表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/14

第3話:孤独な改革


 翌日、私は自腹で購入した最新のノートパソコンと、ポケットWi-Fiを事務所に持ち込んだ。


 埃まみれの長机を雑巾で拭き清め、自分だけの「司令室」を構築する。


「……よし」


 起動音とともに画面が光る。

 それだけで、少しだけ理性が戻ってくる気がした。


 私はまず、工場の在庫リストのデジタル化に着手した。

 段ボールに突っ込まれていた手書きの帳簿を一枚一枚めくり、エクセルに入力していく。


 単純作業だが、これをしないとスタートラインにも立てない。


「おい冴子、お茶だ。濃いめな」


 作業に集中し始めた矢先、社長席から巌の声が飛んできた。


 私はキーボードを打つ手を止め、深呼吸を一つしてから立ち上がる。


「はい、ただいま」


 急須にお湯を注ぐ。

 商社時代、私の時給は数万円換算だったはずだが、今はただの「お茶汲み係」だ。


 お茶を出すと、今度は隣の麗子が口を開く。


「冴子さん、ついでにお昼のお弁当買ってきてくれない? いつもの特のりタル弁当ね。あ、敬介の分も」


「……わかりました」


 私は財布を手に、事務所を出た。


 背後で「やっぱり嫁が来ると楽でいいな」という巌の笑い声が聞こえ、奥歯が砕けそうになるほど噛み締めた。


 屈辱的だ。

 だが、今は耐える。


 彼らが私を「便利な家政婦」として油断している間に、私は会社の心臓部を掌握する。


 


 昼食後、私はカメラを片手に工場へと向かった。


 Amazonへの出店と、自社サイトの開設準備のためだ。

 商品の魅力が伝わる写真が不可欠だった。


「邪魔だよ、そこ危ないぞ」


 職人の一人が迷惑そうに言った。


 彼らにとって私は、社長の息子の嫁であり、現場をうろつく異物でしかない。

 冷ややかな視線が突き刺さる。


「すみません、すぐに済みますので」


 私は工場の隅にある作業台を借り、持参した白い布を敷いた。


 そこに、あのトートバッグを置く。


 窓から差し込む自然光を利用し、レフ板代わりに白い画用紙を立てる。

 ファインダーを覗くと、革の光沢が生き物のように浮かび上がった。


(やっぱり、いい)


 細部の縫製、金具の質感。

 見れば見るほど惚れ惚れする。


 私はバッグの持ち手の角度をミリ単位で調整し、革の表情が一番美しく見える瞬間を探してシャッターを切った。


「……何してんだ、そんなところで」


 突然の声に顔を上げると、夫の敬介が立っていた。


 彼は私の手元のカメラとパソコンを見て、呆れたように鼻を鳴らした。


「まだそんなことやってるのか? 親父が言ってたぞ。『ネットで革が売れるわけがない、客は手触りで買うんだ』って」


「それは昔の常識よ。今は写真と説明文で、十分に魅力は伝わる」


「無駄な努力だって。それより、母さんが肩揉んでくれって言ってるぞ。機嫌取っておいた方がいいんじゃないか?」


 敬介は「お前のためを思って言っている」という顔をしている。


 この人は、私が何のためにここにいるのか、本当に理解していないのだ。

 救いようのない思考停止。


「……後で行くわ」


「頼むよ。俺の立場も考えてくれ」


 敬介が去っていく。


 私はため息をつき、再びカメラを構えようとした。


 その時、視線を感じた。


 数メートル先のミシン台。

 槙野静香が手を止め、じっとこちらを見ていた。


 また「邪魔だ」と言われるのかと身構える。


 しかし、彼女の視線は私ではなく、私が撮影台に置いたバッグに向けられていた。


 私は撮影を終えると、バッグを白い布で丁寧に包み、元の場所へ戻しに行った。


 静香の作業台の横を通る際、彼女が小さく口を開いた。


「……もっと、雑に扱うかと思ってました」


「え?」


「ここの経営陣は、完成した商品を地べたに置いたり、タバコの煙がかかっても気にしない人たちだから」


 静香はミシンに視線を戻しながら、独り言のように続けた。


「あんたは、商品を『子供』みたいに扱ってた。……それだけです」


 それだけ言うと、彼女は再びミシンを踏み始めた。

 ダダダダ、と軽快な音が会話を遮断する。


 私は少しだけ胸が温かくなるのを感じた。


 認めてもらえたわけではない。

 だが、少なくとも「敵」ではないと認識されたかもしれない。


 


 その夜。


 私は自宅のリビングで、完成したばかりのAmazonストアのページを眺めていた。


 プロのカメラマンには及ばないが、商品の重厚感と繊細さは表現できているはずだ。

 商品説明文も、商社時代に培ったコピーライティングの技術を総動員して書き上げた。


『創業五十年。日本の職人が紡ぐ、一生モノの革製品』


 公開ボタンをクリックする。


 世界に向けて、小さな扉が開いた瞬間だった。


「何ニヤニヤしてるの?」


「うわ、地味な画面」


 背後から、大学から帰ってきた長男と、塾帰りの長女が覗き込んできた。

 彼らは私が会社を辞めた本当の理由を知らない。


「これ、お母さんが売るの?」


「そうよ。すごくいい商品なの」


「ふーん。ま、頑張れば?」


 子供たちの反応は薄いが、それでもいい。

 彼らの何気ない日常と未来を守るためなら、私はどんな泥水でも啜ってみせる。


 翌朝。


 出社してパソコンを開いた私は、驚愕に目を見開いた。


 注文管理画面に、数字が表示されていたのだ。


 ――注文数:3件。


 たった3件。

 しかし、宣伝もしていない、無名のブランドが、一晩で売れたのだ。


 私は震える手でマウスを握りしめた。


 いける。


 この光は、絶対に本物だ。

第3話を読んでいただきありがとうございます!


事務所では「便利な家政婦」扱いをされながらも、着々とデジタル化を進める冴子。

職人・静香の言葉が、孤独な戦いの中での小さな救いとなりました。


そして、ついに売れた「3個のバッグ」。

それは、権田レザーが世界へと踏み出す小さな、けれど確かな一歩です。


次回、第4話「搾取の構造」。


売上が上がれば、すべて解決する――。

そう信じていた冴子の前に、権田家の「底知れぬ強欲」が立ちはだかります。


「注文入った!やったー!」と冴子と一緒に喜んでいただけましたら、ブックマークや【☆☆☆☆☆】の評価で応援してくださると励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