婚約破棄と追放を喰らった私は教会の聖女になりました
ソリア神聖王国の王都に聳える真っ白な石造りの豪邸の一室にて――――私、シェリー・エルバートは伝統的な市街が見える窓際に座っていた。
私の家系はいわゆる貴族だ。この国では五本指に入り、なおかつ頂点に該当する。何百年も王国を牛耳っているので、規模はとても巨大だ。だから、私はそれの令嬢ということになる。あ、先に言っとくけど、私は普通の善良な令嬢だから。悪役じゃないわよ。
そんな私は、これからの生活が楽しみで楽しみでたまらない。
何故なら、元国防軍所属の大佐の婚約者がいるからだ。彼は現在、王国で数か所の大手冒険者ギルドを経営していて売り上げも良好なため、資産は推定で15億もあるらしい。
元大佐ことムアンマレ・クダフィとの結婚は二日後だ。その日付になれば私は一気にお金持ちになれる。……まあ、自分はギャンブルが好きだからすぐ使い果たすかもしれないけど。
「それはそうと、ホントに楽しみ――――誰よこんな時に」
コンコン、と何回かノックされた。高品質な一人用のソファから立ち上がると、私は扉に向かった。
開けた先にいたのは、私の専属の使用人であるエルフのアヴァカンさんだった。それにしてもエルフは人間と違って歳を重ねる速度が遅いから、ずっと美を保ったままだ。
「あらアヴァカンさん、どうしたの?」
「あなたのお母さんと大佐が呼んでいますよ」
「ママとムアンマレが? 何で?」
嫌な予感がし、何か悪いことでもやらかしたかなと探ってみるが、思い当たる節はない。
ここでずっと頭を捻らせていても埒が明かないので、二人が待つとされる図書室へと向かった。
到着したけれど……より一層というべきだろうか、ともかく嫌な予感がさらに増した。眼前には図書館に通じるスライド式の木製の扉があるが、素直に開けられない。だって、扉から「入らん方がええで」という謎の関西弁の声が聞こえるんだもの。
だが、相手を長く待たせてはいけないと、私は覚悟を固めてドアを引いた。
まあ多分、どうにかなるでしょ――――この考えが甘いと思い知らされるのに時間は掛からなかった。
「え……?」
異様極まりない光景が、網膜に紛れる。
暗い表情で私を蔑んだ目で見つめる母親と、不敵なニヤニヤとした笑みを浮かべるムアンマレが二人並んで椅子に座っていた。
「ど、どうしたの二人共?」
私は思わず顔を引き攣らせ、震えた声色で問い掛けた。
不機嫌な様子のお母さんが席から立ち上がり、鋭く冷酷に睨んでくる。
そして、宣告した――――
「シェリー、あなたには悪いけど、邪魔よ。だから出て行ってちょうだい」
あまりに唐突で、理解に苦しむ言葉を突き付けられた。
「は……?」
何で? 意味が分からないんだけど。昨日はお母さんと一緒に裁縫してたじゃん……。それに邪魔って、酷いね。
「こちらからも言うことがある」
今度はピシっとしたスーツを着込む婚約者のムアンマレがそっと立ち上がる。彼の瞳は汚い欲望に塗れているように見える。
が、それは事実だったみたい。
「俺はお前なんぞより数億倍良い女を見つけたんだ」
「……は?」
婚約破棄ってやつよね!? 私それを今まさに受けたんだけど!?
