど、さすがにそんなの相手にできるほど私も頑丈じゃないから、とりあえずサクっと死んじゃって」

 迷いなくセイルに銃口を向け引き金を引く。ところが、引き金を引く音だけがむなしく響くだけで、弾が出てこない。

「……なんだ、弾切れか」つまらなそうに口を尖らせて、拳銃を捨てた。「ま、別にいいんだけどね。どのみち私が勝つし」

 ストーラは余裕の表情を浮かべた。

「どうしてだ?」とセイルは訊いた。

「なにが?」

「どうして俺のことを狙うんだ」

 ストーラが自分の命を狙っていることは十分わかった。しかし、狙われる理由がセイルにはどうしてもわからなかった。

「これはきみのためを思って言ってあげることだけど」ストーラは咳払いをした。「世の中には知らないほうが幸せってことのほうが多いのよ」

 不適にほほ笑むとストーラはセイルとの距離を一瞬で詰めてきた。

 それはあまりに人間離れした速さだった。気づいたとき、セイルの鳩尾(みぞおち)にストーラの脚が食い込んでいた。(つち)で打たれたような衝撃がセイルを襲う。痛みで呼吸がとまった。つづいて鋭い拳が頬を打ち、あっけなくセイルは倒された。彼が倒れると同時に、右手のブレイドも消滅した。

「ちょっとこれ、どういうことよ」

 目の前に広がる惨劇にノエルは言葉を失った。

 宿屋から突然姿を消したアイギスを探していると、温泉から銃声が響いてきたのでまさかと思いきてみると、探していた全員がそこにいた。しかも、全員が傷だらけで倒れていた。

「あらあら、やっとご到着」

「まさか、みんなあんたにやられたの?」

「ええ、そうよ」

「何であんたみたいなやつに」

 ノエルは昨晩、宿屋でのことを思い出していた。あまり戦いになれていない自分でも容易く勝てた相手に、なぜセイルやユーコが倒されたのか。そこでノエルはあることに気づいて息をのんだ。そういえば、彼女もウォーカーだった。そしてその能力の正体はわからない。

「せっかくだから教えてあげるわ」ノエルの疑問に答えるようにストーラはつづけた。「私の名前はストーラ。条件発動型(スイッチタイプ)能力(プレゼント)を与えられたウォーカーよ。能力名は『吸収(ドレイン)』」

「ドレイン?」

「誰かが私に対して怒りや憎しみといった『負の感情』を向けてくるたびに、私はそれを吸収して自分の糧とすることができるの。相手からの負の感情が強ければ強いほど、そして相手の潜在能力が高ければ高いほど、私は強くなれる」ストーラは不敵に笑う。「さっきブレイド君の前で散々彼を怒らせるようなことをしたからね。最強のウォーカーの怒りを私は浴びているのよ。つまり、今の私はこの世界の誰よりも強い」

 ストーラは一瞬でノエルに詰め寄った。そして耳元でささやく。「昨日のおかえしよ」

 ストーラから繰り出された蹴りをもろに食らって、ノエルはその場に倒れた。

「さあて、これで邪魔者は全員片づけた、と」

 ストーラはゆっくりとセイルのもとへ歩み寄り仰向けに倒れている彼を見下ろした。

 セイルは傷だらけの顔で、精一杯、敵を睨みつける。

「ふふ、心地よい憎しみね」とストーラはほほ笑み、セイルの胸を踏みつけた。

「──!」

 痛みに耐えようと、少年は歯を食いしばる。

「痛い?」ストーラは踏みつける力を強める。「でもね、今きみが感じてる痛みなんて、本当の痛みじゃないのよ」

「……どういうことだ?」かすれた声で訊く。

「なぜなら人は──記憶によってのみ、傷つき苦しむ生き物だからよ」

「…………」ストーラの言葉の意味が、セイルにはよくわからなかった。

「例えばそう──願いが叶わなかったから苦しいんじゃない。願いを叶えられなかったという記憶が心に焼きついて離れない。それは不安と呼ばれ、不安はやがて恐怖となる。恐怖は心を蝕み決して癒えることはない。記憶だけが人を傷つける。つまり生きているかぎり、人は記憶(おもいで)の奴隷」

