第六話
「じゃあ、カテナ様お出かけしちゃったんですか?」
「はい。まだ暗いうちに起きてこられて、行き先も告げずに行ってしまわれました。お二方への伝言を託っております。それほど遅くならないうちに戻るから心配せぬように、と」
「そうですか……。ありがとうございました」
アーシェは夜番の見張りの側女に頭を下げた。フローラと話しながら居間へと戻る。
「どこ行っちゃったんですかねー?」
「んー、まあ、昨日の話聞く限り、村の様子見にいったと考えるのが妥当かな? ずっとアーシェちゃんたちから話聞いてただけだし、心配になるのが普通だよ。あたしもちょっと見て周りたいくらいだもん」
フローラの言葉に、アーシェはそれ以上は考えず納得した。きちんと伝言を残してくれているのだ。何か手助けが必要ならば、当然言伝があるはず。
『心配に思っても、村人に聞いて周るでないぞ? カテナは不在と認知されているから、不自然に思われるやもしれぬ』
「わかってますってばー」
アーシェはフローラと朝食を共にし、その後見張りの側女に後のことを任せると、一度組合へと足を運んだ。他の人々が以前よりも積極的にこなしてくれるようになったが、オーメ行きの依頼など、明らかにアーシェがやるべきものもある。
「組合長さーん、今日はアーシェさんやった方がいいのきてますかー? なければ帰りますー」
掲示板を見るのも億劫で、アーシェは入るなりそう声を掛けた。当然、組合長の反応はこう。
「お前、最近忙しいのはわかるが、いきなりそれはないだろう……」
「あははは、畑のこと気になっちゃいまして。魔獣いないの一応見てはきたんですけど」
「全くどうなってるんだろうな、最近。アタシまで昨日魔獣退治だよ。すぐそこに出てなあ」
組合長はそう言って肩を竦める。昔は腕っぷしの強さで有名だったそうだが、もうそれなりの歳なので、アーシェは少々心配になった。
「大丈夫でしたか?」
「まだまだ現役でもいけるかもしれないと思ってしまったくらいさ。とりあえず今日は、敢えてお前に頼まなきゃいけないようなのはきてない。昼過ぎにでもまた足を運んでくれ」
「わっかりましたー! ではでは、アーシェさんは畑の巡回に戻ります!」
右手を挙げて元気よく宣言する。微笑まし気に眺める組合長の視線が、アーシェの斜め後ろに向いた。同時に背後から声がかかる。
「アーシェ、そこにいたの。丁度良かったわ。話があるの。こっちきて」
振り向くとクリスが手招きをしている。アーシェが向かうと、クリスは崖際の樹の下へと移動した。そのまま追いかけてすぐ側まで行くと、耳元に口を寄せて囁いてきた。
「母様を呼んできてくれないかしら? 村にいることをあまり表沙汰にしたくはないから、そのあたりどう工夫するかは、母様に相談して決めて」
「何があったんですか?」
不穏な空気を感じ取り、アーシェは小声で問いかけた。
「シャロンを知ってるでしょ? 母様の助手の癒し手。昨夜梯子から転落して、頭を打ったそうなのよ。生命に係わるほど酷い怪我には見えないんだけど、意識がなくて。他に癒し手はいないから、シャロンをどうにかしてもらうか、一時的に屋敷に戻ってもらわないと」
「あのですね、それがカテナ様、行き先も告げずに出てっちゃったみたいなんですよ」
アーシェの言葉にクリスの眼が訝し気に細められる。少し考えるような素振りをした後、再び囁いた。
「村の外? それとも中?」
「わかんないです……。そこまでは聞きませんでした。でも、それほど遅くならないうちに戻るって、伝言を頼まれたそうなので、多分村の中だと思うんですけど」
「ちょっと確認してきてくれないかしら? 村への道を上っていったのかどうかくらいは見てたはず。私は一度シャロンのところへ戻るわ。目を覚ましてくれるようなら、目立つようなことをしてまで母様を探す必要ないし」
「もしかしたら、カテナ様、戻ってるかもしれないですしね。ちょっくら行ってきます」
