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約束

 Kは、学校から帰ってくると、玄関にランドセルを置きました。

教授(きょうじゅ)のところに行ってくる!」

 母は素早く言い返します。

「いいけど、今日は早く帰ってくるのよ。Kに話したいことがあるから」

「わかったよ。じゃ、行ってきます」

 Kはそのまま戸を閉めると、走って教授の家に向かいました。

 静かな住宅街の端に建っている、古風な洋館。

 それがKが教授と呼んでいるおじさんの家でした。

 教授の家の表札には(エヌ)と書かれています。

 Kは教授の家の前に立つと、鉄扉の横の柱にあるインターホンを押しました。

 するとインターホンのところに立っているKを確認したのか、声が聞こえました。

『はいりたまえ』

 と、インターホンから教授の声が聞こえてくると、同時に鉄扉がゆっくりと内側に開いていきます。

 Kは開ききらないうちから中に入り込み、体が通る幅になった時には鉄扉を通過し、庭を走り出していました。

 洋館の前に着くと、Kは膝をつき木の扉の下に開いている猫用の出入り口を開け頭を突っ込みます。

 モゾモゾ動いているとKは洋館の中に入ってしまいました。

 入り口を入った先にある階段を上り、Kは教授がいる部屋に入りました。

 そこは大きな書斎でした。

 Kくんが三人横になって寝ても足りないほどの幅を持った大きな机があり、その先に大きな背もたれの椅子がありました。

 Kくんは、その窓の方に向いている大きな椅子に向かって話かけます。

「こんにちは」

 椅子がクルリと回ると、教授の姿がありました。

「やあ、Kくんこんにちは」

 教授はニッコリ笑うと、立ち上がりました。

 教授はKくんの父親より大きな人でした。

 Kくんが知っている人の中で一番大きい人が、教授だったのです。

 教授はKくんを見下ろしながら、壁に据え付けになっている本棚に向かいます。

「今日はこの本を……」

 Kくんは教授が指を掛けた本のタイトルを先に読みました。

「それは読んじゃった」

「そうだったか。ではこちらはどうかな」

「それはもう二度ほど読んだことがあるよ」

 教授は撫でるように指を本の背に当てていきます。

 しかし、Kくんが先回りするように言いました。

「読んだ、それも、それも。その段も、この段も全部、読んだよ……」

 教授は本棚から手を下げ、腕を組み考えます。

 Kくんは確か小学生。それなのにこの棚の本を読んでしまった。

 もしかすると、Kくんはすごい才能があるのかもしれない。

 だとすると……

「さて困ったな。だとするとKくんには、卒業証書をあげないといけないな」

「やだよ、何かお話して」

「お話と言われてもねぇ……」

 教授は目を閉じました。

 そして首の運動をするようにぐるりと一回、頭を回しました。

「Kくんにはいくつも本を読んだけど、本はいくら読んでも本の中の話だ。今日は、思い切って、冒険に出かけよう」

「どこかに出かけるの?」

「普通には行ったことのないところにしよう」

 Kくんはお母さんに言われたことを忘れていました。

 だから、教授に『今日は早く帰らなければならない』ということを伝えなかったのです。

「うん、出かけよう」

 教授は頷くと、一つ椅子を動かしてKくんの前に置きました。

「ちょっと面白い冒険になるよ。まずはここに座って」

「あれ? 車とかに乗るんじゃないの?」

「大丈夫、心配ないよ」

 Kは言われた通りに椅子に座りました。

 教授はKの座った椅子の後ろに回ります。

「まさか、椅子を押して回るんじゃないよね」

「もっとすごいから、よく聞いて」

 教授は続けます。

「まずは目を閉じて。そして、意識を頭の後ろ、椅子の背もたれよりももっと後ろに向けて欲しい」

 Kは目を閉じると、言われた通りに頭の後方を意識しました。

