教会
16世紀、イタリア中部の小さな村でのお話です。
村のはずれの小高い丘の上に小さな教会がありました。
村でただ一つの教会でしたが,今ではすっかりさびれてレンガ造りの壁もところどころ崩れ落ち、寄り付く人もありませんでした。
そんな教会に,何時とは知れず一人の女が住みつくようになったのです。
薄汚いぼろを幾重にもまとい,庇の深い頭巾からはみ出した長い黒髪には五色の紐を巻きつけていました。
ジプシーの女です。
なぜ女が各地を集団で放浪する仲間から離れ一人そこに住みついたのか,謎はすぐに解けました。
女が物乞いに村の家々を回り始めた時,村人の幾人かは,彼女の顔を間近にして思わず後じさったといいます。
顔の右半分はすでに腐り落ちていました。
女はひどいライ病に冒されていたのです。
それでも,村人は女を教会から無理に追い出そうとはしませんでした。
いや,そればかりか,今や歩くことさえままならない様子の女のために、わざわざ食事の残りなどを,そっと教会の戸口に置いていく者さえありました。
それは,未だ村人の心に,あのいにしえの聖人の教えが息づいていたせいかもしれません。
日々の貧しい暮らしに追われ,今や日曜のミサに集まることもなくなっていた村人たちの心にも。
その昔、あの教会で聖書の一節を唱えながら多くの奇跡を起こしたという,聖フランチェスコの教えが。
"幸いなるかな貧しき者、御国はそなたのものなればなり
幸いなるかな飢えたる者、そなたは満たされんなればなり"
ジプシーの女も,そんな古い言い伝えを聞き及んで,この教会を終の棲家に選んだのかもしれません。
そんなある日のことです。
戸口に置かれた施しがずうっとそのままになっているのを不審に思った村人が、教会の扉の隙間からそうっと中を覗いて、あっと声を上げました。
女は一人ではなかったのです。
なんと,教会の奥の薄暗がりでうずくまる女は,小さな赤ん坊を抱きかかえているではありませんか。
おそらくは,村に着いたときから既に身重だったに違いありません。
村人は,飛んで帰ってそのことを村の衆に報告しました。
村人達はいろいろ話し合いましたが,やはり結論は一つしかありませんでした。
翌朝,数人の伴を連れた村の長老が教会に出向いて行きました。
女に子供を手放すよう説得するためです。
このままでは,たとえ女が運良く生き長らえたとしても,子供にまで病気がうつってしまうのは目に見えています。
そこで,街道の先にあるポテンツァという町に身寄りのない子を引き取ってくれる修道会の施設があるので,この際そこに預けてはどうか,村の者が責任を持ってその子を送り届けてくるからというのです。
女は子供を抱いたまま静かに話を聞いていました。
でも、頭巾の奥の目元から伝い落ちる涙は隠し様もありませんでした。
見る見る顔の下半分を覆った包帯を濡らしてゆきます。
それでも長老は心を鬼にして女に言いました。
「その子を,あんたのようにしとうはなかろうが」
女はとうとうこっくり頷きました。
でも,明日まで待ってほしいと,震える声で付け足しました。最後の別れがしたいからと。
その夜は季節はずれの嵐でした。
教会の崩れた壁の隙間から横殴りの雨が吹き込んでくる中,時折暗闇を切り裂く稲妻が,女の姿をくっきりと浮かび上がらせました。
祭壇の横,宙に手を差し伸べる聖母マリア像の前で,赤ん坊をかき抱いたまま身じろぎもせずに祈り続けている女の姿を。
翌日,村人が赤ん坊を引き取りに来たとき,女の姿はどこにもありませんでした。
聖母像の前にそっと置かれた赤ん坊の泣き声だけが,暗い堂内にこだましていました。
もしやバカなことをと,村の衆は手分けをして辺り一帯を捜してみましたが、やはりあのジプシー女を見つけることは出来ませんでした。さほど遠くへ行けようはずもない体なのに・・・
ただ,昨夜の嵐で剥がれ落ちた屋根の瓦礫に打たれたのか,マリア像の右目の辺りが大きく欠けていました。
そして、そこに溜まった雨水がぽたりぽたりと滴り落ちる様が,まるで昨夜のあの女のように見えたといいいます。
我が子に最後の別れを告げる母親のように・・・
その後,村人はその赤ん坊を街の施設に預けるのをやめ,村人みんなの子として育てていくことを決めました。
そして誰ともなく、仕事の合間を見つけては、少しずつ教会の修復に取り組み始めたのです。
一つ,また一つと根気よく、崩れたレンガを積み上げていくのです。
それは,村人の日々の祈りにも似た静かな営みでした。
それから二十数年後。
見事に蘇った教会で大勢の村人を前に神の福音を伝える、立派な若者に成長したあの赤ん坊の姿がありました。
"幸いなるかな泣き悲しむ者、その面、笑みに覆われんなればなり"
そして彼の後ろでは,若き司祭をじっと見守るかのように,あの聖母マリア像がいつに変わらぬ慈愛の笑みをたたえていたといいます。