第11話:チェックメイト
権田レザーの工場が怒号とサイレンに包まれている頃。
私はそこから車で三十分ほど離れた、港湾地区の倉庫街にいた。
古いレンガ造りの倉庫をリノベーションした建物。
入り口には、まだペンキの匂いが残る真新しい看板が掲げられている。
『株式会社 NOVA』。
ここが、私たちの新しい城だ。
「社長、お疲れ様です」
重厚な扉を開けると、槙野静香が出迎えてくれた。
以前の薄汚れた作業着ではない。
私たちが新しくデザインした、機能的でスタイリッシュなワークウェアに身を包んでいる。
彼女の表情は、憑き物が落ちたように明るかった。
「皆の様子は?」
「最高です。……見てください」
静香に促され、私は工房を見渡した。
白い壁、高い天井、そして天窓から降り注ぐ柔らかな自然光。
スペースは以前の工場より狭いが、整理整頓が行き届いている。
職人たちは、運び込んだミシンや作業台の配置を終え、すでに試作品の製作に取り掛かっていた。
「おい、ここの照明すげえ見やすいぞ!」
「エアコンが効いてる……天国かよ」
「社長! この革、本当に使っていいんですか? すげえ上質なんですけど!」
田所さんが革を撫でながら、少年のように目を輝かせている。
怒鳴り声も、タバコの煙もない。
そこにあるのは、ものづくりへの純粋な熱量と、笑顔だけだった。
「……よかった」
私は張り詰めていた糸が緩むのを感じた。
彼らのこの笑顔を守るために、私は悪女になったのだ。
後悔など微塵もない。
その時、私のスマホが震えた。
画面には『権田敬介』の文字。
私は静香に目配せをして、静かな廊下へと出た。
「はい」
『さ、冴子ッ! どこにいるんだよ! 大変なんだ!』
敬介の悲鳴のような声が響く。
背後では、誰かが何かを叫ぶ声や、物が倒れるような音が聞こえる。カオスだ。
『親父が……親父が、国税の人間に連れて行かれた! 母さんはショックで倒れて救急車だ! 俺も事情聴取されるって……どうすればいいんだよ!』
「弁護士を呼べばいいじゃない。顧問弁護士、いたでしょう?」
『電話したけど、着信拒否されたんだよ! なあ、お前からも言ってくれよ! 全部間違いでしたって!』
この期に及んで、まだ他力本願か。
私は冷めた声で告げた。
「間違いじゃないわ。私が提出した証拠はすべて本物よ」
『なんで……なんでこんなことするんだよ! 俺たち家族だろ!? 夫婦だろ!?』
「家族?」
私は鼻で笑った。
「あなたたちにとって、私は『家族』じゃなかった。便利な『無料の従業員』であり、『金づる』だった。違う?」
『そ、それは……』
「敬介。あなたにトドメを刺しておいてあげる」
私は呼吸を整え、淡々と事実を突きつけた。
「工場の機械や人が消えただけじゃないのよ」
『え……?』
「権田レザーの主要な取引先、そして革の仕入れ先。その全てが、昨日付けで私の会社『NOVA』と新規契約を結んだわ」
『は……?』
「つまり、仮にあなたが工場に残ったゴミを片付けて、新しい人を雇ったとしても――売る相手も、材料を売ってくれる相手も、もうどこにもいないってこと」
電話の向こうで、息を呑む音が聞こえた。
ビジネスにおいて、「信用」こそが最大の資産だ。
私は半年かけて、取引先に対して「権田レザーではなく、相沢冴子という人間」を信用させるように根回しをしてきた。
だからこそ、私が独立すると言った瞬間、彼らは雪崩を打ってこちらについてきたのだ。
「権田レザーは、もう死んだのよ。中身のない抜け殻としてね」
『ま、待ってくれ……じゃあ俺たちは……借金はどうなるんだよ……』
「連帯保証人であるあなたたちが払うのよ。家も土地も売ってね。……ああ、そういえば」
私は窓の外、広がる海を見つめた。
「私の退職金と、慰謝料代わりにもらっていくわね。――『顧客リスト』と『職人たちの未来』は」
『冴子オオオオオッ!!』
絶絶叫が聞こえた瞬間に、通話を切った。
そして、着信拒否設定にする。
ブロック完了。
私の人生から、不要なノイズが完全に消去された。
廊下に戻ると、静香が心配そうに立っていた。
私は彼女に向かって、ニッコリと微笑んだ。
「お待たせ。厄介ごとは、全部片付いたわ」
「……旦那様、でしたか?」
「『元』ね。さあ、仕事に戻りましょう。世界中が私たちの商品を待っているわ」
私はヒールの音を高く響かせ、光の射す工房へと歩き出した。
後ろを振り返る必要はない。
私の前には今、無限の水平線が広がっているのだから。
第11話を読んでいただきありがとうございます!
最高の「チェックメイト」が決まりました。
物理的な機械や人だけでなく、ビジネスの命綱である「取引先」と「信用」まで完璧に奪い去った冴子。
絶叫する敬介の声を切った瞬間の静寂は、彼女の新しい人生の始まりの音でもありました。
復讐は終わりました。しかし、ここからが本当の「物語」の始まりです。
次回、第12話「鉄格子の向こうと、光の射す場所」。
権田家三人に下される司法の裁き。
そして、立ち上がったばかりの新会社『NOVA』を襲う、新たな試練。
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