第7章 木枯らしと草花
「…さて、行きましょうか。シェータさん」
「……だから、どこに」
色っぽい化粧を施し、完璧な女性に扮したメツスィーに、シェータは鋭く問う。メツスィーはあっさりと先程と全く同じ答えを返す。
「う~ん……上手く説明出来ませんから……ひ・み・つ」
唇に人差し指を当て、うふふ、とメツスィーは微笑む。その返事に納得がいかなくて、シェータはずっと膨れっ面をしているのだ。
「大体、もう夜じゃない! 今からどこに行くっていうの?」
窓越しに外の様子を見て、シェータが尤もなことを言う。それをメツスィーは飄々《ひょうひょう》と言ってのける。
「夜の方が都合が良いのですわ。分かったらさっさと行きますわよ」
「だ~か~ら~、どこに!?」
「ついてきてくださいね」
むー、と頬を膨らませてメツスィーを睨みつける少女を無視し、メツスィーはすたすたと小屋を出ていく。未だに納得できないながらも、シェータはその後を追いかけていった。
森は、夜の神秘的な雰囲気に包まれていた。
頭上ではぼんやりと明るい月が照らし、月光を浴びて木々が輝く。羽虫はぶーんと軽やかな羽音を立てて飛び、夜鳥は一定の感覚で、低い音程の歌を歌う。
先程までメツスィーの言動にやきもきしていたシェータが、うっとりとして言う。
「はぁ~……心地良い夜………」
「まるでテスカトリポカの出そうな夜ですわね」
メツスィーは低い位置にある木の枝を愛しそうに弄っている。その言葉に、シェータはピクリと反応すた。
「? 誰、それ?」
シェータの発言に、メツスィーは目を丸くした。
「あら、神様のくせに知らないのですの?」
「……あたしは下級神だからねっ!」
気を悪くしたのか、シェータはプイとそっぽを向いた。その様子にメツスィーはくすりと笑み、静かに語り始めた。
「…では、出発の前に、軽く話しておきますわ。『命懸けの願い』を……」
シェータは眉間に皺を寄せる。
「命懸けの……願い?」
「ええ………」
彼の低く落ち着いた声は、密やかに物語を紡ぎ始めた―――。
◆◆◆
――ある所に、一人の若者がおりました。彼には思い人が居ましたが、彼女は彼のことなど全く眼中にないようでした。そこで若者はある決心をするのです。
『彼女と結婚することが出来ないのならば、この世に生きている意味がない。しかしどうせ果てる命なら、テスカトリポカ様に戦いを挑んでみよう。あの方に勝つことが出来れば、彼女と結婚することも出来るのだから』
若者は、それから毎晩テスカトリポカを探すためにあちこちをさまよい歩くようになりました。
そして何日か経った頃、若者は遂にテスカトリポカとの対面を果たすのです。
テスカトリポカは自ら槍と盾を投げ捨て、若者に躍りかかります。若者も、命懸けでテスカトリポカに立ち向かっていきます。
そうしてしばらく揉み合っていました。しかしようやく若者はテスカトリポカを倒します。
彼はテスカトリポカに願いを託します。
『私の願いを叶えてください。一人の乙女と結婚したいのです。お願いします』
テスカトリポカは若者の願いを聞き入れ、若者は晴れ晴れしく乙女と結ばれました。
その後も若者はテスカトリポカに感謝し、神像の前に跪いて、永い間熱心に祈りを捧げたのでした―――。
(『アステカ神話』より)
◆◆◆
「まあ、そういう話ですわ」
物語を語り終えたメツスィーは、少し声を嗄らしてごほごほと咳き込む。
シェータは物語のある部分を聞いてから、ずっと考え込んで俯いていた頭を上げる。
「……つまり、それって」
シェータはきっと顔つきを変え、メツスィーに食いつく。
「アトルを助けることも出来るんじゃないの!?」
「そうかもしれませんわね」
メツスィーは艶っぽくウィンクし、シェータに目配せした。
(……やったぁー…)
シェータはとても嬉しそうににこりと笑み、希望を掴むように両手を握り締めた。居てもたっても居られず、すぐさま駆け出そうと足踏みをする。
「なら早くテスカトリポカ様探そうよ! それでアトルを助けてもらうんだから!」
「ちょっ…シェータさん!」
シェータはそう言うなり、森の中へ全速力で走り出していく。メツスィーは慌てて止めようとするが、草花の神である彼女の意志を尊重してか、森の草花が行く手を阻んでいる。