 しかし、しばらくして、Kは目を開けてしまいました。

「待って、催眠術か何かなんてやだよ」

「大丈夫だから。目を閉じて、意識を後方へ。その後方に気持ちが存在して、そこで考えているような感覚になるまで意識を後方へ、自分を俯瞰するような感じに」

「ねぇ、やっぱりこれって催眠術じゃないの? 車庫に置いてある車に乗ってどこかに行こうよ」

 教授は大きなため息をつきました。

「やっぱり子供には無理だったか」

「……」

 Kの顔が、怒った表情になって全体が歪みました。

「無理じゃないよ」

「言われた通りにできないじゃないか」

 Kは足で床を蹴って椅子を回しました。

「……けど、これで何ができるの?」

「冒険だよ」

 Kと教授は真剣な顔で見つめ合いました。

 しばらく二人とも黙って顔を見ていましたが、Kくんが再び床を蹴って、教授に背を向けました。

 教授はKくんに見えないところで、頷きました。

「では、もう一度。目を閉じて、意識を後方へ。気持ちにだけ紐がついて、体から引っ張り出されたような感覚になるまで。頑張って」

 教授はKくんの後ろ側で、まるで綱を引くようなジェスチャーをしています。

 Kくんの体から、紐状の精神(もの)を取り出すかのようです。

「!」

 Kくんは突然、椅子の後方へ放り出されました。

 いや、それは一瞬、そう感じただけだったのかもしれません。

 気がついた時には、教授の住まいである洋館を空から見下ろしていました。

 ドローンが飛んでるような音もしていません。

 視野の中に自分の手足、お腹などが見えます。

 視野の中の全てはしっかり見えていて、首を向けた方向のものが見えます。

 VRゴーグルをつけたことはありますが、こんなにリアルではありませんでした。

「Kくん、出れたみたいだね」

 教授の声が聞こえます。

「どこにいたの」

「ちょっと、説明をしに行っていた」

「?」

 Kくんは、その場でぐるりと体を回すと、大地もぐるりと一周しました。

 空に浮いたまま、頭から足の方向の軸を中心にしてぐるりと回ったのです。

 教授の声は、もっともっと高いところから聞こえている気がします。

 さらにもう半回転して、空の方に向き直るとKくんは言いました。

「何、これ。どうなってるの?」

「見ての通り、体が浮いているんだよ。下をよく見て、お友達を探してもいい」

 声はしますが、教授は雲の上にいるのでしょうか、姿は見えません。

「それだけ?」

「簡単に言えば、月の裏側だって見れる」

「月? 空気がないからそんなこと……」

 すると急に雲が渦巻いて穴が開き、空の高いところにいる教授の姿が見えました。

「じゃあ、今宙に浮いている理由を説明できる? こんなことができるのに、宇宙空間で呼吸が出来ないとか、圧力がなくて体が爆発してしまうとか、考えるだけ無駄だと思わないのか? これだから小学生は……」

 教授がバカにしたように笑うので、Kくんは怒りました。

「いいよ、わかったよ。信じるよ」

 すると、体が勝手に空を上がっていきます。

 Kくんの近くに大型旅客機が飛んできたので、Kくんは飛行機を追いかけました。

 小さい窓から乗客の様子が見えました。

「……」

 Kくんは試すかのように飛行機に近づいていきます。

 窓の外を見ている乗客を見つけると、その窓に向かって近づきました。

「(見えないの?)」

 Kくんは乗客に手を振ってみますが、反応はありません。

 Kくんは考えました。やっぱりこれはシミュレーションか何かなんだ。

 その時、飛行機と反対側に気配を感じました。

「シミュレーションなどとは違う。これは今、実際に元いた世界で起こっていることだよ。飛行機の中に乗っている人のチケットを見ればわかる。今、私と君の状態は精神が分離しているんだ。高次の世界から三次元を見ているのさ。簡単にいうと幽体離脱のようなものだ」