 ふうっと小さく息を吐いた。

「ブレイド君、きみがうらやましいよ。どんなに辛いことがあっても、どんなに悲しいことにまきこまれても、きみはすぐに忘れられる。やり方は簡単、ただ剣を振ればいい。最高じゃない。それこそまさに贈り(プレゼント)だよ」

 ストーラは小さく笑った。その笑顔の奥にある別の表情をセイルは見逃さなかった。

「ごめん、少し喋りすぎたみたい。すぐに楽にしてあげるから、抵抗しないでね」

 セイルの胸の上に置いた足にギシギシと力を込めた。心臓に釘を打ちつけられるような痛みにセイルは絶叫した。ストーラのつま先がセイルを貫こうとしていた。

「三、二、一──交渉成立」

 ストーラの背後から出現した土人形が、全力で突進してセイルから引き離した。役目を終えた人形はその場で崩れて地面に返った。

「なんだ、まだ生きてたの」つまらなそうにつぶいやいて、体についた土を払いながらストーラは立ち上がった。

「黙って聞いてりゃ、ずいぶんと笑わせてくれるじゃない」撃たれた傷を手で覆って、上半身だけ起こした状態でユーコは言った。「記憶で傷つく? 人は記憶の奴隷? ふん、甘えね」と鼻で笑った。

「なんですって」

「人は──記憶があるから、思い出があるから前に進める」満身創痍の体でも、その声は強く響いた。「例えそれがどんなに辛いものであっても、それを希望へと変えることができる。私はそう信じてる。だから、絶対に、あきらめない──」

 言い終わると、糸が切れたようにユーコは意識を失って倒れた。

「くだらない」ストーラは不快感をあらわにしていた。「死にぞこないが希望だなんて、最高のジョークよね。笑えるわ。ねえブレイド君、きみもそう思わない?」

 かすかな沈黙の後、セイルの口がゆっくりと開かれた。

「……わからない」とつぶやく。「俺には記憶がないから、どっちが正しいことを言ってるのかのかわからない。でも、よくわからないけど、だから……俺はユーコを信じたいと思った」

 少年はゆっくりと、確かに、立ち上がった。

「正直、あんたの言ってることを聞いて、ちょっと共感したわ」とノエルは言った。「辛いことをや悲しいことを経験するたびに、また同じようなことが起こるんじゃないかって、いつも不安になるわ。だからこそ、そんな自分に負けたくないから、私もユーコの言葉を信じる」

 よろめきながら、ノエルは立ち上がった。

「くだらない」ストーラは吐き捨てた。「くだらない、くだらない」目の前にいる二人を哀れむように見つめた。「あんたたちって簡単に詐欺に引っかかりそうなタイプよね」そしてセイルと視線を合わせた。「ブレイド君、きみは記憶を保てないことで、どれだけ自分が救われているか、想像もつかないでしょうね」

「どういうことだ?」

「例えばそう」何かを思い出すように、ストーラは唇を指で撫でた。「シークラスという男の名前に聞き覚えは?」

「ない」はっきりと答えた。今はじめて聞く名前だった。「誰だ?」

 ストーラは思わず噴き出した。「ほらね、きみってやっぱりすごく残酷だよ。昨日戦った相手のことをもう忘れられてるんだもの」

「──昨日?」

 それはセイルの失った過去。

「シークラスはこのロストフルールの人里離れた場所で、数人の子供たちと静かに暮らしていたの。そこにあなたたちが現れて、何かが起きて戦いがはじまった」

「そうなのか?」

 セイルは隣にいたノエルに訊ねる。彼女は何も答えなかったが、その表情には戦慄が走っている。

「シークラスは喪失型(ロストタイプ)能力(プレゼント)を与えられていた。名前は確か『(ジングル)』だったかな。その名のとおり、音を操って攻撃してくる彼にあなたたちは苦戦していたわ。でもね、きみのとてつもなく斬新な手段で彼はあっさりと倒されたのよ」

