第三話
『狙わせるな! 動き回れ!』
「時間暴走、最大出力!」
極限まで遅くなった時間の中、天使が向ける手のひらの方向を避け、アーシェは左右に動き回った。その手から次々と雷撃が襲い掛かる。天からは激しい落雷。しかしそのどれもが、アーシェが移動した後に攻撃が発生し、いなくなった場所に命中していた。
「天使様! やめてください! なんで滅ぼさなきゃならないんですか! なんで生きてるだけで罪なんですか! アーシェさんたちが、この村の人たちが、何をしたって言うんですか!」
時間暴走状態のままだと、さしもの天使ですら、アーシェの言葉が理解出来ないのだろうか。天使は攻撃の手を休めることはなかった。距離を取って逃げ回るアーシェを追いかけつつ、所構わず雷撃をしてくる。
『アーシェ、説得など無駄だ。聞こえていないのではない。そもそも理解する気がないのだ。周囲をよく見ろ!』
その言葉に初めてアーシェが後ろを振り返ると、そこには人が倒れていた。アーシェを狙ったつもりの雷撃に打たれたのだろうか。様子を窺いに来ていたと思われる人々が何人も倒れ、助かった者たちは逃げ惑っていた。落雷が直撃したのか、炎と煙が立ち上り、燃え上がりつつある家もある。
「なんで……なんでこんなことを……みんなを助けなきゃ!」
『足を止めるな、馬鹿者!』
慌てて天使の方を振り返ると、その手はアーシェに向けて真っすぐに伸びており、今にも雷撃が発射されようとする瞬間だった。
「うわああああ!」
アーシェは倒れ込むようにしてその軌道上から逃れる。もう遅いと思っていた。しかし、その後アーシェが前転をしながら立ち上がっても、まだ攻撃は届いていなかった。天使の方に視線を送ると、アーシェを狙った姿勢のまま固まっていた。ぎこちない動きで僅かに身をくねらせ、何かから逃れようと必死に抗っているように見える。
『クリスだ。足元を見ろ。またお前を助けてくれたぞ』
地面を這ってきたのだろうか。クリスは必死の形相で天使の足首を掴み、時間凍結によってその動きを束縛しているようだった。
『好機! 戦え、アーシェ! 人々を救いたければ、あれを倒すしかないぞ!』
「レティスさん、力を貸して! 雷霆、連続展開!」
アーシェは弧を描くように横に走りながら、多数の光の剣を並べていく。クリスが足止めをしている間に、天使の周囲を一周した。逃げ場がないよう、雷霆で完全に包囲する。クリスによる時間凍結が充分な効果を発揮しているのを確認すると、さらに距離を詰めて展開しつつ、クリスを抱き上げた。そのまま身を低くして離脱していく。
クリスの手が離れたことで、時間凍結から解放された天使は動き出したが、時すでに遅し。その身体に次々と光の剣が突き刺さった。蒼白い輝きが無数に穴を穿ち、貫通していく。腕を、脚を、頭を、吹き飛ばしていく。
「くーちゃん、大丈夫ですか?」
屋敷の中に逃げ込むと、アーシェは時間暴走を解いてからクリスに話しかけた。あの雷撃に打たれて何ともないわけがない。
「私は大丈夫。時間凍結で自分の身を守れた。天使の攻撃でも、防ぐことが出来るみたい」
「良かったですー。くーちゃんまで死んじゃったら、アーシェさんは……」
「まだわからないわ。あれを見て。もう再生している」
柱の陰から外の様子を覗いていたクリスがそう言う。アーシェは時間暴走を発動してから、窓の方へ周って外を確認した。何事もなかったかのように元の姿に戻っている天使が、そこにはいた。アーシェの位置を見失っているのだろうか、あらぬ方向に落雷を招き寄せている。
「天使は無敵なんですか……? どんな攻撃も、通じない……?」
『いや、そんなわけはない。雷霆は神殺しの剣。神の使いに過ぎぬ天使ごとき相手に、通用しないわけはない。ましてや、あれは先程クリスに頸を刎ねられていた。人の攻撃でも充分通用するのだ』
「じゃあ、あれは天使じゃなくて別の何か……? もしかして、本当に悪魔……?」
『いや、天使だろう。我がかつて戦った、天使と名乗る輩たちと同質の魔力を感じる。しかし、彼奴らには雷霆は充分な効力を発揮していた。あのように瞬時に再生するようなこともなかった』
「じゃあどうなって――」
『クリスめ、無茶しおって! 外に出ておるぞ!』
レティスの指摘で入り口の方に視線を向けると、そこにクリスの姿はなかった。慌ててアーシェが駆け寄ると、目の前が閃光で染まる。
「くーちゃん!」
続けて何度も光が走る。アーシェが顔を出したとき、クリスは天使の雷撃をものともせず、前へと突き進んでいた。先程と異なり、天使の攻撃方法を見極めているからか、時間凍結で対処出来るようだった。
『無事なようだ。時間を稼いでもらおう。何か仕掛けがあるはずなのだ。我は数多の神々を殺してきたが、無敵な者などいなかった。一見全ての攻撃が無効と思えても、必ずどこかに弱点がある。しかしそれを見つけられねば、勝つことは出来ぬ』
「弱点……見つける……」
アーシェの頭に一人の顔が思い浮かんだ。好奇心に輝く菜の花色の瞳。金糸雀色の柔らかい巻き毛。疑問に思ったら調べるのが信条の、どんなことでも調べてしまうフローラの顔が。
「くーちゃん、フローラさんはどこ!?」
柱の陰に身を隠したのち、時間暴走を解除してクリスに問いかけた。集中力を削ぎたくはなかったが、この事態を打開するのには、必要不可欠なこと。クリスからの返事はなかったが、代わりに後ろから別の声がした。
