34.答え合わせの暴動
オフィスビルの昼休み、あるいは大学のカフェテリア。
ファンたちは、手元のスマートフォンの画面に表示された冷徹な「公式発表」と、膝上のPCモニターに映し出された生々しい「特定スレッド」のまとめサイトを、何度も見比べていた。
『特定班報告:ブレイズ裏垢『残り火日誌』の中の人、広報部の湊あかりと特定完了。昨夜深夜2時に投稿アリ』
PC画面の、赤字で強調された文字列。
そして、スマホ画面の、無機質な明朝体。
『公式:昨夜未明、不適切なSNS投稿を行った担当スタッフ1名を、本日付けで厳正に処分いたしました』
二つの異なる情報源が、脳内で火花を散らして接触した。
カチリ、と音を立てて、最悪のパズルのピースが完全にハマった瞬間だった。
「……嘘だろ。やっぱり、そうだったのか」
誰かの呟きが、静まり返った空間に漏れた。
推測の域を出なかった「都市伝説」が、残酷な「確定事項」へと変わる。
「あの熱い文章は、ただのファンの妄言じゃなかった。広報の人間が……あの湊あかりさんが、自分の身を削って、リスクを背負ってまで伝えてくれていた『真実』だったんだ」
公式アカウントが、彼女を「処分した」と認めたこと。
それは、火消しを狙った彼らの意図とは真逆の、あまりにも皮肉な結果を生み出していた。
つまり、『残り火日誌』に綴られていた内容が、紛れもないチーム内部の真実であったということを、球団自らが100%の確度で証明してしまったのだ。
沈黙を破ったのは、たった一つの、しかし鋭利なリプライだった。
『おい公式、説明しろ。これの何が「不適切」なんだ?』
その一石が、ギリギリの水位で耐えていた感情のダムを、一瞬にして決壊させた。
怒号にも似たリプライの嵐が、タイムラインを埋め尽くしていく。
『選手が深夜まで泥だらけになって練習してる姿を、ファンに伝えるのが不適切なのか?』
『負けてもヘラヘラした写真ばっか上げてるお前らの「適切」な広報活動のほうが、俺たちにとっちゃよっぽど不適切なんだよ!』
画面の向こうの無数の指先が、怒りを叩きつける。
『一番熱い言葉を紡いでいた人を、こんな紙切れ一枚で切り捨てる。その冷え切った感覚こそが、このチームを腐らせているガンなんだよ!』
氷室が選んだ「不適切」というたった三文字の行政用語。
それが、長年チームを支えてきたファンたちの逆鱗に触れた。
議論はもはや、単なる一社員の処遇への不満ではなかった。チームにとって何が正義で、何が悪なのか。クラブの存り方そのものを問う、血を吐くような哲学論争へと発展していった。
社長室の磨き上げられたデスクの上で、SNS管理ツールの通知カウンターが、まるで壊れた計器のように異常な速度で回転し続けていた。
「……なんだ?なぜ、鎮火しない?」
氷室は、美しい眉間に深い皺を寄せ、不可解そうに呟いた。
彼の中のロジックでは、不祥事という「火」に対し、謝罪と処分という「水」を適切に散布したはずだった。過去の判例や危機管理マニュアルに照らし合わせても、100点満点の対応だったはずだ。
だが、現実は違った。
彼が「鎮火用水」だと信じて勢いよくぶちまけた液体は、実際にはファンの神経を逆なでする、「ハイオクガソリン」だったのだ。
『都合の悪い真実の隠蔽だ』
『あかりさんをスケープゴートにするな!典型的なトカゲの尻尾切りだ』
『チームを愛する声を力で潰すのか?これは明白な言論弾圧だ!』
モニターのリプライ欄で踊り狂うのは、氷室が最も嫌悪する非合理で野蛮な言葉たち。
火勢は衰えるどころか、爆発的なバックドラフトを起こし、管理画面を真っ赤に染め上げている。
投資対効果と重要業績評価指標ですべての世界を記述できると信じる氷室には、「感情」という名の可燃物が持つ、核弾頭並みの爆発力が、その計算式のどこにも組み込まれていなかったのだ。
投稿から、わずか10分。
コメントカウンターの数字は、瞬く間に500を超えていた。
普段の試合速報や、勝利の報告でさえもつかないような、異常な数字。
もはや、個別のコメントを目で追うことすら不可能だった。タイムラインは、怒れる滝のように、高速で下へと流れ落ちていく。
『返せ』
『説明しろ』
『俺たちのあかりさんを、今すぐ戻せ』
画面を埋め尽くすその言葉の群れは、当初の無秩序な暴動から、やがて一つの巨大な意思を持ったうねりへと変わり、ハッシュタグという名の「旗」を掲げて結集し始めた。
誰かが、その濁流の中で叫んだ声が、決定的な合図となった。
「こんなの、納得できるわけないだろ。……戦おうぜ、俺たちも」
その一言が、蚊帳の外にいたファンたちを、当事者である「兵士」へと変えた。




