第4話:搾取の構造
季節は夏に差し掛かっていた。
事務所のプリンターが、小気味良いリズムで駆動音を奏でている。
それは、Amazonからの注文通知書が吐き出される音だ。
「すごい……。今月だけで、売上が先月の三倍よ」
私は画面上の数字を見つめ、高揚感を噛み締めていた。
私の読みは当たった。
ターゲットを「安物を使い捨てにする層」ではなく、「高くても良いものを長く使いたい層」に絞り、ブランディングを徹底した結果。
『権田レザー』の製品は、飛ぶように売れ始めたのだ。
顧客レビューも星4・5以上が並ぶ。
『こんなに丁寧な縫製は初めて』
『革の香りに癒やされます』
――すべて、職人たちの技術の賜物だ。
「おい冴子、プリンターがうるせえぞ!」
社長席の巌が不機嫌そうに怒鳴る。
私は無視して、出力された伝票を束ねた。
売上が上がれば、資金繰りも改善する。
これでようやく、職人たちに還元できる。
その日の午後、私は試算表を手に巌のデスクに向かった。
「お義父さん、相談があります。今月の利益についてですが――」
「おう、見たぞ。よくやったな。女の小遣い稼ぎかと思ってたが、意外と化けたじゃねえか」
巌は珍しく上機嫌だった。
私はその隙を逃さず提案した。
「ありがとうございます。そこで、この利益の一部を使って、工場の空調設備を修理したいんです。今年の夏は猛暑ですし、今の環境では職人たちの体力が持ちません」
「……」
「それに、彼らに特別ボーナスを出してあげたいんです。ここ数年、昇給もなしで頑張ってくれたんですから」
私の言葉を聞いた途端、巌の表情が曇った。
彼はタバコの灰を床に落とし、鼻で笑った。
「はあ? 何を言ってんだお前は」
「え……?」
「空調だのボーナスだの、無駄金を使うな。職人なんてのはな、今の給料で働かせてやってるだけで感謝すべきなんだよ」
耳を疑った。
この売上を作ったのは彼らだ。
彼らの技術がなければ、1円にもならなかったのに。
「ですが、彼らが倒れたら生産が止まります。投資だと思って――」
「うるせえ! 経営に口を出すな! 入ってきた金は、会社の借金返済と、役員への配当に回す。それが決まりだ」
巌はそれ以上聞く耳を持たず、背を向けた。
その背中越しに、義母の麗子が電話で話している声が聞こえた。
「あらそうなのよ~、臨時収入が入ってねえ。今度の旅行、ランクアップしちゃおうかしら」
頭の中で、何かが切れる音がした。
こいつらは、会社の金を「自分たちの財布」としか思っていない。
私は震える手で拳を握りしめ、給湯室へと逃げ込んだ。
そこに、夫の敬介が入ってきた。
「よう、冴子。親父が機嫌悪かったぞ。余計なこと言ったんだって?」
「敬介……」
私はすがるような思いで夫を見た。
彼なら、わかってくれるはずだ。私たちが共に守るべきもののために。
「あなたからも言ってよ。職人たちへの還元が必要だって。そうしないと、誰もついてこなくなるわ」
敬介は困ったように頭をかき、コーヒーを啜った。
「まあ、そう熱くなるなよ。親父の言うことも一理あるんだ」
「一理って……搾取するのが正当だって言うの?」
「搾取じゃないだろ。会社ってのは株主のものなんだ。俺たち役員が潤うのは当然じゃないか」
敬介は悪びれもせず言った。
そして、私の肩に手を置き、諭すような口調で続けた。
「それにな、冴子。お前、自分の給料のことも言おうとしただろ? 『働きに見合わない』とか」
「……ええ、そうよ。私、ここに来てから最低賃金以下で働いてる。成果を出したんだから、正当な対価を求めるのは当然でしょう?」
すると、敬介は信じられない言葉を口にした。
「水臭いこと言うなよ。俺たちは家族だろ? 嫁が家業を手伝うのに、金なんて請求するもんじゃないよ。タダ働きとは言わないけどさ、家族なんだから、奉仕の精神を持ってくれよ」
――家族なんだから。
――嫁なんだから。
その瞬間、私の中で燃えていた「情熱」の炎が、フッと消え失せた。
代わりに、氷のような冷たさが心臓を覆っていくのを感じた。
私は敬介の手を、自分の肩からそっと払い除けた。
「……そう。わかったわ」
私の声は、自分でも驚くほど平坦だった。
「どうした? わかってくれたか?」
「ええ、よくわかった。あなたたちが、どういう人間なのか」
私は敬介を見つめた。
昨日までは「頼りないけど愛すべき夫」に見えていた男が、今はただの「無能な寄生虫」にしか見えなかった。
(もう、いい)
私の中にあった「妻」としての愛情、「嫁」としての責任感。
それらすべてが死滅した。
残ったのは、ビジネスマンとしての冷徹な計算と、底知れぬ怒りだけ。
この会社は、更生させる価値もない。
治療法は一つ。
――すべて焼き払い、健康な部分だけを摘出して、新しい体を作るしかない。
「冴子? 顔色が悪いぞ?」
「ううん、大丈夫。……仕事に戻るわ」
私は微笑んだ。
これまで営業先で数多の強敵を欺いてきた、完璧な「営業スマイル」で。
「これからは、もっと頑張るわね。お義父さんと、あなたのために」
敬介は安堵したように笑った。
彼は気づいていない。
目の前にいる妻が、今この瞬間。
自分たちを破滅させるための「処刑人」に変わったことに。
第4話を読んでいただきありがとうございます!
自分の努力で上げた売り上げを、旅行や配当に回される絶望。
そして最も信頼したかった夫からの「タダ働きが当然」という言葉。
冴子の心は、ここで完全に決まりました。
彼女はもう、この家族を救うつもりはありません。
次回、第5話「血塗られたミシン」。
さらなる悲劇が職人・静香を襲います。
そして冴子の怒りは、ついに「反撃の火種」を共犯者へと繋ぎます。
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