第10話:審判の日
一週間後。
三台のタクシーが、工場の前で止まった。
降りてきたのは、アロハシャツを着て、首からレイをかけた権田巌、麗子、敬介の三人だ。
彼らの肌はハワイの太陽で赤く焼け、両手には免税店の袋が抱えられている。
「いやあ、最高の旅行だったな! やっぱハレクラニは違うわ!」
「エステも最高だったわ~。冴子さんには感謝しなきゃね」
「ああ。土産のマカダミアナッツ、あいつ喜ぶかな」
三人は上機嫌で談笑しながら、工場の敷地へと足を踏み入れた。
しかし、すぐに敬介が足を止めた。
「……あれ?」
「どうした、敬介」
「いや、静かすぎないか? 今日は平日だろ? ミシンの音が聞こえない」
言われてみれば、工場は墓場のように静まり返っていた。
巌が眉をひそめ、事務所のドアを乱暴に開けた。
「おい冴子! 帰ったぞ! 出迎えはどうした!」
返事はない。
事務所の中は、電気が消え、薄暗かった。
デスクの上はきれいに片付けられ、電話線は抜かれ、パソコンも消えている。
「な、なんだこれは……? 泥棒か!?」
麗子が悲鳴を上げる。
三人が慌てて奥の工場エリアへと駆け込むと、そこにはさらなる絶望が広がっていた。
――何もない。
数千万円するドイツ製の特殊ミシンも。
天井まで積まれていた高級皮革の在庫も。
出荷待ちの商品も。
そして何より、二十名の職人たちが、一人もいない。
あるのは、床に散らばったゴミと、埃だけ。
まるで最初からそこには何もなかったかのような、広大な空虚。
「な……な……!」
巌がパクパクと口を開閉させ、腰を抜かしてその場にへたり込んだ。
麗子は泡を吹かんばかりに狼狽えている。
敬介は呆然と立ち尽くし、「夢だ、これは悪い夢だ」とブツブツ呟いている。
その時。
カツ、カツ、カツ……。
静寂な工場に、ハイヒールの音が響いた。
工場の入り口に、一人の女性が立っていた。
作業着ではない。
イタリア製の仕立ての良いスーツに身を包み、冷ややかな瞳で三人を見下ろす女。
相沢冴子。
「お帰りなさいませ。バカンスは楽しめましたか?」
冴子の声は、氷点下の冷たさだった。
敬介がハッとして駆け寄る。
「さ、冴子! これはどういうことだ!? 機械は!? みんなはどこに行った!?」
「『引越し』をしたのよ」
「引越し……?」
「この工場にある資産価値のあるもの、そして人的リソースは、すべて私が設立した新会社『NOVA』に移管しました。ここにはもう、ペン一本残っていません」
冴子は淡々と告げた。
事態が飲み込めない巌が、顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。
「ふざけるな! 横領だぞ! 警察を呼ぶぞ!」
「どうぞ。警察なら、もうすぐ来ますよ」
冴子は腕時計を一瞥した。
「あと、労働基準監督署と、国税局の方々もご一緒ですが」
その言葉に、三人の動きが凍りついた。
「な……何を、言って……」
「あなたたちが留守の間に、過去十年分の裏帳簿、架空請求の証拠、そして未払い残業代の計算書……すべて関係各所に提出させていただきました」
冴子はバッグから一枚の紙を取り出し、ヒラリと床に落とした。
それは、税務署への内部告発状のコピーだった。
「通報したのは、私です」
その瞬間、工場の外でサイレンの音が鳴り響いた。
一台ではない。複数の車両が近づいてくる音だ。
ドアが乱暴に叩かれ、「労働基準監督署です! 査察に入ります!」という太い声が響く。
「ま、待ってくれ! 冴子、嘘だろ!? 俺たちは家族じゃないか!」
敬介が泣きそうな顔で冴子にすがりつこうとした。
しかし、冴子はその手を冷たく払い除けた。
「家族?」
冴子は侮蔑の色を隠そうともせず、鼻で笑った。
「寄生虫の間違いでしょう? あなたたちとの『家族ごっこ』は、これでおしまい」
冴子はもう一通、封筒を取り出した。
そこには『緑色の紙』が入っていた。
「私の退職届と、あなたとの離婚届よ。ハンコは押しておいたわ。……慰謝料は請求しない。どうせ払えないでしょうから」
その言葉を合図にするように、スーツ姿の男たちがドカドカと工場になだれ込んできた。
「社長はどこだ!」「帳簿を押収しろ!」
怒号が飛び交う中、アロハシャツ姿の三人は、成す術もなく立ち尽くすしかなかった。
冴子は混乱の渦中にある彼らに背を向け、出口へと歩き出した。
一度も振り返ることなく。
その背中は、かつてないほど自由で、輝いて見えた。
第10話を読んでいただきありがとうございます!
ついに、ついに! この瞬間がやってきました。
アロハシャツで絶望する三人。その対極に立つ、エリートスーツ姿の冴子。
自分の罪、そして「ただの嫁」だと思っていた女性の真の恐ろしさを、彼らは思い知ることになります。
サイレンの音とともに崩れ去る権田家。
冴子はついに自由を、そして「本物の技術」を手にしました。
次回、第11話「チェックメイト」。
崩壊した権田レザーを尻目に、新星『NOVA』が産声を上げます。
職人たちの笑顔。そして、絶望のどん底からかかってくる、敬介からの最後の電話。
冴子が突きつける、真の「絶望」とは……?
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