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その赤を、燃やせ  作者: 樽見 龍二
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3.皮肉な名前

カチッ。

あかりはマウスの左ボタンで、画面上の青い「送信する」ボタンをクリックした。

デジタル空間に放たれた敗戦報告は、光の速さでインターネットの海へと拡散していく。

その、わずか一秒後だった。

『ブブッ、ブブブ、ブブブブブッ……!』

デスクの上に置いていた社用スマートフォンが、まるで感電したかのように激しく痙攣し始めた。

通知バイブレーションの振動音が、途切れることなく鳴り響く。

あかりは無表情のまま、画面を上に向ける。ロック画面の通知センターを、暴力的な言葉の羅列が高速で流れていく。

『金返せ』

『やる気ないなら解散しろ』

『また負けか、この給料泥棒』

『社長を出せ』

『恥ずかしくないのか』

罵詈雑言の濁流。それは、さきほどまでアリーナを支配していた「静寂」の反動であり、行き場を失ったファンたちの鬱屈した感情の爆発だった。

物理的な熱はないはずの液晶画面が、熱を帯びて感じられるほどのエネルギー。

「……皮肉ね」

あかりは小さく呟き、振動し続けるスマホから目を逸らした。

名古屋ブレイズ。

そのチーム名が意味する「激しい炎」らしく燃え盛っているのは、今や、選手たちの闘志でも、会場の熱気でもない。

この、手のひらの中にある、赤く爛れたSNSのタイムライン(炎上)だけだった。


「……さむっ」

 スマホの通知音が少し落ち着くと、急に現実の温度が肌を刺した。

 あかりは思わず両腕を組み、露出した二の腕を掌でさすった。ジャケットを着ていても、冷気が布地を突き抜けてくる。

 原因は、頭上の空調設備だ。

 ゴォォォ、と低い唸りをあげて稼働する巨大な送風口。それは本来、4000人の観客が発する熱気と興奮で室温が上昇するのを見越し、アリーナ全体を強力に冷却するために設定されたものだ。

 だが、その想定は無惨に裏切られている。

 熱源となる人間が去り、ガラガラになった客席の赤いプラスチック群を、高性能な冷房が容赦なく冷やし続けているのだ。

 誰もいない空間を冷やすために浪費される電力。その冷たい風が、コートサイドに一人残ったあかりの体温を奪っていく。

 あかりは寒さから逃れるように、視線を天井へ向けた。

 そこには、アリーナの中央に吊り下げられた、巨大な4面LEDビジョンが鎮座している。

 試合終了後も、そこだけは煌々と輝いていた。

『ドォォォン!! シュゴォォォ!!』

 誰もいない客席に向かって、ド派手な効果音が鳴り響く。

 画面に映し出されているのは、最新のCG技術で描かれたチームロゴだ。

 『BLAZE』の文字が、紅蓮の炎をまとって激しく燃え盛っている。火の粉が舞い、画面の外まで熱気が伝わってきそうなほど、リアルで、エネルギッシュな映像。

 けれど、それは所詮、発光ダイオードの光の集合体だ。

 手をかざしても暖かくはない。

 モニターの中だけで燃え続ける、実体のない偽物の熱気。

 あかりは、二の腕をさすりながら、その巨大な虚像を見上げ続けた。

 肌を刺す物理的な冷気と、心を凍らせる状況の冷たさ。その只中で、電気仕掛けの炎だけが空しく燃え狂っている。

 そのあまりに残酷なギャップが、あかりには、もはや滑稽にすら見えてきた。


 あかりは、血の気の引いた冷たい唇を震わせ、白い息のように言葉を吐き出した。

「……どこが、ブレイズなのよ」

 その呟きは、誰の耳にも届かない。頭上のビジョンで燃える偽物の炎だけが、無言で彼女を見下ろしている。

 パタン。

 あかりは、少しだけ乱暴にノートPCを閉じた。

 乾いたプラスチックの衝突音。それは、これ以上傷つかないように、自分の中にある「感情」のスイッチを強制的に切断シャットダウンする音のようだった。

「さ、帰って報告書書かなきゃ」

 独り言は、驚くほど平坦だった。心はもう死んでいる。あとは体が、会社員としての残務処理を淡々とこなすだけだ。

 彼女は首にかけていた「STAFF」と書かれた広報パスを外し、雑にポケットへねじ込んだ。

 これをつけている限り、私は「負け犬チームの広報」という役割を演じ続けなければならない。その重みから、一秒でも早く解放されたかった。

 あかりはバッグを肩にかけると、背後のアリーナを一度も振り返ることなく、まだ薄暗いコンクリートの通路へと、逃げるように足を踏み出した。

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