第14話:未来への革新
東京。師走の寒空の下。
ビルの建設現場から、昼休憩を告げるベルが鳴り響いた。
「おい、飯だぞ。さっさと片付けろ」
「……へい」
監督の怒鳴り声に、薄汚れた作業着の男が力なく返事をした。
権田敬介、五十歳。
かつて社長の息子として安穏と生きていた男の姿は、そこにはなかった。
刑期を終えて出所した彼を待っていたのは、すべてを失った現実だった。
実家は差し押さえられ、両親は安アパートで互いの愚痴を言い合いながら生活保護を受けている。
前科持ちの敬介を雇ってくれる会社などなく、こうして日雇いの現場を転々とする日々だ。
コンビニで買った冷たいおにぎりを齧りながら、敬介は繁華街の雑踏を歩いていた。
寒さが身に沁みる。
もし、あの時。冴子の言葉を聞いていれば。
もし、親父に逆らってでも、まともな経営をしていれば。
そんな「もしも」が、壊れたレコードのように頭の中を回り続けている。
ふと、交差点の信号待ちで、多くの人が足を止め、頭上の大型ビジョンを見上げているのに気づいた。
『――続いては、パリ・コレクションでも話題となった、日本発のレザーブランド「NOVA」の特集です』
その単語が聞こえた瞬間、敬介の心臓が早鐘を打った。
恐る恐る顔を上げる。
巨大なスクリーンに、洗練されたオフィスの映像が映し出された。
そして、カメラの前に立つ一人の女性。
『代表の相沢冴子さんにお話を伺いました』
「……あ……」
敬介の口から、乾いた音が漏れた。
画面の中の冴子は、かつて自分の隣にいた時よりも、ずっと若々しく、美しかった。
自信に満ちた瞳、理知的で穏やかな微笑み。
その隣には、チーフディレクターとして紹介される槙野静香の姿もある。
『成功の秘訣は何だったのでしょうか?』
『そうですね。……「過去」に執着せず、「未来」に投資したことでしょうか』
画面の中の冴子が、透き通った声で語る。
『私たちは、職人の技術という「伝統」を守りながら、常に新しい形への「革新」を恐れませんでした。不要な殻を破り捨てたからこそ、中にある真珠が輝いたのです』
――不要な殻。
その言葉が、敬介の胸に鋭い杭のように突き刺さった。
それは、自分たちのことだ。
彼女は自分たちを捨てて、身軽になったからこそ、あんなに高く飛べたのだ。
『今後は、若手職人を育成するスクール事業も展開する予定です。次の世代へ、このバトンを繋いでいきたいですね』
映像が切り替わり、生き生きと働く職人たちの笑顔が映る。
そこは、光に満ちた世界だった。
敬介が今いる、薄暗く冷たい路上とは、何億光年も離れた別の宇宙。
「……っ」
敬介は逃げるように視線を落とした。
涙は出なかった。
ただ、圧倒的な敗北感と、取り返しのつかない喪失感が、砂のように胸に溜まっていくだけだった。
信号が青に変わる。
敬介は作業着の襟を立て、背中を丸めて歩き出した。
輝かしいスクリーンの光を背に受けながら、灰色の雑踏の中へと、誰にも気づかれることなく消えていく。
二度と、彼女の世界に関わることはない。
「……社長? 相沢社長?」
ふいに名前を呼ばれ、私は書類から顔を上げた。
目の前には、設計図を広げた静香が不思議そうな顔をしている。
「あ、ごめんなさい直。ちょっと考え事を」
「珍しいですね。……ひょっとして、今のニュース見てました?」
オフィスのモニターには、先ほどの特集番組のエンドロールが流れていた。
私はモニターを一瞥し、ふっと微笑んだ。
「いいえ。もう終わったことよ」
私は手元のペンを握り直し、目の前の設計図――新しい職人スクールの完成予想図を指差した。
「それより、ここ。エントランスの照明だけど、もっと明るくできないかしら? 未来を担う子供たちが入ってくる場所だもの。最高に輝かせたいわ」
「ふふ、また無茶を。……でも、わかりました。照明デザイナーに掛け合ってみます」
静香が嬉しそうに端末を操作し始める。
窓の外には、冬晴れの青空がどこまでも広がっていた。
冷たい風が吹いているかもしれない。
けれど、私たちにはそれを切り裂いて進むコートがある。
仲間がいる。
「さあ、行きましょうか」
「はい、社長」
私は椅子から立ち上がり、ヒールを鳴らして歩き出した。
振り返ることはしない。
私の視線の先には常に、まだ見ぬ「革新」だけが待っているのだから。
(完)
完結いたしました!
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
自分の誇りを守るため、そして本物の技術を守るために戦った冴子の物語、いかがでしたでしょうか。
自分の足を引っ張る「不要な殻」を捨て、高く羽ばたいていく彼女の姿が、少しでも皆様の「スカッとする」ひとときになれば幸いです。
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