第3章 友と王城
「えええぇぇ―――! 友達って、とうぞ……」
「シェータ!」
ようやく事態を理解し、思わず叫び声を上げてしまいそうになったシェータの口を、アトルが素早く抑える。幸い周りも騒がしかったおかげか、特に目立ちはしなかったようだ。
アトルは彼女に小さく耳打ちする。
「……こんな所で〝盗賊〟なんて言葉を大声で言ったら、何が起こるか分からないよ」
「ご、ごめん…つい………」
シェータは申し訳なさそうにしょげていたが、驚くのも無理はないだろう。彼女の中では、既に皇族の友達イコール貴族というのが出来上がっていたのだから。
それがまさか悪行を熟す盗賊とは、思いもしなかった。
「まあ、とりあえず私の家でお茶でもしましょう」
未だに驚いているシェータに、メツスィーは満足そうに笑んだ。これが盗賊かと思うと……頭が痛くなった。
◆◆◆
女神と皇子と盗賊という奇妙な組み合わせの三人は、都からいくらか離れた所にある森の中へとやって来た。メツスィーの家は、そこにあるという。
盗賊の住み処がある場所の割に、森の中は清々しくて、気持ちが良かった。木立から小鳥がピイピイと囀るのが聞こえる。
風も爽やかで気持ちが良い。被っている布を剥いで、髪を風に触れさせたいくらいだ。
しばらく歩くと、木造の簡素な小屋が見えてきた。そこはまさに〝あばら屋〟と言うのが相応しいくらい古びた小屋だった。メツスィーはその小屋の前までスタスタと近寄っていくと、「どうぞ」と言いながら扉を開ける。促されるままに、二人は中へと入っていく。
(うわ………)
メツスィーの〝家〟とも言えない家は、ほとんど何もなかった………盗んできた宝の山以外は。
狭くて小さな小屋の中で、どっさりと積まれた首飾りやら金貨やらがきらきらと眩しい。メツスィーのような変わった盗賊のことだから、もっと小綺麗にしてあって、上品な女性の部屋のようになっているのではないかと思っていたが、彼女…いや彼もれっきとした盗賊だったらしい。
「はい。ここに座ってくださって」
金銀財宝の中から、メツスィーはいかにも貴族が使っていそうな上品な椅子とテーブルを引っ張り出し、まるで茶店のように綺麗に並べた。躊躇しながらも、二人は座った。メツスィーは満足そうにして次は可愛らしいカップを三つ取出し、その中に飲み物を注ぐ。そしてようやくメツスィーも席に着く。
「さて、アトルから聞いていたけれど……本当に変わった色の髪ですねぇ」
体に塗った泥を白布で拭い、頭に被っていた布を取り払ったシェータを、メツスィーはまじまじと見る。シェータは自分の髪をいじって、少し不安げな顔をする。あんまり珍しがられるのに慣れていなかったからだ。
そのことに気づいたメツスィーが、掌をひらひらと振って笑った。
「あら、違いますわよ。あなたの髪の色が変っていうことではなくて、綺麗な白色だって言ってるのですわ。少し緑色も帯びていて……気にすることはないですわ」
人柄の良さそうな彼の笑顔に、シェータはほっと胸を撫で下ろした。
髪の色のこともあるのだが、実は「盗賊は悪い者」という意識がまだ残っていて、正直心配だったのだ。相手が危ない人だったらどうしようかと。
だが、面白げに話す彼を見ていると、そんな心配は不要だと安心出来た。そもそも、彼は普通の盗賊とは違う気がする。女装しているし。
気が楽になったところで、シェータはずっと気になっていたことを彼に訊いてみた。
「あの…どうやってアトルと友達になったんですか?」
彼は「嫌ですわ。敬語なんて使わないで」と苦笑してから、視線を上に向けて、思い出すように答えた。
「そうですねぇ……この皇子様が、あまりにも皇子様っぽくなかったからかもしれませんね」
アトルの方を向いてふふっと笑うメツスィーに、シェータはこくこくと頷いた。二人の反応を見て、アトルが「そうでもないよ」と苦笑いする。
「私は金持ちだけを狙う盗賊なんですけど…なぜかその金持ちである皇子殿下に助けられてしまいまして……」
「え?」
シェータは目を丸くしてアトルを見た。彼はお茶を飲んでいたところだったのだが、メツスィーの言葉を聞くとぶっと吹き出した。
(ア、アトルは一体何をして……)
「もうっ、アトルったら。相変わらず照れ屋なんですねぇ。あの日だって…」
