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ロストスイッチ  作者: インク


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11/17

10

 気持ち悪い。でも気持ちいい。

 矛盾したものを交互に感じながら、セイルはゆっくりと目を覚ました。

 深夜だが、怪月のせいで窓の外からは強い月の光が射し込んでいた。

 はっきりとしない意識の中でも、とりあえず自分は今、部屋のベッドにいるのだということは理解できた。

 確か温泉に行っていたはずなのに、いつの間にどうやって戻ってきたのだろうか。

 気持ち悪い。

 体中に(おもり)をつけられたような不快感に縛られていた。

 思い出した。温泉でなぜか怒り出したノエルに顔を沈められ、温泉の水をがばがばと大量に飲んでしまったのだ。

 どうやら不快感の正体は体内に残った大量の水のようだとセイルは結論づけた。

 だが気持ちいい。

 体をやわらかいもので撫でられているような心地よさをセイルは感じていた。

 ぼんやりとした意識が徐々に回復に向かい視界が開けてくると、心地よさの正体が判明した。

 本当に体を撫でられていたのだ。

「ごめんなさい、起こしちゃったね」

 ベッドの端に腰かけてセイルの体に手を這わせていた少女は微笑んだ。

「お前は……」記憶の中からなんとかその名を手繰(たぐ)り寄せることができた。「ストーラ?」

「あ、覚えててくれたんだ」ストーラは目を細めて喜んだ。

「俺に何か用か?」

 言いながら起き上がろうとするセイルの胸を押して、彼の動きを封じた。

「何すんだよ……」

「きみは寝てなきゃダメ。今からきみを気持ちよくしてあげるんだから」

「気持ちよく?」

 ふと、自分が何も身に着けていないことに気づいた。横に目をやると、床に衣類が転がっていた。

「そうだよ。気持ちよく、だよ」

 と、小さく(ささや)く。そこでまた新たな発見があった。ストーラも何も身に着けていない。

 月の光に照らされた褐色の肌はかすかにぼやけた視界も手伝って、恐ろしく神秘的に映った。

 お前も温泉に行くのか? とセイルは訊ねようとしたが、ストーラの口が一足先に動いた。

「これ何だか知ってる?」

 彼女が持ち出してきたものにセイルは見覚えがあった。それは小さな布の袋。その表面には三角形を三つ縦につなげたような刺繍が施されている。今朝、どこかの商人が自分にすすめてきたものだ。

 ストーラは袋の中へ指を入れると、そこから丸い粒を取りだした。

 仰向けに寝ているセイルの上をストーラはまたがると、その粒を自分の口の中に投げ込んだ。頬が少し動いているところを見ると、噛み砕いているらしい。

 そして顔をセイルに近づけ、唇を合わせた。

 舌を器用に使って強引にセイルの唇をねじ開けると舌をからめて、口の中のものを唾液と共にセイルに飲み込ませた。

 それはかつてない経験だった。

 体温が一気に下がったような錯覚に陥った次の瞬間、全てが覚醒した。

 体が燃え上がり熔けていくような感覚に襲われ、全てが敏感になっていく。

「どう、凄いでしょこれ」

 そう言ってストーラは唇をぶつけて舌を入れてきた。口内で舌と舌が絡み合う。

 未曾有(みぞう)の快楽に支配され、セイルの中で何かがきれた。

 ストーラの肩を掴んで引き離して、そのまま横に倒した。きゃっ、と悲鳴を上げるストーラに覆いかぶさるようにセイルはきつく抱きしめた。

「ちょ、ちょっと、ブレイド君?」

 既にセイルから自制心は消滅していた。本能の(おもむ)くままにストーラの体に舌を這わせて、噛みついた。

「こ、こら、噛むのは反則だって──あ」

 予想外の力で絡んでくる相手にストーラは困惑した。何とか逃れようとしても、お互い汗まみれの体で思うように動けない。驚くほど呼吸と思考が乱れている。どういうわけかセイルの攻めはやけに自分の体と相性がいいらしく、いっそこのまま身をゆだねてしまおうかと諦めに似た思いが駆け巡った。

 それでも意識を失いかけた寸前のところで歯を食いしばり、最後の力でセイルを押し倒した。ベッドが悲鳴を上げる。ストーラは迷わずセイルの首に手をかけ、(しぼ)るように両手できつく絞めはじめた。

「凄いじゃないブレイド君」乱れた呼吸。「正直、ちょっと感じちゃったよ。本当はすぐに殺してもよかったんだけど、やっぱり男の子だもんね。最期くらい、いい思いもしたいよね。私って優しいでしょ?」

