表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
姫神オーバードライブ  作者: 月夜野桜
第二章 浄化(ピュリファイ)
6/28

第一話

 萌葱色の風が吹いた気がした。後に残ったのは、幼い頃に見たことのある気がする、特徴的な形状の節の目立つ天井。目玉のようで怖いと泣いた記憶が蘇った。それで今の萌葱色の正体に思い至り、風が吹き去った方向に首を回す。


「くーちゃん……」


 クリスはベッドの側に置いた椅子に座り、窓の外を見ていた。アーシェの声を聞くと、視線だけを向ける。


「あら、やっと目が覚めたのね。随分とよく眠る子だこと」


「ここ……くーちゃんのお家? アーシェさん、どうしてこんなとこで……」


 次第に思考がはっきりしてきて、意識を失う直前の出来事を思い出す。アーシェはベッドから跳ね起きて、大きな声を出した。


「あの子は!? あの背中大怪我した子はどうなったの!?」


 ベッドから飛び下りたものの、脚に力が入らずその場で崩れ落ちた。


「他人の心配もいいけど、自分の心配もしなさい」


 クリスが立ち上がり、アーシェを引き起こしながらそう言う。その瞳には怒りの色はなく、どちらかというと哀憐の色が浮かんでいるように見えた。


「母様はむしろあなたの方を心配していたわ。時の流れを変える固有魔法を使うと言えど、あなたのやったことは異常だと。実際、あれから丸三日近く眠っていたのよ」


「丸……三日!?」


 鸚鵡返しに驚きの声を上げながら窓の外を見ると、もう傾いて色が変わりつつある陽が、そこにはあった。少なくとも、丸一日眠っていたことは確かのようだった。


「どうなったのかは、自分の目で確かめてきなさい。ほら、これあげるわ」


 アーシェの手に置かれたのは、竹の皮で包まれた握り飯と木製の水筒だった。アーシェはそれを見て、満面の笑みに変わる。


「くーちゃん、ありがとう! 食べさせてきますー!」


 そう言ってまだ覚束ない足取りながらも、小走りにクリスの家を出ていく。扉を閉めるときにクリスが何かを言っていたが、アーシェは気付かず祝女の屋敷の方へと坂を上り始めた。


『それはうぬの分だと言っておったぞ』


「ふぇっ!? 助かったから食べさせて来いってことじゃないの……? え……じゃあ、もしかして、あの子死んじゃったの……?」


 アーシェは絶望に包まれて立ち止まった。呆れたようなレティスの声が心の中で響く。


『三日も経っているのだ。助からなかったのなら、既に埋葬されているであろう。ならば見てこいではなく、聞いてこいと言うはず。それは三日間飲み食いしていないうぬの分だ』


 レティスの言うことの論理性は、急に襲い掛かってきた猛烈な空腹感が証明した。


 アーシェは包みを開けると、中の握り飯に大きく口を開いてかぶりついた。かなり柔らかく蒸してあったが、唾液がうまく出ず、咀嚼に苦労する。木筒の蓋を開け、水で無理やり流し込んだ。そのまま貪るようにして飲み食いしながら、ゆっくりと坂を上がっていく。


「アーシェちゃん、大活躍だったねえ」


「暴走娘も、たまには役に立つもんだな」


 道中村人たちに掛けられた声で、自身の努力が無駄には終わらなかったことを、アーシェは確信出来た。祝女の屋敷の前に辿り着いたときには、その頬は既に濡れそぼっていた。鼻を啜ってから、扉を叩いて声を掛ける。


「祝女様! カテナ様! アーシェです」


 ややあってシャロンの返事がして、扉が開かれる。アーシェに向かって満足気に微笑むと、詳しいことは話さず奥へと案内してくれた。


「フローラ殿、お待ちかねのアーシェさんが来ましたよ」


 病室となっている、ベッドが複数並んだ大部屋に入ると、シャロンはそう声を出した。それに反応して、ベッドの上で上半身だけ起こしていた少女がこちらを振り向く。三つ編みにして左肩から前に垂らした、金糸雀色の巻き毛が勢いよく揺れた。菜の花色の瞳がアーシェに向くと、整った顔立ちがくしゃっと崩れる。


