第三話
「やっと終わりましたー」
結局アーシェは、空が朱色に染まるまでフローラの調査に付き合わされた。精神的な疲れでへたり込みそうになりながら、村の門を通り過ぎる。アーシェの期待とは異なり、ただ人に話を聞いて周るだけ。自分の村のことであるが故、当然そんなに目新しいことは見聞き出来ない。同じような話の繰り返しばかりであったことも重なり、すっかり飽きてしまった。
一方、フローラは話を聞くたびに活き活きとしだして、人の声を糧として生命力を得る悪魔なのではないかと、アーシェが心配してしまったくらいだった。
「ふむふむ、具体的な数字が出たのはとても興味深い。これはまさに驚きの結果」
フローラは雑貨屋で調達した藁葉紙に書いた印を数えつつ、満足そうに何度も頷く。
「何がそんなに驚きなんですか?」
「この四年間に無事生まれた子の数が二十三人。そのうちなんと十八人がクロカミ。最初は祝女様のクロカミ保護施設があるからかと思ったけど、あそこで生まれた子はたったの二人。しかも一人はイロカミ。おかしいよね?」
「確かに異常にクロカミばっかり生まれてると思いますけども……」
「だからそこじゃないんだってば!」
フローラは前に回り込み、腰に手を当てて屈みこむようにしてアーシェの瞳を覗く。
「いい? イロカミの方がたくさんクロカミを産んでるのがおかしいの。数じゃなくて割合。クロカミの人はまあ、無事産むとこまでいけないこと多いってのもあるかもだけど」
「クロカミの子はクロカミ、ってわけでもないってこと?」
「そうそう。イロカミがどんどんクロカミ化してるってこと。これあと二十年もしたら、この村ほとんどクロカミになっちゃう勢い。大人になれない子が多いから、実際そうはならないかもだけど、それでも元気なイロカミの子増えなきゃ、この村滅びちゃうよ?」
「滅びちゃうの? みんな死んじゃって?」
「そうだよ。子供産めない歳の大人だけになったら、あとはみんな死ぬの待つだけでしょ?」
全員死んで村がなくなる。アーシェが想像すらしたことのない、哀しい未来だった。
「やっぱり瘴気が濃くなってる影響なんですかね?」
「んー、妊婦のいる家には、祝女様が毎日行って、家の中の隅々まで瘴気を浄化してるらしいし、元気な赤ちゃん生まれるように、身体まで浄化してるって言ってたからね……」
フローラは聞き集めた話を思い出すように、紅色の空を見上げながら坂を下りていく。
「ご飯も全部浄化してるって言ってましたもんね。下の畑で獲れた、イロカミならそのまま食べて大丈夫なやつも」
「そうそう。そこまでやってるからには、瘴気が濃くなってる影響じゃないよ。それに実際、この村特別濃いとは感じないもの。あたしが住んでた村よりは低い山だから、まあ濃いことは濃いけど、これくらいのところいっぱいあるもん」
「じゃあなんでしょ……。祝女様が他の村からもクロカミの人引き取ってるから? クロカミが集まると、クロカミが生まれやすくなる?」
ただの思い付き。だが、首を傾げて反応を見るアーシェに、フローラは指を突き付ける。
「おおっ、いいところに気付いたね、アーシェちゃん。でもそれについては、研究してみないとわからない。そうだともそうじゃないとも、今は言えない。ただ、そうだね……」
フローラはそこまでで言い淀み、そのまま続きを口にせずに歩き続ける。
『何やら思い当たる節があるようだが、言いにくいことのようだ。催促して聞き出してみよ。我も気になる』
レティスの心の声に従い、アーシェは周囲を見回して誰もいないのを確認してから、背伸びして耳打ちした。
「ね、なんか内緒のお話でもあるんですか?」
フローラはアーシェの顔を眺め少し考える素振りを見せたのち、やはり周囲を見回してから小声で答える。
「内緒ってほどじゃないんだけど、やっぱりこの村特別な気がする。ここの祝女のセシリア様の浄化の力、他の村の人と比べて段違いに強い。こういう風に考えるのは変かもしれないけど、セシリア様がいるからクロカミが多いんじゃないかな?」