 首をぎしぎしと絞めながらストーラは一方的に喋りつづけた。

「ふふっ、ブレイド君の──凄いことになってるよ。ねえ、私の体どうだった? よかった?何で答えてくれないの? あ、そっか。私が首しめてるから喋れないんだったね。でも安心してブレイド君」口を耳元に近づけ、甘くささやく。「人間って逝く瞬間が最高に気持ちいいらしいから」

 セイルは白目をむいて口からは泡をふいている。もはや、抵抗する力はない。

「なんか大きな音がしたけど、どうしたのセイル。寝ぼけてベッドから落ちたの?」

 ノックもなしに扉が開いて、目をこすりながらノエルが入ってきた。

 ノエルの前には全裸で絡み合う男女がいた。

 ノエルの思考は固まった。

「え、あ、あの、お取り込み中すみませんでした!」

 一礼して部屋から出て行った。

「──って、あ、あんたたち何してるのよよよよ!」

 一秒も待たずに、戻ってきた。

「もう、邪魔しないでよ。あとちょっとなのに」

 口を尖らせながらも、ストーラは首を絞める力を緩めない。セイルは抵抗する力を失い、彼の身体はおとなしくなりつつあった。

「セイルから離れなさい」

「嫌よ」

「だったら力ずくでも──」

 床を蹴り、跳ねるように駆け出し、ノエルはストーラまでの距離を一気に縮めた。

 あまりの疾さに、次にストーラがノエルを動きを捉えたのは、彼女の脚が自分の目前まで迫っていたときだった。

「きゃっ!」と少女のような悲鳴を上げて、ストーラはセイルから引き剥がされ、部屋の壁に体をぶつけた。

「……え? 弱い?」

 その傲慢な態度からストーラがそれなりの手足れであることを推測していたノエルだったが、牽制目的の蹴りが綺麗にきまってしまい、逆に困惑してしまった。

「まあ、寝込み襲うようなやつなんてそんなもんよね」無様に倒れたストーラを見つめて冷たくつぶやいた。

「……うるさい」痛みに顔を歪めながら、ストーラはノエルを睨みつけた。

「おー、こわいこわい」そう言ってから、ノエルは大きなあくびをした。

 もはや目の前に倒れているのは敵ではない。気まぐれで部屋に忍び込んできた小動物か何か。追い返そうと思えばいつでもできる。

 そのとき、激しく咳き込みながらセイルが目覚めた。

「……くそ、何なんだよ、一体……」

 目と鼻と口からダラダラと水を流し、むせながら、ゆっくりと起き上がろうとする。

「まったく、あんたはのんきでいいわね」

「あれ、ノエル、いつの間にいたんだよ」

「さっきからよ。本当にもうあんたは面倒ばっかりかけて」

 頭をひっぱたいてやりたい衝動にかられたたが、何とか我慢した。

「……すまん」

 事態がまだ把握できていなかったが、勢いでセイルは謝罪した。

「さっきから騒がしいけど、何かあったの?」部屋の入り口で声がする。騒ぎに気づいたユーコがやってきた。「うわ、セイル、どうしてスッポンポンなのよ?」

「そういや、あんた、いい加減に何か着なさいよ」

 ノエルは床に転がっている服を拾って、セイルに投げた。

「遅かったじゃない、待ってたのよ」口を開いたのはストーラだった。その声はユーコに向けられていた。「あんたの便利な能力で、さっさとこいつらやっちゃってよ」

「え?」ノエルはユーコとストーラを交互に見比べた。「どういうこと?」

「勘違いしないで」ユーコは強く否定した。「少し前に、その女に誘われたの。近くにブレイドがきてるから、協力して一緒に倒さないかって」

「……それで、なんて答えたの?」ノエルは息を飲んだ。

「もちろん即断ったわよ」

 その言葉にノエルは安堵の息を漏らした。

「バカよねえ」うんざりした様子でストーラはうなじを掻いた。「今なら間違いなくブレイドを倒せるっていうのに、あんただって本当は──」

「うるさい!」夜を裂くように叫んだ。「そんなに見たいなら見せてあげるわよ」ユーコは壁に右手をつけて唱えはじめる。「五、四、三、二、一──交渉成立」

 一瞬、ユーコの右手が草色に輝いたかと思えば、またたく間にその光は部屋全体を覆った。

 木で造られた部屋はユーコの領域となった。

 壁の木材がいつの間にか触手のようにウネウネと揺らぎ、それが鞭のように鋭くストーラに襲い掛かる。

「ちょ、ちょっと、狙う相手が違うでしょ!」猫のように飛び跳ねて、間一髪で襲いくる材木をかわした。材木は一瞬前までストーラがいた場所にめり込んだ。その破壊力を見て、ストーラの表情から血の気が引いた。「冗談でしょ、あんた私を殺す気?」