「あたしならここだよ! 大丈夫、怪我とかしてないよ」
振り返ると、裏手の窓から、探していた当人の顔がひょっこりと現れた。クリスと共にやってきて、そのまま隠れていたのだろう。アーシェは窓の下まで素早く進むと、小さな声で問いかけた。
「フローラさん、あの祝女様の姿をした天使、解析出来ませんか?」
「あれは祝女様じゃないんだね、やっぱり。祝女様、あんなことする人じゃないもん」
「弱点を調べて欲しいんです。雷霆が効きません。すぐに元通りになっちゃいます。何か仕掛けがあるはずだってレティスさんは言ってます。フローラさんなら調べられませんか?」
「任せて! でも見えるところに行かないと……」
「アーシェさんにお任せください。抱えたままでもやれますよね?」
フローラが自信ありげな笑顔を見せると、アーシェは時間暴走を発動して動き出した。台所に裏口があったはずだと思い出し、天使に見られないようそこから飛び出す。フローラのいる建物の裏まで周り込むと、その身を抱え上げた。
禁足地の森に踏み込むようにして、建物から離れて周りこんでいく。天使の姿を視界に捉えたのか、フローラの瞳が金色に輝いた。そのアーシェたちの背後を雷撃が襲う。しかしアーシェの速度には追い付かず、狙いが定まらないのだろう。樹々の間を縫うようにして駆け抜けていくと、後ろの樹を次々と雷撃が打ち据えていった。
金色の光が消えると、アーシェは近くの家の裏手に隠れた。時間暴走を解いてフローラに尋ねる。
「フローラさん、結果は?」
「あれは祝女様そのものだよ。どういうこと? 天使じゃない。操ってるだけってこと?」
そう答えると、フローラはしきりに首を捻りながら、考え込み始めたようだった。
『なるほど、そういうことか。天使の力は確かに感じる。セシリアの身体に力だけを供給し、操っているのだ。無敵なのではなく、単に天使がセシリアを再生しているだけなのだろう』
フローラの解析結果からの推測を、レティスがそう述べた。
「雷霆が通用しないんじゃなくて、通用してるけど意味がないってことですか?」
『そうだ。破壊しているのはあくまでもセシリアの身体。同様の手口に嵌められたことがある。この場合、天使本体の魂を攻撃しないと意味がない。しかし、魂をどこに隠しているのか……』
レティスの疑問に対して、自慢気にふっと笑いながらアーシェは言う。
「愚問ですねー。あそこに違いないですよ! フローラさん、一緒に山頂まで――」
頭上で閃光が炸裂する。轟音が襲い掛かるのとほぼ同時に時間暴走を発動し直し、フローラを抱えてアーシェは走った。隠れていた建物が落雷によって弾け、木片が飛んでくる。それを躱しつつ距離を取り、フローラをいったん地面に降ろした。
そして再び走ると、祝女の屋敷の屋根の上に跳び上がってから叫ぶ。
「くーちゃん、しばらくここお願い! 足止めよろしく!」
「まさか……させるか!」
アーシェたちの意図に気付いたのか、天使は山頂への道に駆け出した。その前に立ち塞がりながらクリスは宣う。
「行かせない。ここは死んでも通さないわ。私は神薙クリス。この姫神村の守護神。絶対に守ってみせる!」
再び天使を時間凍結すべくクリスが動き出したのを確認すると、屋根から飛び降りつつアーシェは叫んだ。
「時間暴走、最大出力! ふおおおおお!」
目にも止まらぬ速度で動き出し、フローラを担ぎ上げると山頂への道をひた走る。クリスが足止めをしてくれている。天使がセシリアの身体を使ってこれを阻止することは出来ない。あとは、本体が迎撃態勢を整える前に辿り着くだけ。
アーシェはほんの三十秒もしないうちに山頂まで駆け上がると、フローラを地面に降ろした。既に瞳は金色に輝いている。アーシェが時間暴走を解いてすぐに、求めていた答えがフローラの口から飛び出した。
「あれは石像じゃない。天使そのものだよ!」
「レティスさん、力を貸して! 時間暴走、最大出力! 雷霆、連続展開! ふおおおおお!」
石像に化けていた天使の周りをアーシェが駆け巡る。その軌跡には無数の光の剣が並べられていった。飛び跳ねつつ立体的に取り囲み、完全に逃げ場をなくしていく。
「これでどーですか!」
数えきれないほどの光の剣が天使像を貫いていった。無数にひびが走り、粉々になって崩壊していく。
――そして恐ろしい声が響いた。
「人は……やはり過ぎたる力を持った。再び審判の時がきた。カマエル様、天界の兵を今ここに。能天使の軍団の派遣を要請いたします。全ての人間に、裁きの雷を!」
崩壊する天使像から、天に向かって一条の光が伸びた。いつの間にか厚い雲に覆われていた空を貫いて、一帯を光り輝かせる。それが収まると、雲間から幾筋もの光芒が、光の柱となって降り注いだ。
『天使の階段……これは、あの時と同じ……バビロンの聖塔での戦いの時と……』
光芒の中を、背中に翼を生やした人型の姿が降りてきた。幾条もの光の梯子の中を、数多の天使がゆっくりと降臨してくる。その光景はとても神々しく、そして絶望に充ちていた。
「こんなの……勝てるわけありません……」
さしものアーシェも、ただ茫然とそれを見上げるだけだった。たった一体の天使であの力。村からは多数の煙が上がっている。いくつの家が焼き払われ、何人の人間が生命を落としたのか、想像もつかない。それが、あの数えきれないほどの天使によって、もう一度行われる。
――世界は再び、滅びるのだ。神の手によって。人が背負った罪を裁くために。




