夏のあの日(中1夏休みの葵)
※※※夏のあの日※※※
(葵中学1年生の夏休み)
ミンミン
ミンミン
蝉が、早く早くと急き立てているようだ。
せめぎ合う蝉の合唱の中、汗を肩先で拭いながら両手いっぱいの丸い存在を落とさないよう気を付けながら、目的の場所に走った。
わっしまった!
目的の場所に着いたは良いが、私はその引き戸の前で立ち尽くす。
両手いっぱいに抱えた物のせいで、扉が開けられない!
ううう。ゴールは目の前なのに・・・。
たらりと、嫌な汗をかきながら、待てをされた犬のように恨めしげに引き戸を睨む。
開けぇ開けぇ!と思っていたら不意に目の前の引き戸が開いた!
すっ凄い私の念力!
「やっぱり。葵ちゃんだ」
「な、夏目しゃん・・・」
念力・・・ではなくて、扉を開けた張本人を目の前にして、思わず情けない声が出てしまう。
目の前の麗人、古本屋の店主夏目さんは、汗をだらだら流す私とは対象に涼やかな風貌で、私の抱える大きな物体を見て微笑する。
「おや、西瓜だ」
「お土産で、す」
そう、私が抱えた丸い物体とはスイカ。
何の嫌がらせか、夏目さんのところに行く私に「持って行け」と兄が丸々寄越したのだ。
重い・・・暑い死んじゃう。
ぐったりと項垂れる私の手から、ひょいと夏目さんの手にスイカが移動する。
「ありがとう、重かったね。桶で冷やしていただこう」
それから、と夏目さんは可笑しそうにクスクス笑った。
「葵ちゃんも、冷やさないと。溶けてしまいそうだ」
※※※
古本屋の裏手にある縁側に腰掛けながら、ふうっとやっと一息。
足下には氷を浮かべ水を張った桶。
スイカを冷やすそれとは別に夏目さんが用意してくれたもの。
ぱしゃぱしゃ足を遊ばせる。
横には首の振らない昔ながらの銀色扇風機と渦を巻く蚊取り線香。
まさに日本の夏。
夏目さんは、クーラーとか現代的冷房を好まないから、毎年こんな感じだ。
だけど、なんでかこの古本屋に入ると、すっと気持ち良く汗が引く。
ぼんやりと、縁側から裏庭の草木を一望しているとカラリカラリと涼しげな音と共に、夏目さんが現れた。
「はい。麦茶」
「やや、ありがとうごさります」
うやうやしく、両手で受け取ると、またクスクス笑われる。
私の隣に腰掛ける夏目さんには、汗一つ浮かんでなくて不思議だ。
サラリと甚平を着流した彼。青灰色の涼しげな瞳で見つめられると、汗をだらだら流す自分の方がおかしいように思えて少し恥ずかしい。
暑さを感じないサラリとした手が、汗に少しぬれている私の髪を掬うように梳かしては流す。
額、髪、耳の後ろ、首裏と掠めるように触れる指。
くすぐったさに首を竦めながら、私はグビグビと誤魔化すように麦茶を飲み干した。
※※※
ミンミン
ミンミン
裏庭の木にどれ位の蝉がいるのだろう。
凄い大合唱。
「蝉も暑いのによく鳴きますね」
ほどよく冷えたスイカに齧り付きながら、ポツリと呟く。
夏の暑さを助長させる蝉の声に少しうんざりしての一言だった。
「蝉時雨だね」
隣から聞こえる静かな声音。
慰めるような、慈しむような声に、スイカを囓る手が止まる。
蝉時雨。
雨のように降りしきる蝉の声。
夏のけたたましいその鳴き声とは裏腹に、その表現は何処か切ない。
「蝉は、成虫になるまでずっと土の中で過ごすんだ」
夏目さんが庭の木を見つめながら話す。
ミンミンとけたたましい合唱の中でさえ、静かに響く彼の声。
「成虫となって、地上に存在出来るのは約2週間と言われているね」
「にっ二週間!?」
そっそんなに短いのか!
驚く私に、少し微笑んで、そう。と頷く夏目さん。
「14日、彼らは必死で鳴き続ける。最愛の人を見つけるために」
夏目さんが庭の木に視線をもどして言う。
14日の命。
ただ、あなたを見つけるために。
存在を精一杯主張して。
ミンミン
ミンミン
「命の声のようだね」
なんか・・・。
煩わしくも感じていて申し訳なくなってしまった。
そうか。
彼らは必死なんだ。
蝉時雨。
それは降りしきる命の声。
「私・・・蝉を勘違いしてました」
「うん?」
「私も蝉を見習わないとです!」
必死に生きることの大先輩だな蝉先輩!
ふむっ。と決意も新たにスイカを頬張る。
「そうだねぇ。僕もだ」
夏目さんも、ゆるりと笑って。
穏やかに、ただ穏やかに頷いた。
ミンミン
ミンミン
夏の蝉時雨に想いを寄せて、縁側に二人、命の声を聞いた。