第二話
雲一つない青空の下、燦々と降り注ぐ初夏の陽射しを浴びながら、アーシェは坂を上って駆けていく。朝早くに起きてオーメまで行き、預かったままだった封書を届けた。ついでにクリスに貰った金の指輪を売り払ってきて、お金は全て組合に預けた。緊急の依頼がないことを確認し、今日は残りの時間をフローラのために使おうと、祝女の屋敷に向かう途中だった。
「あ、くーちゃん見っけ! 一緒にフローラさんのとこ、行きませんか?」
クリスが村人と話しているのを見つけると、その首筋に後ろから抱き付きながら、アーシェは問いかけた。クリスは身動ぎもせず、面倒くさそうにぼそりと答える。
「行かない。私は少しやりたいことがあるの。一人で行ってきなさい」
「ええー!? くーちゃん、無愛想すぎますよー! 歳近いみたいだから、仲良くしないと」
「私より一つ年上らしいわ。そうすると、あなたより十くらい上になるのかしら?」
「ぐむむむむ、それなら二つ上ですー!」
「あらそう。あなたまだ七つくらいだと思ってたわ」
白々しく言ってのけるクリスに、アーシェは頬を膨らませて抗議の意思を示すも、位置的に見えない。だからというわけでもないだろうが、クリスは無表情のまま言葉を続ける。
「少し運動させてあげて欲しいと母様が言っていたから、あなたが行って村の案内でもしてあげなさい」
アーシェは腕を離すと正面に回り込んで、クリスを睨め上げるように下から半眼を向けた。
「もしかして、ほんとはくーちゃんが頼まれたんじゃないですかー?」
クリスの視線が僅かに泳ぐ。側で傍観していた村人の方に向き直り、アーシェなどいないかのように話の続きを始めた。
「もし辰砂が見つからなかったら、オーメまで行って買い付けしてくるわ。今日というわけにはいかないから、その間に困ったら姉様に相談して。それじゃ」
それだけ言うと、クリスはそのまま坂を下っていってしまう。その背中を淋し気に見つめるアーシェに、村人が声を掛けた。
「アーシェも辰砂を見つけたら売ってくれないか? 最近うちの子もなんだか気分が悪いらしくて、家の中に置いて瘴気を遠ざけたいんだよ」
アーシェは振り向き、首を傾げつつ問いかける。
「お子さん、確かイロカミでしたよね? 真っ赤で綺麗な髪してたと思いましたけど……」
「イロカミでも、お前さんみたいに全く影響を受けない人間ばかりじゃないんだよ」
アーシェの頭をポンポンと叩きながらそう嘆く。二人してしんみりとした顔でしばし下を向いたのち、アーシェは背中を叩かれた。
「ほれ、行ってこい。クリスに頼まれたんだろう?」
「はーい。オーメまで行って買ってくる必要出たら、組合に依頼出しておいてください。超特急で走ってきますんでー」
アーシェは大きく手を振りながら別れを告げ、再び坂を駆け祝女の屋敷まで一気に上がった。
「祝女様ー! カテナ様ー! アーシェさんです! フローラさんに会いに来ましたー!」
そう呼びかけつつ扉を叩くと、内側から勢いよく開いて、アーシェは鼻をぶつける。
「あいたたたた……」
涙目で鼻を押さえるアーシェの前に、肩を怒らせたカテナが仁王立ちしている。
「喧しい! 病人が来ておるのだ、静かにせい!」
大音声で怒鳴られると、レティスが心の中でぼそりと呟く。
『此奴の声の方が大きいと思うが』
全く同意だと思ったが声には出さない。アーシェは身を縮こまらせながら、上目遣いで見上げつつ、遠慮がちに小さな声で訊ねた。
「フローラさんはどこですかねー?」
「あいつなら向こうで陽を浴びさせている。もう出歩いても全く問題ないから、少し身体を動かさせてやれ。ずっと寝ていると却って体力の回復が遅い」