「……クロカミでも安心して暮らせるから?」
「そう。神様が本当にいるのなら、クロカミが長生き出来るように、あのセシリア様のいるこの村に生まれるよう、クロカミを集めてるのかなって思って。本当にいれば、だけどね」
何とも夢のある話だとアーシェは思った。フローラは神の存在について半信半疑のようだが、アーシェにはほぼ確信がある。何しろ自らの中に神殺しがいるのだ。神が存在しないのなら殺せない。レティスが全ての神を既に殺し尽くしてしまったというのなら、また別だが。
「ところで、アーシェちゃんのお家ってどこなの? もうここ畑なんだけど? 山下りきっちゃったんだけど?」
盆地まで出てしまってから、今更のようにフローラが問う。アーシェにとっては当たり前のことで気にしたことはなかったが、やはりこんな低いところに住んでいるのは異常なようだ。
「アーシェさん、そこの洞穴に住んでるんですよ」
左手の方を指差してアーシェは言う。フローラの顔がわかりやすく引き攣った。
「洞……穴……」
そしてアーシェの手を取り、眉尻を下げ、瞳を潤ませて絞り出すように声を出す。
「やっぱりその髪で苦労してるんだね……。あたしが祝女様に交渉してあげる。ちゃんと村の中に住めるように。こんなの人の生活じゃないよ! 祝女様も、この村の人たちも、みんな優しい人ばっかりと思ったのに、とんでもない! あたしは失望したよ! 怒り心頭だよ!」
最後は声を荒げて言い放つフローラを、困惑の表情で見上げるアーシェ。
「な……なにか勘違いしてませんかね……? アーシェさん、別に虐められてるわけじゃなくて、自分でここ選んだんですよ? それに、ここじゃないと、ちょっと困ることが……」
真剣な眼差しで見つめ続けるフローラを見て、ルーチェに引き合わせてしまうことに決めた。もう少し人柄を見極めてから教えるかどうか決めるつもりだったが、誤解を解くには一番良い。
「来ればわかります、来れば。ほらほら、なかなか快適ですよー」
アーシェはフローラの手を引いて自分の家の方へと歩いていった。すぐに洞穴の入り口と、山肌に埋まった石壁が見えてくる。その石壁の方を指してアーシェは言った。
「あそこ、ちゃんとしたお部屋になってるんですよ。見たらびっくりしますよ、きっと」
フローラは興味を惹かれたのか、小走りになって先に行く。そして見事な造りの石壁と、同様の構造の洞穴を見て、目を丸くした。
「これ……もしかして古代遺跡?」
「んー、そうなのかどうかわかりませんけど、まあ、ちゃんとしたお家です。倉庫みたいになってたんですけど、家具を入れて住めるようにしてもらいました。竈もちゃんとあるんですよ」
「へー。中見ていい?」
返事をする前にフローラはもう入り込んでいて、その好奇心の旺盛さに、アーシェですら苦笑した。アーシェは入り口脇のテーブルに置いてあったカンテラに火を入れて、それを持ってフローラを追いかける。部屋の中はもちろん、洞穴部分もくまなく見て周っていた。
「これ、どう見ても今の技術じゃないね。古代遺跡で間違いないよ。この奥はどうなってるの?」
「えへへへ、内緒です!」
フローラはアーシェの手からカンテラをひったくると、それを手に奥へと走り始めた。
「あ、待って待って。奥、落盤してたりして危険なんですよー。ちょっと、お話聞いてー」
アーシェは少し本気を出して走って追いつき、フローラの前に回り込んで両手を広げて通せんぼをした。そして真剣な表情でフローラの瞳を見つめる。
「この先で見たこと、絶対誰にも言わないって約束してくれますか? あと何があっても大きな声上げたり、逃げ回ったりしないって?」
「な……何か危険で秘密なことでもあるの……? まさか古代人でも住んでるとか……?」
