11.ゴミ箱行きの情熱
広報ルームに戻ったあかりは、死んだような目でモニターに向かっていた。
画面に表示されているのは、氷室から送られてきた画像ファイルだ。
そこには、デザインの欠片もなかった。
極太のゴシック体で『残席わずか!』『今すぐ購入!!』と殴り書きされ、背景は目が痛くなるような蛍光イエローと赤のベタ塗り。
それはプロスポーツチームのクリエイティブとは到底呼べない、まるで閉店間際の激安スーパーの特売チラシだった。
あかりは唇を噛む。
ブレイズの象徴であり、選手たちが誇りを持って身に纏う「情熱の赤」。それが、ここではただの焦燥感を煽り、購買意欲を刺激するためだけの、下品な「安売りの赤」に成り下がっている。
あかりは、こみ上げる吐き気を堪えるようにして、マウスをクリックした。
カチッ。
『投稿する』。
そのボタンを押した瞬間、あかりは明確に自覚した。
自分の仕事はもう、ファンとの信頼関係を築く「広報」ではない。質の悪いスパム同然の「広告」を、アルゴリズムも無視してばら撒くだけの、ただの機械に堕ちてしまったのだと。
あかりの視界を、二つの液晶画面が占領している。
デスクに並べられたデュアルモニタ。その左右で、あまりにも対照的な二つの世界が睨み合っていた。
右側のサブモニターに映し出されているのは、今しがた投稿を終えたばかりの、組織としての「正解」だ。
目がチカチカするような蛍光イエローの背景。安っぽい極太フォントで叫ぶ『残席わずか!』の文字。
それは、数字と効率だけを信奉する氷室の論理そのもののように、下品な圧力を放っている。
一方、正面のメインモニターに取り残されているのは、あかり個人の「正解」だ。
フォトショップのウィンドウの中、閉じ込められたままの翔太。
モノクロの繊細な陰影に沈み、ヘッドホンを耳に押し当てて、孤独な戦いに身を投じようとするその横顔は、静謐で、どこまでも美しい。
騒々しい「広告」と、静かな「物語」。
「右が、会社の正解。……左が、私の正解」
あかりはマウスを握ったまま、動けなかった。
物理的にはたった数センチしか離れていない、二つのディスプレイ。
しかし、あかりにはその間にある黒い枠の境界線が、どんなにマウスカーソルを動かしても決して飛び越えることのできない、果てしなく深く、暗い断絶の溝のように見えた。
「ごめんね、翔太くん」
あかりは、誰にも聞こえない声でそう呟くと、マウスを握る右手にじっとりと汗が滲むほどの力を込めた。
画面上のカーソルを、左画面にある翔太の画像ファイルに合わせる。
人差し指でクリックし、掴む。
そのまま、マウスをゆっくりと横へスライドさせる。カーソルに捕らわれたモノクロの翔太の顔が、ずるずると引きずられていく。それはまるで、処刑台へと連行される罪人の歩みのように重苦しかった。
行き先は、共有サーバーの階層の最深部にあるフォルダ。
『z_Archive(不使用)』
通称、「墓場」。
一度も日の目を見ることなく葬り去られた、無数のボツ企画たちが眠る、冷たい電子の霊園だ。
あかりはフォルダの上でカーソルを止め、震える人差し指を上げた。
カチッ。
指を離した瞬間、翔太のファイルは一瞬でフォルダの闇の中へと吸い込まれ、画面上から跡形もなく姿を消した。
そのプラスチックが弾けるだけの、あまりにも軽く、乾いたクリック音。
けれどあかりにはその音が、自身の胸の奥で、これまで必死に張りつめていた大切な何かが、ポキリと決定的に「壊れる」音と重なって聞こえた。
パタン。
あかりはフォルダの階層を閉じ、無機質なデスクトップ画面へと戻った。
画面の中から、翔太の姿は消えた。
ドンッ!
あかりは震える拳で、自分の膝を強く叩いた。
痛みで少しだけ理性が戻る。涙は出ない。湧き上がってきたのは、メソメソとした悲しみではない。腹の底から煮えくり返るような、猛烈な「悔しさ」だった。
選手のプライドも、ファンの純粋な期待も、すべてが「数字」という名の冷酷なシュレッダーにかけられ、意味のない細切れのゴミにされている。
それをただ黙って見ていることしかできなかった自分が、何よりも許せなかった。
「私が……一番近くで、守らなきゃいけなかったのに」
あかりはギリッと奥歯を噛み締めた。
「……このまま言いなりで終わるなんて、絶対に嫌」
顔を上げたその瞬間、あかりの瞳から、かつてのような純粋で明るい光が消えた。
代わりにその眼の奥に宿ったのは、暗く、重く、そして決して消えることのない、執念のような黒い炎だった。




