聖杯の創り手
リリーはジョシュア工房の作業場で、作図をしていた。新しい陶器のデザインだ。花々をモチーフに造られる茶器。お茶会が洗練されているため、貴族の嗜みとして芸術性の高い陶器には、莫大な人気が集まる。
リリーの生まれた国では、聖杯と呼ばれる器を毎年、鑑評会を開いて決定する。この聖杯は、聖杯記念日と呼ばれる日に用いられる大事な器となる。
リリーのジョシュア工房も、この聖杯選定に参加しており、工房内の予選のためにリリーは日々思案していた。
「これもダメだ」
リリーは作図中のデザインにバツをする。ありきたりなアイデアすぎた。どこかで見たような絵柄。とてもではないが、聖杯にふさわしくない。植物の文様に滑らかさが足りない。
花柄になるのは、ジョシュア工房の伝統として決まっているが、どれにしても二番煎じ。もっと、こう、珍しくて、見たことない植物を描き入れたいのに。
『王国ボタニカルアート・マガジン』を開く。
事典としてよく使われる本だが、全然植物への理解に繋がらない。もっと花を解剖して分かりやすく並べてくれないものか。もっと王国以外の外国の花々を載せてくれないものか。
リリーは数時間、ボタニカルアートを眺めたあとで、気晴らしに街中に歩を進めた。
折しも、街は、大遠征から帰ってきたエルザント騎士団の歓迎で盛り上がっていた。エルザント王女のための騎士団で、この国で最も優秀な騎士団だ。一番大きな街道から人々の歓声が響いてきている。わたしは、その喧噪から離れて街外れに向かった。
お気に入りの一つである喫茶店へと入る。
「エルザント騎士団のエースが何でここにいるんですかっ」
店に入った瞬間、大きな声が聞こえてきた。
その声の余韻に、カランカランというリリーの開けたドアの音が鳴る。
二人の人物の瞳が、わたしの方を見ている。
「あっ、あ~、い、いらっしゃいませ」
その一人であるカウンターにいる、いつもの女性店員がにこやかな笑みを取り繕う。もう一人、エルザントの守り手て呼ばれている黒髪の青年――確か名前は、アデル・ヴェーゼルハルト――、貴族のご令嬢たちがイケメンだとか騒いでいたから憶えている。たしかに、一度見たら忘れない二枚目だけど、少し怖いんだよね。わたしみたいな陶器に静かに向き合うのとは、真逆のタイプだから。
「あはは、ごめんなさいね。このことは秘密で――」
わたしは、ひょんな出会いのなかで、そういえば、店員の名字がヴェーゼルハルトだったと思い出しながら、親族なんだろうと辺りをつけて、いつも座る片隅のテーブル席に座った。
「今日は、なにになさいますか」
店員は、もう何事もなかったというふうにいつもの対応をしてくれる。
「オススメで」
「はーい」
店員は、カウンターの方へとパタパタと戻っていく。
わたしは、テーブルに飾られている小さな花瓶に挿されたナルコユリを眺める。ここの店員の趣味で、いたるところに、植物が飾られている。あまり植物を挿さないのは貴族の家では普通だけど、こういう普通の店や庶民の家だと飾られている。貴族は、壁紙や茶器に植物のデザインを施すのが優雅とされていて、本物の植物を家にあげることは忌避している。まぁ、バラ百本とか貴族だと簡単だし、庭園を造ってガーデニングするのが貴族の令嬢だし。
リリーが、店内の植物を見ていく。
見たことのない植物がいくつかある。どこから見つけてくるのかと思っていたけど、エルザント騎士団の二枚目と関係があるとはということは、それ繋がりで遠征中に取ってきてもらっているのだろう。
羨ましい・・・・・・。
と、同時に、なんで植物画の専門家か薬草官を遠征に参加させて、植物図鑑や本草目録を作成しないのか、と日頃から思っているモヤモヤが再燃する。ここにある植物だけでも、50点は未収録なのに。
「ほら、押し花にしておいたぞ」
「わぁ、ありがとう」
カウンターで、遠征中の手帳のようなものをまとめて渡す。
ああ、貴重な植物の記録が、喉から手が出るほど欲しい。でも、わたしは、陶器デザインだけが趣味で、ほぼ他人の二人の会話に割って入ることはできない。この店も完全に常連なのに、まだ店員さんとは距離があるし。
二人を見ていると、二人は似ていると思った。容姿が良すぎる。店員さん、じろじろ見たことはなかったけど、美人――。わたしみたいな地味な女性と違って、花がある。そう思って、ぼーと見ていると、彼女と目が合った。彼女は莞爾として笑った。
「リリーさん。見てみますか」
「え、い、いっ、えっ」
「今度の陶器。楽しみにしますし」
わたし、別に自分のことなんか話してないのに。バレてる。わたしが陶器工房で働いているって。
なんだか恥ずかしい。
わたしは、おずおずと、遠征で汚れてしまっている手帳を受け取る。
丁寧に押し花にされている未知の色彩豊かな花々。世界には、まだまだわたしの知らない植物があふれていて、わたしの想像力を軽く超えて、綺麗な形、色で存在している。
そのなかで、わたしにひときわ印象づいた花は、ルミエラと名付けられていた植物。いったい、誰が名付けたのかも分からないけど。もしかして、アデル・ヴェーゼルハルトが適当につけてるのかな。