 ユーコは何も答えない。うつむいたまま壁に手をついている。交渉は継続中で、攻撃をやめるつもりはないという意思表示だった。

「まったく、こんなの相手にしてられないわよ」

 ストーラはカーテンを引きちぎってマントのように体にまきつけると、部屋の窓を蹴り破った。

「逃げるの?」ノエルが言う。

「ええ、そうよ逃げるのよ。文句ある?」ストーラは不適に微笑んだ。「そうそう、言い忘れるところだった。あんたからお土産もらっといてあげたから。ありがとね」

 ノエルに向かってウインクすると、ストーラは窓から飛び降りて去っていった。

「お土産?」ノエルは首を傾げる。全く身に覚えがないけれど、何か盗まれたのだろうか?

 部屋の中ではまだ意思を与えられた木材たちが揺らいでいる。

「ありがとうユーコ助かったわ」

 だからもう能力は使わなくていいと、言いかけたとき、一本の木がノエルを目掛けて斧のように振り下ろされた。

「え? なんで?」

 咄嗟に転がってなんとかそれを交わしたが、別の木材がノエルの手首に絡み、彼女は自由を奪われた。

 両手首と両足首を木材に掴まれ、部屋の壁に(はりつけ)にされた。

「ねえ! ちょっとこれ何の冗談よ! どうしたのよユーコ、ねえ!」

 ノエルの叫びにユーコは微塵も反応しない。

「がはぁ!」

 セイルの悶える声がノエルの耳に飛び込んできた。首を動かして声のするほうを見ると、目を疑うような光景がそこにあった。

 自分と同じようにセイルも手足を拘束され動きを封じられていた。加えて数本の木材から体中にまんべんなく痛みを与えられていた。

 さながらそれは──拷問の風景。

「ユーコ! どうしちゃったの、なんとか言ってよ!」

 どれだけ叫んでも声はユーコに届かなかった。まるで死者に向かって話しかけるような虚しさがノエルを襲う。

 再びセイルの様子を窺った。頭から手から足から、体のいたるところから血が流れている。それでも木材の動きが休まる気配はない。体を打たれるたびにセイルの口から呻きがもれるが、その声も徐々に小さくなっていった。

 このまま、自分は木に縛られ何もできないまま全てが終わってしまうのだろうか、とノエルは絶望する。自分にセイルを救う術はない。彼がブレイドを使うことができれば何とか事態を切り抜けることができるかもしれないが、今のあいつにそんな力も意識も残っていないことは十分承知だ。

 どうしてユーコが攻撃をやめないのか、その理由もやっとわかった。本気で命を狙われているのかとも思ったが、そうじゃない。彼女も今、意識を失っているのだ。なぜそうなったのかわからないが、そのせいで能力の制御がなくなり暴走がはじまっているのだ。

 このまま何もできないまま、ただこうやって終わりを見守ることしか自分にはできないのだろうか?

 くやしさばかりが込み上げて、涙がこぼれそうになる。

「……これ、どうしちゃったの……」

 部屋の入り口から幼い声が聞こえた。

 目の前に広がる異様な光景にアイギスは愕然(がくぜん)としている。

「アイギスちゃん、入ってきちゃダメ!」

 ノエルの叫びはむなしく響くだけだった。

 次の標的を見つけた一本の木材がアイギスを目掛けて飛びかかる。

 頭上から迫ってくる木材にアイギスは全く気づいていない。

「いやあああああ!」

 ノエルは叫ぶことしかできなかった。

アイギスを脳天から貫くように向かってきた木材は衝突の瞬間、その動きをとめた。

 それだけではない。セイルを打ちつづけていた木々も活動を停止して、ノエルも解放された。

 でたらめに乱れた木材たちが本来あるべき場所に収まっていく。

 一体何が起こったのかとノエルはユーコのほうを見ると、虚ろな目をした彼女と視線がぶつかった。

「……ごめん」消えそうな声でユーコがつぶやく。どうやら意識を取り戻したらしい。そしてもう一度「…………ごめん」とつぶやいて、その場に倒れた。

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