第18章 真実
本日英検に行ってきました………さっぱり分からない!
今日は大変な日でした……^^;
――どうして、アトルはあんなことを言ったんだ?
シェータやテスカトリポカとは全く待遇の違う暗く狭い牢屋の中で、メツスィーは独り思う。最後に見たアトルの言葉の意味を。
光も射し込まない本当の牢獄が、メツスィーの物思いを悪化させる。
微かに聞こえる地上の音が忌まわしい。
――『もうすぐ死ぬ』だと?
アトルは、自分がもうすぐ死ぬものだと理解していた。でも、テスカトリポカに挑んだ。それは、どういうことなんだ?
「……やっぱり、テスカトリポカの言っていたように……自棄だったのか?」
もうどうせ死んでしまうのだから、死ぬことを前提にテスカトリポカに挑んだ?
でも、何かしっくりとこない。
死ぬ前に、アトルは何をしたかったんだ?
「……分からないな」
溜息をつき、メツスィーは背後の壁に凭れて、闇を見た。
真っ暗な闇、その一点から細く弱い光が射し込み、そして、あの風の神が現れた。
「……何やってるのよ」
「………コガラシ…か……?」
薄暗くてよく見えない。けれど、この声は彼女のものだと気づく。
彼女の声は、妙にさっぱりしてよく通っていて、なぜか心が温かくなる。不思議な声だ。
「アンタねえ、盗賊なら、自分で脱出するとかしなさいよ! まったく忙しいったらありゃしない!」
「助けに来たのか」
「アンタは後々、役に立ちそうだからね!」
……この少女が助けに来るなど、意外に思ったが……なるほど、そういうことか。
「わざわざ、すまないな」
「ホントね」
そっけなく返事をしながら、コガラシは牢の壁を屑のように壊していく。今更ながら、この少女たちは凄いと実感する。
壁がだいぶ壊れて、外の景色が広がる。うっすらとした月の昇る夜だった。
「さあ、さっさと行くわよ」
「その前に」
メツスィーは先に出ていこうとしたコガラシの手首を掴む。明らかに嫌そうな顔をして、コガラシが立ち止まる。
「何?」
「お前、何か知っていないか?」
コガラシは不快そうな顔で彼の手を振り払った。
「なにがよ」
「アトルのことだ」
一瞬だけ、コガラシの表情が歪んだ。たった少しの間のその表情を、メツスィーは見逃さなかった。
「やっぱり……知ってるだろ!? アトルが、あんなことを言っていた理由を」
「………」
コガラシは黙り込んだ。いつもの彼女らしい鋭さが消え失せた。動揺しているようだ。
少し考え込んだ、その後。
「とりあえず、来て」
コガラシは、メツスィーの手を引き、無理矢理牢から連れ出した。
コガラシとメツスィーは、牢から少し離れた平地に降り立った。そして、近くの大きな岩に腰かける。
淡く柔らかな月の光が、二人の顔を照らす。白いぼんやりとした輪郭に映し出されるコガラシの顔は、この世の誰よりも美しく見えたような気がした。
夜の風が頬を撫で、静かな空間を流れていく。ここには、二人しかいないように感じた。
「それで」
深刻な表情で、メツスィーはコガラシの瞳の奥を見つめた。
「お前は、何を知っているんだ?」
「アトルの、病のことよ」
コガラシは、努めてあっさりと答えた。
「病……だと?」
そんなことは初耳だ。彼――アトルは、そんなこと一言も口にしていない。そもそも、病を持っているような素振りも見たことがない。
コガラシが、見下した目で言う。
「まさか、アンタ長い知り合いのことなのに、今まで知らなかったの? 信じられない」
「なんだと!?」
激しい形相でメツスィーは立ち上がる。両拳を強く強く握り締め、赤くなるほど唇を噛んだ。
コガラシの一言が気に入らなかったこともあるが、何より、コガラシの言う真実が気に入らなかった。本当に、彼女の言う通りだ。自分は、今までそんなこと知らなかった。
「落ち着きなさいよ」
対して驚く様子もなく、コガラシが宥める。とりあえず感情に任せていたらどうにもならないので、気持ちを落ち着かせて、彼女の話を聞くことにした。
メツスィーがまた腰を下ろしたのを確認して、コガラシは溜息をつく。
「アトルも、困り者ね。アンタ達は、彼が生きることを望んでここまでしていたのに、彼自身は、そんなことできないのを分かっていたんだもの」
「…………」
「彼の病気は」
黙ったままのメツスィーをちらりと横目で確かめてから、コガラシは続ける。
「彼の父親が持っていた病気と同じ」
「……? どういうことだ?」
「つまり、彼の父親が持っていた病気が、アトルに受け継がれたってこと」
「だけど、モクテスマ2世陛下は生きているじゃないか」
「そうね、対処が速かったのでしょう」
コガラシは平然と言う。
「けれど、アトルは気づくまでに時間がかかった。当然ね。彼は妾の産んだ第2皇子で、母親も早くに亡くなった。周りの側近は第1皇子を支持する者ばかり。誰も、彼の様子に気づかない」
「ちょっと待て!」
メツスィーは驚きに目を見開き、思わず声を上げた。
「アトルの母は、亡くなっているだって?」
「あら、それも知らなかったのね」
このことも知らなかったのかと、コガラシは意外そうに、そして軽蔑しているような視線で、メツスィーを眺めた。
「彼女は殺されたのよ」
「殺された?」
「正妃に」
メツスィーは固唾を呑み込んだ。さっきから彼は驚きっぱなしだ。
「まさか」
「ホントだって言ってるでしょ」
現実での正妃は、些細なことには怒らず、召使たちにも慈悲を与える優しい方だと慕われていた。実際、メツスィーも遠目に見たことが何度かあるが、黒髪の美しい可愛らしい女性だった。少年の頃盗みの罪を隠そうと嘘をついた時に、それを信じてくれ、食べ物を分けてくれた恩は忘れていない。
「正妃は、アトルの母親に嫉妬していた。王の寵愛を奪った側室を。そして彼女は、産後で疲れ果てていたアトルの母に、薬湯だと偽って、毒薬を飲ませた」
「………!」
なんてことだろう。あの優しげな女性が、そんなことをしたなんて!
