第一話
「そろそろ気が済んだ?」
実際にはどれくらいの時間だったのだろう。数時間とも、僅か数秒の間とも、アーシェには感じられた。気付くとクリスがそう言って、アーシェの頭に手を置いていた。
「くーちゃん……カテナ様は……?」
「私たちにとって、この村の人々にとって、とても大切な情報を残していってくれたわ」
残していった。その言葉は、カテナはもういないという事実を示していた。再び揺れる瞳。クリスはそのカテナの遺産ともいえる情報を語り始める。
「この村でクロカミが急増していたのは、姉様の仕業だそうよ。イロカミは人が瘴気の影響で魔獣化したような存在。姉様は浄化の力を使って、本来の人の姿であるクロカミへと戻していっていた。山頂で本人の口から聞いたから、間違いないらしいわ」
理屈はわかる。ルーチェが何よりの証拠。瘴気の影響を排除すれば、生き物は本来の姿に戻る。わからないのは、その動機。本来の姿に戻すこと自体は、良いことなのかもしれない。しかし、その結果起きる事態を考えると、何故なのかさっぱり理解出来ない。
「クロカミになると、苦しんだり死んじゃったりしますよね? なんでやったんですか? なんであの優しい祝女様が、みんなを苦しめるようなことしてたんですか!?」
アーシェは思わず声を荒げて叫んだ。クリスは落ち着いた表情のまま、その疑問に答える。
「姉様は山頂の御神体と話をしていたそうよ。あの像から聞こえる天使の声に従って、人をクロカミ化していっていたみたい。特に妊婦の家に毎日通い、お腹の中で成長する間に浄化して、クロカミとして産ませていたそうよ。保護施設も保護のためのものではなかった。クロカミとして生まれた子が、成長していくうちに、イロカミに戻ってしまうのを防ぐためのもの」
「イロカミに……戻る? 成長して?」
アーシェの艶やかな黒髪に、クリスが触れる。指でそっと梳きながら言葉を続けた。
「あなたは昔、本当はクロカミなのに、瞳に色を塗って誤魔化してるって言われて、虐められていたわよね? 私も小さすぎて覚えていなかったんだけど、母様が理由を教えてくれた。生まれた時のあなたは、本当にクロカミだったから。瞳の色は、薄い茶色だったそうよ」
「アーシェさんは……クロカミ……?」
自分でも全く知らなかった事実を聞かされ、アーシェは呆然とクリスを見上げた。クリスは膝に手を当てて身を屈め、アーシェの瞳を間近で覗き込みながら言う。
「育つにつれ段々と赤みが増し、それから青みが出てきて、今のような牡丹色になったらしいわ。今ならどうしてなのかわかる。――レティス、あなたが中にいたからなのね? あなたの影響を受けて、アーシェはイロカミ化したのね?」
「そう……なんですか、レティスさん?」
レティスからの返答はない。アーシェは震える声でもう一度訊ねる。
「教えてください、レティスさん。聞いても大丈夫だから。アーシェさんは別にクロカミでもいいです。同じ人間ですから。元々はみんなクロカミだったって、古代の記録で知りましたから」
『少なくとも瞳の色については、クリスの言っていることは本当だ。それが変わったのが我の影響なのかどうか、昔はクロカミだったのかどうかは、我には判断出来ぬ。己が赤子のうちは、我も大したことを見聞きする機会はなかったからな』
レティスがやっとのことでそう答えた。アーシェは自身の胸に両手を当て、眼を閉じながら祈るようにして小さな声で言う。
「アーシェさんは……本当はクロカミ……。レティスさん、今までずっとありがとう……」
『何故礼を言う?』
「だって、レティスさんがいなかったら、アーシェさん、瘴気で死んじゃってたかもしれないじゃないですか。どんなに瘴気が濃いとこへ行っても平気なのは、浄化してない魔獣のお肉を食べても平気なのは、きっとレティスさんのおかげ」
『しかし、我はずっと己の生命力を吸い続けて、この魂を生き永らえさせて……』
アーシェはすっくと立ち上がった。その瞳には強い意思が宿っている。かつてない真剣な眼差しでクリスを、フローラを見て言う。
「祝女様を探しましょう。もうこんなことやめてもらうんです。天使だなんて嘘です。やっぱりあれは悪魔像です。本当に神様の使いなのなら、カテナ様を殺したりなんてしません!」
フローラがアーシェの手を取り、大きく頷きながら同意する。
「そうだね、そうだよ」
それからクリスの方を向いて続けた。
「やっぱりカテナ様を殺したのは、祝女様じゃないよ。きっと天使だよ。だって祝女様の固有魔法は浄化。あんな雷を落とすなんてこと、出来るわけないもん」
しかし、クリスは目を伏せながら、残念そうに小さな声で言う。
「そうかもしれない。でも姉様は、母様を放置してあの場から消えた。なら姉様は、天使の側についたということ。母様を見捨ててまで、クロカミ化を続けるつもりってこと。まともに取り合ってくれるわけがないわ」
煮え切らないクリスに掴み掛かって、アーシェは激しい剣幕で叫んだ。
「そんなの、試してみなきゃわからないじゃないですかー!」
クリスはびくりと身体を震わせ、眼を見開いて驚きを示した。アーシェは畳みかけるように続ける。
「なんでやる前から決めつけちゃうんですか!? 祝女様は、誰よりも優しくて、誰よりも他人のために尽くす人です! きっとわかってくれますよ。クロカミの人たちを助ける方法だって、あの古代の本に書いてあるかもしれないんです。一緒に勉強すればいいじゃないですか。一緒に頑張ればいいじゃないですか」
「でも……姉様にその気がなくても、天使が攻撃してくるかもしれない。私たちを排除して、姉様にこのまま計画を続けさせるために」
アーシェはクリスを掴んでいた手を乱暴に離した。そしてクリスの眼前に指を突き付けて叫ぶ。
「考える前に行動する! 後のことは、後で考える! アーシェさんは、一人でも行きますよ!」
啖呵を切ると、クリスを押し退け、猛然と駆け出した。
「ふおおおおお! 時間暴走、最大出力! 雷なんて、避けてやりますよー!」
そうして迅雷のように村を駆け上がっていく。土煙を上げ、暴風を撒き散らしながら、山頂付近のどこかにいるはずのセシリアを目指して。