アーシェはクリスにそう告げると、時間暴走を発動して走り出した。レティスが心の中で語りかけてくる。
『ほんに色々と起こるの、最近は……』
「なんなんでしょうね? 神様が怒ってるからとかだと困っちゃいますね……」
アーシェは心配顔のまま村の外に出る。坂道を下っていくと、昼番と交替したのか、見張りをしていた側女が上ってくるところだった。
「あ、丁度良かったです。ちょっと耳を……」
周囲に誰もいないことを確認はしたものの、アーシェは一応耳打ちで訊ねた。
「カテナ様って、こっち来ました? それとも村の外のどっか行きました?」
「この道の方に曲がってこられました。そのあと出てきておられないので、少なくともこちら側から村の外には行っておられないはずです。斜面を飛び下りたとは考えづらいですし、まだ村の中におられるのでしょう」
「わかりました、ありがとうございました。それとなく探しながら上ってみます」
アーシェは側女に頭を下げると、再び時間暴走を発動した。そのまま村の中に戻り、建物の裏なども含めてあちらこちら確認していく。窓から家の中を覗いたところで、レティスの声がかかった。
『何をしているのだ、己は。まさか、そうやって村中探して周るつもりか?』
「だって、聞いて周るわけにもいかないですよね? 内緒にしたいのかもしれないし」
『それはそうだが……。しかしそうであれば、行き先は割と限られておるのではないか? 暗いうちに出ていったということは、村人には見られたくないということ。ならば行先は、自身の屋敷か、特に信頼出来る者の家か。とにかく人目に付かない場所だ』
人目に付かない場所という言葉で、アーシェの頭に一つの発想が思い浮かぶ。
「もしかして、禁足地行ったんですかね? 天使像見にいったとか?」
『あり得るな……。古代の記録を調べるうちに、何か確かめたいことでも出てきたのやもしれぬ。己らがついてきたがるのを嫌い、秘密にしたと考えれば妥当。クリスと相談してみよう』
アーシェは探すのはやめ、祝女の屋敷へと急いだ。途中、少なくとも目に付く場所には、カテナの姿はなかった。近くまでいくと、時間暴走を解き、声を張り上げながら寄っていく。
「くーちゃーん、アーシェさんですよー!」
その視界が閃光に染まる。直後、返事の代わりに、耳をつんざく轟音が頭上から降り注いだ。アーシェは思わず頭を抱えてその場にうずくまる。
「なんなんですか、これ? 雷ですか? 晴れてるのに?」
『いや、自然の雷ではない、強い魔力を感じた! 何者かの魔法攻撃だ! 山頂の方だったぞ!』
「魔法攻撃って……」
アーシェは山頂の方を見上げた。やはり雲一つない晴れた青空。こんな空で雷というのは、生まれて初めてだった。
「アーシェ、今のは何? 晴れてるのにどうして雷が?」
「レティスさんは魔法攻撃だって言ってます。山頂だって」
クリスも山頂を見上げる。そしてすぐに駆け出した。
「アーシェ、山頂に行くわよ。母様がいるかもしれない」
アーシェも駆け出し、追いかけながら言う。
「それ、相談しようと思ってきたんですよ。村の中にいるはずだって。なら、禁足地の中かもって」
「アーシェ、お願い。先に行って。あなたの方が速い。登山道には見張りがいるけど、無視して進めるでしょ?」
「わかりました。もし怒られたら、一緒に謝ってくださいねー。時間暴走!」
アーシェは相対的に減速した時間の中、クリスを置き去りにして一気に駆け上がっていく。すぐに鳥居が見え、そこに立っている見張りが山頂を仰いでいるのを見つけた。その横を疾風のように通り過ぎる。その先は足場こそ良くなかったものの、一応道にはなっていた。
一本道なのが幸いし、迷わずに駆け上がっていく。樹々の背は高く、まだ山頂の様子は見えない。頂上付近の地形をぐるりと一周する形で登っていくと、視界の先が開けてきた。上がりきって右を見ると、そこには確かに天使像――悪魔として伝わっているものを象った像があった。