「ざんしんな、しゅだん?」

「シークラスにとって、共に生活をしている子供たちは宝だった。彼は子供たちのために生きていた。その子供たちを、きみは彼の目の前で八つ裂きにしたの」

「へ?」思考が、とまる。

「それは違うわ!」ずっと沈黙していたノエルが声を上げた。「セイル、信じちゃダメよ。あんたはそんなことしてなんかない!」

 刹那、上空からノエルを目掛けて数本の氷柱が降ってきた。きゃっ、と悲鳴をあげて、ノエルはそれをかわした。

 それはつまり、ストーラの言葉が真実であるという、何よりの証明。

「ノエル……どうして嘘を」

 ストーラは実に愉快そうに笑う。「さすが条件発動型。本人にも容赦ないのね」

 セイルの脳裏に昨朝の光景が蘇った。目覚めたときそこにいたノエル、眩しい太陽、そして、転がっていたいくつかの手足。

「……あれは俺がやったのか……あんな酷いことを」

 言葉にできない感覚が少年を支配した。それは絶望と虚無にほど近く、心を蝕むものだった。

「私も今まで色んな戦いを眺めてきたけど、見ていて思わず引いたのは、あれがはじめてね」

 セイルの心にストーラは追い討ちをかける。

「あんたねえ、適当なことばかり言わないでよ。あそこにいたならわかるでしょ、あの子たちはもう──」

「へえ?」ノエルの声を強引に遮った。「何が言いたいの? 無抵抗な子供たちを切り刻んでも許される理由があるっていいたいの?」さらに言葉をつづける。「そうだブレイド君、もっとおもしろい話をきかせてあげるわ」

「……なんだ?」

 これ以上、何も聞きたくはなかったが、無意識に口が動いた。

「私たち『ウォーカー』は十八歳になるまでに、かつて子供たちがサンタクロースに伝えた『願い事』を探さなければならない。そうしなければ死んでしまうから。そして見事その『願い事』を見つけることができれば、私たちはこの呪縛から開放され、サンタクロースから願い事を叶えてもらえる。──きみの隣で恋人きどりで立ってる女から聞かされたのはこれくらいでしょ?」

「……ああ」恋人の意味がわからなかったが、訊くのは我慢した。

「でもね、もう一つあるのよ。願いを叶えてもらえるもっと簡単な方法が──」

「ちょっと!」ノエルが声を張り上げた。「どうして今、そんな話をする必要があるのよ?」

「だって教えてあげるべきでしょ? 当事者ですもの」

「とうじしゃ?」

「サンタクロースに願いを叶えてもらう、もう一つの方法、それは──」

「セイル、聞いちゃダメ!」

 聞くなと言われたせいで逆に意識してしまい、次にストーラの口から出た言葉をセイルは、はっきりと聞き取った。


「ブレイドというプレゼントを持つ赤い鼻のウォーカーをこの世から抹殺すること、よ」


「────は?」

 思わずセイルは自分の鼻をさすった。そしてもう一度「──は?」と漏らした。

 抹殺。はじめて聞いたはずのその言葉の意味をなぜか少年は理解できた。

「つまり、俺を殺せばいいのか?」

「ご名答」

 ストーラが拍手で称えた。

「誰がそんなことを決めたんだ?」

「サンタクロースに決まってるでしょ」

「どうして?」

「そんなこと私が知ってるわけないでしょ。むしろこっちが訊きたいくらいよ。きみ、サンタクロースに何かしたの?」

 セイルは両手で頭を覆って、記憶をたぐり寄せた。期待していたわけではないが、何も出てきてはくれなかった。

 自分はサンタクロースから命を狙われている?

「どうして……」セイルは隣にいるノエルに訊いた。「どうして教えてくれなかったんだ?」

 少年の瞳には疑問の色が滲んでいた。

「それは……」ノエルはセイルから目を逸らした。その表情に暗い影が落ちた。

「教えられるはずなんてないでしょ、そのノエルって子にとって、あんたは保険なんだから」

 ストーラは声高らかに笑う。

「保険?」口に出したことをなぜか後悔した。この疑問を解いてはいけない気がした。

「願い事が見つからなかったとき、いつでも殺せるようにそばに置いておく。それがその女の目的よ。利用されてたのね、かわいそうに」ストーラは哀れみの視線をセイルにおくった。

「本当……なのか?」

 セイルはゆっくりと訊ねた。もはや、何を信じていいのかわからない。

「違うわ! 私はあんたを利用するために一緒に旅をしてるわけじゃない!」

 少女は悲鳴のように訴えた。はっきりと確かに。その目に涙を浮かべて。

「…………」少年はすぐに言葉を返さなかった。

「お願いよ、信じて。セイル!」

 少女の声が強く響いたあと、かすかな空白が生まれた。静かだった。少なくとも、どこからともなく氷柱が落ちてくるような気配はなかった。

 沈黙を破ったのはストーラだった。

「驚いたわ。本当にブレイド君を利用してるわけじゃないんだ」言葉以上に意外だといわんばかりの表情を浮かべていた。「わけわかんない。だったらどうして一緒に旅なんかしてるの? もしかして本当にこいつにほれてるの?」