冷たい視線を刺してくる二人をよそに慌てふためいていると、突然扉が開き一人の女が入って来た。
黒のメイド服を着た耳の長い人物――――その名は、アヴァカンさんだ。
「ど、どういうことよ!?」
何故、一体どうして、彼女がここにいるの? しかもめちゃくちゃ悪人顔だ。こんな表情、見たことないし見たくもない。
戸惑っている内にアヴァカンさんは私のムアンマレに駆け寄り、逞しさを象徴する腕にしがみついた。
「悪いが、シェリー……俺はアヴァカンを選んだんだ」
澄ました顔で言うムアンマレ。
「すみませんね、シェリーさん――――」
その横でヘラヘラと笑うアヴァカンさん。
婚約破棄と追放のダブルパンチ。
人生に釘を打たれた気分であった。
◇
荷物を纏められると屋敷の警備員により強制的に追い出され、出禁を言い渡された。
背後の屋敷の窓には、醜悪な笑顔のお母さんとムアンマレ、そしてアヴァカンが立っていた。ぶちのめしてやりたいわ。
「これだけか……キツいな」
幸いにも財布はポケットに入っていたが、所持金はたったの数十万。多いと言えば多いが、それはあくまでも恵まれた環境に特定される。一人で生き抜くのにこれだけでは明らかにすぐ尽きる。
追放された以上どこかでバイトをして生計を立てるのが道理だろうけど、生憎私はついさっきまで令嬢として甘やかされて育った女。アルバイトの面接にすら行く勇気がない。けれど、才能が何一つないという訳でもない。
しばらく街を彷徨った時、私はとある店の前に立ち止まった。
「一か八かの賭けよ」
顔を見上げる。
眼前に構えているのは私お気に入りのパチンコ店だ。何かいい台があれば大勝できるかもと、私はパチンコ店に入って行った。
数十分後、私は退店した。
え、結果? そんなの答えるのは嫌だ。察してちょうだい。
「はあもう最悪っ!」
小銭だけになった財布を固く冷えた地面に投げ付ける。
「というか大体何で婚約は破棄されるし挙句の果てには捨てられるのよ!」
か弱い脚力で道を踏み付けながら怒鳴り散らす。
周囲の人に変な目で見られ始めたので大人しくなったが、完全に生きる希望を失った。マジふざけんなよあの連中……。
翌日からの生活はまさに地獄を体現したものだった。
まず僅かに残っていた小銭達は自販機で消滅、おまけに無駄に動き回ったからか体力までもが減少してしまった。
腹が空けば飲食店ではなく、それの裏側にあるゴミ箱を漁り、店主に見つかっては追い払われる。
そんな惨めで哀れな女となった私は、どこなのかも分からぬ街の路地裏に段ボールを敷いて寝転がっていた。
まだ追放されて一日しか経っていないのに、髪は脂でギトギトだし、フケもちょっとだけ出ている。ホームレスだ。
「誰か私に恵んで……」
足元にはその辺で拾った缶を置いている。誰かお金を入れてくれるかもしれないからだ。
数百円でもいい――――とにかく金がないと死にそう。
路地裏だが意外にも人通りは多いので何人かはお金をくれるだろうと思っていたが、
「何だこのババア? 金なんかやらねーよバカ!」
と、無視されるどころかストレス発散マシーンになりつつあった。
「くっそう……! 絶対許さない……!」
投げられた瓶を強く握り締める。
そもそも私がこんな悲惨な目に遭ったのは、あのゴミ共のせいだ。ムアンマレが浮気せず、婚約破棄せず、母親が余計なことを言わなければ、こうはならなかった。
死んでも許さないわよ本当に……!
歯を上下ガッチリと噛み合わせ、怒りで口内が張り裂けようとしている時、邪心のない穏やかな声が鼓膜に漂った。
「お嬢さん、お怒りのようですが、それでは物事は一向に解決しませんよ?」
「うるさい……他者に私の苦しみが分かる――――え?」
文句を言い返してやろうと顔を上げると、目前に教会の聖職者らしき男性。髪は長く茶色だ。顔はまあまあイケメンで、スタイルは優れている。
「あなたに何があったのかは分かりませんが、とりあえず私が管理する教会に来てみませんか? 嫌ならすぐ帰ってくださっていいですし、気に入ったらそのままでも構いません」
その条件なら悪くないかも……それに私は腹が減っている。図々しいと思われるかもしれないけど、この人にご飯をおねだりしてみようかしら。
教会は数分歩いたところにあった。住宅街の中にひっそりと建てられていた。
「はあ美味い! もぐもぐニギニギもっきゅもっきゅ……」
「よ、よく食べますね……」
そして私は聖職者のセダム・へセインさんに料理を作ってもらい、食い物を獣の如く歯で噛み砕き、細かくなった食材を胃に流し込む。
大量にあった料理はたったの数分で消えてしまい、私は満腹になった腹部を優しく撫でる。
「ふう……ご馳走様、へセインさん」
「いえいえ、力になれたようで何よりです」
「ところで、お名前は何と言うのですか?」
あ、私たったら高貴な教育を受けた令嬢なのに自己紹介をしてなかったわ。
「シェリー・エルバート――――貴族の令嬢よ、まあ元だけどね」
「と言いますと、家出ですかね?」
「いや、追い出されたのよ、婚約も潰されたし」
あいつら、次会ったらタダじゃおかない。
「はあ……中々壮絶な体験をなされたようですね」
「そうよ! 本当こんな乙女を捨てるなんて……ん?」
壁に『聖女大募集』と記されたチラシが貼られているのを見つけた私は、立ち上がってそれに近付く。