「幽体離脱?」

「精神だけが分離して、自由に空間を移動しているのさ」

 Kくんは考えました。だからこの空を飛行機と同じスピードで移動しても、風を感じることが出来なかったのだ、と。

 そして、すぐに思いつきました。

 Kくんはどんどん飛行機に近づいていくと、ついには中に入ってしまいました。

 乗客の上を彷徨うように動きながら、開けずとも収納庫の中を見たり、さらにそこにあるバッグの中を確認することができた。

「すごい」

 Kくんはそう呟くと、横に突然教授が現れた。

「そうだろう? 別の次元から三次元にアクセスしているから出来ることさ」

「月に行ってみたい」

「じゃあ、すぐに行こう」

 教授は祈るような手つきで手のひらを叩くと、二人はいきなり月の裏側の空間にいました。

 手前に月、そして地球が見えます。

「えっ……」

 Kくんは、急に気分が悪くなりました。

「呼吸が……」

「落ち着きなさい。今ここに体はない。呼吸をしようとするだけ無駄なんだ精神が体に縛られすぎて、体があるという幻覚を感じているだけだよ」

「だけど……」

 Kくんも、教授の言う通りだとは思うのですが、どうしてもその感覚を無視することが出来ません。

 見えている手足も、本当はそこになく、ただ精神が自分を見失わないためのマーカーに過ぎないのですが、そのことを理解できても受け付けられないのです。

 そして、本当に肉体そのものがこの月の上空にいるのだとしたら、もう生きていないでしょう。

 Kくんはようやく全てを繋げて考えることで状態に納得することができました。

 納得し、理解し切ったことで、呼吸やら鼓動やら、肉体に付随する問題から解放されたのでした。

「ふう……」

「あらためてみてご覧。月越しの地球。そして地球越しの太陽……」

 レンズを通してみている訳ではないから、重なったレンズが作り出す光の影などありません。今、Kくんは精神で直接、宇宙を把握していました。

 ゆっくりと土星の輪に近づいていきます。

 Kくんの目に映ったのは、動き形を変えながらも整然と回っている氷粒の流れでした。

 流れ続ける雪の河のような、美しい土星の輪をしばらく見つめていました。

 文章で知ったり、動画で見るのとは違う。

 Kくんは興奮していました。

 そして、次の瞬間には太陽の表面にいました。

 教授とKくんは、二人で太陽からゆっくりと噴き上がってくる、オーロラのようなプロミネンスを眺めています。

 本当の肉体があったら跡形もなく破壊されていたでしょう。

 太陽の光の中ではひっきりなしに稲妻が動いていて、それらの動きが速すぎてゆっくりと動いているように見えます。

「太陽……」

 Kくんがボソリと言うと、教授は、太陽の表面ではなく、空の上に指を向けました。

 Kくんはその方向に目を向けますが、何も見えません。

「ブラックホール」

「見れるのですか?」

「残念だが、この太陽と同じようにブラックホールを観測することはできない。だが、我々のいるこちら側から見ればいい」

 Kくんは今までいる世界への干渉を断つと、別の次元へと移動しました。

 そこでは言葉や図で表せないブラックホールの形を捉えることが出来たのです。

 Kくんは、時間を忘れ様々な天文学的な疑問を確かめました。

「まるで全知全能になったように思います」

「思い上がってはいけないよ。この場所より高次の世界に住むものもいる訳だから、謎はさらにその奥にも存在する。我々が知り得ることは、どこまで行っても一部なのだ」

「これは、とてもすごい冒険です」

 Kくんはそう言った瞬間、頭の隅にあることが浮かびました。

 教授に言わなければならないことがあったのです。

「教授、僕……」

 そう言って周りを見渡しますが、教授はいなくなっていました。

「どうしよう。帰らないと。お母さんが話したいことがあると言っていたんです」

 教授の姿が見えませんでしたが、Kくんもこれまでの体験から、この世界の移動方法は知っています。

 あっという間に地球の中の自分のお家に戻りました。

 お母さんは、食卓に座り肘をつくと、手に顎を乗せていました。

 目を閉じて、うとうとと眠っています。

 Kくんは自分を待ちくたびれたのだと思いました。

「お母さん! 御免なさい。今帰りました」

 何も反応がありません。

 というか、自分の声が部屋に広がった感覚すらないのです。

 そうです。Kくんはまだ別の次元から『観測』していたのです。




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