プロローグ:0度の炎
赤は、熱い色だと誰が決めたのだろう。
十月の名古屋。名城公園の木々が色づき始める季節だというのに、目の前に広がる景色は、冬の湖底のように冷え切っていた。
名城パークアリーナ。
かつて数々の熱戦が繰り広げられた、歴史ある円形競技場。すり鉢状に広がるスタンドには、チームカラーである「ブレイズ・レッド」の座席が、およそ四千席、ぎっしりと並んでいる。
けれど、誰も座っていないその四千の椅子は、ただの赤いプラスチックの塊だった。
指で触れれば、体温を奪われるほどに冷たい。
「……寒い」
コートサイドに立つ湊あかりは、ジャケットの襟を合わせ、白くなりかけた息を吐いた。
広報担当として入社して三年目。このアリーナの静寂には、いつまで経っても慣れることがない。
特に、負けが続いている時の静けさは、耳鳴りがするほど重い。
名古屋ブレイズ。
かつては日本リーグ時代からの名門として君臨し、あまたのタイトルを獲得してきた古豪。
チーム名である「Blaze」は、激しい炎、きらめき、そして感情の激発を意味する。
だが今、このチームに火傷するような熱はない。あるのは、過去の栄光という残り火と、予定調和の敗北だけだ。
『古豪の落日』
『冷めたアリーナ』
『もはや“名古屋の誇り”ではない』
SNSのタイムラインを指で弾けば、ファンからの辛辣な言葉が、呪詛のように並んでいる。
反論はできない。
昨シーズンの平均入場者数は二千人を割り込んだ。四千人入るはずの器に対し、半分も埋まらない空席の目立つスタンド。響かない歓声。選手たちの背中に漂う、諦めにも似た空気。
私たちは、その寒さに適応しようとしていた。
凍えないように身を寄せ合い、「伝統」という毛布にくるまって、緩やかな死を待っている。
「でも……」
あかりは顔を上げ、天井から吊るされた巨大なセンタービジョンを見上げた。
今は黒く沈黙しているその画面。
けれど、あかりの網膜には焼き付いている景色がある。
幼い頃、父に連れられて見た、満員のアリーナ。
地鳴りのような歓声が床を揺らし、選手の汗がダイヤモンドのように輝き、見ず知らずの隣人と抱き合って喜んだ、あの沸騰するような空間。
私は、知っている。
この冷たいプラスチックの椅子が、人の熱で埋め尽くされた時、物理法則を超えたエネルギーを生むことを。
ここが、世界で一番熱い場所になり得ることを。
『ガチャン』
不意に、重い鉄扉が開く音がアリーナの静寂を破った。
冷たい風と共に、カツ、カツ、カツ、と、正確無比な革靴の足音が近づいてくる。
あかりは振り返る。
逆光の中に立つ、一人の男のシルエット。
それは、このチームに残された微かな種火さえも踏み消そうとする、冷徹な「氷」の到来だった。
まだ、あかりは知らない。
その氷との衝突こそが、消えかけた炎を爆発的に燃え上がらせる、最初の火花になることを。
物語は、一番寒い場所から始まる。