そしてその足元には――
「カテナ様ー!」
俯せに倒れているのは、紛れもなくカテナだった。瑠璃色の長い髪を低い位置で一つにまとめた髪型。そしてその服装と体格。顔は確認出来ないが、見間違いようもない。
「カテナ様! カテナ様!」
アーシェは時間暴走を解くと、カテナの身体を抱き起こしながら大きな声を掛けた。ぐったりとしており、反応はない。何か生理的な嫌悪感を抱く、妙な匂いが鼻を突いた。
『この髪が焦げたような匂い……。足の裏を見ろ。火傷の跡がないか?』
言われるままにカテナの足を手に取った。靴の裏に焦げ跡があり、脱がすまでもなかった。
『今の落雷に打たれたんだ。まだ死んではいまい。呼吸はしているか? 急げ。適切な処置をすれば、助かるやもしれぬ。力を貸してやる。必ず助けろ!』
「ふおおおお! 時間暴走、最大出力!」
アーシェはカテナを両腕で持ち上げると、飛び下りるような勢いで山を下り始めた。足下が崩れれば跳んで誤魔化し、もつれる脚を無理やりに動かして、レティスからの魔力で強化された身体能力を頼りに突き進む。前方にクリスの姿が見えてくると、一瞬だけ時間暴走を解除して叫んだ。
「屋敷へ!」
クリスの反応も確かめずに先へ進み、祝女の屋敷の扉を蹴破った。ルーチェを治療してくれたときの、カテナの寝室まで行ってベッドに横たえる。
『人を呼べ。シャロンでなくても、カテナの側女ならば、応急処置の一つくらい出来るはずだ』
レティスの言葉に従い、屋敷内を走った。突然のアーシェの侵入に後を追いかけてきていた側女に向かって叫ぶ。
「カテナ様が! カテナ様が雷に打たれました! 誰か応急処置が出来る人を!」
「しかし、シャロン殿は……」
「誰でもいいから、とにかく助けて! カテナ様が死んじゃう!」
側女は振り返ると、屋敷の他の側女にも声を掛けてから奥へと向かった。アーシェがその後を追いかけようとすると、クリスの声がかかる。
「アーシェ、さっきのは母様?」
「カテナ様、雷に打たれたみたいなんです! まだ生きてるみたいですけど、このままじゃ死んじゃうかもしれません……」
クリスは血相を変えると、アーシェを押し退けるようにして奥へと進む。
「とりあえずベッドに運びました。他の人たちに声もかけて診てもらってます」
アーシェは後を追いながら説明をする。クリスはカテナの寝室に飛び込むと、駆け寄ってカテナの首筋に手を当てつつ、鼻と口に耳を寄せた。
「脈はあるわ……呼吸もかろうじて……」
それから側女たちを見上げて問う。
「シャロンは? シャロンはまだ目を覚まさないの?」
「無理やりにでも叩き起こしたいところですが、彼女も頭を負傷しておりますので……」
クリスの顔が悲痛に歪む。アーシェが一度も見たことないほど、感情を露わにしていた。
「オーメまでカテナ様連れていきます。癒し手の一人くらい、いるかもしれません!」
「都合良くいてくれれば、確かにその方が早い……。でも、そんなの耐えられる状態には見えないわ」
「でもでも、このままじゃ!」
クリスは歯を食いしばったまま、珍しく迷ったように動きを止める。ややあって立ち上がった。アーシェの瞳をまっすぐに見つめながら、その肩に手を置く。
「アーシェ、お願いがあるの。オーメまで行って癒し手の方を連れてきて頂戴。その方が時間はかかるけど、そもそもいるかどうかわからない。その前にシャロンが目を覚ましてくれるかもしれない。私はここに残って、その可能性に賭ける。……せめて側にいてあげたいし」
クリスの眼には、今にも零れそうなほど涙が浮いてきていた。カテナを連れていってしまうと、今際の際にクリスが側にいられなくなる。そこまでは考えていなかった自分を、アーシェは激しく責めた。
「わかりました。絶対連れてきます。オーメにいなかったら、他の村まで行ってでも絶対連れてきます。どこにもいないわけなんてないんですからー!」
