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緑風のシェータ  作者: 日野咲夜
第3部 そして終末へ
18/25

第16章 前夜戦

後半の描写をする際にアトルとシンクロしてしまい……

何だか…とても疲れる執筆でした(^_^;)

 「え………」

 テスカトリポカの突然の申し込みに、アトルは呆然と立ち尽くし、言葉を失った。辺りは静まり返っていて、木の葉のさざめきが異様に大きく聞こえる。

 しばらくしてから、アトルはようやく口を開いた。

 「……それは一体、どういうことなのですか……!?」

 驚きからか、それとも恐れからか。声は震えていた。知らず知らずの内に両拳を握り締める。

 テスカトリポカは親指でシェータを示し、笑みながら言った。

 「そこの緑の神に頼まれてな。尤も、緑の神の願いは、自分自身が戦うことだったが。それはつまらぬのでな」

 「シェータ……」

 テスカトリポカとアトルの二人に凝視され、シェータは少し居たたまれなさそうに身じろぎした。後ずさりしようとしたが、コガラシに背中を押され逆に前に進み出てしまった。

 何か言わなければともじもじしていると、アトルの方から声をかけてくれた。

 「…ありがとう、シェータ。もうこれで、思い残すことはない」

 「……え」

 ――……“思い残すことはない”って……?

 「テスカトリポカ様」

 困惑するシェータをよそに、アトルはテスカトリポカの前に片膝をつく。そして、胸に手を当て、頭を垂れる。艶やかな黒髪がゆらりと垂れる。

 「貴方の御心、ありがたきに存じます」

 「では」

 「はい」

 アトルは、凛とした黒の眼差しでテスカトリポカを見上げた。

 「謹んで、受けさせてもらいます」


     ◆◆◆


 「! アトル!?」

 大人数で友人の小屋の前まで行くと、一人待ちぼうけをくらって、武器の手入れをしていたメツスィーの姿があった。彼の手には磨き途中の短剣が握られていた。さらに、小屋の前には、西日の紅い光の下でで物騒な金属がギラギラと様々に輝いていた。……物騒すぎる。

 「メツスィー、久しぶりだね」

 アトルは物騒すぎる様子に苦笑いしながらも、近寄ってきたメツスィーの肩に軽く手を置き、いつものように微笑んだ。…いや、いつもに増して、その笑顔はすっきりとしていた。

 そのアトルの異様な風貌に、メツスィーは一瞬目を疑った。

 「……アトル、その装束は…」

 「ああ」

 アトルは自らの装備を見直した。深い緋色に染められた麻のマント。胸を守る防具。ジャガーの革で拵えられた保頭具。

 戦闘装備だ。

 「テスカトリポカ様と戦うんだ」

 「ええ!?」

 大げさに声を上げて、メツスィーはアトルの背後でほくそ笑んでいるテスカトリポカを仰ぎ見た。彼は腕を組み、待ち遠しそうに舌なめずりしていた。彼の方もやる気は満々のようだ。

 メツスィーは、少しだけ意外そうな顔をしていたが、いくらか納得できたのか、「なるほどね」とでも言うように肩を竦ませた。

 「……そうか。良かったな」

 「シェータとコガラシのおかげだよ」

 「え? …コガラシも?」

 「そう」

 心から感謝しているようにアトルは笑い、二人の少女神を見つめた。シェータは照れ臭そうに赤面し、コガラシは何でもないことのように口をつむいでいる。

 アトルは彼女らに微笑ましい視線で笑いかけ、そしてメツスィーに言った。

 「テスカトリポカ様から聞いたんだ。コガラシはテスカトリポカ様を説得するために、長い時間戦い続けていてくれた。シェータも、テスカトリポカ様に願ってくれた。二人には、とても感謝しているよ」

 メツスィーは、驚きでいっぱいのようだった。それもそうだ。あの冷ややかなコガラシがそこまでしてくれていたとは思いもしなかったのだ。

 でも、そう考えてみればこの状況も理解できる。

 よくよく見てみれば、コガラシの衣はあちこち破れているし、頬には微かにだが、血を擦ったような跡がある。どうして今まで気づかなかったのだろう。

 ――まさか、あえて見ないようにしていた?

 ………いや、違うだろう?