ところが――。
「きゃんっ!」
突然、少女の足首に短い風が吹き、足が縺れて勢いよく転ぶ。
背後の木に気配を感じたシェータは、真っ先に振り返り、怒りの声を張り上げる。
「何するの、コガラシ!」
「コガラシ……?」
彼女と同じように、メツスィーも木を見上げる。そこには錆鼠色の癖のある短髪をした小柄な少女が、枝に腰かけていた。
彼女は少し掠れた声で、シェータに文句を言った。
「何するの、じゃないわよ! アンタこそ今まで何してたのよ、クサバナ!」
「あたし〝クサバナ〟じゃないもん、〝シェータ〟だもん!」
シェータも彼女に負けず言い返す。コガラシと呼ばれた少女は、不快そうに眉を寄せた。
「シェータぁ? 何その変な名前?」
馬鹿にするような鼻にかかった声でコガラシは言った。そしてまるで風のように音もなく木から飛び降り、シェータに歩み寄る。シェータもまた彼女に駆け寄り、その肩を掴む。
「ちゃんとしたのは〝ショチトナティウ〟っていうの。〝太陽の花〟だよ! 良い名前で羨ましいでしょ?」
「ええ、ええ。アンタにはもったいなさすぎる素晴らしいお名前だわ。この際私に渡しなさいよ」
「絶対嫌~」
「まあ、二人とも落ち着いて……」
苛ついたコガラシがシェータの胸ぐらを掴んだところで、メツスィーの仲裁が入り、少女たちはようやく争いを収めた。コガラシはギロリとメツスィーを睨みつける。
「アンタ誰よ。男のくせに女装なんかしちゃって……オカマ?」
「オカ……」
メツスィーはあまりのショックに呆然とする。自慢の化粧が一発でばれてしまったことがよほど驚きなのだろう。シェータはコガラシに感心した様子で、彼女を見つめている。
「凄いねコガラシ……どうしてメツスィーが男だって分かったの?」
コガラシはメツスィーを軽蔑の視線で流し見ると、今度はシェータに向き直って鼻を鳴らした。
「ふん、誰でも分かるでしょ」
(…相変わらず、コガラシ態度悪っ)
シェータは心の中でぼそっと悪態をついた。
だが、ふとあることを思い出す。そしてメツスィーにこっそりとそのことを伝えた。
「……あのね、コガラシって実はすっごく耳が良いんだよ。ちょっと聞いただけで何の音か分かるくらい。きっとメツスィーの声を聞いたから、男だって分かったんだよ。じゃなきゃ分かる訳ないって」
それを聞いて、メツスィーはがっくりと明らかに残念っぷりを見せた。彼は自分の裏声も自慢だったのだ。そうとは気づかず、シェータはきょとんと首を傾げる。
メツスィーがぼそりと言った。
「シェータ……それ、慰めになってない………」
「ありゃ? ごめん……」
シェータは照れながら、ぽりと頭を掻いた。
「で、クサバナ。伝言だけど」
「あれ、パシリだったの?」
「アンタ相変わらずむかつく」
シェータとコガラシは火花を散らしながら、一触即発の際どい会話を交わす。その光景にハラハラしながら、恐る恐るメツスィーは訊いた。
「ええーと…コガラシ、さん? あなたはシェータとはどんなお関係で?」
コガラシはやはりメツスィーを睨んでいたが、一つ嘆息すると、面倒臭そうな口調で答えた。
「ただの同僚よ。私は木枯らし係だからコガラシ、この娘は草花係だからクサバナって呼び合うだけの仲。たったそれだけ」
「はあ」
そっけない言葉に、メツスィーはぼんやりと返事をする。その答えに乗り、シェータは皮肉気にコガラシに言った。
「…で、その木枯らし係さんが、春に何の用? あなたの仕事はもっと先の時期でしょ?」
するとコガラシは急に真剣な顔になり、シェータに正面から向き合った。
「帰還命令が出てるのよ。アンタの帰りがあまりにも遅いから、暇な私がアンタの迎えに遣されたって訳」
その事実に、シェータは愕然とする。
「帰還……命令!?」
一気に顔が青ざめた。そういえば、元々自分は何のつもりで人間界に降りていた? そう……地上の草花たちの様子を見るためだった。その仕事が終わったら、期限までに天界に帰らなければいけなかったのだ。
すべきことを思い出し、苦悩するシェータを、コガラシは嘲笑うような微笑みで見つめた。
「全く、上級神の手下である下級神が、何をやってるのかしらね。あげくにはテスカトリポカ様の供物を盗もうとするなんて……正気の沙汰じゃないわね」
(…ばれてる!)