「アトルの側近の者達は、裏で正妃が用意した、見張りのための者達。そして、表では、正妃はアトルを愛する、優しい奥方様」
「……そこまで、酷いとは……!」
――つまり、アトルは嘘ばかりついていたのだ。あの聡明な皇子様が、周りの画策に気付かないはずはないだろう。なのに、あえて無視して、笑って……。
「そして…月日があったある時、アトルは自分の左胸の塊に気がついた。しばらくして、彼はそれを病だと――いつか自分を殺すものだと、悟った」
「………っ」
アトルの辛さは、彼の話からだいぶ理解しているはずだった。彼が城のことで愚痴をこぼして、それに頷きながら、自分は彼の苦痛が分かっていると思い込んでいた。でも、違った。
真実は、もっと残酷なものだった。
メツスィーは、己の情けなささに絶望し、俯く。背中が月の光を遮り、表情は影に包まれる。
そんな彼の背中を、躊躇しながらも、コガラシは擦った。出来る限り、優しくあるように。
背中に温もりを感じながら、メツスィーは呟くように言った。
「……誰から、そんなことを聞いたんだ」
「テスカトリポカ様」
「……そんなに詳しいことまで知っているのか、あの神は」
「まあ、立場柄ね」
メツスィーは深く長い溜息をつく。酷い新事実が多すぎて、理解は出来ても気持ちがなかなかついて行かない。
そして、ある重大なことに気がついた。
「………シェータは、テスカトリポカといるのか?」
「…そうね。このことを知らなければいいけど」
「……!」
◆◆◆
「戻ったか、草花係」
「あっ、はい!」
壊された壁の穴から、自分たちに与えられた部屋――牢獄の中に戻ると、未だにテスカトリポカが悠長にくつろいでいた。退屈そうに大きな欠伸をして、シェータを迎え入れる。
シェータは周りをきょろきょろと見回して、そして友人の姿がないことを確認すると、テスカトリポカに問いかけた。
「あの、コガラシは、ここには戻ってきてないんですか?」
テスカトリポカは眠そうな顔をしてシェータを見上げた。
「うん? 向こうで会ったであろう?」
「いえ、アトラトナン様の神殿の前で別れたので……」
テスカトリポカは少し考えた後、思い出して納得した。
「そういえば、戻ってきた後、あの盗賊の男を助けてくるように命じたな」
「盗賊の男を、助けに………そうだった! メツスィーは無事なの!?」
すっかり忘れていた。自分が気絶した後、メツスィーはどうしたのだろう。やはり、兵士たちに掴まってしまったのだろうか。彼が女装していない時の顔は、既に兵士たちにばれているようだった。なら、必ずしも安全とは言えない。
心配そうに表情を曇らせるシェータを面白そうに見た後、テスカトリポカは愉快そうに笑った。
「助けに行かせたと言ったであろうが」
「あ、そうでした…」
――そうだね、コガラシなら大丈夫だ。
「ついでに、気が向いたら報告もして来いと言った」
――報告?
「……メツスィーに、何の報告ですか?」
「………まあ、とある人物についての情報……のようなものだ。話しても話さなくても好きなようにしろと言ったから………話さなかったかもしれぬがな」
――とある人物。それは、はたしてアトルのことだろうか。
それならば、知りたいけれど………。
「あたしにも、教えてくれませんか?」
「駄目だ」
テスカトリポカは急に真剣な顔になって、きっぱりとシェータの願いを突っぱねた。
訝しげにシェータは眉間に皺を寄せ、問う。
「……なぜですか?」
「アトラトナンから力を授かってきたのだろう?」
シェータは驚いて自分の全身を確認する。前とは何一つ変わっていないはずだ。それなのに、なぜテスカトリポカはそんなことが分かるのだろう。
身体を撫でるように触っているシェータに、テスカトリポカは「違う」と苦笑した。
「お前の全身から強い力を感じる。今までは感じなかった気をな」
「……そんなに、強い力を?」
「当たり前だ。アトラトナンの司る力だからな」
テスカトリポカは呆れたように腕を組んだ。シェータは実感のわかなさに少し困惑する。
彼女の様子を眺めて、テスカトリポカは自分自身にも決意するような口調で言う。
「余計なことを吹き込んでお前が不安定になったら、その力は大地を滅ぼすからな。今は、言えん」
――今言ったら、あたしが不安になるようなことなんだ……。
嫌な予感に胸がざわつくけれど、テスカトリポカの言うことも尤もだった。シェータはそう自分に言い聞かせて、テスカトリポカに願い出た。
「では、全てが終わった後に、教えてください」
深く響く重低音の声が、遠慮がちに答えた。
「………良いだろう」
テスカトリポカは、砕けた壁から覗く白い光を眺めた。東の空が少し明るい。もう数刻したら夜明けのようだ。
「もう話は良いだろう。じきに、儀式の刻となる。急げ、皇子を救うためにな」