 「ところでさ、メツスィー」

 「あ、ああ、なんだ?」

 メツスィーは自分の雑念を追い払うかのように、その事実から目を離した。

 「僕の装飾剣は、まだ持っていてくれてる?」

 「ああ、それならあそこに……」

 メツスィーは、日向に晒してある沢山の武器の中から、一際輝いて見える短剣を指差した。アトルはそれを拾い上げ、感覚を確かめるように柄を握ってみたり、刃を撫でたりしている。

 「おいアトル。まさかとは思うが……装飾剣で戦うつもりか?」

 「ああ、そうだよ」

 「無理だ!」

 アトルの使用する武器が分かった途端、メツスィーは声を荒げた。

 「それは“装飾剣”なんだぞ!戦闘に使うものではないし、何より短剣で戦うのは危険だ!」

 「それは違うよ、メツスィー。これを見て」

 アトルは楽しげに笑って、短剣の刃を指差した。言われるようにメツスィーはそれを覗き込む。磨き抜かれた刀身がメツスィーをぎらりと睨んでいる。

 「これはただの装飾剣じゃない。れっきとした戦闘用武器なんだ。刀身に使われているのは極上の金属。柄の部分の丈夫さも申し分ない。父上から譲り受けたこれは、装飾剣と見せかけた立派な守り刀なんだ」

 アトルからそう説明され、メツスィーはようやく納得した。

 「……そうか。なら、問題ないな」

 「もちろん。勝つつもりでいるよ」

 シェータは、メツスィーと楽しげに話すアトルを見つめていた。そう言って笑うアトルの顔はいつもよりも頼もしかったが、なぜか不安が残った。それはきっと、先程のアトルの心が心のどこかに引っかかっているからだろう。

 ――前にも、こんなことがあった気がする………。

 「シェータも」

 「っ! え、何!?」

 突然名を呼ばれて、シェータは思わず肩を震わせた。同時に不安が一瞬にしてどこかへと飛んでいく。仕方ないだろう、アトルのこんなに明るい笑顔を見せられたら。

 「心配しないで。これまで助けられてばかりだったけど、僕だってアステカの戦士なんだから」

 「……本当?」

 「もちろん」

 やはりほんの少し心配しながらおずおずと尋ねるシェータに、アトルは大丈夫と言いながら頬に口づける。たったそれだけのことで、シェータは一気に真っ赤になった。

 「え!? え!? ええ!?」

 「心構えはできたか、アステカの皇子よ」

 見ていて恥ずかしくなるような二人の様子に飽きたのか、テスカトリポカが少し早口にそう言った。すぐさまアトルはシェータらの元を離れ、メツスィーから預かった剣を構える。

 「はい、いつでも」

 ―キンッッッ――!!

 答えるのとほぼ同時に、アトルはテスカトリポカの懐へ飛び込む。そして自らの愛用の剣を振り翳す。テスカトリポカはそれをあっさりと盾で受け止め、跳ね返す。高音の金属音が甲高く鳴り響く。

 双方は互いににやりと笑った。

 「なかなか、良い腕だな!」

 「貴方ほどではありませんよ!」

 そしてまたアトルは踏み込む。今度は右足の先に力をこめ、左下から一気に剣を振り上げる。テスカトリポカもまた、盾ではなく己の鏡の輝きを持つ剣でもって相殺する。

 テスカトリポカの力は、人間の予想をはるかに超えていた。

 強すぎる剣圧に、アトルの細い体は容易く飛ばされる。背後の太い樹の幹に強かに背中を打ちつけ、痛みに咳き込む。衝撃で切ってしまったのだろうか、口の中に鉄臭い血の味が広がる。

 それでも自分の手に良く馴染んだ短剣はしっかりと握っていた。

 「く……」

 少し苦しそうにアトルは呻いた。すかさずテスカトリポカが襲いかかる。

 「隙だらけだぞ! どうした皇子よ!」

 大神は何の躊躇いもなく勢いよく長剣を振り下ろす。まだ体勢が整わないアトルは、咄嗟に地面を転がって避けた。短い草の生えた地面に、鋭い剣先が突き刺さる。空を切る音が鮮やかに耳へと届く。

