にゃん(葵?歳)
それは、ある雨の日のこと。
大した理由もなく古本屋に出向いた正午のことでした。
「なんですかその物体は」
私が思わず指を指してしまったその物体・・・いや正しくは、夏目さんに抱かれている毛の固まり。
「庭先で雨宿りをしていたところに遭遇して、ね」
そう言って夏目さんが、毛玉・・・いや腕に抱いた猫をもふもふ撫でながら微笑む。
最後の「ね」は尋ねるように猫に言う夏目さんにちょっと和む・・・がしかし、その腕の中の猫がいかようにも・・・何というか。
「ど、どら猫?」
そう言ってしまうのも仕方ないような、でっぷりと貫禄のあるその猫。
私の発言に気分を害したのか不遜な様子で、その黄色の目を細め「な゛~」と低く鳴いた。
※※※
「ねこさんやい」
ぷいっ
「にゃんこ」
ぷいっ
「めんこくない!」
さっきから、ちょっとは愛でようと手を伸ばすものの、綺麗に避けられる始末。
華麗に私の手をスルーした猫は、ぴょいと椅子に飛び乗った。
おい、そこは私の指定席だぞ猫!
私が何時も座る椅子にまんじゅうのように丸まって居座る気満々の猫。
歯ぎしりする思いで見つめていると、後ろからクスクスと笑い声。
「おやおや」
「笑い事じゃないんですよ!」
振り返りながらそう言うと、青灰色がいっそう愉快げに細められる。
じろりと睨んで、頬を膨らませた。
「そう怒らずに」
そう言って、慰める様に撫でられる。
ほだされてなんかやらないんだからね!
そう思うのに、髪を滑って居なくなってしまうその指先を名残惜し気に目で追ってしまう。
「さあ、そこは葵ちゃんの席だよ」
夏目さんが、猫の脇を両手でひょいと抱えて持ち上げた。
そしてそのまま、私の席の隣・・・夏目さんの何時もの場所へ猫を抱いたまま腰掛る。
「お客様はこちらへ」
笑い混じりにそう言って猫をそのまま膝に乗せる夏目さん。
猫はすぐに、もぞりと彼の膝で丸くなった。
そのまるい背中を、夏目さんがひと撫でする。
あの、長い指先で。
私は、一連の彼の動作を瞬きも忘れて、見ていた。
なんだか、胸が、もやもや。
座らないのかい、と夏目さんに声をかけられても、何とも言えず佇んだままになってしまった。
何だか、何というか。
そんな私の様子に、夏目さんがちょっと首を傾げる。
蜂蜜色の髪が流れる様子に何時もは見惚れるところだけれど。
なぜか、猫を撫で続けているその手から目を離せない。
そんな私の視線に気付いたのか、夏目さんがゆっくりと視線を膝の上の猫に向け、そしてまた私に戻す。
「葵ちゃん」
「は、い」
どことなく真剣な眼差しで呼ばれ、ちょっと返事に詰まった。
なにを言われるかと、どきりとしたのだ。
「こっちがいいの?」
「は、」
彼の言葉が理解で出来ずに固まる。
いや、理解は出来ている。
こっちと彼が指さすのは、紛れもなく自身の膝に向けられていて・・・その意味するところは。
「座らないから、膝がいいのかと」
「ち、ちが。ばっちがっ。ちがいますよ!」
無駄にうろたえてしまうのも無理がないでしょう。
あわてて、無駄にどもりつつ強めに否定する。
そんな私に、夏目さんは方眉をひょいと上げた。
「昔は僕の膝によじ登ってたじゃない」
「そ、そんなの嘘だ」
「本当だよ。絵本を読んでと言って」
「・・・う、うそだ」
「最後は、僕の膝で寝てしまってた」
思い出したのか、夏目さんが笑った。
その瞳は、私を映し込んでいるのに、なんだか遠い。
「ずるい、です」
「ん?」
「夏目さんだけ憶えてるの、ずるい」
そんな優しい顔をしないで。
私って末期だ。
本当におかしい。
猫にだって、昔の私自身にさえ、嫉妬してしまうなんて。
独占したくてたまらない。
この綺麗な人に私だけを見ていて欲しいんだ。
変だ。
顔が熱い。
夏目さんの手が私に伸びて、そっと引き寄せられる。
あらがう理由なんて、無い。
だけど顔が見れなくて、その膝の丸っこいのに視線を落とした。
丸まった猫がピクリと耳を揺らして、顔を上げる。
黄色い目が不遜に細まる。
な゛~
低くないて猫は夏目さんの膝から飛び降りる。
“やってられるか”なんて言ってるみたいに聞こえた。