「そ、そういうわけじゃ……」ノエルは気まずそうにネクタイをいじった。

「もういいわ。喋りすぎたわね、終わりにしましょう」ストーラは冷たく微笑み、冷たくつづけた。「さよなら、ブレイド君」

 まばたきも許さない速度で接近し、セイルの顔を目掛けて刺すように拳を繰り出した。

 頬にぶつかる瞬間、ストーラの小さな拳を彼女のそれより少し大きなセイルのてのひらが受けとめた。

「──え?」

 当然、彼の顔を打ち砕くと思っていた拳をいとも容易くとめられて、ストーラは気の抜けた声を漏らした。

 油断があったのかもしれない。今度は本気で打ちつける。が、それも柔らかくとめられた。

 より強く、もっと早く、さらに力強く拳を繰り出すが、その全てをとめられてしまう。まるで戯れているような光景だった。

「もうやめよう」とセイルはつぶやいた。

「──どうして──」そこで気づく。自分の力が通じなくなった理由に。「……憎しみが、消えている?」

「もうやめよう」少年は穏やかな口調で、またつぶやく。

 相手から向けられる負の感情を糧に力を得るストーラにとって、それは敗北を意味した。

「どうしてよ、なんでよ、なんで憎まないのよ!」がむしゃらに拳を振り回して、それをセイルにぶつけた。今度は受けとめられることなく少女の拳は少年の頬を打った。

 バシンと、セイルはストーラの拳をあえて頬で受けとめた。そして言う。

「やめろ、ちっとも痛くない」

少女の拳はあまりに小さく華奢で強く握れば壊れそうなほど儚く見えた。その理由はきっと、少女のそれは誰かを傷つけるためにあるものではないから。

 ストーラは顔を上げて少年と目を合わせた。

 憎しむでもなく、哀れむでもなく、蔑むでもない。全てを許し包み込むような、ただ優しいだけの瞳がユーコをとらえていた。

 そしてその瞳は、どんな刃よりも少女を深く傷つけた。

「私をそんな眼で見るなあああ!」

 せつない暴力が幕を開ける。

「ほんと、きみって意味不明よね。私にどんなことをされたのかもう忘れたの? 私がどんなことをしたのかもう忘れたの? バカじゃないの、バカじゃないの? バカじゃないの!」

 何かを求める駄々っ子のように、ぽかぽかとストーラはセイルの胸を叩きつづけた。しかしそれも長くはつづかず、やがて静かになった。

「……なんでよ、なんで、私を憎まないのよ……」

「自分でもよくわからない」とセイルは言った。「きみのことは嫌いだ。ユーコやアイギスに酷いことをした。でも、きみはいつも辛そうだった。本当は誰も傷つけたくないんだろ?」

 ストーラは小さく笑った。

「確かに嫌われて当然のことばかりしてきたけど、『嫌いだ』ってストレートに言われたのは、はじめかも。けっこう傷つくわね、その言葉」

「……ごめん」

「あやまらないでよ。惨めになるじゃない」

「……ごめん」

 純粋な反応の連続にストーラも苦笑するしかなかった。

「ねえ、ブレイド君、私の秘密を一つ教えてあげるよ」

 急に穏やかな口調で語りだすストーラに、セイルは小さくうなずいた。

「私ね、半年後に十八歳になるの。それってつまり、半年後には死んじゃうの」

 おとぎ話でも聞かせるように、ストーラはつづけた。

「別にね、こんな命なんてどうでもいいって思ってた。でもいざ死期が近づいてくると、急に恐くなってね。恐くて恐くてしかたないの。よくわからないけど、やっぱり死にたくはないみたいなの。そんなとき、きみが現れた。チャンスだと思った。殺そうと思ったし、ちゃんと行動も起こした。でも殺せなかった。ねえブレイド君、私、どうすればいいの?」