「夜中、青く輝く白い花。採取すると、普通の白い花になった。東部レイテ川近くの崖の上で採取」
メモ書きの青く光るというところが、とても神秘的だと思った。どんな感じに光っていたのだろう。
ああ、遠征についていけたらいいのに。まぁ、確実に無理だろうけど。許可が出ても、絶対に遠征について行ける体力がないし。
「どうですか。いいアイデア湧きそうですか」
「うん。ありがとう」
わたしは、押し花の手帳を返す。
それから、わたしは、出された紅茶を飲み終えて、店を出た。
リリーは、ルミエラをモチーフに青白いつぼみのような咲く前の小さな花を丹念に描いた。淡く伸びる幹は青緑で着色して、しなやかなまじりあう輪郭を描いた。陶器の色は月光がにじむような薄い銀色のようなクリーム。
押し花は、開かれた花だったけど、何度描いても何か微妙な違和感がぬぐえなかったから、リリーは、想像の中で、その花をつぼみに戻してみて、デザインしてみた。
この陶器で見事、工房内の予選は突破することができた。鑑評会に出す作品を作ってよい立場になれた。
◇ ◇ ◇
鑑評会が近づいてくる春間近。
アイデアに再び煮詰まっていたなか、『王国ボタニカルアート・マガジン』の最新号を書店で買おうとしていたリリーは、本日発売の見たことのない植物図鑑を見つけた。
『クリス・ボタニカル標本図』を手に取り、開いてみると、そこには、喫茶店で見た植物たちが美しい解剖図が描かれていた。花の断面図が部分部分に分解されて、構造が明瞭に描かれていた。
ルミエラの花の図も明晰に描かれていた。綺麗な彩色は、リリーに違和感の雲を取り払っていた。
ルミエラは、白くない。きっと光っているとき、ルミエラは銀色をしている。
リリーは、目が出るほど高価なその植物図鑑を、なんとかお金を捻出して購入して、郊外の喫茶店へと走った。
喫茶店に入ると、クリス・ヴェーゼルハルトは、花瓶の水を替えている最中で、リリーを見て微笑み、「いらっしゃいませ」と言う。
それから、わたしの持っている本に気づく。
「恥ずかしいですね。ただの趣味の本ですよ。高かったでしょ」
「ルミエラは、銀色だったんですか」
リリーは、コミュ力がなくて、そのまま問うてしまった。単刀直入で、不躾で、クリスはキョトンとした顔で、「ええ、そうですよ、月光で輝く銀の花です」と応えた。
「綺麗だったんでしょうね」
「見てみますか。ルミエラは、保存してありますから」
保存。
リリーには、そう聞いたときに、最新の植物保存用の魔道具が思い浮かんだが、そんな高価なものがあるわけ――――――――あった。
クリスは、ガラス製の円柱の魔道具を丁寧にもってきて、カウンターに置いてくれる。
「光ってはいませんけど銀色でしょう。葉脈の青白いところも素敵」
「・・・・・・」
幻想的だ。儚くもありながら、銀色の力強い花。これが、夜に月光とともに青く光る。神秘的な崖の上で、ひっそりと青の光点となる地に咲く星。精霊にでも愛されていそうな花だ。これは、飛び抜けた価格の魔道具をつかってでも、プリザーブしたくなる。
「鑑評会、頑張ってくださいね。これは、サービスです。本当は、その本、鑑評会が終わってから出そうと思っていたんですけど、リリーさんの陶器を見たときに思ったんです。すこし出版を早めてでも、出した方が、いい作品がいっぱい見れそうだって」
見入ってしまっているわたしの耳元でそう言って、クリスは保存魔道具に布をかける。
「これ以上、見ていると良くないですよ。魅入られてしまいそうですし」
リリーは、ハッと我に帰る。
リリーの頭の中には、もう陶器のデザインの案が決まっていた。
鋭い剣のデザインを絡めよう。このルミエラは、バラの棘とは違う形で自分を守っている。美しい、その鏡面がなにかを映し出すように。
鑑評会に、出品された『シルバーブルー』は、見事に一位に輝いていた。
その神秘的な青と銀の混じり合いを含むデザインは、『エルザントブルー』と呼ばれることとなった。ジョシュア工房は、王室認定工房となり、エルザントブルーの陶器に、王家の印象を押すことが可能となった。
リリーは、その結果をもって、喫茶店に向かった。
「また遠征なの」
「ああ。また、押し花をしてくるよ」
「それもいいけど。もう少し、ゆっくりできないの」
「無理だな。こっちが暇してると、どこかが忙殺してるからな」
二人、今はもう知っているけど、二人は兄妹のようだ。わたしのなけなしの情報網で調べた。まぁ、聖杯に決定されたさいに、王女に聞いてしまったのだけど。わたしは、なにを王女に聞いているのだろう。
「あ、リリーさん。いらっしゃいませ。もう使わせてもらってますよ。綺麗ですね」
そう言って、エルザントブルーのデザインのティーカップを見せる。
「エルザントか。今度は、クリスってデザインの陶器を作ってくれ。とびきりの毒草を探してくるから」
「兄さん。わたしの花は、きっとおしとやかで、つつましくて、けなげで可憐な一輪花ですよ」
二人の会話を聞きながら、わたしは、カウンターの一席に座る。
「毒と薬は使い用ですし。きっといい植物がありますよ」
「リリーさん。そこのこだわりはいらないですよ」
恋愛物にするはずが、ならなかった拙作。