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緑風のシェータ  作者: 日野咲夜
第3部 そして終末へ
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第13章 決意

 ピタン……と、雨粒の落ちる音で目が覚めた。

 ふっと意識が戻り、視界が開ける。

 シェータは狭い石壁の獄舎の中で仰向けに転がっていた。

 体にのしかかる重さを、こんなに意識したのは初めてだ。頭がズキズキと痛くて、体が怠くひどく重く感じる。

 脱力したまま、ぼんやりと目を開け、天井を見つめる。天井は暗くて先が見えず、辛うじて結露で出来たものであろう水の雫が光っているのだけ分かった。

 ピタン、と雫がシェータの鼻の上に落ちる。まるで氷水のように冷たかった。

 おかげで、頭が冴えた。

 急速にこれまでの経緯が頭を過る。

 神殿の炎、大地を這う大蔦、沸き立つ人々……。

 そして自分は、沸き立つ民衆の手によって、気絶させられて……。

 ここは、おそらく獄舎で………。

 シェータは飛び起きた。

 ――あたしは、こんな所で何をしているの?

 いつまでもここには居られない!

 頭に今やるべきことの答えが浮かぶなり、シェータは行動を開始する。瞳が生命を湛えてきらきらと輝く。

 心を決めるなり、まず周囲を見渡した。

 周りはごつごつとした厚い石で覆われていた。触ってみるとその石は冷たく、かない固いように思われた。強い腕力を持つ男でも、壁を壊すのは困難そうだ。

 出入口には頑丈な鉄格子。ここもまた屈強な金属でつくられている上に、格子の幅はかなり狭く、ここからの脱出も厳しい。

 上を見上げると、かなり小さかったが、明かり取りの窓があった。弱い光が差し込んでいる。この暗さからして、おそらくもう夜なのだろう。昼間の騒ぎから、ずいぶんと気を失っていたものだとシェータは我ながら呆れる。

 残念ながら、窓からの脱出も無理そうだった。やはり小さすぎる。両拳が入って丁度いい大きさだ。

 四方を固められ、シェータは思わず腕を組んで呻る。何かいい案がありそうな気がするのだが、こんな時に限って思いつかない。

 だが、考えていても始まらない。

 ――考えてる暇なんてない。とりあえず出来る限りのことをすれば…!

 そう決めるなりシェータは顔つきを変え、深く深呼吸する。外からの冷気が頭を冷やす。

 この際、後のことは後で考えればいい。ここでいつまでも考え込んでいたら、その「後」だってなくなってしまうかもしれないのだ。

 小さな草花の神は、両手を地面に張りつかせ、念じ、そして叫ぶ。

 「万緑の木々の根、永久にその栄を知らせる大地の主よ! 今その覆いを打ち破り、地中より出でよッ!」

 ―――キイィィィィン………。

 辺りに響くのは、まるで超音波のような、高い奇妙の音。

 ――そして現れるのは、巨大な木の根の群。

 「忌まわしき檻を破壊せよ!」

 シェータの声と共に、赤茶の根が獄舎の地面から破り出て、四方八方に蠢き出す。根は壁を食いちぎるように壊し、大穴を開け、群れを成して地上を突き進む。そしてみるみる内に周囲を崩壊させていく。

 壊された石が、音を立てて崩れ落ちる。むせ返るような煙が辺りを覆う。

 根は地面を鮫のように動き回り、身に当たるもの全てを破壊していく。

 獄舎は、見る影もない程に壊されていく。

 すると、崩れた石壁の中から、むくりと人影が起き上がった。それも、数人。

 濃煙の中から現れた彼らは、シェータと同様に、獄舎に収容されていた罪人たちだった。ほとんどが体格の大きい者ばかりで、シェータなど片腕で押さえつけてしまえそうな強力ごうりきの男達だった。

 髭面をした一人の男が、親しげにシェータに話しかける。だけどニヤニヤ笑う口もとはどこか嫌らしくて、あまり好印象ではない。

 「よう、異形人の嬢ちゃん。ありがとな。おかげで俺らも出ることが出来た。感謝してるぜ」

 ――しまった!