「あああぁぁぁ、メツスィーそれは」
メツスィーがにやにやしながら言うと、アトルは真っ赤になって立ち上がった。こんな彼は初めて見た。どうやら照れ屋と言うのは本当らしい。
メツスィーはさらに続ける。
「あ、でシェータさん。この皇子様とお友達になったきっかけだったかしら。あれはねぇ…」
「わぁ―――!! ちょっとメツスィーってば!」
彼は熟した林檎のような真っ赤な顔で、頭を抱えて叫んだ。そんなに聞かれたくないものだろうか。
そこまで恥ずかしがられると逆に聞きたくなる。だんだんわくわくしてきた。
「ぷぷっ……教えて! メツスィー」
「シェータまで!」
意気投合して乗り気な二人に、アトルは心底困ったような顔をした。いつも物静かで穏やかな彼だったから、何だか可愛い。耳まで赤い。
「ええと、それは昨年の冬のことだったのですけど……」
「………」
メツスィーが語り始めてしまうと、アトルは諦めた様子でまた椅子に座った。恥ずかしいのか、唇を噛んでいた。
「私が神殿の篝火で温まっていた時のことだったかしら。その時突然兵士達に追いかけられたのですわ。別に盗みはついでのつもりで来たのに……まったく一体何を誤解したのか……」
「………神殿の不法侵入者は捕らえるのが決まりなんだよ、メツスィー。そもそもついでに盗みって……」
アトルが口を挿むと、そんなものは知りませんわ、とメツスィーは言い訳をする。
「…で、面倒になった私は上手い具合に彼らを撒いて、空き部屋に逃げ込んだのですけど……そこで」
「そこで?」
いつの間にか握られていたシェータの拳に、ぎゅっと力が篭る。
「第2皇子のアトルに会ったのですわ。もちろん相手は皇族なのだから、当然捕まると思ったのですわ。なのに彼ったら………ふふ…」
言い掛けて、メツスィーは口を隠して笑う。
「えっ、何?」
シェータが目をきらきらさせて言う。メツスィーは今度は大笑いして背中を反らせた。
「ふっ…あははははっ! いえ、その時アトルは匿ってくれたんですけど、その時に………う、ふふ…『女性を助けるのは男子たる者の役目ですから』とか、本気で言ってくれまして……あははっ!」
――女性?
「あははははは! 〝女性〟って……アトルってばまんまと騙されちゃったのね」
「もうっ、そこまで笑うことないじゃないか……」
大笑いの二人に、アトルはもごもごと言う。よっぽど恥ずかしいのだろう、顔色は今にも沸騰しそうだ。
「まだまだあるのよ。アトルの面白話。えーっと……」
メツスィーが得意げに言って、その「アトルの面白話」を指折り数え始めると、ふとアトルは簡素な窓から外を見て、慌てて立ち上がる。
「あっ、いけないもう帰らないと。じゃ、じゃあね……」
「えっ?」
シェータも外を確認する。まだ昼過ぎだ。暗くなってもいないし、そんなに急がなくてもいいはずだ。
「…そんなに恥ずかしかったの?」
そう訊くと、図星だったらしく、顔を背けてそそくさと帰り支度を始める。元々荷物なんてほとんどなかったので、すぐに支度を終え、ぽかんと座る二人に言った。
「じゃあ……ご、ごめんね二人共。会議があるから……あ、メツスィー。シェータのこと…その、お願いね」
それだけ言うと、彼はさっさと帰っていった。やっぱり帰り際の顔は赤かった。
後に残されたシェータがぽつりと呟く。
「……逃げたね」
「皇子様なのに、初心で可愛いのよ~」
シェータは、くねくねと色気を振り撒くメツスィーを改めて見つめる。
彼の顔は、まさに女性そのもので、仕草も色っぽい。服装も女性らしい。まあ確かに、パッと見れば、アトルでなくても女性だと勘違いするだろう。声を聞くとなんとなく分かると思うのだが。
「さて………」
お茶を飲み終えたメツスィーは、急に席を立ち、盗品の山の中をごそごそと探り始めた。何事かとシェータがその様子を見ていると、彼は動きやすそうな男物の服と短剣を取り出した。
「……何してるの?」
シェータがきょとんとして訊くと、彼は何事か企んでいそうなにやにやした顔で振り向いた。思わずぞくっとする。
「ふふふ……王城に忍び込むのですわ」
メツスィーが楽しげに微笑むと、シェータはぎょっとした。
(ま、まさか金品を盗みに……!?)