「じゃあ少し村の案内をしてきます。くーちゃんにも頼まれたんでー」
「任せたぞ。激しい運動はさせるなよ? 夜はクリスの家に泊めさせろ。ここは満員だ」
「はーい!」
アーシェは元気に返事をすると、カテナが指を差した崖側へと建物を周りこんでいった。そこに設えられた丸太を加工した長椅子に、金糸雀色の長い髪の背中が見える。
「フローラさーん!」
呼びかけに反応してくるりと振り返ると、菜の花色の眼が大きく見開かれて喜びを示す。
「アーシェちゃん、来てくれたんだ?」
「もう大丈夫なんですか? 背中ぜんぜん平気?」
やや押し退けるようにして並んで座ると、アーシェよりは大分背の高いフローラを見上げるようにして問う。満面の笑みでそれに応じ、アーシェの頭を撫でながらフローラは答えた。
「モチのロン! これでも数々の古代遺跡を調査してきた、歴戦の強者だよ!」
「そうなの?」
アーシェが目を丸くして問いかけると、フローラは照れ笑いをしながら言った。
「へへへへ、同行してただけで、戦えないけどね。……あ、そうだ、あたしが護衛に雇った人たちって……」
フローラは言い淀んで下を向く。ここに運び込まれていない以上、察してはいるのだろう。責任を感じさせたくはなく、アーシェは敢えてそれには答えず話を続けた。
「すごいですよねー、古代遺跡なんて! アーシェさんも財宝探しとか行ってみたいです!」
食い入るように見つめつつ、元気に宣うアーシェ。その気持ちを理解したのだろうか、フローラも顔を上げ、話題を戻して自慢気に笑う。
「そうでしょ、そうでしょ? あたしね、この世界の秘密について解き明かすために、旅をしてるんだ。あちこちの村を周って土地の祝女様と話をしたり、村の歴史や山神様の教えを調べたりして、それがどこから始まったのか突き止めようとしてるの、今は」
「そんなの……わかるの?」
大きく首を傾げるアーシェに対して、フローラは人差し指を立てて説明を始める。
「あたしが訊いて周った範囲では、どこの村でも自分の住んでる山を神様として崇めてる。呼び方はそれぞれ違うけど、それは山の名前をそのまま使ってるから。でも名前以外にも、その教えや過去の歴史として伝わってることが少しずつ違う。これがどういうことかわかる?」
アーシェは腕組みして唸りつつ、しばし考える。
「むむむむ……わかりました! 神様がみんな違うから!」
「残念でしたー。神様はみんな同じ。どこも同じ山神様。きっと最初の村で始まった教えが広がっていくうちに、その土地に応じて変化したんだと思うの。だから共通点を調べて辿っていくと、どの村からどの村へ人が移住して広がっていったのかがわかるの」
「んー、アーシェさんにはよくわかりませんけど、どこの村も姫神様が守ってくれてるってことだけはわかりました!」
アーシェの答えに微妙な笑みを浮かべると、フローラは立ち上がった。
「ね、遅くならないうちに村を案内してくれないかな? 色々話を聞いて周りたいんだ」
「わかりました。元々それお願いされてましたし」
アーシェも立ち上がると、フローラと並んで歩き出す。体調を考慮してゆっくりと坂を下りていった。
「最初に確認。古代遺跡はなんで存在するのか、この村にはどう伝わってる?」
「古代人が作ったからですよね?」
「いや、それはそうだけども……なんで放置されてるのかって話。あたしたちよりもずっと進んだ文明を持ってたはずなのに、それが失われて、こうやって山の上でだけ生活している理由」
「んー、悪魔が滅ぼしたから? 瘴気だって悪魔が撒いた毒ですよね?」
「ふむふむ、なるほど。ここでもそう伝わってるのか……」
フローラは顎に指を当てて、何度も頷きながら歩を進める。それからアーシェの方を向いて再び問う。