不安を露わにするシェータをよそに、コガラシはメツスィーに歩み寄り、その首に手をかける。コガラシは己の手に季節外れの木枯らしを纏わせ、その風刃で彼を傷つけようとする。メツスィーは後方に飛んで彼女のしがらみから逃れたが、共に風も放たれ、女物の美しい衣装が切り裂かれる。
すかさずシェータが二人の間に割って入った。
「コガラシ! 何するつもり!?」
決まってるじゃない、とコガラシは再び風を吹かせる。コガラシは吹き荒れ、シェータの髪を空中に舞い上げた。
「アンタを連れ戻すのよ。大地母神アトラトナン様の待つ天界にね!」
「アトラトナン様が!?」
体制を整え、シェータは声を張り上げる。木枯らしが絶え間なく吹き込んでくるが、シェータはマントを深く被り、何とか凌いでいる。
コガラシは再び言った。
「戻りなさいクサバナ! 第2皇子を助けたいのかもしれないけど、あの人間の好きなようにさせてあげなさいよ!」
「アトルに生贄になれっていうの!?」
「そうよ!」
そう言い放ったところで、コガラシは手を止めた。いや、正しくは止められた。シェータの操る草花の綱に。
だがコガラシは笑顔で全く抵抗しようとしない。抵抗はしないが、代わりにこう言った。
「あの皇子も、今頃は生贄に選ばれて喜んでるわ。これ以上の名誉はないってね!」
「嘘! アトルはそんなこと望んでない!!」
シェータの叫びと共に地中から太い蔦が現れ、コガラシを拘束する。足までも止められているコガラシは逃げることが出来ず、あっけなく蔦に巻きつかれる。蔦は強く締め付け、苦しさのあまりコガラシはうっと呻きを零す。それでもなおシェータを見る目つきは笑っている。
「…ふふ……」
コガラシは不気味に笑い、シェータを憐みの視線で見下す。全身に悪寒を感じながらも、シェータは彼女を凝視する。
「アトルは、そんなの望んでない? そんな訳ないでしょう……」
冬に吹く木枯らしの神でありながら、コガラシの声は森の闇に良く馴染んだ。心地良い爽やかな森に、だんだんと暗闇が迫ってくる。シェータは言い返そうと思ったが、彼女の言葉が気にかかり、口をつぐんだ。
「アステカの民にとって、生贄は何にも勝る名誉………そうでしょう? メツスィーとやら」
そう言ってコガラシはメツスィーをちらりと見据えたが、彼は何も言わず顔を背けてしまった。言い難そうに、唇を噛んでいる。
シェータはメツスィーに鋭く問う。
「メツスィー、名誉なんて違うよね!? そんなのおかしいよね!?」
彼は答えない。代わりにコガラシが口を開いた。
「アンタの無知さにはほとほと呆れたわ……。自分の守る国の事情も知らないのね」
「だって……あんな恐ろしい儀式……」
必死で言い返そうとするシェータに、コガラシの言葉が突き刺さった。
「そう思ってるのはアンタだけじゃないの?」
(そんな……)
シェータは絶望した。まさかアトルが死にたいなんて思っているとは全然考えてなかった。
でも彼を助けたい。絶対に――。
(落ち着いて……)
シェータは一つ深呼吸した。深く深く森林の空気を吸い込む。緑の息吹が体に染みわたるようで、気持ちが洗い流された。
そうしてすぅと息を溜め、一気に吐き出す。
「それでもあたしはアトルを助ける!!」
コガラシは、彼女の決意に目を丸くした。彼女の言葉が心へ響く。とてつもなく強い思い。
「……面白いじゃない」
コガラシは笑みを取り戻し、静かに言った。そして冷たい風を放ち、自らを拘束していた蔦を切る。
自由になったコガラシは蔦の跡のついている足首をいたわるように撫で、それからシェータを見つめた。それはもう、人を見下すようなあの目ではない。
コガラシはゆっくりとシェータに歩み寄り、彼女の肩にぽんと手を置いた。何をするのかと内心とてもびくびくしていたシェータだったが、置かれた手の優しさに驚いた。
彼女はシェータの耳元でそっと囁く。
「良いわよ、協力してあげても。ただし私のはただの気まぐれだから、危なくなったら逃げるわよ?」
「コガラシ……」
シェータは嬉しさで頬を赤らめた。コガラシはシェータの顔を微笑ましそうに眺め、彼女の髪を一束取り、自分の唇を触れさせた。途端に真っ黒だったシェータの髪が元の白緑色に変わる。シェータは驚きでさっとコガラシから離れると、彼女はいつも通りのにやりとした笑みで言った。
「その髪の色、私と似ていてむかつくから直してあげたのよ。感謝しなさい」
「もぉ~……これだからコガラシは…」
そう言いながらも彼女の顔は笑っていた。メツスィーはそんな仲良しな二人を、微笑みながら見守っていた。
だが、すぐにその笑みを引っ込めると、メツスィーは二人に言った。
「さて、ではそろそろ目的の場所に向かいましょう………コガラシさんも一緒に」
にっこりと微笑みかけるメツスィーにコガラシは少し嫌そうな顔をした。けれど何か思ったのか、彼女も笑って受け入れた。
「ま、協力すると言った以上、オカマと一緒でも仕方ないわね」
そして彼女はすたすたと先を歩いていった。その後をシェータとメツスィーが追う。
彼らの頭上で、その様子を見ていた夜鳥が、一声鳴いた。鳥は翼を広げ、夜空を飛んでいった。
もう一人の下級神、コガラシさんの登場です♪