「まあ、アトルの仕事ぶりを見に行くだけなのですけれど」
本当はカモ探しだけれどね、ということはあえて言わず、メツスィーは少女にウインクした。
彼女はほっとしたようで息を緩めたが、すぐに目をきらきらさせてメツスィーに掴みかかった。
「ねえメツスィー! あたしも行きたい、王城! 良いでしょ?」
「はあ――――――――――!?」
意気揚々としていた盗賊は、目を見開いて、有り得ない! といった表情で飛び退いた。シェータが膨れっ面になって言う。
「いいじゃない行っても。駄目って言っても付いて行くからね!」
頑として聞かないシェータに、メツスィーは頭を抱えて一つため息をつく。
そして、今までに見たことのない真剣な顔でシェータに言い聞かせる。
「あのねシェータさん。王城っていうのは警備の厳しい所で……一般人が簡単に行けるような所ではないのですよ。それに私の足手纏いになるようでは困るのですよ」
「いーやー! 絶対足手纏いにならないから! だから連れてって!」
それでもなお自分の意志を曲げない少女に、メツスィーは大きなため息をついてから、諦めたように言った。
「全く……分かりましたわ。とりあえず、そこにある動きやすい服装に着替えてください。あ、それと……」
メツスィーは少年の服を渡した後、黒い染料を取り出した。
「それ…どうするの?」
なんとなく嫌な予感がしたシェータは、冷や汗を浮かべつつメツスィーに問う。答えは案の定だった。
「あなたの髪を染めさせていただきますわ。でないと見つかった時の良い訳が面倒ですから」
そう言うなりメツスィーはさっさとシェータの髪を束ねようとしたが、彼女は自分の髪を抱えて後退する。
「どうしても? 染めなきゃ駄目?」
「駄目、ですわ」
染めないと王城に連れて行ってもらえないと悟ったシェータは、渋々彼に髪を預けた。
◆◆◆
時は、大分暗くなった夕方頃。
西日が赤く輝く、黄昏の時間だ。シェータは夜中の方が忍び込みやすいのではと思ったが、メツスィーが言うにはこの時間が見張りの交代時刻で、侵入には一番の時間帯らしい。
静かで閑静な王城に、黒髪の男女は忍び込む。
そして、アトルが居るらしい二階部分へと向かう。
男の方がぶつくさと言った。
「はぁ、何でこんな女の子と一緒に潜入しなくちゃならんのだか……一人ならあれもこれもし放題なのに……」
そう言うのは盗賊装束に身をやつしたメツスィーだ。昼間の彼からは予想できないほどの俊敏な動き、鋭い眼差しで、音も立てずさかさかと走る。口調も盗賊らしいものに変わっている。
「やっぱり悪いことしようとしてたのね……」
メツスィーの隣を走る金眼の少女が言った。彼女はシェータだ。元は白緑だった髪を黒く染め、肌にも泥を塗っている。服も少年のものにして、いかにもアステカ人の少年のように見せている。
「別に良いだろ、盗賊なんだから……っと、ここだな」
文句を言っていたメツスィーは、城のテラスに繋がる扉の前まで来ると、慎重にほんの少しだけその扉を開けた。
(良し………誰も居ないな)
用心深く辺りを確認してから、メツスィーとシェータはテラスへ出る。広い王城を駆け回っている内に、外には紺碧がかかりかかっていた。
だが、二人の目線はその一つ向こうにある小さなテラスに向けられていた。そのせいで、気付かなかった。空の異変に。
メツスィーは目先のテラスを指差して言う。
「ほら、シェータあそこだ。あそこからアトルの居る部屋に繋がってる」
「本当!?」
シェータは目を輝かせて、思い切り飛び跳ね、足音を立てずアトルのテラスに降り立つ。
「へー見事だねぇ………」
(さて、じゃシェータはここに置いといて金目の物でも盗みに……ん?)
ふっと北の空が視界に入った時、メツスィーが気付いた。
シェータはアトルの部屋の窓を覗き込む。高級で整った部屋の中、彼は一人で書物を読んでいた。
シェータは彼を呼ぼうとした。
「アト………」
その時だ。
「うわああぁぁぁぁぁ!!」
城下からだろうか、突如悲鳴が響いた。
慌ててシェータもしゃがんで身を隠した。
あまりの出来事に、窓からアトルが顔を出す。
「何だ……ってシェータ!? どうしてここに……」
シェータの存在に彼は驚いたようだったが、あるものを見つけるとその顔は一気に蒼白になり、一瞬固まった。その目は北の空を見つめている。
「…嘘だろ……何だよ、あれ………」
同じように空を眺めるメツスィーも、震えた声を漏らした。シェータも彼らに倣って空に目を向ける。
……そこには尾を引く巨大な光があった。
「彗星………?」
彗星が現れた。その意味を知らなかったシェータは、ただただそう呟いた。これが波乱の幕開けになるとは知らずに―――。
次回は、遂に「第2部 波乱」(予定)へと進みます。ここらへんから神様も登場していきますので、お楽しみに~。




