23.泥の定義
ふと、あかりの指が画面の上で止まった。
脳裏をよぎったのは、今朝も通勤途中の駅で見かけた、今シーズンの大規模なブランディング広告だ。
『Smart & Stylish』
『新時代のバスケットボール』
有名デザイナーが手掛けたという、無機質で洗練されたロゴマーク。
そして、汗一滴かいていない、涼しげな表情で軽々とダンクを決める選手たちの、あまりにも綺麗すぎる合成写真。
「……嘘だ。そんなの、私たちじゃない」
あかりは唇を噛んだ。
今の泥沼のような連敗。それは、実態のない理想で無理やり塗りたくった、その薄っぺらい「メッキ」が剥がれ落ちた結果なんじゃないか?
私たちは「スマート」で「おしゃれ」な流行りの服を無理して着ようとして、自分たちが本来持っていたはずの、一番強くて泥臭い武器を、自ら捨ててしまったのではないか?
あかりは、薄暗いコートの中で、一度は倒れ、それでもまだ床に這いつくばってボールを追おうとする火野の姿を、直視したまま言葉を紡いだ。
スマートじゃなくていい。スタイリッシュなんてクソ食らえだ。
『美しいシュートが決まらなくても、その泥臭い背中こそが、私たちが愛した"炎"の正体だったはずだ』
フリック入力する指先に、熱がこもる。
あかりの脳裏に、かつてこのアリーナが物理的に揺れるほどの熱狂に包まれた、あの瞬間の記憶が蘇る。
それは、計算し尽くされた華麗なパス回しが決まった時ではなかった。
あの日、観客が総立ちになり、割れんばかりの咆哮を上げたのは――。
誰かが、サイドラインを割りそうなルーズボールに、頭から飛び込んだ時だ。
客席に突っ込み、椅子をなぎ倒してでもボールをコートの中に繋ごうとした、あのなりふり構わない、無様な執念を目撃した瞬間だったはずだ。
その時、あかりの頭の中で、散らばっていた点と点が、バチリと音を立てて繋がった。
一般的に、「泥」は火を消すために使われるものだ。
けれど、このチーム――「名古屋ブレイズ」の理屈は違う。
私たちにとっての「泥」とは、汚濁ではない。
それは、なりふり構わぬ執念であり、どれだけ無様でも、恥をかくことを恐れずに食らいつく心そのものだ。
「そうか……泥を洗い流して、綺麗になろうとしたから……だから、私たちの火は消えかけたんだ」
あかりは、震える指先を見つめながら確信した。
今、死にかけたこのチームの炎を再び燃え上がらせるために必要な燃料は、経営陣が欲しがるような高価で純度の高いガソリンなんかじゃない。
もっと安っぽくて、足元にいくらでも落ちていて、でも誰もが「汚い」と嫌がって見向きもしない――この、粘りつくような「泥」なのだと。
あかりは、暗闇の中で深く、力強く頷いた。
迷いを振り切るように、親指が最後のセンテンスを叩き出す。
『格好悪くてもいい。泥まみれになって、這い上がれ』
『その摩擦熱だけが、消えかけた私たちを再び、業火のように燃え上がらせるのだから』
投稿ボタンの上で、指が震える。恐怖ではない。武者震いだ。
この文章は、上司である氷室が巨額の予算を投じて推し進める、あの綺麗で無機質な「スマート化計画」に対する、たった一人でのクーデターであり、完全なる対抗言説だ。
(これが、私の定義する……本当の『名古屋ブレイズ』です)
漆黒の画面に刻まれたその白い文字の列は、もはや単なるSNSの投稿文には見えなかった。
それは、組織の歯車だったあかりが自らの意志で立ち上がり、世界に向けて高らかに掲げた「独立宣言書」のように、凜とした輝きを放っていた。




