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その赤を、燃やせ  作者: 樽見 龍二
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14.熱を帯びたテキスト

 あかりはイヤホンを耳の奥にねじ込み、再生キーを押した。

 PCの画面上に表示された音声編集ソフトの緑色の波形が、まるで不安定な心電図のように左から右へと走り出した。

『……あー、すみません。ちょっと、言葉が……うまく出なくて』

 ヘッドホンから流れてきたのは、予想以上に弱々しい声だった。

 キャプテンの火野。普段の彼は「ミスター・ロジカル」と呼ばれるほど冷静沈着で、どんな試合の後でも理路整然としたコメントを残す男だ。

 その火野が、言葉に詰まり、荒い息を吐いている。

 波形の背後からは、ざらついたノイズが聞こえてくる。

 それは、敗戦直後のロッカールーム特有の、湿った重苦しい空気の音だ。

 ドンッ……!

 遠くで、誰かが氷嚢か何かを、床に思い切り叩きつけたような鈍い衝撃音も混じっている。

 あかりはマウスを操作し、ボリュームのフェーダーをぐっと上げた。

 彼の喉の奥で震える感情の粒を、その息遣いのひとつさえも、絶対に聞き逃さないように。


『俺たちは今、最悪です。……でも』

 あかりは、キーボードを走らせていた手をピタリと止めた。

 ヘッドホンの向こうで、火野が言葉を詰まらせる。そのまま、放送事故になりかねないほどの、十秒近い長い沈黙が流れた。

 無音ではない。衣擦れの音。微かに漏れる、震える呼気。

 その空白の時間に、彼がどれほどの悔しさを飲み込み、プライドを噛み砕き、そして何を覚悟したのか。

 あかりは、その沈黙スペースに込められた意味さえも文字として定着させようと、祈るように画面上のカーソルを睨みつけた。

『こんな時だからこそ、スマートに勝とうなんて思っちゃいけない』

 沈黙を破り、絞り出された声は、低く、力強かった。

『ブレイズの誇りっていうのは……もっと、泥臭く這い上がっていく姿勢のことだと思うんで』

 カチャ、カチャ、カチャ……ッターン!

 あかりは「泥臭く」という単語を変換した瞬間、エンターキーを親指で激しく叩いた。

 乾いた打鍵音が、決意の銃声のように部屋に響く。

「そう……今のファンが聞きたいのは、綺麗事じゃない。この言葉よ」


 本文の入力を終え、あかりはカーソルを記事の冒頭、タイトル欄へと戻した。

 普段の公式ブログなら、ここには事務的でミスのない言葉が入る。例えば『第15節 試合後コメント』といったように。

 あかりは一瞬、その慣習に従いかけ――すぐにバックスペースキーを長押しして、無難な文字を消し去った。

 そんな温度のない見出しでは、誰もクリックしない。あの泥臭い決意には届かない。

 あかりは、自分自身が感じた「熱」をそのまま言葉に変換し、キーボードを叩いた。

『這い上がる誇り ——火野キャプテンが語る、ブレイズの原点』

 打ち込んだ文字列をドラッグして選択し、ツールバーの「B(Bold)」ボタンをクリックする。

 文字が太く、黒く、力強く強調された。さらにフォントサイズを一回り大きくする。

「今の最悪なチーム状況で、こんな情緒的な記事を出せば……『ポエム書いてないで練習しろ』って批判も来るかもしれない」

 あかりは画面を睨み据えた。

 けれど、火野が吐露したこの悲壮なまでの覚悟を知れば、その批判はきっと、選手を後押しする「応援の熱」に変わるはずだ。

 これは、広報としての「賭け」だ。

 そして、コートに立てないあかりができる、彼女なりのたった一つの「戦い」だった。


「よし」

 あかりは小さく息を吐き、完成した原稿を保存した。

 ファイル名:『20251126_火野Cpt_試合後コメント_確認用.docx』

 業務用のチャットツールを立ち上げる。

 宛先は、上司である氷室だ。

 あかりはデスクトップにあるWordファイルのアイコンを掴み、トークルームへとドラッグ&ドロップした。

 普段は数字と効率しか見ない冷徹な人だ。

 けれど、今回ばかりは違うと思いたかった。これだけの想いが詰まった言葉なのだ。

「氷室さんだって……ちゃんと中身を読んでくれれば。数字だけじゃない『何か』が、きっと伝わるはず」

 この熱量には、人の心を動かす力がある。そう信じたかった。

 あかりは一縷の望みを指先に込め、送信ボタンをクリックした。

『お疲れ様です。ブログ記事の原案を作成しました。ご確認をお願いします』

 メッセージが吹き出しとなって画面に吸い込まれる。

 あかりは、その文字の横に『既読』のマークがつくのを、まるで神託を待つ信者のような、祈るような心持ちで待ち続けた。

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