第11章 命あるものなら
今回見直しが手抜き気味。
おかしな文章があったらスイマセン><
「………」
テスカトリポカ捜索を始めて、早くも五日が過ぎていた。
テスカトリポカの行方は、未だに知れない。下級とはいえ、神であるシェータにさえ、見つけることは非常に困難だった。毎晩毎晩、シェータ、メツスィー、アトルは、どうするべきなのかと、こっそりと話し合いを続けてきた。
しかし、その集いにコガラシが姿を現したのは、まだ一度もない。彼女は天界に行ったまま帰ってきてなかった。
「……いくらなんでも、変じゃないかな」
シェータが独り言のようにぽつりと言った。場の空気がどんよりと曇る。
コガラシはシェータよりも有能で、意志がはっきりしているのは彼女自身も、メツスィーやアトルも認めている。シェータではまだ危ないところが多いだろうが、コガラシは一人でも大丈夫だろうと。だから、そのコガラシが、まだ帰らないことが、どうしても気になって仕方がなかった。
「……天界までテスカトリポカを探しに行ったんだから、それだけ時間がかかるんじゃないのか?」
メツスィーが腕を組んだまま、淡々と述べる。シェータは、それは違う、というように頭を振った。
「地上と天界の距離はそんなにないし、何より上級の神々はよほどのことがなければ自分の神殿を離れないって聞いたの。だから、そんなに時間がかかるはずは……」
――だったらなぜ、コガラシは来ないのだろう?
素直な疑問が頭に浮かんだ。
確かにコガラシは気まぐれで、自分が思った時か、命令を受けた時にしか行動しない。
でも、彼女は本当は情に厚いのだということを、シェータはこの間知ったばかりだ。本当に気まぐれで、友のことなど何とも思ってないのなら、大変な思いまでして協力などしないはずだ。
――コガラシ……何があったの…?
頭を整理しようと、シェータは窓際に寄って外の景色を眺める。満天の星がいつもより輝いて見える。月が見えないだからだろうか。
「――あ!」
シェータはふと思い出した。
――そうだ、そういうことだったんだ!
「どうしたの? シェータ」
大声を出さないように、と唇に人差し指を当てながら、アトルは訊く。その彼の顔には、少しばかりだがくまが出来ていて、生贄としての祭祀とテスカトリポカ捜索の日々の辛さが目に見える。コガラシのこともあって、いっそうやつれているように見えた。
シェータは勢いよくアトルの方を振り向き、早口で告げる。白緑の長い髪がばさりと揺れる。
「うん、あのね! 今日って新月だよね!? でね、神々は新月の晩には地上に降りられないの。だから」
「……まさか、テスカトリポカ様が、その『月』を司る神だということを、忘れてはいないでしょうね。シェータ」
待ち焦がれていた冷ややかで、そのくせ温かい声がして、シェータは咄嗟にその声の方に向く。
窓枠を掴んで、部屋の中を覗き込んでいる少女の姿がそこにあった。
「コガラシ!」
嬉しさでシェータは彼女に飛びつく。コガラシが、少し驚いたように目を丸くした。まるで子供のようなシェータの様子に、アトルはくすっと笑い、安堵に胸を撫で下ろす。メツスィーも、今まで固く苦渋していた表情を、ほんの少し和らげる。
だが、心なしかコガラシの表情は重く沈んでいた。
シェータもそのことに気付く。
「…コガラシ?」
コガラシは、いつもと違う割り切れない表情で、躊躇いながらシェータにそのことを告げた。
「シェータ………天界に、テスカトリポカ様はいなかったわ……………それと」
一旦言葉を切って、心底辛そうに言った。
「……急な、仕事が入ったの。断ることの出来ない……だから私は、もう戻らないといけない。だから……協力は出来ない」
シェータの表情が、だんだんと沈んでいくのが目に見えて分かった。彼女のそんな様子を見て、コガラシはつくりではなく、本当に申し訳なさそうに一言だけ誤った。
「悪いわね…」
それだけ言うと、コガラシはまた去っていった。矢のような飛び方ではなく、行き先の分からない船のような不安定な飛び方で。
その後ろ姿を、シェータは寂しげに見つめていた。
――コガラシ……。
何とはなしに、シェータはアトルの方を振り向く。