 「避けたか」

 テスカトリポカは少し悔しそうに舌打ちした。視線の先のアトルは、何とか体勢を立て直し、また剣を握ったところだった。

 「まだ……負けられない」

 テスカトリポカと比べて、アトルは既にぼろぼろになっていた。どちらが不利なのかは一目瞭然だろう。それでも、彼は挑むのを止めなかった。

 「僕は貴方を倒す!」

 自棄やけなのか、それとも無心だったのか。アトルは無謀ながらも、直面からテスカトリポカに向かっていった。まっすぐに向けた短剣の刃が陽の光を受けて紅く輝く。

 「自棄か」

 テスカトリポカは急に冷たい視線になってそう言うと、左足で向かってくるアトルを蹴り払った。

 物凄い力を真っ向から受け、アトルはまたもや吹き飛ばされる。今度は、大事な身を守る短剣までも手放してしまった。

 派手に弾んで、アトルは地面に転がる。背中が息も出来ないほど痛い。起き上がろうともたついたところを、すかさずテスカトリポカに抑えつけられる。首元には鋭い長剣が突きつけられていた。

 テスカトリポカはつまらなそうに鼻を鳴らした。

 「ふん、この程度か。所詮、人間なんてこんなもんだな」

 「なん…だと……」

 せめてもの抵抗をと、アトルは血に紅く染まった両手で、テスカトリポカの首を絞めつけようとした。すかさずそれを離され、両腕を切り込まれる。真っ赤な鮮血が飛び、アトルは小さく堪えた悲鳴を上げた。

 テスカトリポカは、それを面白そうに残酷に笑い、アトルの首筋に刀身を当て、薄く切りつける。つうと、血が流れた。

 笑うテスカトリポカの表情が、一瞬だけ、悪魔のように見えた。

 「人間は、ここ(・・)を切られると死ぬらしいな。どうだ、皇子よ? 降参はしないのか?」

 「くっ……し、ないっ!」

 「いい度胸だ」

 そして次に、右肩に剣を突きつけ、そのまま、何の躊躇もなく、深く切り込んだ。

 アトルの絶叫が響く。

 「あああぁぁぁぁぁぁ!!」

 テスカトリポカは勝ち誇った声で冷酷に言い放った。

 「ここまでか。アトル・イルウィカミナよ」

 「アトル!!」

 さすがに見ていられなくなったシェータが、止めようとするメツスィーの腕を振り切って駆けつける。

 アトルにのしかかって好き勝手切り刻んでいるテスカトリポカを押し退け、アトルに抱きついた。

 「アトル! アトル!」

 「シェータ……死んでる訳じゃないから、邪魔しないで…」

 「嫌!」

 血に塗れた腕で、アトルは必死にシェータを退かそうとしたが、彼女は動かなかった。

 「嫌、嫌! このままだと絶対アトルは死ぬもん! きっと……絶対……」

 「いい加減にしろッ!」

 いつもとは違うアトルの怒声に、シェータは硬直した。その場にいる全員が呆然として彼を見つめた。

 アトルはシェータを制してゆっくりと起き上がり、テスカトリポカを睨みつけた。

 「僕は戦士だ! 戦いの途中で諦める訳にはいかないんだ!!」

 「死んだら何にもならないでしょ!?」

 「良いんだ、僕はもう死ぬ運命にさしかかってるんだから!!」

 ―――え!!?

 アトルを説得し続けるシェータの動作が止まった。それだけではない、メツスィーも驚愕で身動きを取れないでいた。

 「今、なんて………」

 シェータがぽつりとそう呟くと、アトルは「失敗した」とでも言っているような顔になって、シェータの腕を掴んだ。テスカトリポカとコガラシは、二人を憐みの目で見ていた。

 シェータは捕まれたアトルの手を、無意識に振り払った。彼は必死で弁解した。

 「違うんだ、シェータ! そんなつもりで言ったんじゃない!」

 「もうすぐ……死ぬの? 死ぬって……死ぬなんて」

 頭の混乱に満ちて、何も分からなくなった。脳裏を一つの暗い言葉が巡る。死、死、死………!

 「やあぁ!!!」

 「シェータッ!」

 悲鳴を上げ、シェータはその場に倒れた。煌めく銀の髪が、乱れて地面に広がる。

 アトルが彼女を抱き起そうとした、まさにその時だった。

 「アトル皇子!!」

 現れたのは、神殿の警備をしていた何人もの衛兵たち―――。

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