「あなたがアーシェちゃん? 聞いてたよりもずっと小さいんだね。助けてくれてありがとう」


「良かったですー!」


 アーシェは走り出し、ベッドの上の少女に飛びついた。その胸に顔を埋めて泣きじゃくる。


「良かった、良かった、ほんとに良かったですー。もう無理かもしれないと思ってたからー」


「へへへへ、無理だったのに、あなたがどうにかしてくれたんだよ」


 少女はアーシェの頭を撫でながら、心底嬉しそうに笑った。そしてアーシェの小さな身体をぎゅっと抱きしめ、頬を寄せて耳に直接囁くようにして言う。


「本当にありがとう。もう絶対死んだと思ってたから、最初はここ、伝承にある天国とやらだと思っちゃったよ。助かったって言われても信じられなくて、解析アナライズしまくっちゃったもん」


「でも本当に天国なのかも。だってアーシェさん、今幸せいっぱいすぎるから」


 そう言って互いに頬ずりをして、人肌の感触を確かめ合う。その温かさと滑らかさが、ここは幻想の世界ではなく、現実の世界だと教えてくれていた。


 少女はアーシェの身体を両手で引きはがすと、間近で瞳を覗き込みながら笑顔で問う。


「あたし、那智なちフローラ。智路ちろ村ってとこから来たの。あなたはアーシェちゃん?」


智路ちろ村? 変な名前……」


「こら、他人の村の名前に失礼だよ」


「あははは、ごめんなさい。アーシェさんです。神代かみしろアーシェさん!」


 間近で見つめ合いながら、満面の笑みを交わし合う。アーシェは生きていることの喜びを感じ取っていた。人の死が日常的なこの世界において、これほど幸せなことはない。満足感と達成感がアーシェの身体に満ち満ちて、思わず力が抜けてフローラの胸に寄りかかってしまう。


「本当に良かったです、本当に……」


「ありがと、アーシェちゃん。何度お礼を言っても言い足りないよ。一生言ってるかも」


 フローラはアーシェの身体を抱きとめ、何度も頭を撫でる。しばらくしてから、ずっと黙っていたレティスの声が心の中で響いた。


『アーシェ、うぬも礼を言わねばならぬ』


「ありがとう、フローラさん!」


 胸に顔を埋めたままそう礼を言うも、レティスは苦笑しながら否定する。


『そうではない、クリスにだ。一睡もせず、ずっと看病してくれていたのだぞ?』


「ええっ!?」


 アーシェは驚いて跳ね起きた。フローラも突然のアーシェの行動に目を丸くしている。


「あ……えっと……ごめんなさい! アーシェさん、くーちゃんとこ行かないと!」


 何が起きているのか把握出来ないのだろう。呆然とした様子のフローラを置き去りにして、アーシェはベッドを飛び下り部屋から出ていく。様子を見に来ていたカテナが、肩を竦めてその後姿を見送った。


「ふおおおお! どいてどいてー!」


 アーシェは軽く時間暴走オーバードライブを使いながら、坂を駆け下りてクリスの家へと向かう。


『全く元気な奴だ。つい先程まで昏睡していたというに……』


 レティスの呆れた声が心の中で響く。アーシェは誉め言葉と受け取って、特に気にはせずにクリスの家の扉を開けた。


「くーちゃん!」


 目に入ったのは、アーシェがいなくなって空いたベッドに横たわったクリスの姿だった。かなり大きな声をかけてしまったはずなのに、返事すらない。


「くーちゃん……?」


 不審気な表情でベッドの側に歩み寄る。クリスは穏やかな寝息を立てて、熟睡しているようだった。こんなに大きな声を出したのに目を覚まさないクリスを見るのは、初めてだった。よほど疲れているのだろう。


 自分のために、クリスも無理してくれていたことをアーシェは察した。その薄萌葱色の柔らかい髪の毛をそっと撫でる。触れられても目を覚まさず、クリスは昏々と眠っていた。アーシェは慈しみの微笑を浮かべて、その安らかな寝顔を眺める。


『そっとしておいてやれ。看病が必要な状態ではない。うぬは家に戻って、しっかりと栄養補給をし直せ』


「あ、そう言われるとお腹ペコペコ。フローラさんに色々聞きたいことあるけども……。もう暗くなってきたし、今日は大人しくお家に帰りますか……」


 最後にクリスの頭を一撫ですると、なるべく音を立てないよう扉を閉めて外に出る。そしてはたと気付いた。


「ルーチェ! ルーチェ怒ってるかも! 三日もほったらかしにして。――それよりもご飯! ルーチェもご飯食べてないかも! 三日分も置いてなかったもん。ルーチェが死んじゃってたら、アーシェさんのせい……。急がなきゃ! ふおおおお!」


 アーシェは再び時間暴走オーバードライブを発動して坂を駆け下り始めた。心の中でレティスの溜息が聞こえる。


『やれやれ、うぬは本当に走ってばかりだな……』


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