彼はシェータの今にも泣きそうな顔を見るなり、うっすらと微笑んだ。大丈夫だよ、きっと――そう言う風に言ってくれているのだと思うが、そういう彼の顔にも、不安の色は見え隠れしていた。
それがただ辛い顔をされるよりも、さらに苦しく思えて、シェータは強く強く唇を噛んだ。
――どうしてこんなにも、上手くいかないのだろう……。
ぎゅっと両拳に力を入れる。突き刺さる爪の痛みよりも、友人の思いの方がずっと痛かった。
彼らを見かねたメツスィーが、ある一つの提案をする。
「なあ、シェータ……」
◆◆◆
いつものように蔦の梯子をつくり、アトルとシェータは神殿から抜け出す。
新月のおかげで、神殿の周りはいつもよりも暗く、脱出は容易だった。深緑の木々も手を貸してくれて、衛兵には気づかれなかったようだ。
「……こんなに易々と突破できるんじゃ、帝国の衛兵もまだまだだね」
自国の兵の情けなさに、アトルは思わず苦笑する。戦争では誰よりも勇ましくても、守備がきちんとできていないのでは意味がない。今では、そのことが逆に好都合となったが。
神殿の近くにある小さな林を進むと、そこだけ木々がぽっかりと空いた場所に出た。
シェータとアトルはその中央まで進むと、その柔らかい草原に腰かける。夜の空気に冷やされた地面が、ひやりと気持ち良かった。
そのままごろんと寝転ぶと、天上の星が一斉に瞬くのが目に入る。春爛漫の時期を越え、直に夏へと移ろうとする夜空は、ほんの少しだけ明るくて、それでも冬空のように透き通っていて美しかった。
シェータが、一つ伸びをして呟く。
「久しぶりだね。こんな風に、のんびりと話が出来るのも」
「本当に」
アトルもシェータに倣って、寝転んで天上を眺める。天の星々が返事をするように、きらりと輝く。
「ここ数日は、君とたわいもない話をする機会もなかった」
「そうだね。メツスィーに感謝しなくちゃ」
メツスィーの提案とは、二人で会話する時間を設けることだった。彼の言い分はこうだ。
『たまには、気を抜いて休息をとるのもいいんじゃないか。二人で、星でも眺めながら散歩してくるといい』
こんな状況下で、とシェータは思ったが、アトルはその通りだと思ったらしく、こうして二人で散歩に来ていた。
シェータはにっこりとした笑みを、アトルに見せる。そんな彼女の様子を見て、アトルはふふっと笑う。
「え、何?」
自分は何かおかしいことを言ったのかと、シェータは顔を赤らめてもじもじと身じろぎする。その度にさらさら揺れる長い髪は、天の星がそのまま落ちてきたようだとアトルは思う。
「いや……そうじゃなくて」
言いかけて、アトルは言葉を区切る。そしてふいと夜空を見上げる。
じゃあ何か、とシェータは疑問に思いながら、アトルの横顔をじっと見つめていた。黒曜石よりも黒い瞳、長い睫毛、癖のある艶やかな黒髪。よくよく見てみれば、アトルはシェータよりもずっと美しい顔をしていて、シェータは自分が恥ずかしくなった。生贄に選ばれるのは、高潔な者で……できれば美しい者だから、なるほど、アトルはぴったりなのだと改めて実感する。
アトルの瞳の奥をじっと眺めていると、彼の瞳孔は、星よりもずっと先を見ているのだと分かった。星よりも太陽よりも先にある、可能性。彼は、そんなものを見ているのではないかという気がした。
「初めて会った時も、君はそんな風に草原に寝転んでいたなって、思い出して……」
唐突にそんなことを言われ、シェータは顔を真っ赤にしてしまった。
……そしてなぜかアトルまでも赤面する。
そのせいで、二人とも何も言えなくなってしまった。
ざわ、と夜の風が吹く。
シェータは、何か言わなくては……、と思った。
このままだとかなり居たたまれない。アトルとこうしていられる時間は少ないのに、頭の中はごちゃごちゃで、何を言いたいのかが浮かんでこない。
――だ、誰か……どうすればいいのー……。
「ねえ、シェータ」
助けを求めかけていたところで、アトルが話を切り出し、シェータはほっと息をつく。
「な、何?」
心から安堵した笑みでアトルの顔を見てみると、彼は妙にすっきりした表情をしていた。何か、分からなかったことが分かった時のような……そんな解放感に溢れた笑顔だ。
彼は、自分でもこんなことを言うのは馬鹿らしいという風に、苦笑しながら言った。
「人が死ぬときに、その思い出自体も死んでしまえばいいのにね」
――ええ!?