「ふふふふふ、それは見てのお楽しみです。約束はしてくれますか?」
フローラは無言でこくこくと何度も頷く。腰が引けているが、好奇心が抑えきれないようだった。アーシェは意地悪そうに微笑むと、カンテラを取り返して先へと進む。奥の広間へ辿り着くまでの間、敢えて一言も発しない。
ルーチェが飛び出てきたら面白そうだと思ったところで、レティスの声が響く。
『流石にそれはやりすぎだ。というか先に説明しておかないと拙いぞ? 別の種類とはいえ、魔獣に襲われて死にかけたばかりということを忘れておらぬか?』
「ふぁっ!? そうでしたー!」
「ぎゃー!」
突然アーシェが声を出したからか、フローラは悲鳴を上げて後ろから抱き付いてくる。ぎりぎりと身体を締め付けてきて、アーシェは苦しくて仕方がなかった。
「あの……えっと……苦しいんですけどー?」
「だってだって、なんか出たんでしょ? 古代人? 悪魔?」
「魔獣です」
「ぎゃー!」
フローラは腕を放すと、アーシェを置き去りにして走って逃げだした。
『己は思慮が足りなすぎる。追いかけてしっかりと落ち着かせてから、きちんと説明し直せ』
レティスに叱られると、しょぼんと下を向いたのち、アーシェは時間暴走を発動して一気にフローラに追いついた。膝の裏に腕を入れて掬い上げるように持ち上げ、首の後ろに回した腕で支えながら、そのまま洞穴の奥へと引き返す。ある程度戻ってから時間暴走を解いて話しかけた。
「落ち着いてください。このアーシェさんが一緒なのです。絶対平気なのです」
「だって、魔獣いるって!」
フローラはアーシェに抱き上げられたまま、じたばたと暴れる。努めて落ち着いた表情を作りながら、アーシェはゆっくりと説明をした。
「大人しい子ですから、大丈夫です。そもそもほんとに魔獣なのかどうか、アーシェさんは疑問に思います。だってくーちゃんよりずっと愛想いいですし、めっちゃ可愛いんですよ? 温かくて、柔らかくて、人懐っこくて。いっつも二人で遊んでる、アーシェさんの家族なのです」
「家族……? 魔獣が……?」
フローラの顔から、少しずつ恐怖の色が消えていく。それは奥に進むにつれ、好奇心に変わっていった。
「降ろして。自分で歩く」
アーシェはもう大丈夫だと判断し、言われた通り降ろす。フローラはアーシェの背中に隠れるようにしてついてきた。震えているように感じるが、外の光はもう届かず、カンテラの照らす範囲の外は闇。無理もないことだった。
奥の広間に出ると、壁の穴の方を照らしつつ、アーシェは中に向かって声を張り上げる。
「ルーチェー、出ておいでー」
そこからひょっこりと、ルーチェの毛むくじゃらの顔が現れる。やや警戒の色が見えるのを確認すると、アーシェは飛び切りの笑顔をルーチェに向けた。
「大丈夫、アーシェさんのお友達ですよー」
フローラはアーシェの後ろから顔だけ出して様子を見ていたが、ルーチェが穴から飛び出て走り寄ってくると、壁際まで後ずさりして逃げた。アーシェはそれには構わず、飛びついてきたルーチェを抱きとめる。
「あはははは、ルーチェ、今日も元気ですねー。だから舐めるとくすぐったいですってばー」
そのままいつものように、じゃれ合いながら床を転げまわる。二人の楽しそうな様子に安心したのか、遠くから見ていたフローラが徐々に近づいてきた。
「それ、狼の魔獣の子供……?」
「そうです。まだ三歳の赤ちゃんです」
「三歳!? え、ちょっと待って、狼の魔獣って、三歳だともう大人だよ? あたしの倍くらいの大きさだよ、普通? そんなに小さくないし、可愛くもないよ?」
「ふぇっ!? そうなの? え、でもルーチェ拾ってから、もう三年経ってますよ?」
「どういうこと……?」
呆然と見下ろすフローラを、ルーチェが首を傾げて見上げる。愛らしいその姿は、とても恐ろしい魔獣には見えない。その隣でアーシェも、同じような顔をしてフローラを見上げていた。