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その赤を、燃やせ  作者: 樽見 龍二
26/41

25.寝起きの審判

 ピピピピピピピピ!

 無機質で神経を逆撫でする電子音が、狭いワンルームの静寂を暴力的に引き裂いた。

 あかりは泥のように重い瞼を、無理やり押し上げた。

 閉め切ったカーテンのわずかな隙間から、鋭利な刃物のような朝陽の束が差し込み、まだ寝ぼけている網膜を容赦なく刺した。

「う、……ん」

 不快な眩しさに顔をしかめ、身体を起こしたその瞬間。

 意識の完全な覚醒と同時に、昨夜の記憶が堰を切った奔流となって、脳内に押し寄せてきた。

 深夜の冷え切ったサブアリーナの空気感。

 獣のように床に這いつくばっていた、火野の嗚咽。

 そして、その熱に浮かされたまま衝動的に開設し、最初の投稿をしてしまった、あの秘密の裏アカウント――。

「……私、本当にやっちゃったんだ」

 ぼそりと漏れたその声は、寝起きのために渇いて掠れていた。

 どうか全部、悪い夢であってほしい。そんな淡い現実逃避の願いは、枕元で充電ケーブルに繋がれたまま、黒い画面で沈黙しているスマートフォンの確かな質量によって、あっけなく打ち砕かれた。


 布団の中で、あかりはスマートフォンを両手で強く握りしめていた。

 だが、画面をタップしてロックを解除する勇気が、どうしても出ない。まるで、時限爆弾のスイッチを持っているかのような恐怖だった。

 睡眠によって強制的に冷却され、理性的になった脳が、昨夜あんなにも熱く酔いしれて打ち込んだ言葉の数々を、無慈悲に再生し始める。

『その泥臭い背中こそが、私たちが愛した……』

『火はまだ、青く静かに燃えている……』

「うわぁぁぁ……ッ!!」

 あかりは枕に顔を埋め、変な声を上げながら、布団の中でバタバタと両足を激しく動かした。悶絶、という言葉がこれほど似合う瞬間もない。

 あれは、「独立宣言」なんかじゃない。ただの独りよがりな「痛いポエム」だったんじゃないか?

 脳裏に、氷室の冷笑が浮かぶ。「言っただろう。お前の文章は感傷的で、生産性のない駄文だ」と。

 いわゆる「深夜のラブレター」現象。

 夜という魔物がかけた魔法がすっかり解けた今、世界に晒してしまった自分の剥き出しの感情が、猛烈に、もう穴があったら入りたいほど恥ずかしく思えてきた。


 だが、悶えるあかりの脳裏を、単なる羞恥心よりも遥かに冷たく、そして恐ろしい想像がよぎった。

 それは、「誰にも見られていない」という可能性だ。

 批判のコメントも、嘲笑のリポストも、冷ややかな引用もない。

 インプレッション、ゼロ。

 広大なネットの海に石を投げ込んだつもりだったのに、波紋ひとつ起きない「完全なる無風」。

 それは、あかりが命を削って灯したはずの火種が、誰の心にも引火することなく、ただ湿気ってくすぶるだけの「燃えないゴミ」だったという、残酷な証明になってしまう。

(……無視されるくらいなら、バカにされて炎上したほうがまだマシかもしれない)

 無関心という名の処刑への恐怖。

 あかりの心臓が、嫌な汗と共に早鐘を打ち始めた。

 ドクン、ドクン、ドクン。

 自分の脈打つ音が、耳の奥で警鐘のように大きく響いた。


 あかりは、肺の中の空気をすべて入れ替えるつもりで、一度、限界まで大きく深呼吸をした。

「見よう。……現実を」

 あかりは、震える右手の親指を、ホーム画面に並ぶSNSアプリ――『X』のアイコンの上へとゆっくり移動させた。

 それは、単にアプリを起動する動作ではなかった。

 不用意に触れれば、これまでの人生を全て吹き飛ばしかねない、不発弾の信管に指をかけるような、張り詰めた慎重さだった。

 トン。

 意を決して、画面をタップする。

 漆黒の起動画面が表示され、読み込み中を示す白いインジケーターが、画面の中央でぐるぐると回り始めた。

 データを受信するまでの、ほんの数秒。

 だが、息を止めて画面を見つめるあかりには、その時間がまるで永遠のように長く、果てしなく感じられた。

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