今、何か、恐ろしく暗い響きを持った言葉を聞いた気がする。しかも、言った本人は、笑いながら……。
「アトル………?」
「さあ、そろそろ戻ろう。夜は短いんだから」
アトルはそういって、さっさと立ち上がる。そして寝そべったままのシェータに手を差し伸べる。やはり、解放感ある笑顔で。
彼の手を握り、シェータはゆっくりと立ち上がる。その間も、彼女は訝しげに眉間に皺を寄せたままだった。
――『思い出自体も、死んでしまえばいいのにね』――
その言葉が頭から離れない。
一体どういうことなのだろう……。
二人は手をつなぎながら林の中、帰路を行く。その間も、二人は何もしゃべらずに、ただ黙々と歩き続けていた。
シェータはずっと俯いている。先程のアトルの言葉が未だに理解できないでいたからだ。
どういうことだろうか、どうしてだろう…。そんな疑問が絶えない。
ふっと前方に光が射す。衛兵かと思い、二人は咄嗟に麻布を被る、だが、時既に遅しのようだった。
辛うじてよかったことといえば、相手が衛兵ではなかったことだろうか。
二人の前に現れたその人物は、小さな松明を掲げた、腰の折れた老人だった。白髪は所々剥げており、来ている服もぼろぼろだ。見たところ、農民のようだ。彼は、まるで珍獣でも見たように、目を見開いてる。
シェータが弁解をする前に、その老人が口を開く。周りを気にした、潜めた声で。
「貴方は、イルウィカミナ殿下ではありませんか! このような場所で何をしておられるのです!」
老人は怒っているというより、困惑しているようで、それほど言葉に刺々しさはない。
それで弁解する必要はないとアトルは判断したのか、被りかけた麻布を剥いで、背筋を正す。そして、凛とした皇子らしい声で老人に告げる。
「ご老人。私たちは我らが神、テスカトリポカ様を探していたのです。ですが、かのお方は夜の神ゆえ、こうして民の寝静まる深夜に探していたのです」
その淡々とした口調に、さすがだとシェータは感服する。
老人は、なぜテスカトリポカを探すのか、その理由を理解したようで、だがそれでも尋問を続ける。
「テスカトリポカ様に願いを打ち明けるおつもりなのですか!? お止め下さい! 貴方はウィツィロポチトリ様の生贄にならせられる方ではありませんか! そのようなお方がなぜ……」
といいかけて、老人は傍に立つシェータを見て納得する。麻布と影のおかげか、特異な髪の色は見えなかったようだ。
「……なるほど、愛する者がいらっしゃると?」
「はい。そうです」
――愛する者。
その響きに、シェータは思わず舞い上がってしまいそうになった。が、その反面、アトルは自分のことを「友達」として思っていることを思い出し、少しばかり残念に思った。
老人は、年季を重ねているらしい悟りきった声で、アトルに言う。
「ほう、愛する者のためですか……それならまだ分かりましょう。愛する者は、自分の命、名誉に等しいものといいますから……」
老人は、ふっと懐かしむように夜空を見上げ、笑った。笑っているのに、少し悲しんでいるように見えるのは、錯覚だろうか。
「貴方は、命のあるお方なのですね……」
「…え……?」
生きているのに何を言い出すのかと、アトルもシェータも目を丸くして驚く。老人は、その反応を喜ぶように流し見て、まるで自分の孫にでも教えるように伝える。
「ある国の一説では、人は体と心に別れているといいます。体とは、その通り肉体のこと。では、心とは何か?」
老人の問いに、アトルは当たり前だと言うかのように淡々と答える。
「心とは、心臓のことでしょう。心の臓と書くのですから。生贄の儀式でも、自身の心を捧げるために、心の臓を抜き取ります。なぜ、そのようなことを問うのです?」
(うんうん、そうだよね)
アトルの後ろにこっそり隠れながら、シェータもアトルの答えに賛同する。そのほかの答えがあるはずがない。