「みんな山の上に住んでいるのはどうして?」
「姫神様が瘴気を遠ざけてくれるから? だから高い場所は安全だって聞きました。実際、上の方は空気が綺麗で、なんかこう、低いとこ行くとぶわーって纏わりついてくるようなあの瘴気の感覚、薄いですもの」
「それも一緒か。瘴気を遠ざける道具とかってある?」
「辰砂。あの赤い石、姫神様のご加護で瘴気を遠ざけるって。……あの道にいたってことは、オーメ寄ってきたんですよね、たぶん? 壁にたくさん埋め込まれてませんでした、辰砂?」
アーシェはオーメの街の紅白の石垣を思い出しながら問う。石灰岩に混ぜて、辰砂の欠片を積み上げてある。それによって、周囲からの瘴気の流入を防いでいる。
「見た見た。あれ凄いよね、あんな量。平地に住めるほど集めるなんて。この辺りよく採れるの?」
「んー、たまにですかねー。見つけたら一日中幸せになるくらい」
「ふむ……あんまり変わらないんだね……。ここ期待してたのになあ……」
当てが外れたのか、フローラは大きく肩を落とした。歩く速度も落として、とぼとぼと進む。アーシェはそんなフローラを不思議そうに見上げた。
「何に期待してたんですか?」
「あのね、この村、名前がちょっと特別なんだよ。ここって姫神村でしょ? 今まで回った村に、神様を示す『神』の文字が入った村は一つもないの。それだけじゃなくて、ここの人たちはみんな、姓に『神』を入れてる。それも他の村にはない特徴」
「どこの村の人も、村の名前を一文字使うもんじゃないんですか?」
首を傾げつつ問うアーシェの前に、フローラは再び人差し指を立てて見せ、左右に振る。
「そこじゃあないんだよ、『神』の文字を使ってること自体が特別なんだよ。てっきり神様に関係する、特別な何かがあると思ってやってきたのに……」
「神様に関係する特別なもの……? んー、山の上の御神体とか?」
その単語に興味を惹かれたのか、フローラは足を止めてアーシェの瞳を覗き込んで問う。
「御神体? どんなの?」
「見たことはないですけど、姫神様を象った像って聞いてます」
フローラの顔がぱあっと明るくなると、くるりと回って速足で坂を上り出す。
「それ見に行こう。他の村にはそんなのなかった。何か手掛かりがあるかも」
「あー、ダメですよー、禁足地の中ですから見れません」
アーシェはフローラの手を掴んで引き留める。フローラは振り返ると、ずいとアーシェに顔を寄せて問う。
「禁足地? 何それ?」
アーシェはやや顔を引くようにして距離を取りながら答える。
「普通の人は入っちゃいけないとこです。祝女様のお屋敷より上は禁足地。代々祝女様だけが入っていいことになってます」
「ふむ……じゃあ忍び込もう」
フローラはまたふいと振り返り速足で進み始める。アーシェは慌てて追いかけて縋り付いた。
「ダメですってばー。めっちゃ怒られますよ? アーシェさん、知らずにちょっと踏み込んだだけで怒られたことありますから。御神体のとこまで行ったりなんかしたら、村追い出されちゃいますよー」
「ますます気になる。今まで周ってきた村だと、山頂が立ち入り禁止なんてことなかったし、像なんてのもなかった。御神体はあるところあったけど、ただの岩とかだった。大抵は山そのものが御神体だから、祭壇くらいしかない」
フローラは制止も聞かず、ぐいぐいと先に進む。
「それだけは絶対ダメー」
「あたしはその御神体を見て、あることを確認しなきゃいけないんだ。アーシェちゃんもあれを見ればきっと……。あ、荷物ないんだった……」
フローラは突然立ち止まり、その場にへたり込んだ。アーシェは落胆しきったその顔を覗き込みながら、今朝オーメに行ったときの出来事を思い出す。フローラを助けるきっかけとなった鞄がそのまま落ちていたので、拾って帰ってきた。
