011
「早く。早く」
先程までの冷たい対応が嘘のように、ラプラスに急かされながら厨房へ先導した。船内は広いが、厨房などの全員で共有する施設はアクセスがいい場所に配置されているため、彼女を寝かせていた部屋からものの数分で着いた。
厨房と書かれたドアを開けるとそこには、腹ペコなラプラスが期待していた光景が、――――なかった。
ミカは厨房の奥、一番大きいコンロの前に陣取っていた。ミカがいる場所は問題ではない。問題は、ミカの隣に用意された鍋。正確には、鍋の縁から見える灰色の粘土らしき物体。
鍋の上に灰色の粘土が鎮座している状況を見て、ああ料理中なんだなと思えるだろうか。とてもじゃないが、料理をしているようには見えなかった。
「…………おーい、ミカさん。今、何をしているか教えてくれないか?」
理解に苦しむ光景を前にして、一瞬思考が停止する。
「あれ?アルフレッド?どうしたの、あの子を見てるはずでしょ?」
「そいつだったら、お前が出て行ってからすぐに目を覚ましたよ。どうも、腹をすかしているみたいだから連れてきた」
振り返ったミカの瞳が、アルフレッドの後ろを付いてくるラプラスを見つけた。
「あっ、無事に目を覚ましたんだね!良かった~」
「ああ、それで後ろのこいつが、目を覚ましてすぐにお腹を鳴らしたラプラスだよ」
「ボクはミカだよ、よろしくね。」
「……」
アルフレッドに紹介された当の本人は、部屋に着くまでの上機嫌は鳴りを潜め、今は死んだ表情で無言を貫いている。
「それでミカさんや、さっきも聞きたいんだけどさ。今、何をしようとしていたんだ?あの灰色の物体はなんだ?」
よく見ると灰色の物体は、表面をテカテカと光らせている。表面に油でも塗られているのだろうか。
ミカの手元のまな板では、肉が切られていた。端が切れていなかったりと、手慣れてないのが一目で分かる出来栄えだ。
幸い?まだ鍋には、火がついて無いようだ。
「ふふん、これは前に王宮で食べた料理を再現してみようと思ってね。お肉をたっぷりの油で揚げるんだ」
灰色の物体は表面に脂が塗られているのではなく、油そのものだそうだ。そうだとしても、食用にはとても見えない色味の悪さだ。獣脂なら固形だが、白色が普通だろう。高価だが植物油なら透明で液状だ。説明されてもなお、灰色の物体と油がイコールで結びつかなかった。
「上機嫌なところ悪いが、油が灰色な理由も教えてくれるか?」
「そりゃあ、灰を混ぜているからね。当然、灰色になるさ」
「あれこれ口出しして悪いが、なんで灰を混ぜているかも教えてくれるか」
「灰を混ぜると粘度が出て、水に流れにくくなるのさ」
「なんで油に粘度が必要なのかも聞いていいか?」
「そりゃあ、船の脚部の駆動部に塗る物だから、サラサラだと雨風ですぐに流れていって困っちゃうでしょ?」
「当然のように、工業用の油を調理に使おうとするんじゃねえ」
「同じ油でしょ?」
「同じ水だからって、泥水でスープを作る馬鹿がいると思うか?」
「それとこれとは別だよ!スープは飲むけど、これは揚げるだけだから問題ないでしょ」
「口にすることに変わりねえよ。後は俺がやっとくから」
「いやいや、馬鹿にしないでよ。最後までやり遂げるんだから」
「いいから、お前はラプラスを連れて風呂でも入ってこい。男の俺が連れていくわけにもいかないだろう?」
「むぅ」
「腹減ってるとこ悪いが、ラプラスもそれでいいな?」
ラプラスは食事がまだ先になるのがよっぽどショックだったのか、厨房に入ってから終始無言を貫いていた。
「はい。じゃあ仲良く風呂入ってこい」
隣りにはミカと名乗っていた少女が、少し不服そうに歩いていた。
「絶対、美味しくできると思うのにな。今更、ぶうたれてもしょうがないか」
言葉にこそしないが内心、料理に灰を混ぜて美味しくなるわけがないと反論がしたかった。
「ねえ、ラプラスは起きたばかりでこの船のこと全然知らないよね。お風呂を見たら、絶対驚くよ。なんせ肝いりで造ったからね」
「造った?あなたが?」
しまった、と思った。ご飯が食べられるかと思って気が緩んでいたが、何一つ話をするつもりはなかった。
俄かに信じがたいことを聞かされ、思わず疑問を口に出してしまった。
「そうだよ。お風呂だけじゃなくて、この船は全部僕一人で造ったんだよ。あっ、一人で造ったって言っても設計だけ、だけどね。建造するのには、多くの職人の力を借りたよ」
設計がどれほど大変なのか知らないが、きっと大変なことなのだろうと思えるほどこの船は大きい。
厨房もそうだったが、生活に関わる施設は船の中枢に固められているおかげで、この広い船の端から端へと移動する羽目にはならずに済んでいる。
一人で造ったと豪語する彼女は、そういったことも考えて『設計』したのだろうか。
「まあ、なんだ。こう出会ったのも何かの縁だし、裸の付き合いといこうよ」
「裸の付き合い……。やっぱり、一緒に入るは嫌」
「恥ずかしい?」
自身の想いとは全く異なるが、羞恥心もなくはないので無言でうなずいた。
「うーん。じゃあ、先に入ってくる?僕はご飯食べた後にでも入ればいいし」
「いいの?」
気を悪くしただろうか、恐る恐る顔色窺うもまだ出会って間もない自分に見分け着く訳が無かった。だが、少なくとも怒ってはいなさそうだった。
「全然、いいよ。同性でも初対面の人に裸見せるのが嫌な人だっているでしょ?だから、気にしないで入ってきなよ」
「ありがとう」
「あっ、タオルは入ってすぐの戸棚にいっぱいあるから、使っていいからね」
扉が閉じられる。
「ふうっ」
意図せず吐息が漏れてしまった。疲れよりも、緊張から解放されたから出てきたものだった。
愛想が悪いのは分かっているが、人と風呂に入りたくない理由があった。
二人が親切なのは、理解している。それでも、『これら』だけは見せるべきではない。
袖から左腕を抜いて、裾を持ち上げて襟から首を抜くと、細くて白い裸体があらわになる。
己の裸体へと視線を落とすと、下腹部には二つの刺青がある。自分の意志で入れたわけではない『これら』を、誰かに見せることは出来ない。
「これで、いいんだ」
あの二人は、優しい人たちなのかもしれない。
あの二人は、これがなにかは知らないかもしれない。
けれど、『これら』の価値を知ったら、その優しさもきっと変わってしまうだろう。
これまでのように。
「だって、面倒くさいし」
面倒くさいのだ、善意が悪意に変貌するのを目の当たりにするのは。
それまでの優しさを知っているから、身を守るのにも罪悪感を覚える。だけども、身を守る以外の選択がないから辟易とする。
だから、これまで通り、いつもみたいに、冷たい態度を取ればいい。そうすれば、あっちから勝手に離れていく。
それでいいんだ。それが一番楽で、面倒くさくないから。