老人は満足そうに、ふふと笑う。何かを隠している笑い方だ。
「それは違いましょうぞ、殿下」
「何が違うというのです」
その隠している何かは、すぐに明かされた。
「心とは、命のこと。その者の生きたいと願う意志のことございます」
老人はまた空を見上げ、過去を振り返るように話し始める。
「これまで、沢山の者が生贄として捧げられていきました。幼子から、私のような年老いた者まで……様々です。彼らは皆、生贄として選ばれて最高の栄誉だと浮かばれておりましたが……全て、命なき者でございました」
老人は続ける。
「確かに、名誉とはこのアステカの国の者にとっては何ものにも変え難い者。……ですが、それ以上に大切なものもありましょう。その大切なものがありながら、生贄となった者は皆、心を失ってきたのです」
林が、さわ、揺れる。まるで老人の話に耳を傾けているように。
「心を失った者は、生きていないも同然です。彼らは、神に捧げる命などない……心を殺してしまった時点で、既に命などあり得ないのですから」
老人は、アトルと、その後ろに隠れるシェータを順番に見、そして優しい声で言った。
「貴方は、そうはなっていないはずです」
アトルは図星をつかれたようで、少し意外そうな顔をしている。今まで、そんなことを言う人は、周りにいなかったから。
「生贄がいくら名誉だと言っても、死ぬことには変わりない。命あるものなら、誰だって死ぬのは恐ろしい。ならば、その心のままに行動する。そうしてもいいではありませんか?」
ぽろりと、アトルの黒い黒曜石の瞳から、細い涙が零れた。
けれど彼はそれを隠さない。最後まで、真摯に老人の話を聞き届けるつもりだ。
シェータは、つないだアトルの手を、ぎゅっと握る。そうして、心の中で言った。
――そうだよ。たとえ生贄が最高の名誉でも、生きたいと思っていいの。
老人は懇願するように告げた。
「貴方には、命を失くさないでほしい……心を殺さないでほしい」
アトルは、彼らしくもなく、ぼろぼろと涙を流しながら、立ち竦む。いや、「彼らしくもなく」というのはおかしいのかもしれない。今までのアトルが、実はつくりもので、今こうして触れているアトルが、きっと本物なのだ。
「先程私は、『生贄になられるのに、なぜテスカトリポカ様を探すのか』と問いましたね。それなのに心を殺さないでほしいというのも、おかしいことでございましょう。ですが、なぜでしょうかね。貴方を見ていると、まだ若いころに殺された、私の息子を思い出すのですよ」
アトルは濡れた瞳で、老人を見つめる。
「かの息子は、心を殺してあの世へ旅立ってしまった……家族や、当時仲の良かった恋人を置いて。その時私は、貴方方皇族を、心底憎らしいと思いました。」
そこから先の彼の話は、ほぼ願いといってもいいものだった。
「なぜ、国のためにこうまで尽くしている我らが、ここまで悲しい思いをしなければならないのか。生贄など、名誉と称した都合のよいものなのではないかと。本当に、心底憎らしくございました。先程貴方の話を聞いた時には、生贄になってしまえばいいと思ったほど……」
アトルは、苦しみに顔を歪ませて、本当に申し訳ないと思っているようだった。
だが、老人はふっと肩の力を抜き、いたわるように言った。
「けれど、思ったのですよ。皇族も、同じ人間だと。それは変わらないのだと。こうして、愛する者と名誉に挟まれて、試行錯誤することもあるのですから……」
つぅっと、冷たいものがシェータの頬を伝った。そこで初めて、シェータは自分が泣いていることに気付いた。
老人の話を聞いていると、まるで母親の腕の中にいるように、心が温かく感じた。
最後に、老人はアトルを優しく見つめ、そして言った。
貴方が、本当に命あるものならば、自分の思うように生きなさい―――。