アーシェは即座に時間暴走を発動して屋敷の中を駆け抜けた。外に出るとさらに速度を増す。
「レティスさん、力を貸して! 時間暴走、最大出力!」
『その脚が壊れても、必ず救え! 今カテナを失うわけにはいかない。奴はこの村にとって必要な人間だ。何より、あの魔法攻撃を誰がやったのか、聞き出さねばならぬ』
「ふおおおおお!」
葛折りを飛び下り、村の門を跳び越え突き進む。畑を、谷を、沢を、森を、ひたすら走り抜ける。レティスによる雷霆の遠隔操作での進路確保にも助けられつつ。最後は、オーメを囲む壁をも跳び越えて、中央の集会場を目指した。
「すみません、どこかの癒し手の人来てませんか? 誰か知りませんか?」
集会場に飛び込むと、中に一人だけいた見知らぬ人物に話しかけた。驚いて目を丸くするだけの相手の肩を掴んで揺さぶりつつ、再度訊ねる。
「カテナ様が大変なんです! ここにいなければ、一番近い村を教えてください!」
「さ、先程まで能山村の祝女の使いが来ておった。確かあれは、治癒が使えたと思う」
「能山村ですね? 行ったことあります」
「北の道を行け。丘を越えた後、谷沿いに進む道を知っているか? 急げば追い――」
「ありがとうございます!」
アーシェは最後まで聞かずに時間暴走を発動して、集会場を飛び出した。何度か手紙の配達で行ったことがある。通る道さえわかれば、必ず見つけられる。無理だったら村まで行ってしまうだけ。もう一人くらいはいるはずなのだから。
「ふおおおおお!」
門に回るなど時間の無駄と思い、石積みの建物を足場にして、道すら無視して街の中を突き進んだ。そのまま壁の外に出ると、言われた通り北の谷への道に向かって猛進する。
小さな丘を越え、谷のように凹んだ地の森の中を走っていく。アーシェの速度からするといくらも進まず、だが実際には三キロ以上は走ると、前方に数人歩いているのが見えた。前に回り込んで振り返りつつ叫ぶ。
「すみません、能山村の人ですか? 治癒使える人ですか?」
突然現れたアーシェに戸惑ったのか、誰も何も答えない。アーシェは必死の形相で声を張り上げた。
「『はい』か『いいえ』くらい、すぐ答えてください!」
「わ、わたしが治癒を使えるが……」
中の一人がおずおずと答える。
「じゃあ失礼します!」
アーシェはそれだけ言うと、時間暴走を発動して問答無用で抱え上げた。そのまま事情も説明せずに走り出す。
「ふおおおおお!」
『いくらなんでも、無茶苦茶過ぎるぞ、アーシェ』
流石にレティスがその行動を窘めた。しかしアーシェは、説明に必要なほんの数十秒が命取りになるのを恐れた。
「説明してる間に死んじゃったらどうするんですかー!」
『しかし、此奴にも事情はあるだろう。能山村で怪我人が待っているのかもしれぬのだぞ?』
「そしたらあんなのんびり歩いてません! もし待ってたら、カテナ様助けてもらった後、アーシェさんがまた走ります! のろのろ歩いて帰るよりも早く、村に帰してあげますよ!」
『ほんに、暴走娘とはよく言ったものだ……。しかし、今はそれくらいで良いのかもしれぬ』
そうしてアーシェが再び爆走して、畑のある盆地まで一気に戻ると、村へ上がる道のところにクリスとフローラがいるのが見えた。クリスがカテナの側を離れたという事実に、アーシェは言い知れぬ不安を胸に抱いた。それは、二人の前で立ち止まってすぐ、確信に変わった。
クリスの眼が赤くなっていた。涙は流していない。しかし、明らかに泣いた痕があった。その顔はいつもの無表情。その裏に秘められた深い哀しみを、アーシェは感じ取っていた。
「うわあああああ! カテナ様ー!」
アーシェはその場に崩れ落ちながら泣き叫んだ。涙が止まらず、声が止まらず、魂が悲鳴を上げ続けた。自分の無力さを痛感して、自分の価値を見失って、ただひたすらに泣き叫んだ。