「荷物って、襲われた場所の近くに落ちてた、麻の四角い背負い鞄?」
フローラの顔が、花が咲いたように明るく輝いた。がばりと立ち上がり、アーシェの肩に掴み掛かって激しく揺らす。
「さっすがアーシェちゃん! 助けるときに鞄までちゃんと拾っといてくれたんだね!」
『今朝たまたま見かけて、思い付きで拾ってきたことを教えてやりたい』
心の中でレティスが意地悪を言うも、アーシェは聞こえない振りをしてフローラに答えた。
「もちろんです! アーシェさんのお家に置いてあります!」
「すぐ行こう、取りに行こう!」
「でも、アーシェさんのお家遠いんで……村の外なんですよ。坂ずっと下りてって」
フローラは不審気な顔に変わって、アーシェの瞳を覗き込む。
「村の外に住んでるの? なんで?」
「えっと……その……あ、クロカミ! クロカミの人たくさん増えてて、住むとこ少なくなっちゃったんで、瘴気なんてぜんぜんへっちゃらのアーシェさんは、遠慮して村の外に住んでるのです」
『嘘ではないが本当でもない。これも真実を告げてやりたい……』
ずっと黙っていたレティスが絡んできだして、アーシェはうざったくて仕方なくなった。まだ知られていない以上、独り言の多いおかしな子と思われたくはなく、徹底的に無視することにした。
幸いなことに、フローラは素直に信じたらしく、目を潤ませてアーシェを見つめている。
「ううう、ほんと優しい子なんだね……。じゃあ、アーシェちゃんのお家に向かいながら、そのクロカミのことを聞こうか」
「ふぇ? クロカミって知らないですか?」
「もちろん知ってるよ。髪が黒くて、目も黒っぽい、身体が弱くて瘴気にも耐性のない人たち」
髪が黒いと言われて、アーシェは自分の頭を隠すようにして押さえた。
「あははは、アーシェちゃんはイロカミなのに髪黒いんだね。大丈夫だよ、あたしはクロカミ虐めたりしないし、アーシェちゃんがクロカミなわけもないし。瞳は赤紫だしね」
けらけらと笑うフローラに安心して、アーシェは頭を隠していた手を下ろした。そして首を傾げるようにして見上げながら、以前からずっと思っていた疑問を口にする。
「アーシェさんみたいに髪の黒いイロカミって、他の村にもいましたか?」
「んー、かなりあちこち行った方だと思うけど、初めて見るなあ。そういう意味でも、ここはなんか特別って思ったんだけど……」
フローラは顎に指を当てて天を仰ぎ、考える素振りをした後、何かを思い出したように再びアーシェを見下ろす。
「ね、さっきクロカミが増えてるって言ってたよね? それってどういうこと?」
「えっと、最近生まれる子、ほとんどがクロカミで……。山の瘴気も濃くなってるのか、イロカミの人でも体調崩す人増えてるみたいなんですよ」
「ふむ……それも他の村では聞いたことのない現象。これは調査の価値あり!」
「ふおおお、調査! なんかかっこいいですー!」
何やら面白いことになりそうで、アーシェの顔が喜色に包まれる。フローラはそのアーシェの手を取って、再びくるりと踵を返すと、坂を上り始めた。
「よし、いったん一番上まで戻ろう。全部のお家周って聞き込み調査だよー」
「ふぇっ!? 全部ー? もう半分下りてきたのにー?」
「調査は足で稼ぐもの! さあさあ、陽が暮れちゃうと困るから、急いで周るよー!」
「死にかけてた子とは思えません……。これ、アーシェさんより元気なんじゃ……?」
困惑顔のアーシェをぐいぐいと引っ張って、フローラは坂道を上っていく。先程から同じ場所を何度も行ったり来たりしている二人の背を、村人たちの笑いが見送った。