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第9話

 今年に入ってしばらく経ってから、勝巳の帰宅時間が少しずつ遅くなっていることに気づいた。

  最初は仕事が長引いているのかと軽く考えていたけど、何度も続くとどうしても気になってしまう。このところは屋外ロケが続いていて、日没と同時に現場はお開きになる。仕事が終われば、いつも真っ直ぐに帰ってきてくれる人だった。

「後輩が入ってさ。仕事が引けた後、色々教えてやってるんだ」

  勝巳は監督の下でいつの間にか有能な人材のひとりになっていた。監督から撮影上の相談を受けることも増えてきたって言う。いつの間にか、後輩指導もするようになっていたらしい。

「ふうん」

  私はそう答えながら、いつもより減りの悪いお皿を片づけた。残り物をタッパーに移して、お皿を流しに片づける。そして、はたと気付いた。

「もしかして。晩ご飯、食べてきたの?」

「……ああ、実は」

  勝巳はばつが悪そうに下を向いた。

「その新人と軽く食べたんだ、ごめん」

  思えばそのときに気づくべきだった。なのに疑うことを知らない私はすぐさま答える。

「ごめんって、別にいいのよ、それならそれで。でも正直に言ってくれたら、こんなにたくさん作らなかったのに」

  いつだって、勝巳の食欲に合わせて食事を作る。食べ足りないと可哀想だからって、少し多めに。だから、勝巳が食べてくれないと大量に残ってしまってもったいない。

「わかった、これからは電話する」

  そのとき、勝巳は私と目を合わせなかった。

  ――でも。

  まさか、その後輩が若い女の子だったなんて。

  ある日、勝巳の忘れ物を部屋まで取りに来た今井君が居合わせた私の顔を見るなり、哀れんだ目でこう言った。

「気を付けた方がいいですよ、先輩と彼女。この頃、頻繁に食事に行ったりお茶したり……それもいつだってふたりきりでね。美鈴さん、うっかりしていると先輩に彼女に持って行かれますよ」

「馬鹿言わないでよ~」

  今井君が呆気にとられるくらい明るく返答してた。

  そのときの私には、彼の杞憂が滑稽なほどおかしかった。ただの先輩と後輩じゃないの、いちいち仕事のことで目くじら立ててたらどうするの? 女優さんなんか、ダンナさん以外の人とばんばんキスするし、ベットシーンだってこなすじゃないの。そんなのに較べたら、可愛いものだわ。

  もっと何か言いたそうな今井君を追い返す。私も出勤時間が迫っていた。


 それきり、しばらくは忘れていた。なのに、ある日偶然見てしまったのだ。

  お店の買い物を頼まれて、問屋街まで出掛けた。そして、食材を包んでもらって店先に出たとき、ふっと見慣れたシャツが通り過ぎた。無意識のうちに、その方向を目で追う。

  勝巳と、ちっちゃな女の子。当然のことながら、彼女の方に視線が行っていた。

  年はハタチぐらい、綺麗にウェーブさせた髪を背中まで伸ばして、はやりの服を着ていた。ふっと垣間見た横顔、その肌の若々しいこと。白くてすべすべした指がレエスの袖からすんなりとのびている。遠目に見ても、触ったら気持ちいいだろうなと思った。スカートからのびた綺麗な足、春色のパンプス。

  映画のパンフレットらしきものを手にふたりは盛んに楽しそうに話している。どんどん遠ざかっていくそのカップルを、私は呆然と見送った。

  それから振り返って、自分の姿をショーウインドゥに映してみる。

  ひっつめた髪の毛、厨房の熱気ですっかり禿げてしまったメイク。ささくれが目立つ指先にがさがさの手の甲。久しぶりにじっくり見つめた私は、三年の月日の間にすっかりと色をなくしていた。

  働きづめの毎日。シールの付いた見切り品を買いあさり、缶コーヒーも買わずに、どんなに喉が渇いても家まで我慢する。クリーニングの必要ない服を揃え、髪もアップにしてパーマ代を浮かした。靴はずっと履きつぶしたスニーカー、スカートよりもジーパンを好んで履いている。二十五歳の私はガラスの中で生活に疲れた中年女性になっていた。

  その日は早めに仕事を上がって家に戻り、ゴミ箱や勝巳の上着のポケットを探っていた。そんなことをしてはいけないとわかっていても、自分の気持ちが止められない。そうしながらも、どうか思い過ごしであって欲しいと祈り続けた。

  しかし願いに反して、レシートがバラバラと出てくる。喫茶店のもの、レストランのもの、回転寿司にイタメシに。それらはすべて、二人分の金額が打ち出されていた。

  問いつめる勇気もなかった。もしも肯定されたらそこですべてが終わってしまう。怖かった、失うのが。


 ある晩、夕食の後にボーっとTVの画面を見ていた。

「……綺麗ねえ」

  思わず、言葉が口から転げ落ちる。

  私が釘付けになっていたのは、いわゆる「スイートテンダイヤモンド」のコマーシャル。結婚10年目にご主人から奥さんに贈るとか言うあれだ。黒い画面にキラキラと宝石の輝きが溢れる。もちろんCGの加工がしてあるんだろうけど。

「何だよ、美鈴はあんなのが欲しいのか? バイトするのに邪魔だろ?」

  くるりと振り向いた勝巳が軽く笑いながら言う。彼は冗談のつもりだったんだろう、でもそのときの私は彼と一緒になって笑えなかった。すると勝巳はおもむろに私の左手を取る。そして菓子パンに付いていた緑色の針金をくるくると薬指に巻いた。

「お前にはコレで十分だろ?」

  本当に、ただふざけていただけなんだと思う。でもいつもなら簡単にやり過ごせるようなその言葉を、笑ってやり過ごすことが出来なかった。

  黙ったまま、指輪を抜くようにその針金を取ると、丸い輪を床に落とす。そのまま、くるりと回れ右した。

「……お、おい、美鈴?」

  さすがにいつもと違う反応に気付いたらしい。勝巳が慌てて背中に声を掛けてくる。

「私、今日は疲れているからもう寝る。お休みなさい」

  布団を敷いたまんまの寝室に飛び込むと。どっと涙が溢れていた。

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