18.テーピングの鎖
あかりの脳裏に、今日、上司の指示でSNSに投稿した火野の宣材写真が鮮明に浮かび上がった。
スタジオの明るい照明を浴びて輝く、爽やかな笑顔。
ワックスで完璧に整えられた髪。
一点の曇りもない、強くて頼れる「理想のキャプテン像」。
しかし、今、あかりの目の前で荒い息を吐いている男は、それとは似ても似つかない、まるで別人のような姿だった。
髪は大量の汗を吸って重く垂れ下がり、まるで打ち上げられた海藻のように額や首筋にべっとりとへばりついている。顎には、連戦の疲労の色を濃くする無精髭が黒々と目立っていた。
そして何より、その表情だ。
ボールをキャッチし、踏ん張ってシュートモーションに入るたび、顔面がくしゃりと歪み、眉間に指が挟まりそうなほど深い谷が刻まれる。
そこに「笑顔」など微塵もない。あるのは、肉体の悲鳴を精神力でねじ伏せる、苦痛に耐える修羅の顔だけだった。
「ポスターの中の火野さんは……嘘だったんだ」
あかりは、自分がこれまで必死に作り上げ、ファンに見せてきた「綺麗でカッコいい広報」というものが、いかに薄っぺらな虚構であったかを、無言のうちに突きつけられたような気分になった。
激しいステップのたびに、キュッ、とシューズが悲鳴を上げる。
その音に導かれるように、あかりの視線は火野の足元へと吸い寄せられ、そのまま釘付けになった。
バスケットパンツの裾から伸びる、丸太のように鍛え上げられた太い脚。
しかし、その膝周りには、本来あるはずの健康な肌色はどこにも見当たらなかった。
白いアンダーラップと伸縮テープが、関節の形状がわからなくなるほど、何重にも、何重にも、執拗なまでに分厚く巻き付けられていたのだ。まるで、そこだけミイラの包帯のようだった。
さらに、その白い塊の上から、金属パーツが埋め込まれた、無骨で厳重な黒いハードサポーターが装着されている。
その異様な光景に、あかりの肌が粟立った。
それは、傷ついた関節を優しく保護するための医療器具には見えなかった。
悲鳴を上げて砕け散ろうとする膝を、物理的な力で無理やり繋ぎ止め、押さえつけるための、白い「拘束具」であり、肉体に食い込む「鎖」そのものだった。
「……あんなに巻いて、血が通ってるの?」
あかりの口から、うわ言のような問いかけが漏れた。
壊れかけた身体を鎖で縛り付けてまで、彼はなぜ、この孤独なコートに立ち続けるのか。その痛々しさに、あかりは目を背けることすらできなかった。
火野がローポストの位置でボールを強く突き、ゴールリングに広い背中を向けた。
あかりの心臓がドクンと跳ねる。次の瞬間、何が来るかを彼女は知っている。
彼の代名詞であり、ブレイズの象徴でもあった芸術的な技――後方へと大きく跳躍しながらディフェンスを無力化する、「フェイダウェイ・シュート」の予備動作だ。
あかりの記憶の中に焼き付いている全盛期の火野は、まるで重力から解き放たれた翼を持つかのように軽やかに宙を舞い、美しい放物線を描いていた。
だが、目の前の現実は違った。
ダンッ!
彼が軸足となる左足で床を強く踏み込んだ、その時。
「……っ、ぐ」
火野の口から、短い呻き声が漏れた。
跳躍のエネルギーへと変わるはずだったスムーズな重心移動が、膝のあたりでカクン、と不自然に断ち切られたように停止したのだ。
あかりは息を呑んだ。
それは、鍛え上げられたアスリートの滑らかな肉体の連動ではなかった。
まるで長年放置されて油が切れ、赤錆びついて固まった巨大な鉄扉の蝶番を、力任せに無理やりねじ開けようとしているかのような、ギギギ、という不協和音が聞こえてきそうな、あまりにもギクシャクとした挙動。
かつての優雅な「舞い」の面影は、どこにもない。
彼はサポーターでガチガチに固められた関節を、自身の筋力だけで無理やりねじ曲げ、悲鳴を上げる肉体を引きずり上げるようにして、重苦しく宙へと浮かび上がった。
「ふんっ……!!」
静まり返ったコートに、火野の短い、けれど血を吐くようなうめき声が響いた。
彼が床を蹴り、宙へと身体を投げ出す。
しかし。
あかりの目が無意識に追った「かつての到達点」に、その身体は届かなかった。
圧倒的に、低い。
全盛期にはリングを見下ろすほどだった跳躍力は失われている。
何重にも巻き付けられたあの白いテーピングと黒いサポーターが、まるで彼を空へ行かせまいとする「鎖」となり、重力と結託して、その身体を冷たい床へと強引に引きずり戻そうとしているかのようだった。
空中でボールを構える体幹も、小刻みに震えている。
かつての鉄壁のボディバランスはそこになく、崩れそうになる身体を必死に空中に留めようとする、痛々しい足掻きだけがあった。
「……っ」
あかりは、見ていられなかった。
ズキリ、と自分の足に幻痛が走る錯覚を覚え、思わずスカートの上から自身の膝をさすった。
見ているだけで、骨がきしみ、神経が悲鳴を上げるのが伝わってくる――それは、あまりにも痛々しい、呪いのようなジャンプだった。




