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その赤を、燃やせ  作者: 樽見 龍二
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2.フォルダの中の敗北

 あかりは無言のままマウスを滑らせ、チーム共有サーバーの深い階層へと潜っていく。

 『Zドライブ』を開き、『25-26_SEASON』、そして『04_SNS素材』へ。

 最後に『GAMEDAY_RESULT』をクリックすると、そこには二つのフォルダが並んでいた。

『01_WIN』

『02_LOSE』

 残酷なほどシンプルな二択。あかりの視線は、左側の『01_WIN』フォルダの更新日時に吸い寄せられた。

「2025/10/05」

 もう一ヶ月以上、誰もこのフォルダに触れていない。勝利の記憶を封じ込めたその黄色いアイコンは、心なしか色あせ、目に見えないデジタルの埃をかぶっているようにさえ見えた。

 対照的に、右側の『02_LOSE』の最終更新日時は「昨日」。嫌になるほど新鮮で、生々しい。

 あかりは迷うことなく、右側のフォルダにカーソルを合わせる。

 カチッ、カチッ。

 静かな記者席に響いたダブルクリックの音は、まるで乾いた銃声のように軽く、そして致命的に響いた。


 カメラマンから転送されてきた数百枚の試合写真が、モニター画面を埋め尽くす。あかりは、その膨大な「敗北の記録」の中から、SNS投稿用の「顔」となる一枚を選び出さなければならない。

 広報担当としての脳内フィルターが、瞬時に写真を仕分けていく。

 ベンチでタオルを被り、うつむいている写真はNG。悲壮感が漂いすぎて、ファンの心をさらに冷え込ませてしまう。

 タイムアウト中のふとした笑顔も論外だ。「負けているのにヘラヘラするな」「危機感がない」と、炎上の火種になるだけだ。

 求められている「正解」は、決まっている。

 選手が真剣な眼差しでリングを見上げている瞬間。けれど、フレーム内に肝心のボールは写っていないもの。シュートが入ったのか外れたのか、結果が曖昧な写真だ。

 それは、「戦う姿勢」だけを抽出し、「敗北という結果」から目を逸らせるための、都合の良い一枚。

 あかりの目は、数百枚の中から、その「適度な熱量」を持った一枚を瞬時に見つけ出した。

 迷わずPhotoshopにドラッグ&ドロップする。慣れた手つきでトリミングツールを選択し、選手の真剣な表情をクローズアップする。その背景に広がっている、残酷なほど真っ赤な「空席の海」を、フレームの外へと切り捨てていく。

 現実を都合よく加工するこの作業に、もはや躊躇いはなかった。それは、負け続けるチームの広報が身につけてしまった、悲しい職人芸だった。


 トリミングした画像にチームのロゴを乗せ、最後は投稿文キャプションの作成だ。

 あかりは投稿フォームのテキストボックスにカーソルを合わせ、キーボードの「S」と「A」を叩いた。

「さ」

 たった一文字、ひらがなを入力した瞬間だった。

 PCに搭載された予測変換機能が、残酷なほどの優秀さを発揮した。変換候補の最上位に、長い定型文がポップアップする。

『最後まで熱いご声援、ありがとうございました。次節こそはホームを守り抜きます。』

 あかりの指が止まる。

 それは、前節の負け試合でも、その前の連敗の時にも使った言葉だ。

 私の思考よりも早く、学習機能のついたこの機械は、「どうせまた、いつものやつですよね?」と先回りして答えを差し出してきたのだ。

 ターンッ。

 あかりは感情を殺し、エンターキーを叩いた。

 たった一回。その指先の軽い運動だけで、ファンへの謝罪と感謝、そして次戦への決意表明がすべて完成してしまう。

 コピペですらない。もはや、私の脳を経由してさえいない。

 その作業のあまりの軽さが、逆に鉛のような重さとなって、あかりの胸をえぐった。


 あかりは慣れた手つきでショートカットキーを押し、「書き出し」をクリックした。

 画面中央に現れた青いプログレスバーは、考える素振りも見せずに一瞬で右端まで走り抜ける。

『ピン!』

 完了を告げる軽やかな電子音が、沈黙した記者席に場違いなほど明るく響いた。

 あかりはふと、画面右下のデジタル時計に目をやる。

 試合終了のブザーが鳴ってから、まだ三分しか経っていなかった。

 かつては違った。

 チームが勝利した夜は、「どの選手の笑顔を使おうか」「どんな言葉でこの爆発的な喜びを表現しようか」と、嬉しい悲鳴を上げながら悩み抜き、投稿ボタンを押すまでに十分以上はかかっていたはずだ。

 けれど今は、迷う時間さえ必要ない。

 どのフォルダを開けばいいか、どの定型文を使えばいいか、指先が勝手に覚えている。負けいくさの後始末だけが、皮肉なほど洗練され、最適化されてしまっているのだ。

「私、負けた時の仕事だけ、どんどん速くなってる……」

 あかりはモニターに表示された完成品を見つめ、小さく自嘲した。

 そこには、悲壮すぎず、かといって明るすぎもしない、絶妙な温度感で作られた「完璧な敗戦報告画像」があった。

 この無駄のない作業効率の良さは、私たちがどれだけ負け慣れてしまったかという、残酷な証明書そのものだった。

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