帰還
お母さんに声を聞いてもらうには、Kくんは体に戻らなければなりません。
急いで教授の家へ移動します。
三次元の世界ではないので、あっという間です。
Kくんは椅子に座っている人間の体を見つけると、そこに戻りました。
「!」
忘れかけていた呼吸や心臓の鼓動、体から返ってくる感覚の全てを精神が受け止めました。
「い、息が……」
喉すらまともに動かず、Kくんは自分の声に違和感を覚えました。
胸に手を当てて、ゆっくりと気持ちを落ち着けると、ようやく人に戻れた気がしました。
Kくんは教授を放って、急いで洋館を出ました。
お家につくと、Kくんはインターホンを鳴らしました。
「お母さん」
玄関から顔を出して言いました。
「……お入りなさい」
「?」
Kは言われるままお家に入ってきました。
何かが違う気がしています。
初めは遅くなったからお母さんが怒っているのだと思いました。
「そこに座って」
Kは言われるまま椅子に座りました。
Kはそこまできて、やっと自分が抱える違和感を言語化できました。
「僕、大きくなっている」
自分は大きくなった。
けれど、お母さんは歳をとっていないように見えます。
そもそもお母さんは初めから大人だから、大きくはならないのは当然ですが、年齢を重ねていないようです。
「そうね。あなたは、ただ大きくなった訳じゃないわ」
「お母さん、何か知っているの?」
「ええ、あなたが出かけてからNという人が来て、不思議なことを話して去っていたわ」
Nとは教授の名前だ、とKくんは思いだしました。
「教授が?」
「教授と言われても、その人かどうかはよくわからないわ。実際に会って話したのは母だもの」
Kくんの中で、何かがつながり始めました。
「待って、やめて……」
Kくんは両手で耳を押さえました。
しかし、目の前の女性は大きな声を出し、言葉は抑えた手を越えて耳に入ってきます。
「Kが帰ってきたら、お母さんは『私』を身籠ったことを話そうとしていたの」
次元の狭間を彷徨っている間に、さまざまな知識を得たKは女性の言った意味がわかりました。
つまり、目の前にいるのは……
勇気を出して、Kは聞き返します。
「君のお母さんの名前は?」
「お母さんはLよ。私はあなたの妹のS」
S。当然、初めて聞く名前でした。
次元の狭間で冒険していた少しの間に、この世界では何十年もの時間が過ぎていたのです。
「お母さんは……」
「もうこの世にはいないのよ」
さまざまな情報を受け止め切れずにいました。
Kは髪の毛をかきむしると、立ち上がり、家を出ました。
「どこにいけと言うんだ」
Kは浦島太郎が戻ってきた世界が未来だったことに気づいた時、どうしたかを思い出そうとしました。
自然と住宅街の端にある洋館に向かっていました。
少なくともここに来るまで洋館は存在していました。
浦島太郎とKが違う点は、Kの体はこの時間に合わせて変容していることでした。
鉄扉を支える門柱を見ると、そこにインターホンがありました。
それを覗き込むと音声が流れます。
「認証しました」
音声が終わると鉄扉は自動的に開いていきます。
まるでこの洋館は、Kが来ることがわかっていたかのようです。
洋館の扉も、同じように機械がKを認証すると自動で開きました。
建物に入ると、自動的に扉が閉まりました。
『お帰り、K』
どこからか声がしました。
「教授!」
『残念だが、K。君がこれを聞いていると言うことは、私はもうこの世にはいない』
声が聞こえる方向を探しました。
スピーカーがあるだけで、どこから音声を流しているかまではわかりません。
『私の部屋に行くんだ。そこに書いてある手順を読んで、実行するんだ。そうすれば、この洋館と私の著作物の印税は君が引き継げるようになっている』
「お母さんが死んだ上に、教授にも会えないんですか……」
『混乱しているだろうが、頑張るしかない』
Kは泣きながら階段を上っていきます。
上りきると言われた通り、Kは教授の部屋に入りました。
部屋の中では、さらに続けて教授の声が聞こえてきます。
最初から、教授はこうなることを分かっていたのだ…… Kはそう感じました。