聖女……教会でお祈りする女の人よね。私も昔、何かのイベントで接したことがある。
「ふーん……面白そうね」
「おやエルバートさん、聖女に興味があるのですか?」
「あるっていうか、お金に困ってて……高時給ならやろうかなって」
「え、やってくれるのですか!?」
彼が太陽のように明るい笑顔で私の肩をがっしりと力強く掴む。
「お、落ち着いて……まあ、だからそのお金次第よ」
「それならご安心を! ウチの教会の給料は40万です!」
ええ!? そんなに貰えるの? だったらこれはもう……
「やるわ! というかやらせてちょうだい!」
私は聖女になることを決めた。
「おお……聖女不足だったのでこれは嬉しい限りです。よろしくお願いしますね!」
「こっちこそね」
教会の中央、私とへセインさんはこれからの絆を繋ぎ合った。
◇
あれから2か月が経過し、私は聖女見習いとして着々とその技術を積み重ねていた。
そして今日は正式な聖女になるためのテストがあったのだが……
「やったぁ!」
緊張していた心は良い意味で裏切られた。
「合格ですよエルバートさん!」
へセインさんの嬉々に溢れた声が教会中に響く。
私は、今日を以って、正真正銘の聖女となったのだ。もちろん、給料も倍に増える。
「全部あなたのおかげよ、へセインさん」
「いや、これはエルバートさんの努力の塊です。よく頑張りましたね」
と、互いに褒め言葉を贈り合った。
だが、喜べるのはこの一瞬だけだ。
正式な聖女になったということが認められると、まずは近所を巡礼しなければならない。まあしょぼい言い方をすれば近所さんに聖女になりましたよと伝えないといけないということだ。
エルバートさんと一旦別れると、私は教会を出て付近を歩くことに。
「本当になれるだなんて」
聖女の証である白いローブをそっと撫でる。見習いのころは黒色のローブだった。
市民、冒険者、商人などに聖女となった旨を伝えると、私は教会へ帰り始めたが……
「あら、誰かいるのかしら?」
帰宅中、道端に青色のブルーシートで組まれた粗末な小屋を発見した。中からは声が聞こえる。
聖女の役割として、困った人間を見つけたら相談に乗り、幸福の祈りを捧げなければならない。
多少面倒だとも思ってしまうが、聖女に成り上がったには絶対にやらないとね。
「しゃーない、行く……え?」
ビニールハウスに向かおうと足を動かした時、そこからひょっこり出て来た三人の人物達を見て私は思わず驚いた。
――――姿を現したのは、何と母親とムアンマレ、そしてアヴァカンさんだったからだ。
しかも綺麗な服ではなく、まるであの時の私のように汚れたものだ。皮膚も垢だらけで髪もボサボサだ。異臭も半端じゃない。
「あっ、シェリー……!」
私を見つけた母親が汚れた顔に笑顔を貼り付けて走り寄って来る。それに釣られて他の二人もやって来た。
「なあシェリー! 俺達はビジネスで大失敗して自己破産したんだが助けてくれるだろ?」
ムアンマレが跪き必死の懇願をし、
「お願いですシェリーさん。あなたは見たところ、今は聖女をやっているようですが助けてくれるでしょう?」
と、アヴァカンさんもムアンマレと同じような態度で救いを求めて来る。
素晴らしい姿に落ちこぼれたなと内心でほくそ笑むが、決して表情には出さない。
こんな奴ら、助けたくないが、それでも助けなければならないのが聖女のお仕事だ。
私は聖典を片手に祈りの言葉を唱え始める。
「アスラームのエッラーよ、弱き人達に幸福、力、情熱を与えてくれたまえ――――では、私はこれで」
うん、聖女の役割はこれで終わり。三人にできることはもうない。
「はあ!? 何よそれ! ふざけんな! 宗教女!」
塩対応だと思われたのか、母親は激昂し、私に小石を投げつけて来た。
目元を腕で覆いながら振り返る。
「ふざけてません。これが聖女の仕事ですから――――」
そして、踵を返すが、やはり罵倒は止まらない。それどころか暴言の数は増している。
ムアンマレからは、
「おいおいシェリー! 俺はお前の婚約者なんだぞ!」
と、身勝手な言葉。
メイドのアヴァカンさんからは、
「私はあなたのお世話を長年やっていたのに……いざ私が困ったら無視ですか!」
またまた自分勝手な戯言を。
最後に母親には、
「この恩知らず! 縁を切ってやるわ!」
はあ……この三人、どこまで乱雑な思考してるのよ。
再び振り返ると、今まで必死に隠し通してきた憤怒を撒き散らす。
「恩知らずはそっちだバカタレ! あと縁がどうのこうの言っとるが既に切れとるわアホンダラ! 二度と目の前に現れんなクズ共! それとこんな場所にゴミハウス建てるな!」
思い付く限りの暴言を並べ突き飛ばすと、私は息を整えて教会に戻って行った。
「ふざけんなあぁぁぁぁぁああ!」
「婚約者を無視するのか!?」
「はあ? ムアンマレの嫁は私でしょ!」
「うっせーカスエルフ! 死んじまえ!」
背後では壮絶な光景が繰り広げられているが、こういうのは無視だ。ほら、こういう諺があるじゃない――――触らぬ神に祟りなし、と。
この前は散々な生活を味わったけれど、もう自由だ。快適に暮らせる。アイツらとも完全に決別できたしね。
今度こそは私の幸せを誰にも壊されないぞと意気込み、新たな我が家である教会を目指した。