 自分はなんてことをしてしまったのだと、今更後悔した。

 獄舎そのものを壊してしまったらどうなるか、失念していた。他にも極悪な囚人達がいる可能性を忘れてしまっていた。

 けれど、やってしまったものが仕方がない。自分で収拾をつけるしかない。

 そう思い、シェータが再び根を動かそうとしたその時だった。

 「これは何事だ!」

 見張りの兵士達のご到着だ。


     ◆◆◆


 「……それで、囚人達の騒ぎは?」

 傍に張りつく衛兵達が畏まって答える。

 「はっ、一時臨時の牢へ入れましたので、ご安心を」

 「そうか」

 アトルはにこやかないつもの彼とは違い、そっけなく答えた。対する衛兵も冷たい口調で淡々と答えるので、互いが嫌悪し合っていることがよく分かる。

 石廊下をスタスタと突き進みながら、アトルは前を向いたまま尋ねる。その時彼が少しだけ苦い表情をしたことに、衛兵は気づかない。

 「確か、異形人がいたと聞いたが」

 「ああ、銀の髪をした少女のことですね」

 衛兵はあからさまに嫌そうな顔をして、声を潜めるような口調で言う。

 「……確か、恐ろしい魔術を使うとか。殿下のおられる神殿を攻撃したのもあの娘だと言われております」

 アトルは衛兵をちらりと横目で覗き、心の中こっそりと溜息をついた。

 ――………そんなことになっているなんて。

 だが、感情を公に出す訳にはいかないアトルは、声音を変えず淡々と言った。

 「その娘、私も見てみたい」

 「は……しかし」

 衛兵は困ったように、というよりは面倒くさそうな顔をして、困惑した。「殿下を危険な目に合わせる訳にはいかない」ではなく「余計なことをして面倒なことを起こしたくない」というのが本音なのだろう。

 苦渋を示す衛兵に少々じれったさを覚え、アステカ第2皇子殿下は少し強めの態度に出てみた。自然と、声の音程も低くなる。

 「別に構わないだろう。それとも、じきに生贄として神の元へと行く私には、多少のわがままさえ許して貰えないのか?」

 「めっ…めっそうな! そんなことはありません!」

 衛兵は途端に焦りだして、変に高くなってしまった声で詫びた。そんな彼をアトルは横目で軽視する。

 ――なんて気弱な者だろうか。少しばかり強く言うだけで怯えるのなら、最初から嘗めてかからなければよかったのに。ミクトランだったら、少なくとも眉間に皺を寄せる程度だというのに。

 側近のことを思い出して、アトルは自分の立場に心底嫌気が射した。結局、自分の周りにいるのは権力に張りつく者ばかりなのだ。

 シェータやメツスィーなら、絶対そんな風にはしない。二人とも大切な友人だ。

 他の者達とは、根本から違う。

 「なら、見に行くとしよう」

 考えることにすら嫌気が射して、アトルは空を切って彼女の待つ獄舎へと足早に進んで行った。



 獄舎の入り口には、四人の衛兵が見張りについていた。いつもなら二人なのに、先程の騒ぎのせいか警備も厳重になっているようだ。

 アトルは衛兵に軽く挨拶を交わし、獄舎の中へと入っていく。後から聞こえる潜めた声が耳に障る。

 暗くて湿っぽい獄舎の中を覗くと、一番目につく最初の牢にシェータが居た。囚人騒ぎの時にかなり乱雑に扱われたのか、長くて綺麗な髪はぐしゃぐしゃで、瞳は警戒心で爛々と光っている。

 だが、アトルの姿を見つけた途端、何か望むような幼い目つきに変わる。綺麗な黄色の目は、とろりと蕩ける蜜の色にも似ている。

 ――シェータ………。

 無性に悲しい気持ちになった。

 シェータと視線を合わせたまま、アトルは傍に立つ衛兵に告げる。

 「私と、この娘の二人きりにしてくれ」

 衛兵は、今度こそは認められないといった厳しい口調で言う。心なしか、ミクトランと重なって見えるのは気のせいだろうか。

 「……それは出来ません。殿下に危険が及ぶかもしれません」

 ――本当は、恐れているのは主の危険ではないくせに。

 対するアトルも、強気で対抗する。

 「なぜ神殿を襲ったのか聞きたいのだ。こちらが大人数では、真実も話しにくいだろう」

 「しかし………」

 「いいから早く行け」

 渋る衛兵を半ば叱責するような声音で説き伏せ、さっさと出て行くように目で合図する。立場からして太刀打ちなどできない衛兵は、やむなくといった風に間を開けてから返事をする。あからさまな溜息が角に立つ。