 セイルは迷わず答えた。「だったら一緒に探そう。願い事を」

「無理よ」ストーラは鼻で笑った。「今まで大勢のウォーカーが『願い事』を探しつづけたのに、結局誰もみつけることはできなかった。これは私の勝手な推測だけど、たぶんサンタクロースは願い事を見つけさせる気なんてないのよ。サンタクロースの望みはただ一つ、ブレイド君、きみの命だよ。全知全能、全てを創造し、全てを破壊できるサンタクロースがどうしてきみにこだわっているのかはわからないけど、それは間違いないと思う」

 ストーラの言葉には説得力があった。存在すら疑わしいものを見つけ出すより、今ここにいる自分を倒そうとするのは正しい判断だとさえ思えた。

 それでもセイルは首をふった。「あきらめるな。今まで誰にもできなかったからって、自分もそうだと思うのは間違ってる」

「偉そうなこと言わないでよ。自分が殺されたくないだけでしょ?」

 セイルはもう一度首をふった。「違う、きみが誰も傷つけたくなさそうだからだ」

「──!」

 ずっと不思議に思っていた。拳を向けてくるストーラの顔はいつも笑っていて、今にも泣きそうだったことに。セイルにはその理由が今やっとわかった気がした。

「じゃあ、どうするの?」救いを求めるようにストーラは訊いた。「もし半年後に何もみつからなかったら、どうするの?」

 セイルは答えた。「そのときは、俺を殺せばいい」

 息をするようにさらりと告げられたその覚悟に、ストーラは呆気にとられていた。

「……本気で言ってるの?」

「本気じゃないと、言えない」

 疑念と覚悟が衝突した。

「……ふっ」そしてストーラは思わず笑った。それは数年ぶりに見せた純粋な笑顔だった。「氷柱が飛んでこないってことは本気で言ってくれてるみたいだね。ブレイド君、きみって本当におもしろいね。でもね、ブレイド君、私はきみと旅をするつもりもないし、そんな資格もないよ。だから私はやっぱり、私のやり方でやらせてもらうよ」

「何をするつもりだ」

「このままきみと戦っても、憎しみを忘れてるきみからは力を奪えない。だからこれからひとっぱしり町まで戻って、そこで大勢の人を殺そうと思うんだ」

 世間話でもするみたいに、ストーラはつづける。

「恋人や家族を殺された人たちからどれほどの憎しみがやってくるか想像もできないけど、たぶん二十人も殺せばきみと対等に戦える力が手に入るだろうね」

「やめるんだ、そんなことはしたくないはずだ」

「もちろん、できることならしたくはないよ。だけどもう、私にはこうするしかないの。綺麗に生きる資格なんて、私にはないから。それに万が一、きみが私に勝てたとしても、どのみちきみの旅はもうすぐ終わるよ」

「どういうことだ?」

「最強と呼ばれるウォーカーはきみ意外にも三人いる。その中の二人、『法律(ジャッジ)』と『魔法(マジシャン)』が近くのエリアまできてる。この二人も、もうすぐ十八歳になるらしいから、死にもの狂いできみを探そうとするだろうね。だけど、安心して。私がここでちゃんときみを殺してあげるから」

 ストーラは笑った。

「ちょっと待っててね。すぐに強くなって戻ってくるから、ちゃんとそこにいてね、セイル」

 ストーラは走った。

 その姿が瞬く間に遠のいていく。

「あいつなんであんなに速く走れるのよ。もしかしてまだ、だれかの憎しみが残ってたの?」 ノエルが声を上げた。

「バカにしないでよね」ストーラは叫んだ。「こっちは昔から体を鍛えてるのよ」

 ストーラの姿がどんどん小さくなっていく。

「ちょっとセイル、なにボケっとしてるのよ、早く追いかけないと町の人が──」

「ラーガ」とセイルはつぶやいた。

「え?」ノエルは首をかしげる。

「雷神。天高くより雷を振り落とし、漆黒の雷雲に包まれ踊り狂う空想上の神。ラムウとも呼ばれている」

「こんなときに突然、何を言い出すのよ?」

 ついにセイルがおかしくなったのかと、ノエルは額から汗をこぼした。

「きっと俺は、自分が失った過去で、何度もこんなことをしていたんだろうな……」

 その目からは涙が、そして右手にはいつの間にか蒼白く輝く刃が握られていた。

「セイル……」

「本当にすまない。きみを救う方法が、他に見つからなかった──」

 ブレイドを肩で構え、叫びと共に、遥か彼方に見えるストーラに向けて────放った。

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