表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
その赤を、燃やせ  作者: 樽見 龍二
28/41

27.通知欄の熱量

 あかりは、意を決して通知タブをタップした。

 普段、仕事で公式アカウントの管理画面を開くとき、あかりは無意識に奥歯を噛み締め、身構えるのが癖になっていた。

 そこはいつも、罵詈雑言と冷笑、あるいは「解散しろ」というファンの絶望が渦巻く、荒涼とした砂漠だからだ。画面越しに吹き荒れるその殺伐とした「砂嵐」は、広報担当者の心を容赦なく削り、乾かしていく。

 しかし、目の前にある『残り火日誌』の通知欄は、それとは全く異質の空気を纏っていた。

 画面から溢れ出し、彼女の瞳に飛び込んでくる言葉の数々。

 それらは、いつものような鋭利な刃物や、冷たい石礫つぶてではなかった。

 長らく乾ききり、ひび割れていたあかりの心に、とつとつと、静かに、そして優しく沁み込んでいく「慈雨」のような、温かい言葉たち。

「怖い言葉が……ひとつも、ない……」

 あかりは、強張っていた肩の力が抜けていくのを感じた。

 そこには、彼女がずっと怯えていた悪意など存在せず、ただ純粋な共鳴だけが、静かに降り注いでいた。


 あかりは、祈るような手つきで、並んだ言葉を上から順になぞるように読み進めた。

『……泣いた。最近の公式は「勝て」とか「チケット買え」しか言わないけど、この人は選手が今、傷つきながらも「戦ってる」ことを教えてくれる』

 あかりの胸がぎゅっと締め付けられる。

 それは、広報としての彼女自身への痛烈な批判であり、同時に、仮面を脱いだ一人の「書き手」としての彼女への、最大の賛辞だった。

『誰が書いてるの?解像度が高すぎる。関係者?それとも創設期からの古参サポ?』

『今のブレイズに足りないのは、まさにこの泥臭さだよ。「Smart & Stylish」なんてクソ食らえだ。俺たちのキャプテンは不器用でいい、泥まみれでいいんだ』

 あかりがこれまで、組織の中でたった一人、孤独に抱え込み、押し殺してきた「ブレイズはこうあるべきだ」という熱い想い。

 それが、決して間違いではなかったのだと、画面の向こうの見知らぬ他人たちが、次々と証明してくれていた。

 顔も名前も知らない、どこに住んでいるかも分からない人々が、あかりが紡いだ言葉を唯一の媒介にして、深夜のネットの海で深く、強く、頷き合っている。

 その光景は、どんなに精巧なマーケティングデータよりも雄弁な「真実」として、あかりの胸に迫った。


 スクロールするあかりの指が、ある一つの投稿の前でピタリと止まった。

『正直、最近負けてばっかで、アリーナ行くのやめてた。高いチケット代をドブに捨てるようなもんだし』

 そこには、今のブレイズを取り巻く、あまりにも残酷でリアルな「ファンの本音」が書かれていた。

 だが、その文章には続きがあった。

『でも、火野があんなボロボロの膝で、そんな想いでテープ巻いて戦ってるなら……もう一回だけ、明日見に行こうかな。勝ち負けじゃなく、キャプテンのその生き様を見に』

「……勝った」

 あかりは、布団の中で小さく、けれど力強くガッツポーズをした。

 以前、企画会議で氷室は鼻で笑って言った。「美談や絆で、アリーナの膨大な電気代が払えるか?」と。

 

 払える。

 あかりは今、確信した。

 人は、理屈で動くのではない。感情ストーリーこそが、人の足を物理的に動かし、固く閉じた財布の紐をこじ開けるのだ。

 それは、たった1枚のチケットかもしれない。

 けれどその1枚は、あの冷徹な氷室のロジックに対する、あかりの完全なる勝利宣言だった。


 あかりは、まだ微かな熱を帯びているスマートフォンを、両手で包み込むようにして胸に押し当てた。

 トクトクと脈打つ自分の心臓の音が、画面の向こう側の鼓動とリンクしていくのを感じる。

 今まで、オフィスのデスクでやっていた「広報」は、ただ一方的に情報を投げつけるだけの「放送ブロードキャスト」に過ぎなかった。

 顔の見えない数万人の群衆に向かって、綺麗にラッピングされた中身のない空箱を、事務的にばら撒くだけの虚しい作業。

 でも今、この場所で起きている現象は違う。

 これは「対話ダイアローグ」だ。

「私が投げたボールを、みんなが受け止めて……ちゃんと、投げ返してくれている」

 あかりは、自身のてのひらに、確かな重みを感じていた。

 それは、キャッチボールが成立した時に感じる、あのバシッという衝撃にも似た、少し痛くて、でもどうしようもなく嬉しい、心地よい痺れだ。

 あかりの目頭が、じわりと熱くなる。

 この小さな裏アカウントは、もう闇に向かって叫ぶだけの、孤独な独り言の場所ではない。

 それは、凍えるようなチームの冬の時代に、同じ「熱」を求めて集まった同志たちが、一つの焚き火を囲んで暖を取り合う、温かな「輪」になった瞬間だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