 「…ふぅ………はっ!」

 ひそひそと、見張りの同僚と何か耳打ちしながら衛兵はこそこそと部屋を後にしていった。

 小うるさい衛兵がようやく出て行って、アトルはほっと一息つく。

 ――これでようやくシェータと話せる。

 「――シェータ」

 アトルはシェータの元へと腕を伸ばす。そして彼女の小さな手を掴む。

 シェータは顔色を明るくして、心底嬉しそうにしていたが、何かを思い出し、ふと表情が暗くなる。

 その「何か」というのも、大体想像がついた。

 「あの……ごめん、アトル。また騒ぎを起こして……」

 だんだんと小さくなる声で、シェータはしょんぼりしながら言った。

 その様子を、アトルは少し暖かい心地で見つめていた。自然と優しく温かい感情が生まれる。

 ――不謹慎だけど、シェータのそんな素直なところが、不思議なほど愛おしい。

 自分の手で、守ってあげたい。

 そのためには………。

 アトルは、ふと大事なことが脳裏を過り、掴んでいたシェータの手を放して、自分の胸に当てる。そこには、まるで石のような奇妙な塊が一つ。

 「? ……アトル?」

 シェータが訝しげにアトルを見る。丸い瞳の色が、少しだけ曇る。

 アトルは、自分に言い聞かせる。

 ――もう、僕は心を決めたんだから。それを全うしなくちゃいけない。

 その答えを、シェータは悲しむかもしれないけれど……それ以上に、彼女が傷つくのは見ていられない。

 「シェータ」

 母親が愚図る子供を宥めるような柔らかな声音で、アトルはシェータに語りかけた。

 「僕のことは、もう忘れて」

 ――僕みたいな人間に縛られ、辛い思いをする君を見たくない。

 シェータは怒りで顔を真っ赤にしていた。固く握った両拳が、わなわなと震えている。

 「……何、それ………」

 「シェータ…」

 アトルはシェータを落ち着けようとまた手を伸ばすが、その手は振り払われたしまった。

 いつもの彼女ならそんなことはしないので、アトルは驚いてそのまま固まってしまった。

 シェータの怒りが爆発する。

 「アトルって、いつもいつもそんなことばかり! どうしてすぐ諦めるの!? やらない内に諦めるのは卑怯者のすることだよ!」

 「………そうさ」

 アトルは自分自身を嘆くように、深く、深く、心の奥に響く声で言った。

 「僕は所詮その程度の人間だ。恐ろしくて何にも逆らえない。自分の人生すら、自分で決められはしない」

 「だから…」

 「でもッ……!」

 シェータを遮って、アトルは自分の心の内を吐き出した。

 「……このことは、自分の意志で決めたことなんだ」

 たとえるならば、太い樹の幹のような。芯の通ったしっかりとした声で、アトルは言う。自分の本心。

 「あの時のご老人は、自分の思うままに生きなさいとおっしゃった。だから僕は、そうしようと思う。僕は……自分が生贄になることよりも……シェータが」

 苦々しい表情が心の奥をつく。アトルは目を固く瞑り、その言葉を口にする。

 「…シェータが、そのことで苦しむことの方が嫌だ」

 ――……これは、何か特別な感情なのだろうか?

 そろそろと目を開けると、シェータが今にも泣きだしそうな顔でこちらを見ていた。頬がほんのりと赤かった。

 「………分かった」

 消え入りそうなほどの小さな声で、シェータは答えた。

 「……アトルがそう言うのなら、あたしは、アトルの最期の時を、心から祝福するよ……」

 たとえそれが、最後の会話であろうとも。

 アトルは、鉄格子越しに、やんわりとシェータを抱き締めた。華奢で小さな体は、ちょっとしたことですぐに折れてしまいそうだった。

 アトルもまた、透明な声で呟いた。

 ――……ありがとう。

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